至仏山(群馬県)

しぶつさん 標高2228m。

 至仏山は、尾瀬にあり、深田百名山の一つに数えられている。 2010年5月の連休中に、筆者はその至仏山の頂上を39年ぶりに踏んだ。 尾瀬に来ること自体が、2003年5月の景鶴山以来のことである。
 5月連休といえば、どこに行っても人は多いし、たとえ目的地が空いていても、 行き帰りの混雑を考えると、あまり遠出する気分にはなれなかった。 だが、陽気のよい季節に、天気予報で毎日晴れマークが並んでいると、 家にじっとしていられなくなる。 それで、至仏山に行くことにした。 雪山だけれども、一人で出かけても危険度は低いし、前回登ったのはほぼ40年前のことで、 久しぶりに登ってみたくなったためだ。 それにこの時期をはずすと、連休後の7日から6月末まで入山規制が行われ、 残雪期の至仏山には来年まで登れなくなるというのも 行くことを決めた大きな理由だ。
 今回は公共の交通手段を使って行くので、どう考えても日帰りは無理だ。 それで、鳩待山荘に泊まることにし、予約を入れたのが前日。
 当日の朝ゆっくりと家を出て、新幹線で東京駅から上毛高原まで行き、ここからバスを乗りついで、 鳩待峠に入った。 予想に反し、新幹線は空いているし、バスも登山者らしき人が乗っていない。 花の季節には早すぎる今の時期に、尾瀬に入る人は多くない様子だ。 それに車を使う人が圧倒的に多そうだ。 鳩待山荘も空いていた。 尾瀬ヶ原に点在する山小屋のほうに人気が集まるようだ。
 翌日も天気は上々のはずで、明るくなり始める4時半ころには山荘を出発する腹積もりでいたが、 少し寝過ごし、出発は5時少し前になった。
 峠からは広い尾根の上の樹林帯の中を登る。 連日たくさんの人が歩いているので、踏み後は明瞭だ。 5時12分ころ、背後の山から太陽が登ってきた。 急速に空が明るくなったが、予想したほどには空気の透明度がよくない。 ところどころで写真を撮りながら、頂上に着いのは7時半。 うす雲が広がり始め、燧ガ岳もぼんやりしている。 景色の写真を撮るため、わざわざ三脚を持ってきたので、その三脚にカメラを据え、 雲が薄くなるのを待った。 だが、ついにすっきりと晴れることはなく、満足な写真を撮れないまま時間が過ぎて行った。 待っている間も次々と登山者やスキーヤーがやってくる。 山ノ鼻から登ってくる登山者も多い。
 この日、平野部では30度近くになったほど気温が上がっていたせいか、 山の上でじっとしていても寒くはなかったが、いくら待っても青空が広がる気配がないので、 10時半ごろ頂上を後にした。 雪の緩斜面続きの下りは速い。 特に急いだつもりはなくても、感覚的にはあっという間に鳩待峠に着いてしまった。 地面の上を歩くことがないので、靴がまったく汚れないのは助かる。
 バスを乗りついで、沼田駅から特急電車に乗り、家に着いたのは18時過ぎだった。 楽なコースだったのであまり疲労感はなかったが、期待したほど青空が広がらなかったので、 満足感も今一つだった。

 では次に、39年前の至仏山登山のことを思い出しながら紹介しよう。
 まず、尾瀬へのアクセスの手段についての話。 私が上越国境の山々をよく登っていた1970年代は、 当然新幹線や高速道路は開通していなかったので、もっぱら往路は上越線の夜行を使い、 帰路はやはり上越線を利用していた。
 1972年の至仏山登山は、会社の山仲間2人と一緒の3人で出かけた。 もちろん、行きは上越線の夜行列車だった。 沼田でバスに乗り替えて鳩待峠に入った。
 鳩待峠から至仏山までは、2010年のときと同じルートで、 あとは地図に示した黒の破線がその時に歩いたルートである。 至仏山から山ノ鼻に下り、 尾瀬ヶ原を歩いて、1日目は元温泉小屋に泊まった。 今は元温泉小屋の名前はなく、元湯山荘となっているようだ。
 翌日は見晴まで戻ってから尾瀬沼に出て、沼尻から船で長蔵小屋に渡った。 この渡し船も翌年には廃止されてしまった。
 長蔵小屋で渡し船を下り、、大清水出て2日間の尾瀬周遊を終え、 沼田から上越線に乗って帰京した。
 39年も経てば、いろんなことが変わる。 2007年には日光国立公園から独立して尾瀬国立公園になったし、 尾瀬沼の渡し船も今はない。 変化の背景にある大きな要因の一つは、日本人の環境への意識の変化があるのは確かだ。

歩行記録 2010/05/04 登り(鳩待峠−頂上)2h35m  下り 1h20m

 鳩待山荘の2階の部屋からの眺め。 中央右寄りに至仏山、左寄りに小至仏山が見える。 登山の前日、15時半ころに撮影。 (2010/05/03)
 2010年5月の写真は、CANON 5D Mark2・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。

 鳩待峠からの登りは、どこが尾根筋なのかわからないほど広い尾根の上の樹林帯の中を進む。 日の出直前の5時ごろ撮影。 (2010/05/04)

 至仏山への登りは、樹林帯を抜けても緩やかな雪の斜面が続き、 危険な個所はない。 たくさんの人が歩いたりスキーで通っているので、踏み跡も明瞭だ。
 アイゼンはザックに入れたままだった。 最近はストック2本で登ることが多いが、今回もストックは大変重宝した。 (2010/05/04)

 至仏山から見下ろした尾瀬ヶ原。
 薄曇りというのか、あまり空気の透明度がよくない。
 この写真の上のほうに燧ガ岳、左手に景鶴山がある。 景鶴山は7年前に尾瀬ヶ原を横切って登ったことがあるので、 そのときのルートを目で追いながら眺めたが、 あまり見栄えのする山ではない。
 せっかく荷物になる三脚を持ってきたので、カメラを据えて空気が澄むのを待ったが、 いくら待っても大して良くならなかった。 (2010/05/04)

 至仏山頂上から北側を見渡すと、西側の斜面は急で、雪がついていない。 この山を特徴づける蛇紋岩がむき出しになっている。 (2009/10/18)

 1971年に尾瀬を歩いたときの写真を2枚紹介する。 これは、至仏山から尾瀬ヶ原、燧ガ岳を望んだもの。 今は5月下旬に至仏山を登ることは禁止されている。 (1971/05/22撮影)

 この写真は、尾瀬沼から見た燧ガ岳。 尾瀬沼の沼尻から長蔵小屋に連絡する渡し船から撮ったものと思われる。 渡し船そのものを撮った写真がないのは残念。 翌1972年には、この渡し船は廃止されている。 (1971/05/23撮影)

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