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Someday in the Universe (Japan Aerospace Exploration Agency × Tetsuro Fukuhara)

「宇宙航空研究開発機構(JAXA)×東京スペースダンス」フィジビリティスタディ

身体表現(舞踊)の視点から考えた無重力環境での人間の姿勢変化、及び生活様式のあり方の考察

『スペースダンス〜或る日、宇宙で』

「姿勢」は文化創造の<母胎>である

福原哲郎(東京スペースダンス)


スペースシャトル・エンデバーの周囲を宇宙遊泳する宇宙飛行士 [写真提供:NASA]

第1章 はじめに〜提案の骨子
第2章 宇宙空間における姿勢問題
第3章 スペースダンスとは?
第4章 脳の未来、姿勢の未来
第5章 姿勢は文化創造の母胎である
第6章 姿勢支援ツール
第7章 初期情報群を書き換えるロボット
第8章 姿勢支援ツールは地上でも使える
第9章 宇宙での生活空間デザイン
第10章 21世紀デザイン
第11章 おわりに〜今後の計画
「注」


『東京スペースダンスとの活動を通じてJAXAが目指すところ』

宇宙航空研究開発機構 宇宙基幹システム本部・宇宙環境利用センター・きぼう利用相談室

 ロケットや人工衛星、ISS(国際宇宙ステーション)は高度な科学技術によって開発されてきました。またこれらの使用目的も科学や工学寄りであることも事実です。しかしISSには人間が滞在します。人間が長期にわたって宇宙で生活するということは、そこに人間らしい温かみのある感情が存在し、血の通った精神活動が行なわれるということも忘れてはならない重要な事実です。本活動により国民の皆様に宇宙や宇宙開発を見つめる新しい視点を提供することが出来ればと願うと同時に、技術者集団であるJAXAに対して東京スペースダンスから芸術家ならではのアイデアや提言が供されるのではと期待しながら耳を澄ましていきたいと思います。

第1章 はじめに〜提案の骨子

 宇宙環境における人間生活を想定した場合、科学技術のみでは解決できない特有の身体・脳問題が発生することが予想される。

 それは、無重力環境における身体劣化の問題、「姿勢」喪失による所定動作の困難化の問題、脳がアタマのある方向を「上」と判断することによる空間認識の混乱の問題、それに伴う対人認識の混乱とコミュニケーションの困難化の問題。つまり、根本的には、フィジカルな人間的能力の衰退と文化的諸力の停滞の可能性、という問題である。

 私は、日本の舞踏家としての立場から(注3)、以上の身体・脳問題を解決するために、文理融合チーム(注4)による共同プロジェクトを計画し、以下の提案をする。これにより宇宙開発における「身体性を重視した日本独自の開発視点」をあらたに提示できると思われる(注5)。

 なぜ文理融合チームが必要かについては、端的に、宇宙環境における身体・脳問題は科学技術ひとりの手に負えない問題であるだろうだからであり、さりとて人文系研究者やアーティストが単独に提案しても効力を持たないからである。それは、1959年にC・P・スノーが『二つの文化と科学革命』(みすず書房)において指摘した文系知識と理系知識の離反の問題の延長である。

 そして、このような共同作業を進めるためには、いま最先端のロボット開発プロジェクトをリードし高い評価を得ているデザイナー・山中俊治氏の次のような考え方が重要になると思われる。それは、そこでは単に科学技術と人文科学各分野の知識の集合が求められるだけではなく、それを担う専門家たちの専門性も更新されていく必要があるからである。「技術研究のビジョンを描く段階からデザインもスタートしなければならないと気がつきました。同時に、デザインとエンジニアリングを区別する必要はないと考えるようになりました。自分が何かの専門家だと思わないようにしています。自分の専門ではない分野でも、自分の感覚は何らかの役に立つと信じるのです。そして、一度つくりはじめたら、すべてを自分で設計するつもりでやる。このロボットのことは、どの専門家よりも自分が一番よく知っているという状況をつくらなきゃ、生き生きとしたものができるわけがない」(AXIS 2005年8月号)。私もまた、本論で提案するプロジェクトに取り組むためには、舞踏家としての主張だけではなく、デザインやエンジニアリングに対してもアイデアをもつ舞踏家に変身する必要があった。

第1節 提案の骨子

●提案1
二足歩行を基本とする人間の生物学的本質を考える時、無重力環境における人間生活のためには人工重力が必要である。

●提案2
その上で、人びとがより豊かな宇宙文化を形成していくためには、フィジカル面のサポートとして、人工重力をカスタマイズできる個人用の姿勢支援ツールが有効になる。「姿勢」こそ文化創造の母胎であるからである。宇宙環境において人間は新しい進化の可能性に直面すると予想されるが、姿勢支援ツールはその進化のあり方に影響を及ぼすことができる。姿勢支援ツールを、国際宇宙ステーション・宇宙ホテル・月面住居・火星住居などにおける回転による人工重力発生装置に連結させて機能させるという設定である。

●提案3
姿勢支援ツールの導入により、人びとのふる舞いが地上とは大きく変化することが予想され、宇宙における生活空間デザイン(居住空間デザイン、情報デザイン、ライフスタイルデザイン)もそれにつれて変化することが求められていく。

第2節 提案1について

 無重力環境における人間の姿勢変化について考察する。無重力環境では、単に医学的身体変化だけではなく、動物の「姿勢」が変化することがこれまでの研究で判明している。人間にとっても「姿勢」は変化するであろうと予測。そもそも「姿勢」とは何なのか? 魚・両生類・サル・人間の姿勢変化を「姿勢の進化史」として捉え、宇宙飛行士の証言・宇宙生物学・脳科学・人間工学・アフォーダンス・認知心理学・文化人類学・ダンス・スポーツ・リハビリテーション・介護ロボット研究など、様々な分野の知見を集め、「姿勢」について総合的に考察する。

第3節 提案2について

 無重力環境では人間には「姿勢」を支援するツールが必要と仮説する。この姿勢支援ツールは、スペースダンス(後述)で使用するチューブ空間(後述)を個人用に小さくしそこに記憶システムを搭載したもので、ロボットに学習能力がついた衣服型知能ロボット(ロボット化されたウェアラブルスーツ)として提案。

 しかし、そもそも人間を支援できる知能ロボットは開発できるのだろうか? 国内・海外の現在の知能ロボット開発現場においてもそれは容易ではない。たとえばいま、筑波大学・山海教授によるパワーアシストスーツ、「ATR・川人光男+ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン」による脳活動解析による以心伝心ロボット、シカゴ・リハビリセンターによる思考で動かせる義手ロボット、などが最先端ロボットとして大きな注目を浴びている。しかし、いずれも人間とロボット間に相互作用は存在しないため、両者間にわれわれがもとめる協調関係を構築することはできず、それらのロボットを応用しても人間の「姿勢」を柔軟に支援することはできない。それらのロボットにより、身体損傷などに悩む多くの人たちや、身体能力を超えた力を人間に求める人たちなど、多くの関係者が救済されたり喜んだりするのは間違いない。新しい産業も起きる。しかし、人間との間に協調関係を持たないロボットが人間の分身的存在として育つことはなく、分身的存在でなければ、ロボットが独立の力をもつと、人びとがこれまで危惧してきたようないろいろな問題が生じることになりかねない(注6)。

 したがって、われわれは知能ロボット開発を、これまでとは発想を変え、脳科学における構成論的アプローチにより探求する理化学研究所・谷淳氏の研究(後述)を参照し、われわれのロボットがわれわれの分身的存在として育つように、人間とロボット間に相互作用が確実に存在し、そのために人間がロボットから利益を得るたびにロボットにもその利益を還元でき、そのことでロボットも変化し成長するような、そのような利便性の交換が両者間において等価であるような、対話型の新しい知能ロボットとして考察する。

第4節 提案3について

 姿勢支援ツールを用いた人間の宇宙生活はどのようなものになるのか? さらにその生活によってどのような宇宙文化が生まれるのか? 変化する生活空間デザイン(国際宇宙ステーション・宇宙ホテル・月面住居・火星住居などにおける居住空間デザイン、情報デザイン、ライフスタイルデザイン)のあり方について提案しつつ、以上の問題を「ヒトとモノとの関係の改善」と「ヒトとヒトのコミュニケーションの改善」の両面より考察し、人間がこのような改善を実現できるならば、人類の進化にもつながり、人間が生み出す宇宙文化の可能性も明るいことを、大胆に提案する。

 松本信二氏(宇宙建築家、宇宙開発コンサルタント/CSPジャパン代表)監修による『宇宙に暮らす』(清水建設宇宙開発室編集/裳華房)のなかでも、「あたかも500年前にコロンブスが新大陸を発見したときのように、宇宙新大陸でこそ可能性がありそうな、人類が革新的な生活を行うための活動空間デザインは、ISS(国際宇宙ステーション)でクルーが実験装置の操作者としてたたずむ空間とは大幅に異なることは明らかであろう」と述べられている。

第2章 宇宙環境における姿勢問題


第1節 ふわりふわりと浮いたままなのか?

 宇宙飛行士ではなく、われわれのような普通の人間が近い将来に宇宙で新しく生活することを考える時、われわれの「姿勢」は無重力環境においてはどうなるのだろうか? われわれはつねに中空にふわりふわりと浮いたままなのか? 或いは宇宙での生活のためには何らかの「新しい姿勢」が必要になり、その為にこれまで地上では必要なかった何らかの姿勢支援ツールのようなものが必要になるのか? その場合、われわれの「身体」はどのように変化し、われわれを支える「感覚」とはどのようなもので、われわれが必要とする「情報」とはどのようなものになるのか?

