夏色のフォリア   T  
 長い歴史を持つこの青春学園中等部には、校地をぐるりと取り囲んで、見事な
桜の木々が大きく枝を伸ばし、今まさに満開を迎えて、その花びらが桜吹雪となっ
て、新入生達の歩く道に舞っていた。
 新一年生の一人である越前リョーマは、一本の桜の古木を見上げていた。
 自宅の裏にある、今は父が管理を任されている寺にも、大きな桜はあった。し
かしこれだけの桜並木が満開になっている様を、間近で見るのは初めてで、時
が経つのも忘れて見入っていたのだった。
 見上げているのに疲れ、リョーマは一際大きな木の根元に座り込んだ。
 厭きることなく降り注がれる花びらを眺めていたが、うららかな春の午後の陽気
に、いつしかうたた寝を始めてしまう。
 周囲にはとうに人の姿は無く、本来新入生は講堂にいて、新入生歓迎会に出席
していなければならない時間だったが、授業というよりは生徒会の行事であった
為か、リョーマの不在も騒ぎ立てられることはなく、彼の睡眠を破るものはなかっ
た。
 そこに、一人の男子生徒が通りかかる。Tシャツに直に上着を羽織っているその
生徒は、学年章を見ると二年生だった。歓迎会では各部活動の紹介を兼ねた催し
があるのだが、今足を負傷している彼は、参加を免除されていたのだ。
 その彼、桃城武は、木の根元の小さな存在に目を留め、おや、という顔をした。
恐らくは一年生なのだろうが、早速堂々とサボりを決め込むとは、いい度胸をした
ヤツがいる、と苦笑する。
 確かに今日は、屋内にいるのがもったいないくらいのいい天気で、自分もどちら
かというと堅苦しい行事の苦手な桃城は、先輩という立場よりも仲間意識を持って、
その一年のサボりを見逃すことにした。
 ただ、どんな奴なのか、少しばかり興味はある。足音を立てないようにそっと近付
くと、その寝顔を覗き込んだ。
 あどけない、というのはこういう顔のことを言うのだろうか。透き通るような白い肌
に、長い睫毛が影を落としている。小さく可愛らしい鼻に、薄く紅を引いたかのよう
な唇は、無防備に弛められていた。
 目を開いたら、どんな表情をするのだろうか。
 桃城は、声を掛けて起こしたい衝動に駆られた。まだ幼く可愛らしいといった表現
のぴったりする、この子供がどんな風に動き、どんな声で話すのか、見てみたい。
 だが、やっぱり起こすのは可哀想だな、と、折り曲げていた膝を伸ばして立ち上
がった。
 桃城が立ち去ってしばらくの後、五限終了のチャイムが鳴り響くのに、ようやくリョ
ーマは目を覚ました。うっかりと寝過ごしてサボってしまった事実に気付くが、今更
慌てても仕方がないと、ゆっくりと身体を伸ばして立ち上がる。
 制服についた花びらを叩いて落とすと、一応様子を見に行ってみようかと、講堂
の方へ向かって歩き出した。


 ランキング戦が終わったばかりの日曜日。リョーマは買い物に出掛けていた街中
で、ばったりと桃城に会った。
「よう越前、一人で買い物か?」
「そうっスけど。桃城先輩もスか?」
 ごく普通に言葉を返したつもりだったが、桃城は大仰な身振りで嘆いた。
「あーあ、あんだけ言ってても、誰も“桃ちゃん”って呼んでくれねーのな。あー淋し
いなぁー、淋しーよ」
「だって、一応先輩じゃないっスか。誰も言えませんて」
 帰国子女であるリョーマだったが、周囲の過剰とも思える上下関係のケジメに対
する意識は、それなりに理解してきた所だった。リョーマ自身は、たった一つの年
の違いを畏れる必要など感じてはいなかったが、ここがそういう社会であるからに
は、それなりの対応をしていれば文句を言われることもないだろう、という程度には
心得ている。
「お前、一応は余計だろー?でもま、それもそっか。じゃあせめて桃ちゃん先輩、で
いいからさー」
「嫌です。・・・・ていうか、言ってて恥ずかしくないんスか?」
「別にー。ところで、これからどっか行くのか?バーガーでも食っていかねぇ?俺今
日リッチなんだ。奢ってやるからさ」
 自転車に乗っていた桃城は、リョーマに合わせて押して歩き始めた。
「え?・・・・先輩はもう用事、終わったんスか?」
「俺は別に、ぶらぶらしてただけだかんな。時間あるんなら付き合えよ」
「オゴリ・・・・なんスね。いいっスよ」
 ちょっとラッキーかな、とリョーマは内心でほくそ笑んだ。日本に来てから、ファー
ストフードなどに一緒に行くような友人が、まだ居なかったこともあって、久し振りに
外で買い食い出来るのは嬉しい。しかも、それが奢りとなれば尚更だ。
 二人は近くのハンバーガーショップに、並んで入っていった。


