雌阿寒岳(北海道)

めあかんだけ 標高1499m。
筆者は雌阿寒岳に2回登っている。
最初が1900年の夏で、このときは雌阿寒温泉から登り、オンネトーへと下った。
2回目は2011年の6月で、オンネトーに車(レンタカー)を置き、
往復した。(地図の赤い線がルート)
ここで紹介するのは、2011年のときの記録である。
2011年の6月、ウスバキチョウの観察を目的に層雲峡に滞在していたとき、
天気予報が思わしくなく、ウスバキチョウが出てきそうもない日があった。
一日宿にいても時間を持て余すので、
久しぶりに大雪山以外の北海道の山に登ろうと思い立った。
過去に登った中でもう一度登ってみたい山となると雌阿寒岳が候補になった。
噴煙を間近に見られる荒々しい火山で、他の山とはずいぶんと違った印象が残っていたからだ。
それにあまりきつくもない。
しかし、層雲峡から阿寒まで車で日帰りするには、かなりの時間を要する。
早朝4時に宿を出て、オンネトーを目指した。
北海道の道路はよく整備されているうえに空いているので、幸いにして3時間弱で
オンネトーの広い駐車場に到着した。
ほかにはまだ1台の車もなかった。
立派なトイレもあり、使わせてもらった。
水洗ではなく、いわゆるバイオトイレで、攪拌式の興味深い構造になっている。
天気は高曇りで、すぐに崩れる心配もなさそうなので、簡単な昼食と雨具を持って歩き始めたのが7時。
深い樹林帯の中に道が続いている。
よく整備されていて歩きやすい。
徐々に傾斜が増し、汗が噴き出てくる。
どうも天気がそれほど良くないにも関わらず、気温がけっこう高い様子だ。
北海道の山では朝露で濡れた下草でズボンがびしょぬれになることがあるが、
ここは下草もほとんどなく、また朝露で葉が濡れているようなこともなかった。
5合目を過ぎるとハイマツが現れ、植生が変わる。
展望も開けてきて、右手に阿寒富士が大きく見えてくる。
地面も砂礫が主体になる。
7合目と8合目には、阿寒富士への分岐がある。
火口が近くになるにつれ、硫黄の臭いが漂ってくる。
火口を回り込むように登ると頂上だった。
雌阿寒温泉から登ってきた男性が一人いた。
雌阿寒岳の火口を背に座りこんで、北東方向の景色を見ながら休憩する。
眼の前に中マチネシリ火口が広がり、少し霞んでいるが阿寒湖とその向こうに雄阿寒岳が見えていた。
阿寒にかぎらず活火山は普段接している自然とは違った世界なので、見ていて飽きない。
しばらく休んでいると、雌阿寒温泉からのコースを数人が登ってくる。
雌阿寒温泉からのルートを選ぶ人が多いようだ。
約30分休んだのち、往路を引き返すことにした。
阿寒富士に寄ろうかどうしようか迷ったが、帰りにまた3時間のドライブが待っているし、
天気も快晴ではないので、あきらめそのまま下山した。
駐車場に着いた途端に、雨が降り出したので、結果的に阿寒富士に寄らないで良かったのかも
しれない。
もっとも雨はそれほど激しくは降らなかったけれど。
そして翌日は、このときの北海道旅行の主目的である
大雪山コマクサ平でのウスバキチョウ
の撮影に向かった。
1990年に噴煙の中を歩いた時の記憶がいまだに強く印象に残っていて、
今回もそんな体験の再現を期待していたから、少々肩すかしを食った気分だった。
噴火が落ち着いているためのか、あるいは風向きの加減なのか、登山道には噴煙が
流れてこなかったのである。
山行記録: 2011/06/20 登り2h15m(オンネトー−頂上)
下り1h30m(頂上−オンネトー)
7合目から振り返ってみた光景。
このあたりは、砂礫にハイマツが広がっている。
オンネトーも下に見えている。
ここは阿寒富士への分岐になっている。
2011年の写真は、すべてRICOH GX200で撮影した。
ただ、液晶ビューファインダー(VF-1)を持って来なかったのは失敗だった。
明るい屋外では、背面の液晶モニターは大変見づらく、構図を確認するのに手間取った。(2011/6/20)
火口壁を回り込むように付けられた登山道からは、青沼と阿寒富士が見える。(2011/6/20)
雌阿寒岳の頂上。1990年に撮った写真と比べてみると、石の台座は同じだが、
下部が崩れて多少変形しているように見える。(2011/6/20)
雌阿寒岳の頂上で火口を背に北東方向を眺める。
正面眼下に中マチネシリ火口が大きく口を開け、その向こうに阿寒湖と雄阿寒岳(中央奥)が見えている。
(2011/6/20)
下山後、車で移動中に、オンネトー湖畔から見た雌阿寒岳(左)と阿寒富士(右)。
今しがた頂上を踏んだ山の全貌をもう一度見られるので、なにか達成感が倍増した気分になる。
この写真を撮ったころにはすでに雨が降り始め、雨粒が水面をたたいていたが、雲は低くなかった。(2011/6/20)
1990年の8月に歩いた時は、噴煙がオンネトーへの登山道の上を流れていたため、
硫黄の臭いが強烈で、噴煙の濃い場所では息苦しいほどだったことを覚えている。
正面の山は阿寒富士。
(1990年8月2日撮影)