第2節 動物と人間の差?

 パラボリックフライトにおける無重力状態での生物実験では、爬虫類たちはある種の警戒のポーズを示すこと、サルやリスは周囲にしがみついてしまうこと、亀はひっくり返ったと思い首をのばすこと、カエルはシザーズキックで寝返りをうつこと、ヘビは自分を咬むことなどが、宇宙生物学の黒谷明美氏より報告されている。しかし、人間の場合はそうではなく、多くの宇宙飛行士のスペースシャトルなどでの様子に見られるように、一見して楽しそうに笑いながら宙に浮いている。人間には無重力環境は動物たちのように違和感と恐怖の対象ではないのか? それは動物と人間の文化力の差か? 人間には文化力があるので耐えることができるのか? 或いはそれは脳の構造の差か? 或いは単に人間の場合はそれを自ら選択していることによる認識の確保の問題にすぎないのか? つまりカエルも自ら選択して無重力状態に浮かぶとすれば、あのように驚くことはなく、人間と同じような余裕を示すのか?

 無重力環境における人間のふる舞いを詳細に描写していることで有名なSF作家オースン・スコット・カードの『エンダーのゲーム』(ハヤカワ文庫 1987年)においては、ISSのような小空間では問題がないとしても、大空間や一度離れたら二度と帰着できないかも知れない宇宙空間などを人間が浮遊する場合には、よほどの優秀なクルーでない限り、恐怖心から筋肉を硬直させてしまうことが予測されている。そして、この筋肉の硬直が恐ろしいとされている。地上とは違い、宇宙環境ではこのような硬直をすぐに回復させる術がないからである。現在の宇宙飛行士の場合でも、予定された環境内部に調和的に存在できている場合は大丈夫としても、思いがけない未知の状況に単身で置かれた場合など、カエルたちと同様なパニックを簡単に起こしてしまう可能性が残されているのではないだろうか?

第3節 無重力環境における身体・脳問題

 向井千秋宇宙飛行士は、2003年10月の東京芸術大学での或る報告会において宇宙遊泳体験について語り、「でも、やはり、無重力環境のなかでぷかぷか浮いているだけではダメ。心のよりどころをつくるには身体がどこかにくっついている必要がある。ヒモ一本でもいい、何かにつながっていたい。それが人間の本質ではないか。無重力環境のなかで上下関係がわからないとすごく気分が悪くなる時がある。宇宙には人工重力が必要なのだと思う。0G〜1Gの間で何Gが適当かわからないが」と述べていた。向井氏による認識は的確であると思われ、われわれが無重力環境における身体・脳問題を考える上での優れた参考になる。このように述べる宇宙飛行士は多くはない。

第4節 バリ島の少女ダンサー

 科学的に立証された事例ではないが、向井発言に似た例として、地上にも「バリ島の少女ダンサーの方向感覚の喪失」という面白いエピソードがある。バリダンスでは、島の中心にある聖なる山との関係が重要で、まだ若い少女ダンサーの場合、彼女に目隠しをして聖なる山に対する「方向」を見失わせると、途端に「姿勢」を崩し踊れなくなるとのこと。そして目隠しを取り山の「方向」を確認させると、また踊りはじめるという。これは、少女ダンサーにとり聖なる山との関係を喪失した状態は無重力環境に置かれた状態に近く、「姿勢」が崩されてダンスが成立しないこと。その時にはあたかも脳機能が麻痺したかのように、あらゆる方向に聖なる山が存在してしまい、重大な感覚的混乱に陥っていることを予想させる。

第5節 身体・脳問題の解決のために

 無重力環境における人間やバリ島少女ダンサーのように、人間の身体・脳問題として、このような難問が発生するとすれば、それをどのように解決すればよいのか? しかも、無重力環境といっても、純粋に無重力に近い微少重力環境の場合、月のように6分の1の低重力環境の場合、火星のように3分の1の低重力環境の場合、それぞれの環境における解決方法は異なってくるはずである。さらにまた、対象を短期間の宇宙旅行者を想定する場合と、長期間の宇宙旅行者或いは将来的な宇宙定住者を対象とする場合とでも、より本質的な解決方法の違いが必要になってくるはずである。

 われわれは、スペースダンスという長年の身体表現の実践と研究の成果により、それぞれの微少重力環境或いは低重力環境ではこのような身体・脳問題が発生すると考え、われわれの場合は、この問題解決を擬似的無重力環境と見なせるチューブ空間を使用して、実体験を構成して試みている。そもそも人間にとり「姿勢」とは、環境との関係において何であったのか? 重力との関係により「姿勢」はどのように変化することが予想されるのか? チューブ空間はこれらの問いに一定の解決を与えることができ、何よりもチューブ空間の中では、「姿勢」の構築のためには空間やモノからの支援が不可欠であることを、身をもって学ぶことができる。

第3章 スペースダンスとは?


第1節 誰もが自分の特徴的な「姿勢」をもっている

 考えてみれば、われわれ地上の人間も、生活のさまざまな場面において、それぞれ特徴的な「姿勢」をもって存在していることがわかる。少し注意して周囲を見回して見れば、誰にも必ず固有のくせのような仕草があり、独特な笑い方・泣き方・しゃべり方・座り方・立ち方・歩き方・走り方などがあり、誰もがその「姿勢」により他の人間とは違う雰囲気を持ち、少し浮いているように見える者もあり、地面にのめりこんでいるような者もあり、誰もが自分の特徴的な「姿勢」をもって生活し、他人と応対し、労働し、また表現活動を成立させている。

 人間が何かを考える場合にも、大事な局面になるとじっと坐って考えこんでみたり、とっさのインスピレーションにより急に立ち上がってみたり、或いは歩き回ってみたりと、さまざまな「姿勢」を取るのはなぜなのか? それは、そのような「姿勢」の変化により思考内容もそのクオリティも変化することをわれわれが無意識のうちによく知っているからだろう。

第2節 スペースダンスとは「姿勢」の創造である


フランクフルトバレエ団の水中ダンス [写真提供:YKY]

 われわれのスペースダンスは、このような「姿勢」に関わる光景を、空間との関係において意識的に取り出し、アートとして構造化して見せることから始まった。スペースダンスとは、「姿勢の創造」であり、各人のやり方によって固有の身体技術を使用し、0.98G程度の人工的な減重力状態をつくりだしてほんの少しだけ浮きあがり、各人のもっとも快適な「姿勢」を構築して見せることである。一般のダンスにおけるさまざまなフォルムも、この少しだけ浮いた状態でなされ、日常では不可能な美の世界として形成されてきた(注7)。

 このように、スペースダンスでは、劇場で使用される物語世界からはひとまず離れ、個人における「姿勢」の創造を試みる。それは何よりも、現代人にはこのような意味での「身体」に対する気づきが必要になり、自分の「身体」が周囲の空間・モノとの関係においてどのように存在しているのか、そこで「身体」は何を望んでいるのかについて、ふたたび認識する必要が出てきたからである。舞踊家たちの世界においても、初期のウィリアム・フォーサイスのフランクフルトバレー団やトリシャ・ブラウンの作品には、重力をテーマにした大変興味深いものがある。

第3節 バウンダリー・オブジェクト


 われわれはスペースダンスを、バウンダリー・オブジェクトとして評価されるチューブ空間を使用して体験する。

 バウンダリー・オブジェクトとは「境界に存在するオブジェクト」という意味で、理系分野の人間も文系分野の人間も、専門家も一般の人も、子供も大人も共に関心を示すオブジェクト(モノ)であり、チューブ空間はそのような空間モデルのひとつである。バウンダリー・オブジェクトとしてのチューブ空間は、新しい建築空間を考える場合やウェアラブルスーツのデザインにヒントを与えるとともに、地上と宇宙をつなぐ実空間の設計にヒントを与える空間としても有効であると言われている。

 また、チューブ空間が身体に対して独特な拘束感と開放感を同時に与えるために、リハビリテーション、高齢者の身体能力の再開発、意欲向上プログラムの開発、何らかの障害をもつ人たちの自立支援、子供たちのための「からだ遊び」、などにも有効であると期待されている(注8)。

第4節 なつかしい感覚を与える空間

 チューブ空間は、体験者の身体のバランスを奪う空間であるとともに、体験者の身体の動きがチューブ空間の形状を決定するために、体験者に「なつかしい感覚」を与える空間である。体験者はここで、アンバランスとバランスの間を行き来し、日常生活では忘れていた空間との一体感を取り戻すことができる。アンバランスからいかにバランスを回復するか? 人はそのためにどんな情報を使用するか? そのやり方が人により異なる為、自分で試みても、見ていても、大変面白い。要は、ムリをせず、身体をうまく投げ出す人が一番うまく、チューブ空間もその人の身体に柔軟に対応してくる。

第5節 空間やモノからのサポート

 さらに、「なつかしい感覚」に誘われて空間の先に進み、人間の基本的姿勢である「立つ・坐る・寝る」にまつわるさまざまな流動的姿勢を発生させ、或る時は魚のように、宇宙遊泳のように、胎児のように、未知の生物のように、さまざまな「姿勢」を取って遊ぶことができる。体験者はチューブ空間のなかで、「姿勢」の構築のためには空間やモノからのサポートが不可欠であること、自分らしさの発揮のためには自分らしい「姿勢」を維持する必要があることを、身をもって学ぶことができる。

第4章 脳の未来、姿勢の未来


Lower Body Negative Pressure装置で実験中の宇宙飛行士 [写真提供:NASA]

第1節 姿勢とは何か?

