■月蝕■  −1− 
 平成元年、4月。日高秋亜人と黒木凱は、共に遼西高校に進学を決め、入学までの春休み
を、受験から解放された喜びと、武術選手権大会に向けた気力の高まりと共に過ごしていた。
 地区予選が春休み中に行われ、4月中旬の日曜日に全国大会が武道館で開かれる。1年
生ながら優勝候補である二人は、去年の夏に果たせなかった決勝戦を今年こそ、と意気込ん
でいた。
 特に秋亜人は、去年の冬、中学最後の真剣勝負をクラブの道場で戦い、きわどい差で凱に
敗れた。勝ち数で並ばれてしまい、今度は簡単には負けられないと、入試の終わった日から
闘志を燃やしている。
 互いに競い合ううちに、二人の技は向上を続け、既に超高校級のレベルにある二人だった。
 東京都予選も順当に勝ち抜き、凱が1位、秋亜人が2位で全国大会に進んだ。ここでも秋亜
人は、凱に一敗を喫してしまったのである。
「今度こそ俺が勝つ!」
「そう簡単には取らせないよ」
 凱が笑って言う。穏やかな笑みの中に、静かな闘志が覗えた。
 そんな凱を見て、秋亜人は思う。もし自分が敗れたのが凱でなかったら、こんなにさっぱりと
していられるだろうか、と。同じように、もし凱が自分以外の誰かに敗れたなら、自分のこと以
上に悔しく思うのではないかと。
 拳法を始めたばかりの頃、秋亜人はまず攻撃をかけ、力で押した。対照的に凱は、相手の力
を上手くかわし、技の切れで相手を押した。
 やがて二人はお互いの利点を吸収しつつ、自分の持ち味を生かして、まるで対を成す形で力
を伸ばしていった。
 しかし秋亜人は、自分よりも凱の方が、昔に比べてより強くなったのではないかと感じていた。
 出会ったばかりの頃、体が弱く病気がちだった凱は、体の細さや肌の白さは相変わらずであっ
たが、小学生の高学年になる頃には、学校を休むこともなくなり、中学では体育などでも目立っ
て活躍するほどになった。随分強くなったよな、と秋亜人は胸の内に思う。
 自分とは違う強さを持っているような、それが何だか誇らしく思えて。凱から見たら自分はどう
変わっただろうか。試すように疑問が浮かんで、すぐに消え去った。
 そして入学式を二日後に控えたその日、秋亜人は道場での稽古の後、凱の家に泊まりに来
ていた。
 凱の姉の美奈がにこやかに出迎える。
「いらっしゃい、秋亜人くん。どうぞ上がって」
「おじゃましまーす」
 笑顔で応えつつ、手に持ったものを後ろに隠す。
 美奈の姿が見えなくなってから、それを凱に手渡した。
「俺らももう高校生だしな。ま、ホントはちょっち早いけど。でもビールくらいなら平気だよな」
「秋亜人は家でよく飲むのか?」
「ああ、もっぱらじっちゃんの付き合いで日本酒だけどな。凱は、親父さん帰って来てる時飲ん
だりしないの?」
「うん・・・・父さんもあんまり飲まないから」
「そっかー。ま、いいや。ちっとは俺に付き合ってくれな」
「ああ。姉さんのいないうちに、冷やしとこうか」
 二人は台所経由で居間へ向かった。
 美奈が来て、既に用意されていた夕食を三人で囲む。
「食べ終わったら、お風呂にするでしょ?」
 美奈の言葉に二人は頷いた。たいていこんな時は秋亜人が先に入らせてもらっている。もち
ろん大体美奈が既に入浴を済ませてしまっているのだが。
「今日は二人共、いつまで起きてるのかしら」
「そうだね、やっぱり少し遅くなるかな・・・・今夜は月蝕があるんだ。それが終わるくらいまでは
起きてるかも」
「なるべく静かにしてるつもりだけど・・・・うるさかったらごめんなさい」
 申し訳なさそうに秋亜人が言い、美奈は笑って答えた。
「いいのよ、少しくらい。部屋も隣りって訳じゃないしね」