海蔵寺(鎌倉市) 2011年 10月
 海蔵寺(かいぞうじ)は臨済宗建長寺派に属し、山号は扇谷山(せんこくさん)。
 鎌倉時代に創建され、火事で伽藍を焼失し,14世紀末の室町時代になってから、 心昭空外(しんしょうくうがい)によって再建されている。
 最初に訪れた時は、10月の末。 北鎌倉の駅から長寿寺の前を通って、亀ヶ谷坂切通しを越え海蔵寺に着いたのは、まだ午前中の早い時間で、 拝観客はほかに一組いただけだった。 もともと観光客が大挙して集まる場所ではないので、ゆっくり見て回れる。 山門から境内に入る前に右手を見ると、水をたたえた井がある。 説明板によると、「底脱の井(そこぬけのい)」という鎌倉十井の一つだそうである。
 山門から中に入ると、快晴の空の下、明るい日差しが満ちていた。 秋も深まっていたが紅葉には早く、まだ各種の花が咲いていた。
 仏殿(薬師堂)そして本堂を拝観し、少し離れた場所にある十六井戸を見学する。 斜面に穿たれた窟を覗くと、16個の円い穴が規則正しく配置されて水が満ちている。 奥には、観音菩薩像がまつられている。 伝承に彩られた井戸である。
 拝観時に頂ける冊子によると、この寺には、多くの言い伝えが残されているそうである。 中でも興味深かったのは、金槌の仲間の玄翁(げんのう)の名前が、海蔵寺開山の源翁禅師(心昭空外) にまつわる殺生石伝説に由来するという話である。 今まで、大工道具にゲンノウという不思議な響きの語が使われていることに違和感を覚えていたので勉強になった。
 その後も筆者はたびたび訪れているが、そのときどきでセッコク、ツツジ、サツキ、菖蒲などの花が出迎えてくれ、 飽きることがない。 花に興味のある人にとっては、季節を変えて何度でも訪れたくなる場所だろうし、植物が目当てでなくても心が落ち着く。 それは、境内があまり広くなく、建長寺のような大きな伽藍が並んでいないことと関係していそうだ。

 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USM・ EF70-300mm F4-5.6L IS USMおよび PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDM・DA 12〜24mmF4で撮影。


 山門からは、手入れの行き届いた庭の向こうに本堂(龍護殿)が見通せる。
 現在の建物は、関東大震災で倒壊したのち再建されたもの。
2013/04/28撮影 山門の石段下の横に、「底脱の井(そこぬけのい)」という鎌倉十井の一つに数えられる井戸がある。
2013/04/28撮影

 仏殿(薬師堂)
 本堂に向かって左手にあり、18世紀に浄智寺から移築した。
 薬師三尊像、十二神将像などを安置する。
2011/10/28撮影

 鐘楼(昭和(1963年)に建立された)の周りには、マツバギクが咲いていた。 (左の写真)
2012/6/7撮影


 十六井戸
 境内の南のはずれ、崖に穿たれた洞窟の中に16の穴が開いていて、水をたたえている。 窟の正面奥には、観音菩薩像がまつられている。
 伝承では、金剛功徳水と名付けられ、霊験あらたかであるという。
2012/6/7撮影

 岩船地蔵堂
 本堂や仏殿のある敷地からだいぶ離れて横須賀線の線路そばの角地にある新しい建物。
 岩船地蔵尊は源頼朝の娘大姫の守本尊だそうだ。
 海蔵寺が管理している。
 写真左奥に見える架線は横須賀線。
 なお、同じ鎌倉にある常楽寺には、大姫の墓とも言われる塚がある。
2013/04/28撮影

 セッコク
 2013年4月に拝観したときは、ツツジやシャクナゲのほかに、着生植物のセッコクが花を咲かせていた。
 セッコクを漢字で書くと石斛。
 鎌倉以外でセッコクの自生地として筆者が知っているのは、高尾山である。
2013/04/28撮影

 シモツケソウ
 この日は、下で紹介したサツキの花や、マツバギク、イワタバコの花が目を楽しませてくれた。 ハナショウブの花は咲き始めで、これからのようだった。
2013/06/02撮影

 石仏とサツキの花
 2013年は春から初夏にかけて花の開花が早かったので、サツキの花は大かた終わりかけていた。
 この石仏の向こう側に見えるサツキの株の花は終わっていたが、幸い手前の株の花期に間に合った。
2013/06/02撮影

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