普通に授業のあった月曜日。土日には丸一日部活が行われた為、その日は朝練のみで、
放課後は休養を言い渡されていた。
 朝練が終わって皆着替えを済ませてゆく中、リョーマは心なしかそわそわと、手塚の様子を
窺っていた。
 今日は念願の、部活のない放課後なのである。どう話を切り出そうかと迷っていると、先に
着替えを終えた手塚が近付いてきた。
「昼休み、図書室に行くが、今日は当番じゃないのか」
 さり気ない声音で告げられて、最初は意味が判らなかったのだが。
「え?・・・・あ、違いますけど」
「そうか」
 それだけ言って、手塚は通り過ぎてゆく。
 一瞬後で、部長と部員の会話でも不自然と取られないもので装って、リョーマから呼び出さ
ずに済むようにしてくれたのだと悟る。
 そのまま手塚は、不二達と部室を出て行った。
 リョーマは午前中の授業の間、珍しく居眠りをしない代わりに、ずっと上の空で過ごしていた。
ようやく迎えた昼休みも、教室で弁当を前にして、既に落ち着かなくなっている。
 一人何かしらしゃべりながら食べる堀尾を前に、いつもは黙々と食べながらも適当に付き合っ
ているのだが、今日ばかりはさっさと先に食べ終え、用があるからと席を立った。
 図書室へ向かって廊下を急ぎ足で歩く。これまでにも図書室で手塚に会ったことはあるが、
示し合わせて会うのは初めてで、わくわくするような嬉しさを噛み締める。
 図書室の重い扉を開けると、まだカウンターにも委員の姿はなかった。一番乗りかなと思い
ながら、奥の書棚が並ぶ方へと足を進める。
 天井まである書棚の間に置かれた、階段状の踏み台に腰を掛けて、目の前に並ぶ本の背
表紙を何の気なしに眺めながら待つ。
 何度か入口の扉が開閉する度、顔を覗かせていると、しばらくしてやっと待ち人が現れた。
 リョーマはそのまま書棚の陰から様子を窺い、手塚が近付いてくるのを待った。急に胸の鼓
動が速くなり、今更のように緊張してくる自分に驚く。
 辺りを見回しながら歩いてくる手塚に、今度は気付いてもらえるように顔を出す。小さく手を
振ると、手塚は微かに頷いて、真っ直ぐに歩み寄って来た。
「早かったんだな。ちゃんと食べたのか?」
「残さず食べました。でも急いで来たから・・・・ねぇ、今日ならいいんでしょ?俺のうち、コートあ
るから来ない?」
 我慢しきれずに、一気にまくし立てるリョーマに、手塚はわずかに口元をほころばせる。
「ああ・・・・家にコートがあるのか?すごいな」
「家って言っても、裏の寺の中だけどね。親父が造らせちゃってさ・・・・クレー、て言ってもほと
んど砂地みたいなとこなんだけど。放課後しかないと、遠くまで行く時間もったいないじゃん。い
いでしょ?」
 聞きながら手塚は書棚の間まで歩を進め、リョーマの座っていた踏み台の前で書棚に背をも
たれ掛けた。リョーマも後に続き、踏み台の下段に片足を掛けて、車輪のついているそれを前
後に揺らしながら、手塚の顔を見上げる。
「判った・・・・お前の家なら分かるから、一度帰ってから出直すのでいいか?」
「えー、一緒に帰ってくれないの・・・・」
「そう言うな。どうせならちゃんとウェアを着ようかと思ってな。だが、一応今日は休養日なんだ
から、オーバーワークにならない程度に、軽くだぞ」
「うん、ありがとう部長」
 静かな図書室の中で、それまで低く抑えた声でしゃべっていたのだが、思わず気持ちの昂
ぶりが出た声は、少々高く響いた。