 そもそも「姿勢」とは何か? 生態心理学者・佐々木正人氏(東京大学大学院情報学環教授)はアフォーダンスの立場より、「姿勢とは身体全体で環境とリンクする、知覚の器官を多重にとりこんだ関係のネットワークなのである。赤ちゃんを倒すために力はいらない。わずかの光学的流動をまわりに起こすことによって彼らの姿勢はバランスを失い倒れる。人の動きを変えるのにいつも力がいるわけではない。情報があればよい」と述べており(注9)、「姿勢」がいかに空間と密接に関係しているかについてよく理解することができる。

 また、動物の脳と人間の脳を比較した場合、何らかの根本的な変化が起きているのだろうか? サカナから両生類へ、両生類からサルへ、サルから人間へという、生物の進化の歴史をふりかえって見ると、それぞれの生物にはその生物の生存にとって必要な固有な「姿勢」というものがあり、人間にも人間として存在し生活する為に必要な二足歩行を基本とする「姿勢」とそれに基づく生活文化があることがわかる。人間の場合、二足歩行により前足が解放されて「手」になり、垂直に立つことから「脳」が活性化されて肥大し、過剰になった脳のエネルギーが「手」に伝えられて手仕事から「道具」を生み出し、そこから「言語」が生まれ、道具と言語の使用により「文化」を築きはじめた、と言われている。確かに、人間にとって二足歩行とは、重力との格闘の果てに獲得した貴重な財産であり、生物の進化史においては奇蹟に近い「姿勢」の実現だったのである。

第2節 姿勢の未来

 こうして、生物の進化の段階を決定しているのはこのような意味での「姿勢」であると言え、「姿勢」は生物の生存の仕方を特徴づける基本的要因の一つであると言える。そして、われわれは、二足歩行という人間の「姿勢」も不変のものではなく、環境の変化によって変化する空間の関数であると考え、人間はいま情報化社会のなかにあって、或いはまた生命科学やロボット工学によるあらたな人工身体の創造とあらたな宇宙時代を迎えるにあたって、環境の大きな変化に直面しており、その為それらに対応するあらたな「姿勢」の創造とその表現を求められている、と考えている。

第3節 イクティオステガ〜肺呼吸と足の獲得

 生物の進化史を「姿勢の進化史」として捉え直すわれわれの観点からは、最初の両生類、つまり最初に地上に登場した魚として有名なイクティオステガや、肺魚、および最後の魚と考えられているユーステノプテロンが特に興味深い。ユーステノプテロンは川底にあって、急流に流されまいとして耐えるために胸ビレを砂地に入れていたそうで、そこから胸ビレが鍛えられ前足に変化したそうである。そして、イクティオステガはさらにこれらの足に関節を獲得することで歩行を可能にする4本足を獲得し、陸上生活を可能にするための肺呼吸を獲得したそうである。川から地面に最初の一歩を記録したイクティオステガの経験とは、どのようなものだったのか? 

第4節 ボノボ〜二足歩行の選択と洗練

 また、コミュニケーションの視点からは人間にもっとも近いサルと言われるボノボの場合、腰にそれまでのサルにはない2本の筋を獲得することで、二足歩行をさらに洗練させたそうである。ボノボは、サルの仲間でもコミュニケーションにもっとも積極的な種であると言われ、つねに他のボノボと身体的接触を行い、前足にモノを持ち、それを恋人に運ぶための一番有利な「姿勢」として二足歩行をより完全なものにしたと言われている。二足歩行の恐怖、或いは至福にふるえるボノボや最初の人間の経験とは、どのようなものだったのか?

第5節 人間〜月面歩行


アポロ11号 人類最初の月面歩行 [写真提供:NASA]

 自然にわれわれの興味は、アポロ11号で地球重力を離れて月に最初に降り立った人類の経験との比較に向かう。「姿勢」の問題に注目するわれわれには、肺呼吸と足の発明者であるイクティオステガなどの場合も、二足歩行の発明者であるサルや最初の人間の場合も、自らの身体に対して或る種の独特な技術を行使した者たちであったように見える。この意味で、月に最初に降り立った人間の場合は、どんなチャンスに遭遇したことになるのか?

 「一人の人間には小さな一歩だが、人類のためには大きな飛躍である」とアームストロング船長は述べている。また、オルドリン宇宙飛行士は月面歩行の特徴について、「前かがみになったり反ったりするタイミングが難しい。どの方向にも地球よりかなりの角度でからだを曲げてもバランスが崩れない。地上なら一歩で止まれるのに、月で同じことをすると、ちりの中に倒れてしまう」と月面歩行について具体的に述べている。

第6節 姿勢は重力の関数である

 こうして、地球の6分の1の重力環境に降り立った宇宙飛行士たちが経験したものは、身体と重力との密接な関係についての重要な体験であり、「姿勢」が重力の関数であることの身をもっての認識だったと言える。その意味で、オルドリン宇宙飛行士の記述は、「斜めのまま立っている身体」に対する発見も含め、その事実を端的に物語っており、人間がいかに重力との関係において自己の「姿勢」を維持しているかについてきわめて適切に表現している。

第7節 次に人間に期待されるもの

 このように、人間は、無重力環境での宇宙遊泳も含め、月の上を歩くことで、はじめて身体に対する地上的認識を一新した。この認識により、人間は地上では無意識下の過程として意識することがなかった重力との関係を再びつよく意識せざるを得ず、しかしその結果として、重力との関係を人工的に調節できる可能性があることもまた学ぶことができたことになる。つまり、人間は自らに対して、「進化の次のステップとして、人類に期待されるものは何か?」と問うことも出来るのである。それがわれわれの場合は、人工的な姿勢支援ツールの提案である。

 養老孟司氏は著書『バカの壁』(新潮社)の中で、「人間の脳を今の3倍にしたらどうなるか?」と問い、「人間+α」による人間の未来的存在について考えている。いつか遠い将来に人間にも生物学的進化がやってくるとすれば、それは脳の大きさの人工的な変化によるものなのか? 或いはロボティクスによる人工身体や遺伝子工学による生体操作技術の恩恵によるものなのか? 或いはわれわれが提案するような身体への姿勢支援ツールの装着から始まるものなのか?

第5章 姿勢は文化創造の母胎である


第1節 浮かぶ体験

 宇宙の無重力環境における人間のいわゆる「浮かぶ体験」は、すでに多くの宇宙飛行士が人類史はじまって以来のその体験について感動的に述べているように、「重力からの解放」という観点からはまさに革命的出来事だった。

 しかし、われわれの「宇宙と文化」という観点からすれば、無重力環境が材料工学や生命科学などの分野における実験や開発にとって有効であり、またその体験が人びとの「偉大な楽しみ」ではあっても、それだけでは一面的なものに思える。それは、誰もが脱・姿勢的な同一の「姿勢」になってしまうことから、地上において個人の固有の「姿勢」が実現していた本質的な「気分」や個性的な「やり方」が保証されなくなるという意味において、そのままでは退屈になり、場合によっては人間の「個性」を奪ってしまうからである。

第2節 文化としての世界

 哲学的に言っても、存在自体が退屈で人間の「個性」が発揮されない世界になれば、いかに周囲が広大な宇宙として新鮮で、いかに人類としてのあらたな挑戦課題を発見し精神が奮い立とうとも、それに立ち向かうべき身体的根拠としての個人の「姿勢」が弱体化されていくなら、人間の意識は次第に眠りはじめ、人間的な衰退に向かうおそれがある。人と人とのコミュニケーションも、多様な個性による多様な交通という地上での豊かな性格を失い、交換すべき内容を失って希薄になり、人間世界を特徴づけている「文化としての世界」の成立自体が危ういものになりかねない。

第3節 無重力環境では人間の身体技術は使えない

 端的な話し、無重力環境においては、重力環境のもとで獲得した人間の身体技術はすべて基本的に無効になると考えるべきである。それは、このような技術がすべて身体による重力との接触の仕方をアレンジする方法だからである。重力が存在しなければ、重力下において有効なスキルが無効になることも自明である。

 この問題は、現在の宇宙飛行士による宇宙開発から一般の人間の宇宙生活を対象とする宇宙開発に移行すれば、必ず大問題として登場するだろう。カルシウムが減少し骨や筋肉が劣化するなどの医学的問題だけではなく、人間の日常の動作が保障されないことに起因するさまざまな不具合が発生する可能性がある。向井宇宙飛行士が指摘した問題もそのひとつであり、またスポーツ・相撲・武術・ダンスなどの身体表現の世界においても、さまざまな職人芸の世界においても、腰に力を入れて「姿勢」を形成する人間の重要な基本動作が不可能になる他(いわゆる「りきむ身体」の消失)、立ち居振る舞いの日常世界でも同様であり、そのままでは人間のフィジカル面における基本的な存在のあり様が混乱していくことは間違いないように思われる。

第4節 「姿勢」は文化創造の母胎である

 したがって、われわれは、宇宙での人間生活のためには人工重力が必要であり、さらに人びとがより豊かな宇宙文化を形成していくためには、フィジカル面のサポートとして、人工重力をカスタマイズできる個人用の姿勢支援ツールを装着することが有効になると提案する。それは、何よりも、「姿勢」が文化創造の母胎であるからであり、また宇宙環境を含めた今後の人間世界では個人としての物理的・精神的欲求が一段と高まることは必至であり、このような個人の「身体」に対するこれまでにない姿勢支援が次世代文化の一つの焦点になると思われるからである。

第6章 姿勢支援ツール


ロボノートによる変動重量環境における姿勢構築実験 [写真提供:NASA]

第1節 姿勢支援ツールとは?

