諸事雑感 山・蝶・・・(2015年)


・キーボード交換(2015/12/21)
 長年使ってきたパソコンのキーボードの動作がおかしくなり、一週間ほど前、新しい機種に買い替えた。
 故障したキーボードは、NMBのRT2258TWJPというメンブレン式のタイプで、 取り立てて欠点はないので約15年間使い続けてきた。
 新しいキーボードは、メカニカル方式のARCHISSのProgres Touch RETRO AS-KBPD08/TBKN。 メカニカル方式のキーボードは、パソコンの解説本などにかならず出てくるので、以前から気になっていて、 いつかは使ってみたいと思っていたのだ。 今回、そのメカニカル方式の中でも、 定評のあるCherry MXキースイッチを採用していて価格的にあまり高価でない製品の中から、ARCHISSの製品を選んだ。 Cherry MXキースイッチは、クリック感のある/なし、押下圧の違いなどの組み合わせから4種類ある。 購入した製品は、茶軸と呼ばれるクリック感ありで、押下圧約45gというキースイッチが採用されている。
 さっそく新しいキーボードを使用してみた。 まず見た目がかなり違う。 キーボードの色がNMBの乳白色から黒色に変わった。 キー配列は日本語配列だが、カナ表記がないタイプなので、ごちゃごちゃしてなくすっきりとしている。 そして、なにより、打鍵時の感触が異なる。 NMBの柔らかく静かな打鍵感覚から、 ARCHISSではストロークが深くて適度な反発力が感じられクリック音が大きくなったからだ。 つまり、シャカシャカとした歯切れ良い感触が、指先の感覚と聴覚の両方から感じ取れるのだ。
 キーボードの評価は、使用者の好みに大きく左右されると言われ、その通りだと思うが、 使っているうちに使用者が慣らされる面もある。 私自身まだ新しいキーボードに十分慣れているとは言えないが、そのうち打鍵時のクリック音が聞こえないと、 タイプした気がしなくなるのかもしれない。

・イギリスカメラ展(2015/11/21)
 「イギリスカメラ展」と題した特別展が、日本カメラ博物館(東京)で2015年12月20日まで開かれている。
 イギリスにカメラメーカーなんてあったかな、というのが、展覧会の名前を見た大多数の人の反応だと思われる。
 写真およびカメラの歴史はフランスのダゲールに始まるとされ、 その後のフィルム装填型のカメラの量産化にあたって主導権を取ったのはドイツで、 次に日本のメーカーだったということくらいは、カメラ好きの人ならたいてい知っている。 従来の筆者の知識も似たようなレベルだったが、11月に今回の特別展を見る機会があり、イギリスのカメラについて認識を新たにした。
 ダゲールが写真撮影に成功したことを発表したのは1839年といわれるが、これに先立つ1835年にイギリス人のタルボット(Talbot)もダゲールとは別方式で撮影に成功しているのだ。 ダゲールがダゲレオタイプ(銀板写真)のポジ方式だったの対し、タルボットはカロタイプと名付けたネガ・ポジ方式を採用していた。 ネガ・ポジ方式は、ネガから容易に複数の写真を作成(焼き増し)できる利点があるため、現在にいたるまで広く用いられることになる。 後に出てくる湿板や乾板といった技術もイギリス人による発明であり、写真技術の発展にイギリスは重要な役割を果たしている。
 今回の特別展では、そのタルボットが撮影実験に用いたカメラが展示されている。 英国から貸し出された大変貴重なものらしく、この1台だけ別扱いで分厚いガラスケースの中に置かれていた。
 タルボット以降、英国では、数多くのメーカーにより多種多様なカメラが製造されることになる。 19世紀中ごろから20世紀前半にかけてが、イギリスのカメラ産業の黄金期だったようだ。 今回の展示では、そのころに作られたカメラが多数展示されている。 当時、急激に写真人口が増えたとはいえ、カメラは一部の金持ちや好事家向けのものだったから、大量生産品ではなく、高級家具などと同様に工芸品扱いをされていたらしい。 筐体の多くにマホガニーなどの高級木材が、可動部やレンズ周りに真鍮が使われ、機能と同様その仕上げの美しさを競っていたことが展示品から見てとれる。 そのことが、カメラとしての実用的な役割を終えたのちも、こうして後世の人間の鑑賞の対象となりえているゆえんだと思われる。
 特別展の正式名称が「王国の気品 マホガニー&ブラス イギリスカメラ展」となっているわけも、展示を見れば納得できる。
 また、一台のカメラで立体写真が撮れるステレオカメラが早くも1840年代には作られ、 その後も多くの機種が作られていたことが展示から知ることができる。 立体写真への関心が、カメラの歴史の最初期から高かったというのはちょっとした驚きだ。
 全体としてなかなかに興味深い特別展で、展示品をただ眺めるだけでも楽しい。 ただ、限られた展示スペースと簡単な説明から、イギリスカメラの奥深さまでくみ取るのは難しいかもしれない。 幸運なことに、筆者は、今回の特別展に多数の所蔵カメラを提供している小林泰人氏と知り合い(同じ会社で働いていたことがある)のため、会場で小林氏に直接説明を聞きながら見学することができた。 おかげで、今まで知らなかったイギリスカメラの全体像と魅力を多少なりとも理解することができたと思っている。
 写真やカメラの歴史に関心のある人にとって、興味深い特別展であることは間違いない。

