夏色のフォリア   U  
「あれ〜、今日越前は休みか?」
 桃城はコートを見渡しながら、いつもの帽子姿が居ないのに、近くにいた一年に訊ねた。
「学校には来てましたよ。委員会か何かっスかね」
 堀尾の答えに、桃城は内心で違うと返す。リョーマの図書委員の係につく日は、これでも
一応把握しているのだ。
 そこに、部長と副部長が揃って姿を見せ、練習開始を指示する。
 二人が何も言わないということは、欠席を了解しているということだ。
 何となく落ち着かない気分になりながら、ウォーミングアップを始めた。
 都大会が近く、レギュラー陣はより実戦的な練習をしている。普段ラリーもリョーマとやる
ことの多い桃城は、初めは同じ二年の伏見を呼んで相手をしてもらっていた。身体を慣らす
分にはそれで充分なのだが、やはり何か物足りなさを感じる。
 練習メニューをこなしていく間、丁度手塚が隣りに立った時に訊いてみた。
「部長、越前の奴、今日はどうしたんスか?」
 その問いに一瞬厳しい目付きで睨まれて、怒られるのかと思ったのだが。
「・・・・風邪だと聞いている」
「へぇ〜、鬼のカクランっスかねー」
 答えはなく、桃城も自分の番になりコートへと走り出る。
 その日の練習も終わり、家へと帰る途中、ふと思い付いて桃城は自販機でジュースを買っ
た。帰路の途中、リョーマの家に寄って様子を見ようと思ったのだ。見舞いという程のもので
はないが、我ながら随分とリョーマのことは気に掛けているものだと思う。
 いつもは通り過ぎる門の横に自転車を停めて、玄関の呼び鈴を押す。
 しばらく経って、髪の長い女性が現れた。
「こんにちは、あのー越前、じゃなくて、えと」
「ああ、リョーマさんなら、裏のお寺の方ですよ」
 そうにっこり微笑まれて、寺という言葉に首をかしげる。風邪で寝ているのではないのか、
と。
 寺は家の裏手の小高い丘の上に建っている。そこへ通じる石段を登りながら、今のが従
姉で同居しているお姉さんか、と気付く。何となく予想した通りに、寺の敷地の隅にあるテニ
スコートの方から、打ち合いをしている音が聞こえてきた。
 どうやらずっと父親と打ち合っているらしく、リョーマは汗だくになっている。
――――何だ、全然ピンピンしてんじゃんか――――
 ホッとしながらも、部活を休んでまで何の練習をしているのか気になった。
 様子を窺うように遠くから眺めていたのだが、リョーマの父親が桃城に気付き、打ち合い
を止めてしまった。
「今日はこれまでだ!ホレ、客が来てるぞー」
「あれ、桃先輩、どーしたんスか?」
 呼ばれて仕方なく歩み寄り、手に持っていたジュースの缶を、リョーマに向かって放り投
げた。
「どーしたじゃねーよ。部活サボって何やってんだか」
「ああ、そーいえば・・・・スイマセンね、もう治りましたから」
「何がだよ・・・・」
 しれっと言うのに呆れて、ため息をつく。
 コートの横に、申し訳程度に造り付けられているベンチに、二人は並んで腰を下ろした。
 じゃあな、と手を振って立ち去る父親に、桃城は慌ててお辞儀を返す。
「風邪だって聞いたから、わざわざ見舞いに来てやったのに」
「サンキュー先輩。イタダキマス」
 リョーマは、ファンタの缶の炭酸を上手く抜きながら、プルトップを開けてごくごくと飲み出
した。やっと一息ついて、口を開く。
「・・・・風邪って、誰に聞いたんスか?」
「え?部長だよ。そう言ったんだろ?」
「ふぅ〜ん・・・・」
 リョーマは何も言わずに、ただ正面のどこかを見据えていた。いつもと、どこか違う顔付き
に、やはり何かあったのかと桃城は訊ねた。
「風邪じゃないんなら、どーしたんだよ、お前らしくもない」
「うん・・・・ねぇ、桃先輩」
と、何かを言いかけて、リョーマは一度口をつぐんだ。そして改めて言った言葉は、恐らくは
言いかけたものとは違っていたのかも知れない。
「青学って、やっぱ凄いっスね」
 だが、桃城はそれに気付かない振りをする。
「ああ、すげーよ。・・・・明日は部活、来るんだろ?」
「え?はい・・・・」
「じゃいいや。俺、帰るわ。またな」
「桃先輩・・・・?」
 先に立ち上がって、リョーマの頭にポンと手の平を乗せた。