 われわれが提案する姿勢支援ツールは、0G〜1Gの間で、人びとが自由に人工重力をカスタマイズし、好みの「姿勢」を構築できる身体支援システムである。それは個人が着用するパワーアシストスーツとしても、遠隔操作による分身ロボットとしても使用できる。それは、人間の生得の身体能力をこえて身体を支援するツールで、人間が置かれた状況や好みに応じて創発的に変形し、可塑的服や人工の手や足や自在な杖などとして、或いは移動機械などとして、補助具的或いは道具的に機能する。 われわれの場合、このような姿勢支援ツールを、国際宇宙ステーション・宇宙ホテル・月面住居・火星住居などにおける回転による人工重力発生装置に連結させて機能させるという設定である。

第2節 新しい文化創造

 これにより、人びとは自分の置かれた宇宙環境に即し、自分の望む「姿勢」を自由に形成し、「個性発揮のための身体的拠点」を新しく構築できる。これにより、肉体的にも知的にも優れた少数の者だけではなく、その能力にかかわらず誰もが自分の好みの「姿勢」を自由に人工的に形成できる。

 したがって、姿勢支援ツールの使用と発展により将来的には多様な「姿勢」による多様な「個性」が誕生することが予想され、地上では考えられなかったまったく新しい宇宙文化の創造が期待できる。そこには新しい身体の概念が生まれ、まったく思いがけないあり方で人間の新しい進化と平等が実現される可能性があるのである。

第3節 人間は新しい筋肉を発達させる?


宇宙環境に適合するための筋肉増減シミュレーション [写真提供:NASA]

 したがって、カルシウムなどの減少による骨や筋力の劣化などの医学的問題についても、ここでは問題は別の様相を帯びてくる。つまり、宇宙環境においては、人間は姿勢支援ツールの使用により地上では必要なかった新しい骨格・筋肉・機関などを発達させる可能性が出てくるからである。生物学的に言っても、生物は与えられた環境に適応することで自己の進化を果たしてきたはずである。とすれば、宇宙環境において衰える骨や筋肉が存在するならば、それは不要なものとして生物学的にも必然のことであり、そのまま放置してもよい場合も出てくる。

 したがって、われわれは、ただ地球的思考の延長で身体劣化の問題に取り組むのではなく、個々の宇宙環境において要請される新しい骨や筋肉や神経や脳の見取り図は現在ではまったく不明であるとしても、以上の可能性も含めた対処方法を同時に探求していくべきである。われわれの姿勢支援ツールも、このような可能性を含めた身体支援に取り組むものである。つまり、われわれは、宇宙に適した方法は、宇宙滞在の目的と具体的な宇宙環境に即して考えるべきであり、単純に地上的発想をそこに持ち込めばよいのではないと考える。

第7章 初期情報群を書き換えるロボット


スペースシャトル・アトランティスのためのドッキング装置 [写真提供:NASA]

第1節 知能ロボット誕生の可能性

 姿勢支援ツールを研究するにあたり、われわれは谷淳氏(理化学研究所脳科学総合研究センター動的認知行動研究チーム・チームリーダー)によるリカレント・ニューラルネットを用いた脳科学の立場からの知能ロボット研究を先行事例として研究する。それは、われわれが姿勢支援ツールを、未知の宇宙環境における身体支援を実現できるように、しかもユーザーの使用により初期状態から変化し、使用頻度を増すたびに学習能力を高め、ユーザーの多様な欲求に対応するとともにロボットとしての自律性も獲得していく、そのようなユーザーの分身的な知能ロボットとして研究する必要があるからである。

 たとえば、谷グループのジョイスティックを使用したon-line adaptationというプログラムの場合では、プログラムが最初に学習した円軌道に対し、ユーザーがジョイスティックを使い8の字の軌道を描くと、ジョイスティックが抵抗を示しつつもやがて8の字の軌道を自らで描くようになる。谷氏は「その時ジョイスティックを握っている人間は何とも言えない面白い感触を味わうことができる。そのぐりぐりとした抵抗感はジョイスティックのなかの円の記憶が壊れて8の字になる状態なのである」と述べている。

 また、最近のPBニューロンというプログラムの場合では、ロボットとユーザーが互いに運動しながら相互作用をしていると、ロボットはあたかも自由意志があるかのようにユーザーが教えていない新しい運動パターンを生成しだすことがあり、谷氏はそれに対して、「ロボットがただ学習したことを繰り返すだけではなく、思いがけずに新しい動きを生成しだす刹那に、機械を超えたような主観的な実在を思わず感じてしまう」と述べている(注10)。

 これらの試みは、これまでの知能ロボット開発とはまったく様相が違い、プログラマーがロボットに搭載した初期プログラムはユーザーに対して支配的ではなく、ロボットがユーザーについて学習し自己のプログラムを変更するという新しいあり方の先駆けをなしている。われわれもまた、このようなロボットでなければ、純粋に人間の側の利便だけを追求する場合においても、人間の満足のいくケアーは得られないと考える。したがって、このようなプログラムを「谷式アルゴリズム」と名づけ、姿勢支援ツールに必要なプログラム開発の方法として考えていく。

第2節 アイボその他の「作りつけのロボット」を超えて


ヒトの動きを学習するソニーのQRIO [写真提供:ソニー]

 たとえば、わかりやすい事例として、パートナーロボットとして人気が出たソニー・アイボの場合では、知能や学習能力が宣伝されているものの、実際にはプログラマーが出荷時に仕込んだ選択肢のフィールドを一歩も出ていない。アイボの場合も、学習するのはユーザーであり、ロボットは学習しない。ロボットはあらかじめ仕込まれたプログラムの許容範囲でユーザーに対応するだけである。

 たとえば、ユーザーはアイボが用意した「1万通りのお手」の中から好きな「お手」を選んで遊ぶことができ、ユーザーがそれに飽きれば他のものを「1万通りのお手」から選択して見せる。ユーザーはこの時点でアイボが知能を持つ存在と間違える。しかしユーザーの要求がその選択肢に含まれていない場合は対応できず、ロボットが学習により自分の知らないことを学び自身が成長するという本来の意味での「学習機能」は発生しない。ユーザーがアイボに飽きるポイントはここにあり、ユーザーからの自らの許容範囲を超えた欲求に対応できないロボットは、当然ユーザーの気ままな欲求に応える支援ロボットとしては機能できず、自らにとり未知の環境に置かれた場合もまったく対応できない。

 アイボの生みの親として知られるソニー・土井利忠氏も『心と脳の正体に迫る』(PHP)の中で次のような種明かしをしている。「アイボの機能は全部作りつけだから、学習にしても成長にしてもパターンが全部用意されていて、どのラインを辿るかってことだけが選択される。アイボの性格もいくつかのパターンが決まっていて、そのどれかに落とし込むというだけ。だから、設計者の予想を超えた反応を示すアイボというのは簡単にはできない」。

 現在、土井氏のソニー・インテリジェント・ダイナミクス研究所では、以上の点について反省し、アイボの限界を超えて「人間を飽きさせない知能」を開発するために、ヒューマノイドロボットQRIOを使った新しい実験がはじまっている。そこでは従来の人工知能の流れから飛躍し、計算論的神経科学・構成論的脳科学・身体性認知科学・認知発達ロボティックスの4分野が統合された新しい領域が提唱されている。シニアリサーチゃー・下村秀樹氏は「アイボもQRIOも最先端の技術を惜しげもなく投入したロボット。しかし、プログラミングの作業を終えた時、このロボットはこれ以上発達しないんだと気がついた。エージェントに求められるのは、発達し続けること、人間の働きかけを受け入れること」と述べている。

 われわれは、土井氏や下村氏のように、最前線の開発者たちが知能ロボットの現状について正直に語りはじめたことを、大変に面白い事態の進展であると受け止めている。

第3節 ココロや意識はどこに発生するか?