 ごく普通にテニスの話などをし、リョーマは現在の青学レギュラー陣の情報を多少
なりとも仕入れ、二人の会話は弾んでいた。
 アメリカに住んでいた時、学校で仲の良かった友人と、少し雰囲気が似ているな、
とリョーマは思う。話すうちに、段々と桃城先輩と続けて呼ぶのが面倒になり、いつ
しか桃先輩と縮めて呼びかけていた。桃城には何も言われなかったから、呼び方
はこれでいいか、と自分の中で納得する。少なくとも、桃ちゃんよりはずっといい。
 店を出て、自転車にまたがった桃城が問う。
「そういえば越前の家ってどこら辺だ?」
「え、青春台の方っスけど」
「何だ、それなら俺んち帰る途中じゃん。良かったら後ろ、乗ってくか?」
「あ、はい・・・・スイマセン」
 後輪の横に足を掛けて立ち、桃城の肩に掴まった。二人分の重みにも苦も無く漕
ぎ出す桃城は、ちゃんと乗ってるか?と声を掛けてきた。
「お前、うちの弟より軽いんじゃないか?そーいや背もあんま変わらないな・・・・」
「へぇ、弟いるんスか」
「妹もいるぜー。どっちもまだ小学生だけどな」
「訊いてないっス・・・・」
 小学生と比べられて、少しばかりムッとするが、自分だって去年までは小学生だっ
たんだから、と口の中で言い訳をする。
 年は一つしか違わないのだが、桃城は自分より20cm近くも背が高い。掴まって
いる肩も、骨太さと筋肉がつき始めているのが手の平に感じられる程、がっちりとし
ていた。
 自分のような子供の体型からは、既に大人へと変化しかけている身体だ。
 もし自分に兄がいたら、と思う。詮無い考えだが、こういう兄がいるのなら、自分も
全然変わっていたのかも知れない。
 そして、果たして一年後に、自分はどれだけ成長しているのだろうか。
 自分もこんな風に、大きくなれるのだろうか。
 父は、中学三年の頃に急に伸びたと言っていたから、まだあと二年はこんなもの
なのかも知れない。
「お前ん所は、兄弟いないのか?」
「いないっス・・・・」
 そんな風に、短く言葉を返しながら、何とはなしに居心地の良さを感じていた。


 ひょんなことからダブルスを組むことになり、二人は地区予選前に練習をしていた。
 リョーマがダブルスは初めて、ということもあり、作戦を立てておかなければまとも
に試合になりそうにないのだ。
 お互いの能力の高さは認め合う所ではあるが、如何せんダブルスはパートナーと
息を合わせることが重要であり、それは一朝一夕に身に付けられるものでもなかっ
た。
「ま、これで何とかなるんじゃねーか?」
「そうっスね・・・・あとは試合してみないと」
 そうして二人でとある戦法を編み出したのだった。今出来ることは、それくらいしか
ない。
「上手くあいつらと対戦出来るといいなぁ」
「て、もうオバさん・・・・先生には話したの?」
「ああ、今日な。エライ驚いてたけどよ」
 けたけたと笑う桃城に、リョーマはふうんと頷く。
「まぁ、あとは明日だ。とりあえず帰ろうぜ」
 既に慣れた動作で自転車に二人乗りをして、漕ぎ出した。
「なぁ、越前って朝とか苦手か?」
「・・・・得意ではないっス」
「だろーな。てゆーか寝汚いって言うんだろーなぁ。オマケに、どこでも寝れるタイプ
だろ?」
「え?・・・・そーかも知んないっスけど、何で?」
 桃城は笑うばかりでその問いには答えず、代わりに提案をしてきた。
「じゃあ明日の朝は、お前ん家まで迎えに行ってやるよ」
「ええー?いいっスよ、そんな」
「遠慮すんなって。どうせ行く途中にあるんだし、遅刻されちゃかなわないからなぁ、
パートナーとしても」
「うっ・・・・」
 何度か既に朝練に遅刻もしているリョーマには、返す言葉もなかった。


