電車を降りてから、レンタカーを借りる。速水は恐らく、バスで向かったはずだ。これで少しは
早く着けるだろう。
 有料道路を飛ばす。この季節、海に向かう車など、ほとんどない。
 峰を下る道の途中に、展望台がある。傾き始めた冬の陽の中、海岸線は輝き、島が影を落
とす。ここからは、三方に海が見えた。
 車を止めて、降り立つ。
 あずまやに人影を認めて、歩き出す。
 こんな時、自分は凄いと思うのだ。嬉しさに、笑みがこぼれる。
 ベンチに腰を下ろしていた者が、ゆっくりと立ち上がった。
「迎えに来たぞ」
「仕方ありませんね、もう・・・」
 速水の顔が、少し歪んだ。涙を見る前に、両腕を伸ばして抱き寄せた。
「一緒に帰ろう。嫌とは言わせん」
 返事は声にならなかった。そのかわりに、両手を深町の背に回す。
 肩を震わせる速水を、宥めるように優しく抱き締めた。
「深町さん・・・俺、本当はあなたと出会えたことだけで、・・・あなたと一緒に過ごした思い出だ
けで、充分幸せだったんです・・・だけど」
 速水は涙を拭って、顔を上げた。
「あなたが会いに来てくれて、ホントに嬉しかった。もう会わないって決めてたのに、ずっと待っ
てたんです・・・俺、今日こうして会えただけで、もう充分です・・・ホントに、ありがとう・・・」
「・・・ばかやろう、礼なんか言うな・・・」
 身体が冷えているのに気付き、車に連れて行く。エアコンをかけて温めながら、速水の手を
握って、両手でさすってやる。
「心配したんだからな、ずっと・・・案の定身体悪くしてやがるし、目が離せんよ、お前は」
 速水は小さく、嬉しそうに笑った。


 その日は速水のアパートに泊まる。一緒に夕食を取り、穏やかに過ごす時間は、本当に久し
振りで、二人は束の間の幸せに浸る。
 改めてお互いの姿に、十年の歳月を見て取る。しかし深町にしてみれば、速水は全く変わっ
てはいなかった。他愛の無い会話も、黙っている間の息遣いも、これほどまでに心地好いもの
であることを、少なからぬ感動をもって認識する。
 一組の布団に、身を寄せ合って眠りに就く。こんなにもお互いの体温を感じて過ごすのは、初
めてのことだった。
 翌朝、いくらかの荷物をまとめて、部屋を後にする。
 新幹線の中で、深町は何度も速水の手を握った。速水は一言も言わないが、顔色も悪く、きっ
と具合は良くないに違いない。
 心配の余り、傍目には深町の方が気分が悪いように見えただろう。
 家まで送ると言い張る深町に、速水はそれだけはと首を横に振った。ちゃんと帰れますからと、
宥めるように言い聞かせ、ようやく納得させる。
 改札の前まで、深町は荷物を持って付き添った。足元に荷を下ろして、向かい合う。別れを切
り出し難く、二人はしばらく黙ったまま見つめ合っていた。
 深町は、青白い速水の頬に、手のひらを当てた。速水は少し目を伏せる。深町の手を、両手
で包むように取りながら、速水は笑顔を向けた。
「本当に、ありがとうございました・・・それじゃあ」
 軽く頭を下げる。深町は、その細い身体を、思い切り抱き締めたい衝動に駆られる。しかし、こ
ぶしを強く握り締めて、それを堪えた。
 本当は、無理にでも抱き寄せて、そして離れたりはしたくなかったのだ。その思いを知ってか
知らずか、速水は振り返ることなく、その場を立ち去った。
 それが、生きている彼を見た、最後の姿だった。


 それから数日後。速水は実家で、夜の間に静かに息を引き取った。


 報せを受けて深町が駆けつけた時は、既に死亡確認が行われた後だった。眠っているような
死に顔を、深町は黙って見つめていた。
 動かない彼は、急に年を取ったように見える。
 深町は深く頭を垂れた。
「・・・俺は、・・・お前が元気で生きていてくれさえすれば、それで充分だったんだ・・・それなの
にお前は、それすら許してくれないんだな・・・」
 久しく忘れていたものが、瞳を熱くする。深町の咽び泣く声を聞くのは、速水だけだった。
「・・・速水・・・・・・」
 お前はそれで幸せだったかも知れない
 俺は、間違っていたのだろうか
 しかし俺は、後悔はしない
 先に逝くなら、そこで待っていろ
 決して、忘れることはないから――――――――


 これを愛と呼ぶなら
 俺は確かにお前を愛していたのだ




                                                    ende

                                        1993.2.23. 波崎とんび
X. Se tu della mia morte / 3   
−15− 
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本を出す時、ドキドキでした。こんなの書いていいのかなぁ、と・・・
実はこのX章を考えた時、布団の中で話を考えながらボロボロ泣いて
しまいました。かなり落ち込んでいた頃でもあったのですが・・・(−−;
泣ける話を書く、というのが目標の1つなので、ちょこっとでも泣いて
下さった方がいらっしゃったらいいな〜と思っていたりします。私自身は
人一倍涙もろくて、どんな話でもかなり泣けちゃったりするのですが。

速水さんの住んでいた街はどこでしょう。どこの海を見ていたのでしょう。
私は一応マップルとか広げて、この街、この展望台と決めてますが、
あえて明記はしません。とりあえず、太平洋側だということだけ・・・
病気の事は余り考えてません(−−;ネタとしてはあの、外科医有森冴子
の「彼と彼の愛の物語」がイメージなので・・・すみません。
     ・・・とまぁ、大体このような後記を書いてました。