 したがって、姿勢支援ツールにおいても、われわれが開発すべきプログラムとは、まさにプログラマーが仕込んだ「初期情報群」の書き換えを可能にするプログラムなのである。具体的には、ロボットに「初期情報群」として搭載する内容はどんな内容であってもよく、問題はその初期情報群に対してユーザーが持つ個別情報群を使用のたびごとに内部に取り込み「現在の情報群」として書き換えていく能力であり、このような構造を可能にするプログラムを構築することである。「現在の情報群」として存在できることだけが「学習」の証しになる。

 それは人間の場合においても同様で、「学習」とは自己にとっての未知な情報を取り入れ自分が変化していくことだからである。ロボットが知能を獲得しいわゆるロボットとしての「心」や「意識」を宿す場合にも、そのような「心」や「意識」とは、次々と「現在の情報群」として自己を更新していく学習状態の内部においてのみ発生する時系列的な出来事のはずである。

第4節 対話的デザインの方法

 以上の意味で、谷氏による研究は非常に興味深いものであり、われわれは「谷式アルゴリズム」について研究し、それをさらに身体的に実装することにより「学習」の問題を検証していく。

 具体的には、ロボットが知能を獲得するためには身体性が不可欠であり、その身体性への依存度をさらに高めるために、対象となるロボットを身体に対して客体的に対峙させず、それを衣服として身にまとうことでユーザーとロボット間に密接な関係を構築し、ユーザーとロボットの日々の対話によりロボットの知能を開拓するという「対話的デザインの方法」を採用する。この結果、ロボットがユーザーについて学習するだけではなく、学習の記憶はロボットである機械(モノ)の側にも独立して蓄積されることになり、この記憶を表現できるなら、ゆくゆくは人間とはまた違う「心」や「意識」を持つ存在として「ワタシはアナタを覚えています・・・」とユーザーに語りかける、これまでにない知能ロボットが誕生することが期待される。

第8章 姿勢支援ツールは地上でも使える


ジェミニ11によるSpace Flight [写真提供:NASA]

第1節 姿勢支援ツールにより大きな国民的ニーズが生まれる

 このような姿勢支援ツールは、宇宙環境における使用だけではなく、地上でも介護ロボットとして、或いは一般人のための日常生活支援用ロボットとしても、さまざまな用途において使用することができる。

 われわれは「地上における身体問題」を解決するためにも、姿勢支援ツールの使用を提案していく。いま国民が生活の中で直面する大きな課題のひとつは、「身体」の問題である。人びとの自らの「身体」に対する不安には深刻なものがあり、その不安を解消できる現代的な方法を提供できるならば、そこには大きな国民的ニーズが生まれる。たとえば、いま小子高齢社会に突入したわが国の大きな不安のひとつは、老後における介護の問題であり、予想される介護者の不足に伴う自己の「身体」に対するケアと情報環境整備の問題である。したがって、姿勢支援ツールをこれらの問題解決に役立つ社会技術として登場させれば、その存在意義は社会的にも充分に証明される。

第2節 多関節ロボット

 われわれは、以上の観点から、JAXA宇宙先進技術グループが開発した多関節ロボット等に注目している(写真5)。JAXAの多関節ロボットの特徴も、誰もが驚く「なめらかな動き」と多関節ゆえの環境への多対応性である。この特徴を生かしてさらに超多関節の方向に、またマイクロロボット等を含む微細な多関節ロボットの方向に発展させれば、人間の特定の関節部位のみを支援することもでき、各部位支援を統合して身体全体を支援することもできる。また、それを空間型として拡張すれば、手すりロボット・椅子ロボット・ベットロボット・壁ロボット・床ロボット等として、家具型や空間型ロボットとして発展させることもできる。

第3節 福祉施設・医療施設の変化の見込み

 たとえば、現在の日本の福祉施設や医療施設においては、介護ロボットは、それが被介護者との身体接触型であればあるほど、いまだ「硬く、こわい存在」のままである。一定の動作をユーザーの反応に関係なく行使するだけであり、身体にやさしく接触できるロボットはいまのところ存在しない。そのため、通常の福祉施設側が介護ロボットなどの人工物の導入に熱心であるとは言い難く、その悩みは多くのロボット開発現場で共有されている。実際、介護現場ではその場その場の対応に追われているのが実状であり、このようなロボットの開発実験にゆっくり付き合っている時間はない。

 しかし、一方で、現在の日本の被介護者たちは必ずしもすべての者が「人対人」による人間的なケアだけを期待するのではなく、人工物との新しい関係も求めている。特にこれから高齢者になるハイテク世代としての団塊世代では、日本的な閉鎖的人間関係を敬遠する傾向もつよく、自立のために新しいものを求める意欲は旺盛である。また、何よりも日本では人口減少の問題から介護者の不足問題が大きくクローズアップされることが決定的であり、この点からも被介護者の自立が求められ、介護現場が大きく変化していくことは充分に予想される。したがって、われわれが姿勢支援ツールを「やわらかいロボット」として介護ロボットに応用させることが出来るなら、福祉施設などにおける人工物に対する受容態度を大きく変化させることができる。

第4節 「かたいロボット」から「やわらかいロボット」へ

 「かたいロボット」を「やわらかいロボット」に変換するに当っての最大の課題は、第6章において述べたように、寝起き支援・歩行支援・食事支援などの介護ロボットによるケアが表面的にはどれほど効果的であっても、被介護者の身体に直接触れる機械的な力の行使が一方通行であるため、被介護者には外部からの強制力として映り、本能的な反発力を無意識に身体に引き起こしてしまう点である。その限り、介護ロボットは表面的なやさしさの印象をどれほど実現しても「かたいロボット」のままであり、被介護者の不安を解消できない。

 したがって、われわれは、この反発力の構造を解明し、反発力が起きる直前でそれを除去するシステムを介護ロボットに持たせるために「谷式アルゴリズム」の導入を考えた。つまり、「介護という名の外部からの強制力」を調整する技術をロボット自身に導入する必要があるのである。これまでの科学技術には、このような身体への「外部からの強制力」に対する調整力が不足していた。そのため、われわれがここを改良できれば、現在のロボット開発にブレークスルーを引き起こすことは可能であり、次世代的な科学技術誕生の一シーンを牽引できる。

第5節 人工物と人間の関係の根本的変革

 このようなわれわれの研究の社会的意義は、ロボットがユーザーに対して威圧的・機械的ではなくなる条件を提示すること、つまり、人工物と人間の関係を根本的に変革することである。われわれの姿勢支援ツールにおいては、ロボットは与えられた仕事を一方的にユーザーに果たすのではなく、先に述べた「現在の情報群」として自己を書き換えていく能力をもつロボットとして、いかに働くかを日々の生活の中でユーザーから学習する関係である。このような関係においてはじめて、ユーザーは安心して自己をゆだね、ロボットに愛着を持つことが可能になる。

 このように、われわれの「対話的デザインの方法」とは、完成されたロボットを使用者に届けるという従来のあり方とは異なり、ユーザーがロボットとの日々の交流のなかでユーザーについてロボットに学ばせ、それによりユーザーがロボットの知能を開発し、未完成のロボットをユーザーの欲求に従い時間をかけて成長させるという方法である。この方法の最大のメリットは、ロボットがユーザーの「分身」のような関係で育つため、ロボットはユーザーに対して威圧的・機械的ではなく、「ロボット=子供」「ユーザー=親」のような関係として親密になり、結果としてその使用感覚は「やわらかさ」に満ち、この育成を通じてユーザーにこれまでにない「親」としての自立意識が芽生える点である。このような関係であれば、「親」は「子」の自立を願うものであり、ロボットの「自立」も無理のない形で実現されることが期待される。そして、以上により、ユーザーが抱くロボット全般に対する消極的感情も大幅に緩和され、市民社会における人間とロボットの調和的関係の実現と普及に貢献できる(注11)。

第9章 宇宙での生活空間デザイン


国際宇宙ステーションで成長する結晶体 [写真提供:NASA]

第1節 生活空間デザインの変化

 こうして、宇宙環境において、人びとが姿勢支援ツールを使用し0G〜1G間において自由な「姿勢」を形成しつつ生活することを考える時、それは現在の地上の人びとのふる舞いや生活習慣とは大きく異なるものであり、それにつれ国際宇宙ステーション・宇宙ホテル・月面・火星などにおける居住空間デザイン、情報デザイン、ライフスタイルデザインなどの生活空間デザインも大きく変化することが予想される。建築やデザインの方法も、提供すべき情報の内容も、身体系の変化に対応した改革が求められるからである。

第2節 微小重力環境において、いかに移動するか?

 たとえば、微小重力環境において、A点よりB点に移動するためには、手すり等へのつかまり移動以外の場合、床・壁・天井を手で押すか、或いは足で蹴るかの方法しか存在しない。したがって、その押し方・蹴り方のつよさが、その到達速度と到達距離を決定してしまうことになる。特に大空間の場合には、中空での停止という恐怖から逃れるためにもその押し方・蹴り方の強度が重要になり、また床・壁・天井がもつ弾力性なども重要で、それらの結果により人間は手足のみを異常に発達させた姿に自己を変形させていくことも予想される。このような微小重力環境とは、姿勢支援ツールと空間機能をいかに設計するかにより、人間の身体的変形の度合いが決定されてしまう世界なのである。

 たとえば、足は地面或いは床面が存在しない環境では不要になるため、原則的に手としての変化(進化)の道を歩むことになるだろう。まさに四手をもつ人間の登場である。或いは二手二足の現在の人間的形態を維持したい場合には、人工的に足の変形を止めるための何らかの人工的な身体デザインが必要になる。或いは他の解決方法として、足の維持のためにつねに足が地面に触れている人工床を導入することも考えられる。

第3節 微小重力環境において、いかに「姿勢」を構築するか?

