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東北関東大震災


3月11日(金)午後2時46分に発生した大地震・大津波により大勢の方が亡くなり、大勢の方が過酷な避難生活を送っています。
さらには福島第一原発の放射能漏れにより大勢の方が不安な避難生活を送っております。
原発問題が一刻も早く収束に向かい、被災された方が安全に復興への第一歩を踏み出せる事を願っております。

この日私は会社でパソコンにむかっておりました。
すると聞きなれない緊急地震速報が携帯から聞こえ、同時に横揺れが始まりました。
揺れはどんどん強くなって、私は立ち上がり同じ部屋で仕事をしていた2人に声を掛けて外に飛び出しました。
建物が倒壊するのではないかと思う程の揺れになったので、建物の無い道路の反対側に行きました。
辺りを見回すと間口の狭い5階建てマンションが、今にも倒れそうにグニャングニャンと揺れていました。
立っていて気持ちが悪くなる位とてつもなく強い揺れでした。
何分程揺れが続いたのかはっきり覚えていませんが、揺れがおさまり少しして家族が気になり連絡をとりました。
家が古いのでとても気がかりでしたが、固定電話も携帯電話も全くつながらない状態で、しばらく連絡がとれませんでした。
何回も何回もかけなおし、ようやく30分後位に自宅に繋がりオフクロが電話に出ました。
無事だが、嫁は外出中で子供はまだ幼稚園で連絡がとれないとの事でした。
その後なんとか連絡がとれて妻、幼稚園も全員無事である事が確認できました。
家屋自体は基礎がズレたり壁が落ちたりしただけで済みましたが、室内はタンスが倒れ、食器棚の食器の半分程が割れて飛散し、室内水槽三本の水が殆ど飛び出してしまい、魚も多少犠牲になり大変な状態になってしまったとの事でした。
私は普段電車通勤なのですが、この日は車で行っていました。
私は道路が混む前にと思い家族全員と連絡がとれてからすぐに早退し、4時に会社を出て通常通りの時間で自宅に着きました。
私の地区では二十数軒中・八割の家の瓦が崩れていて、地震の凄さを物語っていました。
家に到着すると妻・父が水槽と食器の後始末をしていました。
私・妻・子は離れに住んでいるのですが、余震も凄いし離れはまだ生活するような状態ではなかったので、母屋ですごしました。
夜になり全員でテレビを見ながらどんどん新しい情報が入り、東北関東の被害の大きさにとても驚きました。
とても日本で起こっている現実の映像だとは素直に思えませんでした。
テレビを見ていると自分の家などダメージが無いに等しいと感じました。
停電は無かったので夜は一晩中テレビをつけっぱなしにし横になっていました。
大きい余震が夜中に数回あり子供を抱えて庭に飛び出しました。
全く眠れませんでした。
数日過ぎて、仙台と郡山の親類の安否も確認出来て少しホッとしました。
震災から一週間過ぎても計画停電により会社に行くのも大変で、遅刻早退の日々が続いています。
昨日の余震でも外周のブロック塀に更にヒビが入ったり、建物基礎が更にズレたりしました。
とりあえず釣りは自粛…。
余震も続くし私は家の片付けも終わっていないのと原発問題に燃料問題もあるし、しばらくは釣りどころでは無い感じです。
いつもサイトを見て下さっているみなさんの生活はどうなんでしょうか?
そして楽しく拝見していた霞周辺に住んでいる多数ブログのタナゴ師は大丈夫なのでしょうか?
気になるところです。

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