        ◇  ◆  ◇


「お、今日は早いじゃねーか、青少年。いっちょもんでやろうか?」
 自宅に帰るなり顔を覗かせた父親に、リョーマは全く相手にもしない風体で、きっぱりと言い
放った。
「今日は先輩が来るからいい。親父は覗きに来んなよ」
「つれないな〜リョーマちゃん。あれか、桃城ってヤツか?俺にも一度くらい手合わせさせろよ
ー」
 階段を登ってゆくリョーマに、尚も下から声が掛けられる。「子供の付き合いに親が顔出すな
よ!恥ずかしいから。・・・・絶対来んなよ」
 そう言い捨てて、話は終わり、というように、リョーマは自室のドアをバタンと閉めた。
 可能な限り素早く制服から着替え、ラケットを取り出す。
 まだ来ない時間だとは判っていたが、それでも居ても立ってもいられないのだ。
 バッグに入れてあったボールを二つ取り、一つをハーフパンツのポケットに押し込んで、もう
一つをラケットの面に乗せて軽く弾き上げる。
 誰かが訪ねて来ることを、こんなにも心待ちにしたことなど、今まであっただろうか。心臓がド
キドキとうるさくて、リョーマは思わず大きく深呼吸をした。



 日が暮れるまで手塚とひとしきり打ち合って、さすがにボールが見えにくくなってきた所で切
り上げる。
 リョーマは帽子を脱いで扇ぎながら、流れ落ちる汗を腕で拭い上げた。
 弾んだ息を整えつつ、コートの脇に申し訳程度に置かれたベンチに、二人は並んで腰を下ろ
した。
「ねぇ、今度あのドロップショット教えてよ」
「・・・・自分で研究してみろ。見本なら見せてやる」
「ちぇー、ケチ」
 お互い口には出さずとも、普通に打ち合うだけで、心が弾むような楽しさを覚えたことは、分
かり合っていた。
 いつまでもこうしていたいと思うほど、ネットを挟んで立つことが楽しくて、嬉しくてたまらない。
 やっぱりこの人が一番だと、リョーマは思う。
「学校以外に、いつもここで練習しているのか・・・・」
「ん?そうだけど・・・・親父が相手しろってうるさいしさ」
 手塚が小さく笑いを零したのに、リョーマは見上げて問いかける。
「おかしい・・・・かな?やっぱり・・・・普通親とばっかやらないよね」
「そんなことはない。うらやましい環境じゃないか。それに・・・・」
 言葉を切った手塚が、リョーマの方に振り向いて続けた。
「違うんだ。俺が、お前の父親がうらやましいと思ってしまって・・・・それがおかしかった」
「へ・・・・変なの」
「ああ・・・・」
 落ち着き払って答える手塚に、何故だか自分の方が居たたまれないような気恥ずかしさを覚
え、リョーマは俯いて片膝を抱えた。
 しかし同じように、いつもは父親と打ち合うコートに手塚が居るという事実に、奇跡のような感
動を覚えている自分もまた、おかしくなって微笑む。
 そんな些細なことも、嬉しくてたまらないのだ。
 浮かれ過ぎを自覚しながらリョーマは、もう片方の足もベンチに上げて抱え、手塚の肩に背中
を預けるようにして寄りかかった。
 揺るぎなく自分の身体を支える温もりを、背中に感じる。
 傾けた頭をその肩に乗せながら、感じる体温に胸一杯に広がるむず痒いような喜びを覚える。
「越前・・・・」
「ん・・・・何?」
「何故、俺なんだ・・・・」
 突然そう訊ねられて、咄嗟に返す言葉が見つからない。
「え・・・・何故って?・・・・なんで」
「いや、いいんだ。すまない・・・・」
 そうさえぎった手塚は、その言葉の意味を計りかねて戸惑うリョーマの肩に手を伸ばした。そ
して自分の肩を引きながら、凭れていたリョーマの上半身を腕の中に抱え込む。
「えっ・・・・うわ」
 いきなり仰向けに引き倒されて、リョーマは慌てて目の前の肩に縋る。手に持っていた帽子
が飛んだが、それよりも眼前に覆い被さる手塚の顔に、目を奪われた。
 何が苦しいのだろうか、顰められた眉に噛み締めた唇。自分から抱き締めておきながら、石
のように固まる手塚の、何がしかのためらいを見て取って、リョーマは自分の腕を彼の首に回
した。
 定まらない視界の中で、手塚の唇が自分の名を呼ぶ形に動くのを見る。しかしその唇は、
真っ直ぐには下りて来ずに、リョーマの額の上に軽く音を立てたのだった。
 仰向けの体勢の苦しさに、しがみ付いたまま足でベンチを蹴って、手塚の膝の上に横向き
で座る形になる。開き直ったリョーマに手塚もわずかに苦笑をもらし、腕の中にしっかりと抱え
直すと、改めて見つめ合い、互いの額を合わせてから小さく二度、三度と口付けた。





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03.05.11.  波崎とんび





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