 同じく微小重力環境において、「姿勢」を構築するためには、床・壁・天井或いは空中に設置された身体固定を可能にする部位が必要であり、そこで姿勢支援ツールが協同してその人間に必要な「姿勢」を構築する必要がある。一般的に、地上と同じ作業・行為が求められる場合には腰を中心に身体を固定することが必要で、清水建設宇宙開発室による椅子のデザインにはこの観点から優れたものがある。また、それに似たものとして、ミュンヘン工科大学によるスペースチェアというものもある。いずれの場合も、身体を固定する部位として椅子・テーブル・ベッド等の家具類が必要になるが、ここでもそれをどのように設計するかにより、姿勢支援ツールの使用も影響を受け、構築される「姿勢」も異なってくる。家具類の設計と姿勢支援ツールの使用方法の工夫により、地上的アナロジーでは考えられないまったく新しい「姿勢」の構築も可能になるはずである。

第4節 微小重力環境において、いかに既存の身体機能を維持するか、或いは改革するか?

 同じく微小重力環境において、既存の身体機能を維持するためには、足がつねに地面に接するための浮遊する人工床を設計する必要がある。そして、姿勢支援ツールを使用し、足と床面の間をつねに1Gの関係に保ち、地上と同じ生活を成立させる必要がある。そこでは地上で培ったすべての身体スキルと身体機能維持法が有効でなければならない。

 逆に、既存の身体機能の改革を積極的に意図する場合には、活動内容の確認と長期的展望に従った身体デザイン計画を導入することにより、空間機能の設計と姿勢支援ツールの使用を調整することで、身体改革への新しい道を開くことができる。特に、長期の宇宙滞在者或いは宇宙永住者を対象とする場合には、劣化する身体機能は補強せず劣化にまかせ、その環境において必要な身体機能のみを増強させる新しい身体デザインが考案されることになる。このような場合には、身体像の根本的変化による文化観・世界観の変化も生じることが予想されるため、その変化を受容できる新しい倫理観や精神教育の実施も必須のものになるだろう。

第5節 微小重力環境において、いかに他者間の関係、及びコミュニケーションを調整するか?

 同じく微小重力環境において、二人以上の人間が同じ空間に存在する場合には、脳は脳が存在する頭部を身体の「上」と考えるため同一空間に複数の「上」が存在し、知覚上の混乱が生じる。そのため、他者との正常なコミュニケーションを望む場合には、姿勢支援ツールにより二人以上の人間の身体の向きを修正し、お互いが正面から対面できるように調整する必要がある。姿勢支援ツールによりこれまでにない特別な「姿勢」を構築できれば、両者の間に一般的な対話をこえたさらに親密なコミュニケーションを成立させることができるかも知れない。

 また、長期の宇宙滞在者或いは宇宙永住者を対象とする場合には、脳の改造を含めた根本的な身体改造が計画される可能性がある。現在の人間の脳は、地上の重力環境における進化史のなかで形成された器官であり、床・壁・天井の区別のある空間で正常に機能する。微小重力環境において、床・壁・天井の区別のない空間に一定期間人間を滞在させるとどうなるか? 脳科学や心理学の観点からは、脳が眠り出すか発狂するかも知れないことが予想されているが、ここでは環境への適応原則や姿勢支援ツールの使用により、睡眠も発狂もせずに機能する新しい脳が誕生する可能性も考えられる。その場合には、同一空間に複数の「上」が存在しても、新しい脳が内部で情報を組み替えることで知覚上の混乱はなく、コミュニケーションもそれぞれバラバラな方向を向いたまま実現されることになる。

第6節 宇宙においてあらためて、「自然か、人工か?」


国際宇宙ステーションで成長する植物 [写真提供:NASA]

 こうして、微小重力環境における身体問題を考えるだけでも、姿勢支援ツールを含めた身体に直接の影響を与える人工物を宇宙にどのように持ち込むべきか、テクノロジーをどのような許容範囲で使用すべきか、その差が将来的に非常に大きくなることが予想されるため、それらの判断は進化の観点からもきわめて重要なものになる。  そして、その場合にも、短期宇宙滞在を目的とする宇宙旅行者が対象の場合と、長期の宇宙滞在者或いは宇宙永住者が対象の場合とでは、判断はおおきく別れることになる。さらに、後者の場合でも、どんな活動意図を想定しそのためにどんな身体デザインを構想するのかにより、必要なテクノロジーは異なってくる。

 たとえば、われわれは、人間としていつまでも二手二足を維持したいのか? 四手の人間になってもいいのか? また、脳の改造も含め、身体改造も必要であれば何でも実行するのか。つまり、われわれは宇宙環境において、テクノロジーを身体に行使しない方向を選択するのか、或いは逆に有効と思われる一切のテクノロジーを行使するのか。自然か、人工か? これは、かつて地上において問われたように、宇宙環境においてもあらためて問われる非常に重要な問いになる。むろん、その選択は個々の人間の自由な判断に委ねるべきである。しかし、どちらの方法を選択するとしても、そこには明確な判断基準が求められることになる。

第7節 新しい身体観・世界観・宇宙観が必要

 こうして、人類が宇宙開発を発展させ、しかも単なる地球文化の延長ではないあらたな宇宙文化の創造を志向する場合には、われわれはこれまで考えたこともないような奇妙な問題群に遭遇することになる。そこでは、まったく新しい身体観・世界観・宇宙観が求められることは明らかである。たとえば、現在のわれわれが地球的感覚をもって人類として二手二足を維持したいのか、四手の人間はどうかと問うてみても、質問自体のリアリティがわからない。しかし、宇宙開発の現場においては、椅子一つのデザインの決定が将来の身体形状の変化に影響を及ぼすのであれば、地上とは事情が大きく異なってくる。

 このように、宇宙開発においては、それがどれほど荒唐無稽なテーマに見えようとも、現在の決定が人間の未来に影響を及ぼす可能性があるテーマの場合には、時期早尚として考える必要がないのではなく、まさに現在、人間の叡智を総動員して取り組むべきテーマであるということになる。たとえば、第4章・第7節に挙げた養老氏の「脳の3倍化」のテーマにしても、われわれの地球的感覚では荒唐無稽であっても、宇宙においては先見の明に満ちた有力な提案として採用される可能性もある。奥野卓司氏(関西学院大学教授)は『人間・動物・機械』(角川oneテーマ21 2002年)において、このような可能性にも触れながら、「脳が何らかのインターフェースを使って、仮に人工脳とでも言うべきものに置き換えられたとき、そこで考えられたことはその人間の思考と言えるのだろうか?」と述べている。

 脳と人工脳の関係が現在のわれわれには理解できない以上、われわれは奥野氏の問いに答えることができない。何を言われているか自体を理解できないからである。しかし、問題なのは、理解できないにも関わらず、つまりわれわれのリアリティをもっては対応できない事態であるにもかかわらず、技術は先行して人工脳をつくりだすであろうということである。これがわれわれが体験した技術の本質であり、地上においては技術は人間を待っていてはくれなかった。しかし、だからこそ、宇宙においては同様の目に会わないために、技術に先行されない状態を、人間の生存の意図と技術が調和的に機能し合う状態をつくりだしていく必要があるのである。或いは、どんな技術が登場しても、それに後追いではない能動的な対処の仕方を用意しておく必要があるのである。

第8節 火星住民から絶縁を宣言されないために?

 1990年に発表された大林組による『マース・ハビテーション構想』においては、当初火星開発は地球住民と火星住民との密接な共同作業として開始されたにもかかわらず、やがて火星住民による火星元年が宣言され、地球住民は火星住民から離別を告げられてしまう(注12)。その理由は、宗教・思想・文化を異にした火星住民の豊かさに対する地球住民の嫉妬として描かれている。火星住民からこのような絶縁を宣言されないためには、地球住民はいまからどのような準備をしておけばよいのか? 親子であれば、親は子の独立を想定した生き方をはじめから選択することもできる。しかし、地球住民と火星住民の関係は、親子の場合もあり、地球住民が火星住民として生き延びていきたいという野心が隠されている場合もあり、関係は複雑である。少なくとも、いま確かなことは、火星住民が地球住民の今日の決定と行動を抜きには誕生しない以上、火星住民のいかなる行動の原因もすべて地球住民にあると言えることである。

 的川泰宣氏(JAXA執行役)は、「宇宙への生活圏の拡大は、人間に地球を見直し、あらたな地球観・人間観を獲得するように求めているように見える。海に生まれた生物は、その進化とともに住みかである地球への支配を強めてきたが、現在は自己の招いた地球破壊の結果に悩み始めた。この意味で、現在のヒトは、地球上の生命にとって画期的な、ある意味で非常に危険な段階を過ごしつつあると言える」(『宇宙人類の誕生』NHK出版 2001年)と述べている。21世紀になり、われわれが宇宙時代に本格的に入ったということは、的川氏の言う意味においてヒトとしての重要な選択の時に入ったということであり、これまで考えたことがない問題群への取り組みを通した人間自身の新しい自己変革が求められているということである。

第10章 21世紀デザイン


1962年の宇宙飛行士John H. Glenn Jr [写真提供:NASA]

第1節 知能をもつモノたちの登場

 姿勢支援ツールが成長し、真に知能をもつロボットとしてユーザーを支援することになれば、それは「人間と対話する機械(モノ)」或いは「人間を記憶する機械(モノ)」の誕生であり、これまでの人間の歴史に存在しなかった出来事のはじまりとして、「人間と機械(モノ)の関係」にまったく新しい次元の変化が起きることになる。

インターネットが電子世界における情報ネットワークを形成するように、「記憶を宿す機械(モノ)」たちを互いに連結すれば、機械(モノ)の世界においても別次元の新しい生命的ネットワークが形成される。このような新しい機械(モノ)のネットワークをバーチャルリアリティとして表現すれば、機械(モノ)は人間の分身として親しい存在になり、人間は機械(モノ)との間で新しい会話をはじめる。機械(モノ)が人間の分身なら、人間はこれまでと同じ感覚で機械(モノ)を乱開発し粗末に捨てることはできない。

第2節 人間を記憶するモノたちと生活する?

