夏色のフォリア   W  

 関東大会での組み合わせ抽選が行われ、初戦で前回準優勝の氷帝と対戦することが
判明したその日。
 リョーマは帰宅途中に、桃城に発破を掛けられながら、何気なくもたらされた情報に、そ
の後しばらく意識を捕らわれていた。
 それは、手塚が去年、副部長をしていたという事実。
 考えてみれば1年前には手塚も二年生だったのであり。去年の三年生がどのくらいの
レベルだったのかは判らないが、今の手塚を見ていれば、一年の時から無敗というのも
頷ける話である。
 しかし幾ら実力があるとはいえ、三年を差し置いて二年で副部長というのは、やはり異
例の抜擢だったのではないだろうか。いや、実際就任した時にはまだ一年だったはずで
あり。それだけの実績を築いていたという事なのだろう。
「桃先輩・・・・三年生って、全国大会終わったら引退なの?」
 背中合わせに座った自転車の上で、少し声を張り上げて訊く。
「一応形の上ではな。9月からはランキング戦も一、二年でやるし。でも大体12月くらい
までは、指導も兼ねて部活出てくる人多かったぜ」
「ふーん・・・・次の部長って、どうやって決まるの」
「そりゃ、今の三年とレギュラーが話し合って決めるんだろ。ほとんど部長の推薦で決まる
らしいけどな」
 背中からも響くその声に、リョーマは、へぇ、と返しながら、多分次の部長はこの人かな、
と心の中で続けた。
 手塚が桃城のことを高く買っているらしいというのは、何となく感じていた。他の二年と
は、接し方が違うように見えるのだ。
 今の部長と比べたら、カリスマ性はないかもしれないけれど、案外適任のような気がす
るし、何より今の部長が普通ではないのだから。
「あと2ヶ月しかないんじゃん・・・・早過ぎるよ・・・・」
「え?何だって」
 俯いて言った声は桃城には届かず、大声で聞き返される。
「次の部長は大変だろうね!」
 そう言って、桃城の背中に後頭部をこつんとぶつけた。


 まだ家までは少し距離があった。桃城が急にブレーキをかけて自転車を停めたので、
リョーマは慌てて片足を地面につく。
「・・・・?どうしたの、先輩」
 桃城は、ちらりとリョーマに目を遣って、もう一度前を向く。
「部長は、自分が居なくなる代わりを、お前にやって欲しいのかもな」
「え?・・・・何、それ」
「だからさ・・・・部長だからっていうんじゃないけど、うちのレベル引っ張ってんのはやっぱ
あの人じゃん。三年が抜けた後、どーなんのかなーとは思ってたけど、部長は越前に期
待してる、と思うんだ・・・・」
 桃城の言いたいことは、判っていた。手塚が自分に向けた言葉の意味――――それは
やはり、今まで手塚がしてきたように、この青学を引っ張っていく役を、自分にやって欲し
いということなのだろう。
「悔しいけど、俺や海堂には、そこまでの力はないってことかも知れない。けどな、俺もこ
のまんまじゃ終わらねぇから・・・・」
 桃城は振り返って、リョーマの頭をくしゃりと撫でた。
「一緒に頑張っていこうや。な?」
 何故判ってしまうのだろうか、と思う。不二も、桃城も、自分よりもリョーマ自身のことを
判っているのかも知れない。
 三年が引退する近い将来、手塚という存在を失うのだという不安や怖れを、必要以上に
重く捉えている自分に、そうではないのだと言葉を掛けてくる。
 置いていかれるのだと傷付き、身勝手だと非難したい想いを抑えて、平気な振りをして
いるのに。
 置いていくのではない、託していくのだと。それは他でもない、リョーマ自身にしか出来
ないことなのだからと・・・・選ばれた者への羨望を隠して、励ましてくれている。
 それでも――――リョーマは俯いて、唇を噛んだ。
「俺・・・・そんな風に期待されても、嬉しくないよ」
「越前・・・・?」
「判ってるよ。ここにいる限り、俺は頑張るし、やれと言われれば部長の代わりだってす
る。だけど」
 大きく一つ深呼吸をして、リョーマは首を振った。
