Divertimento  V −4−  
「越前・・・・」
 呼び掛けると、心持ち顎を上げるようにしながら、小柄な彼は振り返った。
 漆黒の髪に縁取られたその容貌は、滑らかできめ細かい肌が白く際立ち、まるで内側か
ら光を放っているように感じる。
 大きくて鋭い光を宿す瞳は、手塚の姿を認めて、微笑んだように見えた。
 両腕を差し延べると、越前はフワリと近付いて腕の中に収まった。
 温かく、心地好い感触に、手塚は心の底からの安堵感を覚える。
 見上げる瞳がゆっくりと伏せられ、吸い寄せられるように唇を重ねた。
 甘く柔らかい唇を味わい尽くすように深く重ね、その体をより近付けようと腕に力を込める。
左手で越前の髪を梳き、耳元に指を滑らせる。
 もっとこの体を確かめたくて、頬から首筋へと唇を移動し、鎖骨の上の薄い肌を舌でくすぐ
ると、腕の中の体がぴくりと跳ねた。
 どのように吸えば跡が付くのか、一つ一つ確かめながら更に唇を這わせてゆく。
 縋り付いてくる越前の指に、乱れた息に、潤ませた瞳に。今まで感じたことのない衝動と
快感が体を支配する。熱く昂ぶったものが一息に登りつめてゆく感覚に、ただひたすらその
体を抱き締めて、身も世もなく腰を押し付けて絶頂を求める――――


「・・・・何なんだ、一体・・・・」
 現実の身に立ち返って、手塚は思わず声に出して唖然としていた。
 夢であったと気が付いた所で、状況は変わらない。確かに初めての経験ではなかったが、
それ以上に自分の胸の高鳴りと身体に残る快感に愕然とする。
 よりによって同性の後輩相手に抱く妄想ではなく、夢の中での自分が理解出来ずに、手
塚はただ首を振った。
 しかし夢に見た映像もリアルな快感も、自分の中から容易に消えてくれそうにはなかった。


 落ち着いて考えてみれば、昨日の今日で、越前の他愛ない行動(それなりの親愛の情を
示すものではあるのだろうが)に、日頃禁欲的な生活を送っている自分の若い性が刺激さ
れて、そのきっかけのままに見てしまった夢なのだろうと分析は出来る。
 それでもさすがに今日は、越前と顔を合わせたくないなと、手塚は深いため息をついた。
 だが、そんな日に限って、事態は望むのと逆の方へと動いて行くものである。
 翌日からの連休を控え、手塚は再び開かれた委員会の為に、部活には遅れて行った。ほ
とんどの部員は既にコートで練習メニューにかかっており、部室には誰もいなかった。
 ロッカーに鞄を押し込み、ウェアーに着替え始めた時。
「・・・・ちぃース」
 部室のドアが開いて、越前が遠慮がちに入ってきた。
 思わず無言のまま振り返る。自然と寄せられた眉に、越前は自ら理由を口にする。
「図書委員の仕事で遅くなったんス。今日は新着図書とかあって・・・・」
「・・・・そうか。ご苦労だったな」
 手塚から少し離れて、越前も着替え始めた。
 黙々と着替えながら、手塚は不可思議な衝動と闘っていた。振り向いて越前を見たい気
持ちと、すぐにここから立ち去りたい気持ちとが、心の中で葛藤を繰り広げている。居心地
の悪さにおのずと不機嫌な顔になっているのを、越前に不審がられるのではないかと、それ
も気になってくる。
 相変わらず、越前の方は時折不躾なまでにあからさまな視線を寄越してくるのだった。
 いつものようにデオドラントスプレーをウェアーの下に吹き付ける。すると着替え終わった
越前が、手元を覗き込むように近寄ってきた。
「へぇ、部長そういうの使ってるんだ」
「・・・・ああ」
「貸してって言ったら怒ります?」
「いや、別に・・・・ほら」
 一応キャップを閉めてから渡してやる。越前は容器の外観を眺め、キャップを外してくんと
匂いを嗅ぎ、自分のポロシャツの胸元を引っ張って広げ、シュ、と吹きかけた。
 手塚はつい慌てて目を逸らせてしまい、その事に却って動揺してしまう。
 少しガスを吸い込んだのか、越前は小さく咳き込んでいる。
「ケホっ・・・・ありがと部長」
「ああ。大丈夫か?」
「ちょっとむせちゃった」
 スプレーを手塚に返しながら、越前は目にうっすら涙を浮かべて苦笑いをした。
「いつもコレ使ってんスか?」
 返されたそれを受け取って、ああ、と答える。不意に近付いて自分に笑いかけている越前
の表情に、夢の中での顔が重なって見えた。
「そっか、だから部長っていつもいい匂いなんだー」
「・・・・用意が済んだなら、早く合流しろ。ウォーミングアップはしっかりやっておけよ」
「はーい」
 うろたえている自分を隠すように、何とか部長としての顔を保ちながら、越前を追いやるこ
とが出来た。
 バタン、と扉が閉まって、初めて肩に入っていた力を抜いた。
 自分が意識し過ぎなのだと判っていても、越前の瞳から受ける衝撃は紛れもなく手塚の
心を揺さぶってくる。
 越前は誰にでも屈託なく接し、自分の興味には忠実で飾ることなく感情を表してくる。だか
ら、懐いているのは自分にだけではないし、彼が興味を持っているのは自分のテニスの実
力に対してなのだ。
 だが、改めて越前を見ていて気付いてしまった。彼を見ていて感じる胸の動悸は決して不
快なものではなく、目を離し難いその表情は誰のものとも違う執着を自分に抱かせるのだ。
「・・・・可愛い、というのかな。これは・・・・」
 自分が越前に対して抱く気持ちに正直に向き合って、手塚は独りごちた。
 気がはやるような心の落ち着かなさの正体に、まだ正確には辿り着いていない手塚だっ
た。
 やがて今の自分を振り返って気付くことになる。もうこの時既に、自分の心がすっかり彼に
捕らわれていたということに。
02.02.15.UP
・・・あれ?当初の目標に辿り着けていないような気が・・・
こんな部長は嫌、という人にはすみません。
リョーマさんがあからさまにアプローチしてますが、
部長は気付いてません。というかやっぱりそのテには
うとかったというのを書きたかったのですが・・・
・・・もっと精進したいです。
波崎 とんび