 たとえば、人は誰でも少年や少女時代などの故郷の家になつかしい思い出を持っているだろう。しかし、この時なつかしく故郷の家を覚えているのは人間であり、故郷の家が人間を覚えているわけではない。それが、故郷の家の方でも人間を覚えていて、「久し振り、こんにちは・・・」などと返事をしたとすると、どういうことになるだろう? 人間の脳にのみ記憶装置があるのではなく、故郷の家も独自に記憶装置を持ち自立して存在していることになる。同じく、ふだん使っているわれわれの椅子が人間のことを覚えていることになったら、その事実を発見した瞬間から、人間の椅子に対する配慮の他に椅子による人間に対する配慮も存在することを知って、われわれの椅子に対する態度は一変するだろう。

 さらに、たとえば1985年に垂直尾翼を破損して御巣鷹山に墜落した日航ジャンボジェット機の場合も、パイロットには機体の損傷部分が最後までわからずなす術もなかった。しかし、このような記憶を宿すモノたちのネットワークとして機体が接続されていれば、パイロットは機体の記憶作用により機体の状況を把握でき、それが機体のいずれの部分の損傷によるものかを把握でき、何らかの対策を講ずることができたかも知れない。機体は人間の身体に接続するものとして身体化されており、パイロットは同じ身体の損傷として感覚的にその痛みを認識できたからである。

 さらに、「記憶を宿す機械(モノ)」たちによる生命的ネットワークをバーチャルリアリティとして表現すれば、われわれと家族が火星と地球ほどの遠方に離れている場合にも、われわれは家族に実際に対面しているように、新しい質をもつバーチャルリアリティとして家族に触れることができる。

第3節 知能発生の現場を日常的に目撃する

 むろん、現在の知能ロボットの開発レベルにおいては、このような期待がすぐにわれわれの日常生活で実現されることはないだろう。しかし、初歩的なものであれ、或いは擬似的形態であれ、そのような構造が現実のシステムとして導入されるならば、それは素晴らしいことになる。ヒナ型であっても、それが現実に機能するものであれば、人間は機械(モノ)の側における知能発生の現場を日常的に目撃していくことになり、人間は必ずそれを発展させたいと思うからである。そのことにより、人間の認識は根本的に変化し、これまで考えたことがない問題群に対する取り組みへのヒントを得るとともに、宇宙開発等を対象とした今後のあるべきデザインについて具体的にイメージすることができるようになる。

第4節 21世紀デザイン

 こうして、身体環境と情報環境の大きな転換の時代に置かれている現代のわれわれが、姿勢支援ツールの使用により新しい身体・モノ・情報のネットワーク環境を成長させていくならば、その社会的意義は大きく、人びとの生活は充分にクリエイティブなものに発展できる。

 これまで人間は、自然を支配し、モノを支配し、それに疲れた時に孤独を感じて友人や恋人や家族を過剰に求め、或いはまた人間としての弱さを克服するためにさらに自然支配を強め、地球に対する環境破壊を繰り返してきた、とも言えるだろう。しかし、このようなネットワーク環境においては、はじめに人間とモノの関係が変化して、人間はモノに対してこれまでとは違う対話をはじめる。そして、このようなモノとの新しい関係により、度々感じざるを得なかった人間の本質的孤独も性格を変化させ、人間がより環境的な存在になることにより、家族とのあり方やコミュニケーションのあり方も大きく変化するかも知れない。

 こうして、以上のシステムは、「ヒトとモノの関係」と「ヒトとヒトのコミュニケーション」を変化させ、これまでとは違う関係世界を生み出して行く可能性がある。このような、身体・モノ・情報をめぐるあたらたな総合性の構築こそ、今後の21世紀デザインの基礎を形成すべきものである。

第5節 未来身体〜物語のはじまり

 われわれには、人間は今後の社会において個別化の欲求と身体拡張の欲求のただ中に置かれ、宇宙に出てさらなる進化を遂げるために、或いは地上において今後予想される困難を回避しさらに発展するために、これまで存在しなかった情報システムを含む身体支援ツールを身体に装着することを望みはじめるように見える。われわれは、身体支援ツールの身体への装着、そして身体との合体というイメージから、人間と機械(モノ)の関係におけるさまざまなケースにおけるその是非を問いながら、人間の「未来身体」について探求していく。「姿勢の進化史」を過去・現在・未来と辿ることで、これまでのように科学技術のみが先行する生活デザインに頼るのではない、もっと人間とテクノロジーが共存した形式における、機械(モノ)も生命に満たされる総合的・宇宙的な新しい文化に到達したいと願うからである。

第6節 宇宙文化〜ある日、宇宙で


月から見た地球 [写真提供:NASA]

 池澤夏樹氏(作家)は、「地上から宇宙に進出するヒト」と、「宇宙で誕生するであろうヒト」との関係について、次のように述べている。「私たちの子孫は宇宙的な進化を遂げるかも知れない。まるで違う生理システムを持つ知的生物が星から星へ飛び交う日がいつかは来るだろう。彼らはもう地球には住めない。私たちの目から見れば怪物。でもその子たちから見れば私たちが怪物。地球の外で生まれた最初のヒトの子。地球は母の故郷ではあってもその子の故郷ではない。スター・チャイルドにとっては外惑星を回るステーションが故郷になる。帰ることに意味があるのかどうか、その子は考えねばならない」(『宇宙人類の誕生』NHK出版 2001年6月)。

 われわれは、このようなスター・チャイルド誕生の場合においても、スター・チャイルドが人間が宇宙に持ちこむ技術とは無関係に誕生し、スター・チャイルドが感じる深刻な悩みに対しても何も関与できないとするならば、結局のところ、人間の宇宙に対する全体性の努力も無力に終わる、と考える。なぜなら、人間の技術が宇宙に対して有効であるならば、必ずスター・チャイルドの誕生にも技術的に関与して何らかの影響を及ぼすはずだからであり、スター・チャイルドが人類の科学技術の申し子ではないとしても、少なくとも地上から宇宙に進出するヒトの延長か或いはその混合によるもので、現在のわれわれと密接な関係を保つはずだからである。われわれは、スター・チャイルドとの間にそのような親しい関係が存在して欲しいと思う。

 ・・・やがて、ヒトは、分身ロボットと情報システムを身に着けて宇宙に進出し、モノのネットワークと情報のネットワークがリンクする創造的環境を宇宙に持ち込む。ヒトは、宇宙に進出することで知能を持つモノたちをより明確な形で育て、宇宙の日常のなかでそれらのモノたちと生活することで宇宙をあらたな記憶で満たし、それらのモノたちを身体化することで自己の進化も同時に果たす。そこから地上では予測できなかった新しいヒトが生まれる。そして、知能を持つモノたちが地上にも登場することで、地上生活にも新しいステージが訪れる。

第11章 おわりに〜今後の計画


アポロ16号 月面歩行する宇宙飛行士 [写真提供:NASA]

 人間の身体をやわらかく支援することができるロボット、科学技術における一つのブレークスルーを記録するであろう協調型ロボットは、いまだ世の中に登場していない。われわれは現在、本稿における提案を具体化するために、姿勢支援ツールを姿勢支援ロボットとして開発し、それを使用した人間の新しい生活デザインを描くプロジェクトとして、『未来身体ラボ〜人間のからだの未来と宇宙文化』を計画している。

 今井賢一氏(スタンフォード日本センター理事長)は『情報技術と経済文化』(NTT出版 2002年)の中で、「空海は仏教の真髄を求めて唐に行っている。それは現代においては宇宙船に乗るような冒険であったにちがいない。いま可能なビジョンは、われわれの分身を宇宙に送り込み、われわれが自己の分身とコミュニケーションを行うことである。私は宇宙にいるみずからの分身と交信して新たな情報系に近づくことができるであろう」と述べている。われわれのプロジェクトにおいても、ヒトの動きを情報化して分身ロボットとして構成し、それをレーザー光線に乗せて星々に向って送り込み、そこまでの軌道上において可能になる宇宙ダンスを構成するプランを考えている。それは、われわれが欲しい宇宙についての情報が、科学的データとしてだけではなく、「身体性」の観点からも解釈できるデータでもあって欲しいからである。そのためには、われわれの身体と地続きと感じられる分身ロボットが宇宙に存在することがどうしても必要になってくる。

 明日ではないとしても、しかし2025年以降に加速され、確実に訪れるであろうと予測されている人間とロボットとの共存社会。やがて訪れるその社会に対してわれわれも一枚のロボットの「絵」を提出し、ロボットとともに営む人間の新しい生活プランを提案したい。宇宙とは、このような探求を行うための絶好の場所である。われわれの時代にも、未知の開拓を行う多くの新しい空海たちが必要になっている。日本からはJAXA、ヨーロッパからはESA(ヨーロッパ宇宙機関)の協力を得て、また関係機関・関係企業の参加を得て、われわれなりに壮大な構想をもつわれわれの実験的プロジェクトを成功させたいと思う。

[注]