「違うんだ。俺が今欲しいのは、そんなのじゃないんだ・・・・ごめんね、桃先輩。でも、あり
がとう」
 無理やり浮かべた笑みは、痛々しいほど大人びていて、桃城は一瞬息を呑んだ。
 その想いの深さを見せ付けられて、桃城の胸は軋むように痛んだ。
「いや・・・・こっちこそ、済まなかったな、変な話して。行くか」
 肩を叩いて促がし、桃城は再び自転車を漕ぎ出す。背中に感じる存在に、抗い難い引
力を感じながら。



 その日は、台風が近付き、朝から風が強く、午後には雨が予想されていた。
 朝練はランニングと筋トレに終わり、放課後の練習は中止との指示がある。
 午前中はまだ明るく、晴れ間も覗いた空は、昼を過ぎて急に暗くなり、やがて大粒の雨
が降り始めた。
 授業が終わって清掃の時間、野外の担当だったリョーマ達は、清掃も出来ないので既
に帰れるのだが、部活もないこういう日に限って、リョーマは図書委員の係に付いていた。
 しかし、今日ばかりは早く閉めて帰れるのではないかと、期待をしながら図書室に向か
う。
 図書室は、清掃当番がまだ掃除を行っていた。司書室に入ると、司書の園田は不在で
あった。戻ってくるまで待つしかないかと、手近な椅子に座る。
 ぼうっとする時間があると、いつも考えてしまうのは手塚のことで。
 引退後も、手塚は部活に出てくるだろうか、そして、他の者のようにそのまま青学の高
校へと進学するのだろうかと――――高校で、また同じ部に入れたとしても、3年後。それ
も半年間くらいのものだろう。余りにも遠い、と思った。
 それに、もしかしたら留学するのかも知れないのだ。あの時手塚は、いずれは行きたい
と言っていた。それが短期間のものか、長期間のものなのかも判らない。
 このまま、離れてしまえば、自分達を繋ぐものは何もないのだ。
――――どうしたらいい?どうすれば・・・・――――
 もどかしい思いに胸を焼かれて歯噛みをする。焦りはつのる一方で、リョーマは頬杖に
ため息をこぼした。
 清掃当番も帰り、リョーマは仕方なくカウンターの方へ移動する。今日はさすがに利用
する生徒もほとんどいなかった。
 そこに、強まってきた風雨を避けるように急ぎ足で入って来たのは、手塚その人。
 リョーマに気付くと、ホッとした顔付きでカウンターへと歩み寄る。
「良かった、もう閉まっているかと思ったが、間に合ったか」
「大丈夫っスよ」
 差し出された本の返却日は、なるほど今日の日付になっていた。1日2日遅れた所で、
どうという事はないのに、さすがに律儀な人だと思いながら、カードの処置をする。
「・・・・借りて行きますか?」
「ああ・・・・構わないか?時間は」
「平気っス」
 手塚が本棚の方に向かって、リョーマはやっとホッと息をつく。以前はこんなことはなかっ
たのに、胸が苦しい。手塚が近くにいると、嬉しいのだが、自分の顔が変な風に思えてし
まって、顔が上げられなくなってしまう。手塚の顔をもっと見ていたいのに、恐くて見つめ
ていることが出来ない。
――――何か、バカみたいだ、俺・・・・――――
「あー、ごめんなさい!越前くんー」
 両手に大きな荷物を抱えた園田が、ドアを押し開けて入ってきた。
「もっと早くに戻れると思ってたのに!失敗だわー。今日は台風だから、早く帰らせるよう
に言われてたのに・・・・」
 カウンターに荷物を置きながら、園田は大きくため息をついた。
「頼んでいた物が遅れてねー。ねぇごめんなさい、ついでで悪いんだけど、あと二つダン
ボールがあるの、運んでくれない?」
「良ければ手伝いましょう」
 話を聞いていた手塚も申し出てきた。
「あら、助かるわー!良かったら今日車だから、二人とも帰りは送ってあげる。じゃあ玄関
にあるからよろしくね」
 園田は一旦置いた荷物を持って、司書室の方へと行ってしまった。
「越前、行くぞ」
「・・・・あ、はい」
 二人は渡り廊下を渡って、本館の玄関へと向かう。手塚は二つ置かれたダンボールの
重さを確認してから、一方を持ち上げた。
