■貴女が私の死の栄光を■ Se tu della mia morte −1− 
T. Sento nel core / 1
 夢を見る間もなく起床時間を迎える。士官用の二段ベッドから降り立ち、衣類を身に付ける。朝
にはまだ少し間があり、艦内の照明は赤い夜間用であった。
 身支度を整えて発令所に向かう。深夜勤の士官と引継ぎを済ませ、一通りの書類に目を通し、
艦内の見回りに出る。
 横須賀の第二潜水隊群の中で、最も新しい艦である「たつなみ」は、津軽海峡の哨戒と、途中
対潜訓練の標的役を務めた後、横須賀に帰ることになっていた。哨戒任務ではソ連潜を発見・追
尾等を主な目的としているが、もちろんアメリカの原潜からも身を隠し、こちらが先に探知していか
なければならない。とにかくひたすら隠れ続けるのである。
 「たつなみ」の副長に就いてから半年程になる速水健次三等海佐は、今回の任務でも自艦の勝
利を確信していた。性能も人材も指揮も申し分ない。この艦はもちろんのこと、艦長である深町洋
二等海佐の戦績の輝かしいことは、潜水艦乗りの間では有名な話であった。
 各部署の交代後を確認し、異状の無いことを目で確かめながら巡回を済ませた速水は、発令所
に戻って一息ついた。
 対勢掃討盤に寄りかかるように立ちながら、薄明かりの中で発令所内を見渡した。そして、艦長
席を見るとも無しに眺める。
 深町は、潜水艦乗りとしても上司としても、好感の持てる人物であった。
 堂々たる体躯と厳つい顔立ちで、大胆不敵と称される操艦をする彼だが、その裏に緻密な計算
と性格かつ迅速な判断を下す頭脳を持つことを、直接彼の下で働く者達は皆認識していた。
 速水にとって本当に尊敬出来る上司としては、深町は二人目の人物である。一人目は、今僚艦
として海に出ている「やまなみ」の艦長、海江田四郎二等海佐であった。速水の父が海江田の父
の教え子にあたり、また海江田の上司ともなっており、何かと会う機会は多かった。速水が潜水艦
を志したのも、海江田の影響があったのだ。
 その海江田と深町が、防大同期で昇進も一緒であり、今同じ潜水隊の艦長同士であるのだから、
つくづく狭い世界であるらしい。
 しばらくの間思惟の淵に佇んでいた速水は、自分に向けられる数本の視線を意識していなかった。
発令所にいる科員の何人かが時折盗み見るように速水の姿を窺い、また通りかかる者やほんの少
し発令所に首を突っ込む者も、一様に速水に目を向ける。
 速水自身は全く気付いていなかったが、乗員達にとって速水の姿を目にすることは、一種のレクリ
エーションとなっていた。特に夜間照明の下で見る姿には、凄絶なまでの美しさがあり、重宝がられ
ているのであった。
 速水も、自分の容姿が整っており、しかも男らしさに欠け、中性的な美しさが目立つものであること
は自覚していた。しかし他人より睫毛が長くて多いことや、肌が白くて肌理細やかであることなど、何
の得にもならないことであったし、細くて厚みのない体には、コンプレックスさえ抱いていた。
 そして尚悪いことに、自分が男性にも好かれることを知っているだけでなく、自分の方が男性にも好
意を抱いた経験があるのだった。
 照明が昼間用のものに切り替わり、艦内は朝を迎えた。
 速水は深町を起こしに行く為に、コーヒーを入れようと食堂に向かった。
●92年5月に書いてます。4部作で、オフセットは93年3月に発行。  
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「Sento nel core」 私は心に感じる

   私は平安をかき乱す
   苦しみのようなものを心に感じる
   魂を燃え立たせるひとつの松明が輝く
   もしこれが愛でないとしても、やがて愛になるだろう。