 何だかんだと、部活の後には一緒に帰るのが当たり前になり、休みの日でも一緒
に買い物やゲームをして遊んだりするようになっていた。
 桃城にとって、好奇心から始めた付き合いだったが、今ではあの出会いもラッキー
だったと思っている。
 最初は、まだ幼さの残るリョーマのことは、弟が一人増えたようなものかとも思っ
た。だが、やはり違う。
 リョーマは、第一印象を軽く裏切り、知れば知るほど刺激的で、面白い奴だった。
 はっきり言って、これほど魅力的な奴は、今までに見たことがないくらいだ。
 だから、一年の隔たりはあるけれど、部の中でも一番の信頼関係を築けたと思う
し、おそらく自分の知る中では一番近い位置にいるという確信があった。
 そして、この位置を維持していくことが当然であり、手放したり他の誰かに渡す気
など更々無かった。
 たとえ、相手がどんな人物であっても。


 地区予選で、リョーマは左目を負傷したものの、見事に勝利をおさめていた。もう
すっかりレギュラーの一員として、自分が周囲から認められているのが判る。他の
レギュラーの先輩達とも、上手く付き合えていると思うし、中学の部活動なんてこの
程度で充分なんだという、驕りにも似た気分でいたことは否めない。
 だからなのだろうか。
 ようやく左目の傷も完治し、都大会を間近に控えたある日。
 それまでは、挨拶程度しか言葉を交わしたことのない手塚部長に呼び出され、試
合を申し込まれても、少しも不安にはならなかった。
 この曲者揃いの青学レギュラー陣を束ねる人物だけあって、確かにその存在感に
は一目置いていた。だが部活では、下手をすると遅刻の罰としてグラウンドのランニ
ングを命ぜられることが一番多いのではないかと思う程で、彼のテニスの腕前に関
しては、噂に聞く程度の情報しか持ち得なかった。
 本当は、こうして非公式な試合を、個人的に行うことは部内では禁止されていた。
その為に学校の外のコートまで休日に出向いたのだが。
 待ち合わせた場所で会った時、手塚は開口一番に謝罪をしてきた。
「越前・・・・すまない」
「何が?」
 基本的に言葉の少ない人だと思いながら、リョーマも訊ねる。
「・・・・今日のことは、俺の我がままにすぎない・・・・付き合わせて悪いな」
「いいっスよ。俺だって一度、部長と試合してみたかったし」
 それは本心だった。おそらく今自分が対戦しうるメンバーの中で、最も強いと言わ
れている人物なのだ。あの桃城でさえも、手塚にはまだ全然敵わないと言っていた。
 自分なら、どうなんだろう。その思いは、対戦が叶うことを知って、胸の中で爆発的
に膨らんだのだった。
 居ても立ってもいられないような、胸の高鳴りを持て余しながら、コートの準備をす
る。ネットの具合を確かめる手塚に、リョーマは心の中に浮かんだ疑問を口にした。
「ねぇ、部長って規律だ何だって凄くうるさいのに、どうして? 俺にはメリットがある
から文句言わないけど、部長にとってはデメリットの方が大きいんじゃないの」
 ネットを挟んで立つリョーマに目を向けて、手塚は一度開きかけた口を閉じた。
 きびすを返して、ベンチの方へと歩き出しながら、ようやく声が聞こえてくる。
「・・・・部長だから、というのもあるが、必要だと思ったからやるだけだ・・・・」
「ふぅん・・・・ま、アンタの本気が見れるんならいいんだけどさ」
 その後を追いながら、リョーマも小さく返した。
 部長として、手塚は試合をするのだ。それも当然だ、とリョーマは口を尖らせながら
考える。多分異例の抜擢でレギュラー入りした自分の実力を、部長として正確に把
握する為に。
 たとえ二つ年上でも、このテニス部の部長だとしても、見下されているのは気に喰
わない。それなら自分が勝って見返してやるしかない。
 胸の片隅に小さく生まれた失望感――――手塚は部長だから自分と試合をするだ
けで、それ以上の意味はないのだから――――は、無理やり消し去ろうと無視をして。
 リョーマはラケットを握り締めて、手塚を睨み上げた。
Don't make light of it... I have your earnest shown.
 小声で呟いたそれが聞こえたのかどうか。独り言と思ったのかも知れない。手塚は
自分もラケットを取り上げて、リョーマに背を向けた。
「・・・・さぁ、始めようか」





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                  02.07.12.  中途半端でスミマセン・・・
                  柱事件を書こうとすると、どうしてもあの
                  0410アニメが思い出されてしまって・・・
                  もうあれ以上書く事ないですよね、て位。
                  ま、この話はまだまだこれからなので。
                  微妙にオンラインではカットもします・・・
                  (はたして書き上がるのだろうか・・・)
                  英文は適当(^^;カーソルOnで和文が。