「そっちの方が重いんじゃないスか?俺が持ちますよ」
「いいから。お前はそっちを持ってこい」
 そして、ダンボールを抱えて元来た道を戻る。リョーマは手塚の後に続きながら、その肩
を見上げていた。
 司書室に行くと、園田はもう帰り支度を始めていた。
「あ、二人ともありがとうー。もう図書館閉めるから、荷物用意して」
「先生、貸し出し途中なんで、ちょっとだけいいっスか?」
「越前、俺は別に・・・・」
 手塚が遮ろうとするが、園田には別に構わないと言われ、リョーマはカウンターへと戻る。
「先生送ってくれるって。ラッキーだね」
「・・・・そうだな」
 カウンターでリョーマが待つのに、手塚は本棚から一冊の本を抜き出すと、足早にカウン
ターへ戻ってきた。
「ちゃんと選んだんスか?」
「前から借りようと思っていたヤツだ。・・・・済まないな」
 記入したカードを差し出してくるのに、リョーマの手が一瞬止まる。だが、何もなかったよ
うにカードを受け取り、引出しへと仕舞った。
 園田に、車を正門に回すから玄関で待つようにと言われ、二人はバッグを手にして正面
玄関に向かった。雨も風も、大分強まってきている。傘の利かないこの状態では、車で送っ
てもらえるのは本当にありがたい。だが。
「越前、俺はバスで帰るから、お前だけ送ってもらえ」
 急にそう言い出す手塚に、リョーマは慌ててその腕を掴んだ。
「えー!何で?先生二人ともって言ってたし。部長も荷物運んでくれたんだから、いいじゃ
ないっスか」
「越前・・・・」
「ダメです。部長も一緒でなきゃ、俺走って帰るもん」
 両腕で手塚の腕を抱え込み、絶対に放さないと力を込める。
 見えないけれど、恐らくはあの眉を顰めた表情で、手塚は一つため息をついた。
「・・・・判ったから、手を放せ」
「・・・・先生が来るまでこうしてる」
「別に、逃げないから」
 ずっとこうしていたいのだが、手塚の困ったような声に、渋々と手を放す。
「迷惑、ですか」
「?・・・・越前・・・・」
 その時クラクションが鳴らされて、正門の前に園田のイプサムが停まっているのが見え
た。
「ほら、行くぞ」
 手塚の手が肩を促がすように叩いて、リョーマも足を踏み出した。
 助手席にはチャイルドシートが入っている為、二人は後部座席に並んで座る。
「先生、済みません、お世話になります。越前の方が家が近いので、先にお願いします」
 手塚がそう言うのに、リョーマは驚いてその横顔を見上げた。
「部長、家知ってるんスか?」
 園田に道順を説明してから、手塚は小さな声で言う。
「部員の名簿に、住所も載っている」
「あ、そっか・・・・」
 リョーマはそれで納得をした。名簿に載っていた所で、それを覚えているというのも、あ
まり無い話なのだが。
 車の揺れに身を任せていると、ふとした弾みに手塚の肘がリョーマの腕に触れた。わず
かな面積から伝わる体温に、リョーマは口元が緩みそうな嬉しさを感じる。そのままで、と
願う心が伝わったのか、その腕は触れ合ったまま離れてはいかなかった。
 車で走ると、家まではあっという間であった。リョーマは車を停める場所を示すと、先に降
りることになる。
「どうも、ありがとうございました」
「いいえー。また係の方よろしくね。それじゃ」
「失礼します」
 先生と部長へと頭を下げて、ドアを閉める。傘の下から見送ると、手塚が小さく手を上げ
るのが見えた。
 リョーマは、自分も左手を上げて振った。
 横殴りの雨に玄関へと走りながら、振った手でバッグのベルトを握り締める。
 絶対間違えてはいない。胸の高鳴りと共に、そう確信する。
――――俺、部長が好きなんだ――――





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02.07.23. この続きもまだ少しありますが、今日はとりあえず。
          いやもうホント、ダメですよね・・・何度か全消去したく
          なりました。