【注3】 日本の舞踏家は、身体と空間の親密な関係を表現できる環境的ダンスの担い手として、欧米文化より、また認知心理学の立場より、高く評価されている。舞踏家の動きは、欧米ダンスよりも根源的に、身体が重力との密接な関係において存在していることを表現するためである。福原プロジェクトでは、身体と空間の関係をテクノロジーの成果を取り入れて表現し、2001年に国連本部で公演し、以下の評価を得た。「ニューヨーク国連本部で上演されたスペースダンスの美しい公演に対して、心からのお礼を申し上げます。スペースダンスは、日本の舞踏ダンスと建築とメディアテクノロジーによる真に魅惑的なコラボレーションでありました」国連事務総長補佐秘書室(ニューヨーク)。

【注4】 JAXAも2003年度のパンフレットにおいて、「近代において分断されがちだった科学技術と人文科学、芸術、社会科学などが融合したあらたな総合分野の方向を示すこと。この総合こそが、宇宙利用によって芽生える宇宙文化なのです」と書いている。以上の認識については、国内では未来工学研究所の『平成11年度、我が国の宇宙開発活動に関する人文社会科学的観点からの課題に関する基礎調査』においても、「ポスト近代科学を模索する流れのなかで、今日、宇宙開発も大きな転換を求められており、機械論的な世界観と自然支配の考え方に結びついた近代科学の思想基盤によって発達してきた巨大科学技術としての宇宙開発は、冷戦的科学技術思考からも脱却し、新しい時代に適応した自己改革と新たなアプローチを求められている」と指摘されている。バイオ産業分野においても、歌田勝弘・味の素椛樺k役は『バイオ産業革命』(学生社 2001年7月)において「20世紀は、つねに科学技術が先行して、人文科学が後ろをついて行った時代。それに対して、21世紀においては、倫理観の問題、人生とは何かという哲学、生命観や宗教心、社会学、法規制の問題など、人文科学との本格的な融合をはかっていくべき時代である」と述べている。

【注5】 「身体性」は本稿におけるキーコンセプトであるため、インタビューとして、佐々木正人氏(東京大学大学院情報学環教授)からは『姿勢とは何か?』を、佐倉統氏(東京大学大学院情報学環助教授)からは『身体知が後追いになることの科学論的意味』をいただき、本稿を補完するものとした。

【注6】 ロボットが独立の力をもつ時に生じるであろう問題とは、ロボットの自立を警戒するSFの巨匠アイザック・アシモフによるロボット三原則に見られる通り、これまでSFなどが繰り返し描いてきた普遍的なテーマで、成長したロボットが人間の扱いを不当に思い反乱を起こしたり、人間の利害と反する形でロボットが自らの世界を形成したりするというものである。現在のロボット開発レベルにおいてそのような主体的なロボットが登場するとは考えられないが、しかし川人氏らのプロジェクトにおいてもすでに、その技術が「人間と同等の能力をもつロボット」を将来的に開発する可能性があるため、開発と使用にあたっての倫理上の基準を同時に検討していくという。そのようなロボットが人間に悪用される場合などの弊害も含め、いまからいろいろ考えておく必要があるというわけである。

【注7】 一般のダンスについては、三浦雅士氏(舞踊評論家)は『身体の零度』(講談社選書メチエ 1994)において、「二十世紀末の現在、舞踊はいまや最大の芸術になっている。身体とかたちと動きを自在に組み合わせる舞踊は、頭や手や足といった部分にまつわる人間の身体の神話を一度すべて解体し、その後に、まったく新しい神話をかたちづくろうとする試みであるといっていい。舞踊は人類とともに古い。それは、身体によって、宇宙における人間の位置を確認する行為だった。この身体の新しい地平は二十一世紀にむかって大きくひろがっているが、しかし、それをめぐる考察はいまはじまったばかりなのである」と述べている。ダンスが三浦氏の言うように時代とともに勢いを増しているのはなぜなのか? それは、90年代後半より現代社会は情報社会に本格的に突入し、「情報」があふれるほど一方でリアリティの根拠としての「身体」が重要になるため、社会の方が無意識のうちに「身体」を求めはじめたからだろう。その一つの証拠が、養老孟司氏の『バカの壁』(新潮社)の爆発的売れ行きであり、この本には「身体を求める声」が大きな底流として流れている。つまり、このような「身体」を体験させる社会的装置として、スポーツとともにダンスもまた新しい角度から注目され、幅ひろい需要を開拓しているということである。

【注8】 チューブ空間は本稿におけるJAXAとの共同研究においても、つくば宇宙センター・慶応女子高校・日本科学未来館などにおいて展示されて好評を得、朝日新聞(夕刊 2004年10月8日)にも紹介された。本年秋より1年間、多摩六都科学館において常設展示されることが計画されている。

【注9】 佐々木正人『知性はどこに生まれるか』(講談社現代新書 1996年)。佐々木氏はこの中で「ぼくらが死ぬまで絶え間なくしていることの一つに、環境の安定している枠組みを探りそこに位置を定める、ということがある。それは具体的で、身体的で、目だたず、ひそかに、止むことなく続いている意識である。このことはふつう姿勢とよばれている。もっとも基本的な姿勢は、重力への定位であり、それは生のいとなみの根本である。どの多細胞動物も重力の方向に定位するための仕組みを発達させてきた」「これからもぼくらの活動が環境の違うレベルに出会うことで、新しい知覚のシステムが登場し、いまあるシステムの関係のすべてと、個々のシステムの活動が変化する可能性がある」と述べており、われわれの本稿における「姿勢論」を形成するための貴重な基礎となっている。

【注10】 『学び行動するロボットから人を知る』(理研ニュースNo.,286 April 2005)より引用。谷氏の論考は『ロボットフロンティア』(岩波講座・ロボット学)に掲載されている。その他には以下のものがある。「Tani Jun, Ito M., and Sugita Y.; “Self-organization of distributedly represented multiple behaivior schemata in a mirror system: reviews of robot experiments using RNNPB” Neural Networks 17, 1273-1289 (2004).」

【注11】 以上の、人工物と人間の関係を変革するという大テーマにおいては、その開発を担う「開発者側」にどのようなメンバーが参加すべきかという課題もきわめて重要である。本稿の知能ロボット開発提案においては、ユーザーもまた「開発者側」に参加する必要があり、本質的には「開発者側」の中心メンバーはユーザーである、ということになる。第7章第2節の場合でいえば、少なくとも下村氏は「開発者側」の中心的役割を担うべきではない。それは下村氏には、自分のためのロボットを開発するという以外の場合には、他のユーザーの真意はわからないからである。

 たとえば、われわれが1996年に参加した『バリアフリー・デザインにおける主体は誰か? 』という内容のプロジェクトにおいては、以前の通産省における盲人用の杖の開発における失敗事例が出発になっていた。通産省は大予算をかけ盲人用の杖を開発したが実際には盲人の人たちに不評で誰にも使ってもらえなかった。それはなぜなのか? その時、プロジェクトに参加した盲人の一人は「この杖は、健常者が盲人用にと思って開発したものです。ご親切はありがたいが、しかしこれではふだんわたしたちが道を歩く時に聞いているかすかな空気の流れなどの情報群が消されてしまい、かえって危険で歩けない」と証言し、それで一切の事態が明らかになった。このような開発の場合には、健常者(開発者・デザイナー側)による推量を障害者(ユーザー側)に対してあてはめるという構造自体が誤っているということであり、当の盲人その人が開発メンバーとして参加すべきであるということである。ふだん使用している情報群と、それをさらに豊かにするための新しい情報群がどのような関係にあればいいのか、その判断は当事者にしかわからないからである。

 以上の意味において、「指点字」を母とともに開発するところから出発した福島智氏(東京大学先端科学技術研究センター助教授)の仕事は、当事者による開発事例として大きな意義がある。盲ろう者の福島氏は盲ろう者のコミュニケーションに必要なデバイスを自らの手で開発しており、健常者が「障害者のため」と思いデザインするあり方を無効にしているからである。福島氏は、今後の新しい科学技術の開発のためには健常者よりも障害者の方が有効な場合があると積極的に考えており、周囲の人を癒す力をもつ明るい性格を含め、いま世間で注目されている人である。ここには今後のバリアフリー・デザインにおける新しいあり方が明確に示されており、いわゆる障害者による自己主張はこれまでにないレベルに入ったといえる。

 当然、開発やデザインにおけるこのような「健常者対障害者問題」は、「高齢者問題」においても同様であり、高齢者のためのバリアフリー・デザインも健常者の発想によるお仕着せではないかどうか、かえって高齢者の「弱者」としての位置を固定してしまうのではないか、それぞれの場合において同様の視点から検証される必要がある。福島氏の例にならえば、もっとも明快な解答は、世の中の誰かによって与えられたデザインではなく、高齢者自らが参加することで、与えられたデザインよりも実質的に豊かなデザインを誕生させる場合である。それが、年齢とともに成熟する者としての高齢者にしかできない仕事の証明であり、その時には高齢者の社会における「弱者」という立場も自然に解消されている。福島氏も同様のことを言っているが、IT技術もこのような高齢者の内部に蓄積された知恵の情報化に取り組むべきであり、それは高齢者のためだけではなく、IT技術自身の飛躍のためである。

【注12】 『マース・ハビテーション構想』(スペース・プロジェクト「火星居住計画」への挑戦 大林組プロジェクトチーム 季刊大林No.33 1990)
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