巣鴨と言えば、「おばあちゃんの原宿」として賑わう街。
主に人が集まる場所は巣鴨地蔵通り商店街周辺と思われる。
その商店街は眞性寺から庚申塚あたりにかけての旧中山道沿いに江戸時代から発展し、明治時代になると、とげぬき地蔵尊で知られる高岩寺が上野から移転してきて、現在の街並みになったようだ。
つまり、巣鴨は寺院や信仰を背景にして発展した街ともいえそうだ。
2013年には、通称「さざえ堂」が西巣鴨の庚申塚通りに加わったことで、神社仏閣目当ての散策も以前にも増して楽しめる地域となっている。
しかし、長い歴史の割には古い建造物はあまり多くない様子なのは少々残念。
あたり一帯は第二次大戦時に戦災の被害を受けたからで、高岩寺と眞性寺の現在の本堂はいずれも戦後に再建されたもの。
筆者は、巣鴨に行く機会は多くなかったが、2022年になってあらためて前述の寺社を巡ってみた。
以下はその時の印象記である。
まずは、高岩寺から訪れることにしよう。
正式名は、萬頂山高岩寺といい、曹洞宗の寺院だが、一般には「とげぬき地蔵」の名前で呼ばれる。
ご本尊は秘仏の延命地蔵菩薩で、病気治癒や改善にご利益があるとされ、お参りの人の波が絶えない。
お寺の規模は大きくはないが、境内には露店が出、ベンチも置かれていて、気軽にお参りして休憩できるようになっている。
ご本尊とは別に、洗い観音と呼ばれる石像が本堂脇にあり、身体の悪い部分と同じ部位を洗うことで治癒すると言われる。
こちらも人気があり、混雑するときは行列ができるようだ。
次は、真言宗豊山派の眞性寺。
江戸六地蔵尊(江戸の出入り口6カ所に置かれていた)の一つ。
1714年に造立された銅造地蔵菩薩坐像が今も本堂脇に安置されている。
像高は葯2m半と大きいのだが、お顔はよく見えない。
像は拝観者からは逆光の位置関係となり、加えて深くかぶった笠の陰となるからで、写真を帰宅後に画像処理して確認したところ、結構若々しいお顔だったので意外な気がした。
巣鴨庚申塚は、都電の庚申塚駅の近くにある。
もともとは、庚申信仰が盛んだった江戸時代に庚申塔が置かれ、界隈は中山道の立場(たてば)、つまり休憩所として賑わっていたらしい。
現在は猿田彦大神と合祀され、交差点脇のビルの谷間にひっそりとしていて、ときおり通りかかった人が立ち寄る程度だ。
そして、さざえ堂。
地蔵通り商店街に続く庚申通りに面した大正大学構内にある。
2013年に建立された新しい仏堂で、鴨台観音堂(おうだいかんのんどう)が正式名称。
通称の「さざえ堂」は、建物の構造が巻貝のサザエのように螺旋状になっていることからの名前で、江戸時代に関東から東北地方にかけて各地に作られた風変りな仏堂である。
通りからでも目立つ八角形のお堂を最初に見たとき、会津若松市にある
円通三匝堂(えんつうさんしどう)に似ているというのが第一印象だった。
これら2つのお堂は、八角形と六角形の違いはあるものの、出入り口や屋根の感じが似ているし、なにより螺旋形の内部構造が外観からもわかる点が共通している。
外観を眺めてから内部に入ると、入口で制痩゙童子(せいたかどうじ)像が迎えてくれる。
螺旋状の階段を上ると壁面には大きな梵字が次々に現れる。
般若心経の一節が表現されているという。
登り切った最上階には、聖観世音菩薩像が安置されている。
さらに進むと自然と下り階段に導かれる。
上りと下りが交わらない二重螺旋構造になっているのだ。
この点も円通三匝堂と同じ。
下り階段の壁画は、千住博画伯による「色滝」が飾られていて幻想的な雰囲気を醸し出している。
拝観を終えての感想は、古くからある螺旋構造を基本に近代的な装飾を施したお堂と言えそうだ。
写真は、CANON G7XMk2で撮影。