 それは、単なる予感に過ぎなかった。しかし、その予感は遠からず確信へと変わる。


 体育祭が終わり、6月のランキング戦に向けてテニス部全体が活気に満ちている毎日を
送っている中。リョーマは、周囲には気付かれない程度に不機嫌だった。
 それは、そもそも自分が何か、欲求不満な状態であるにもかかわらず、一体何に対して
不満を抱いているのかが、自分自身でも分からなかったが故に、解消されることなくくすぶ
り続けていたからなのだが。
 その日、リョーマは珍しく、放課後の部活に遅刻をした。雨が降っていて、筋トレが待って
いると少し憂鬱だったのもあるが、重い腰を上げて教室を出ようとした時、副担任である国
語教師に捕まってしまい、強く断れずにずるずるとお説教を受けてしまったのだ。
 部活に遅れるからと言わなかったのは、もちろん雨の為にテニスが出来ない、という思い
もあったのだが、この所の不機嫌さも手伝っていた。
 部室に着いた時には、当然皆は体育館に移動した後で、部屋には誰も居なかった。
 一人着替えていると、ドアが開いて手塚が入ってくる。
「・・・・遅いぞ」
 開口一番咎められ、リョーマは開き直って答える。
「副担にお説教されてました。スイマセン」
「もしかして、また補習か?頼むから、期末は少しは頑張ってくれ」
 ため息混じりに手塚はそう言った。
 中間テストの時に、国語と社会で赤点を取り、補習の為にしばらく部活禁止を言い渡され
そうになった時のことを思い出す。
 竜崎や手塚の口添えで、補習が終わった後の部活参加は認められたのだが、その時に
手塚にも大分小言を喰らったのだった。
「はぁ・・・・部長はまた委員会っスか?」
「ああ。俺のことはいいから、着替えたのなら早く行け」
「うぃっス」
 唇を少し尖らせながら、リョーマは手塚の横を通り過ぎた。
――――越前、お前は青学の柱になれ――――
 今でも、あの時の声をはっきりと覚えている。非公式な試合をして、負けた時。
 あれから一ヶ月。手塚はまるで、そんな事などなかったかのように、それまでと全く態度
は変わらなかった。言いたいことは言った、後はお前次第だ、という事なのだろうか。
 でも、リョーマ自身は、あの時を境にまるで世界が変わってしまった。
 例えば桃城は、先輩と云うより気の置けない友人のような、一緒に遊んで楽しい人だ。
テニスに関しては、ダブルスの相性が悪いのは置いておくとして、タイプが違い過ぎるから
一概には言えないが、打っていて楽しくて、真面目にやれば勝てる相手だと思っている。
 今まで、周囲にはそんな人間しか居なかった。
 だから、手塚に完膚無きまでに打ち負かされて、目の前に見えていたものが全く違うもの
だと気付かされたようなショックを受けたのだ。
 父のように強く、それでいて全く違う強さでもあり、こんなに早く、こんなに身近に、手も足
も出ない強敵が現れるとは思っていなかったから、驚いた。
 自分が衝撃を受けたことに初め驚いて、それから居ても立ってもいられなくなり、壁打ち
をして興奮を治めた。次の日には、すぐに父親と勝負したくなって、部活もサボって家で打
ち合いをした。
 手塚のプレーが頭から離れない。瞳に焼き付いて消せない。その強さに、胸が高鳴る。
 気が付けば、いつも手塚の存在を目で、耳で追っていた。時折見せる、そのプレー1つ1
つから目が放せなくなる。
「青学の柱になれ」と云うことは、少なくとも部長は、自分の力を認めてくれているということ
で。それでも、部長に敵わない以上、その高みへと上ってくることを要求されているわけで
あり。それは嬉しくもあり、また悔しくもあった。
 もっと、強くなる。絶対に、いつか超えてみせるから。だからもっと自分を見て欲しい。手
塚に、自分という存在を、意識させたいのだ――――





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                         02.07.16. やっぱり途中ですが一応UP。
                         やっと部長が出てきたー!
                         書けるところまで書いてみようと思いました。