・絵葉書(2015/09/17)
 絵葉書といえば、昔(インターネット普及前)は主に旅先から出すものだったように思うが、今はどうなのだろうか。
 旅先から出すという使い方を離れても、絵葉書はけっこう便利な通信手段なので、私は今もときどき利用している。
 知人、友人への連絡は、メールを使うことが圧倒的に多いが、少し改まった形式にしたいときは、絵葉書を選ぶ。 官製はがきは文面のスペースが広いので、伝えたい内容が多いときはいいけれど、それほどの量がないときは、 絵葉書の限られた文面スペースは都合がいい。 また、選ぶ絵によって、そのときの気分が相手に伝わるような気がするのが絵葉書の利点だ。 ついでに言えば、絵葉書に添える文章は手書きになることが多いので、頭の活性化に少しは役立つだろうと思っている。
 絵葉書の絵は、自分で撮った写真を印刷して使うこともあるが、美術館などで購入した絵葉書を使うことが多い。
 美術館の特別展などでは、かならず数枚の絵葉書を買い求め、常時10枚以上は手元に置いて、使うときに選べるようにしている。
 そこで問題になるのは、どうしても気に入った図柄の絵葉書から先に使うことになるので、 あまり気に入らない絵葉書はいつまでも残ってしまう点だ。 それに、絵が気にって長く手元に置いておきたい絵葉書が1枚しかないと、使うのが惜しくなってしまうこともある。 同じ図柄の絵葉書を複数枚買っておけばすむことだが、買うときに気に入っても家で見るとそうでもないことがある。 また、同じ図柄の絵葉書を長い間持っていると、同じ相手に以前使ったのと同じ図柄の絵葉書を間違って出す危険性が増えるのも、悩ましい。 特別展の場合、絵葉書とは別に図録を購入すれば、絵葉書に採用されるよう展示品の写真はたいてい入っている。 だが、特別展に出かけるたびに図録を買っていては、費用や保管のスペースがバカにならないので、かなり前から図録を買うのはやめている。
 絵葉書好きの人はどうしているのだろう。

・日帰り遠距離登山(2015/08/31)
 新幹線網の拡充に伴い、昔はとても考えられなかったような遠方の山も日帰りが可能になっている。
 ここでいう遠距離とか遠方の山というのは、東京を起点として、東北、日本海側、近畿などの地域およびその外側にある山のことである。
 この8月に登った岩手県の早池峰山も十分遠方にある山である。
 早池峰山に登るにあたり交通手段を調べてみたら、この山も公共交通機関の利用で、東京から日帰りが可能なのである。 東京駅6時4分発の新幹線「やまびこ」に乗りこめば、新花巻駅で早池峰行バスに接続していて、11時ごろには登り始めることができる。 帰りも、登山口を17時過ぎに出るバスを利用して新花巻駅に戻り、新幹線に乗れば、夜10時には東京駅に着けるのだ。
 私が最初に早池峰山に登ったのは、新幹線も高速道路も通じていなかった1971年のことで、往路は夜行列車を使ったはずである。 その東北本線を走る夜行列車も今は存在しないから、交通手段は大きく変わったしまった。
 今回の早池峰山行では、せっかく岩手県まで出かけるのに、日帰りではもったいないと思い、盛岡に一泊して二日目に登って帰京した。
 しかし、日本三百名山の全山登頂を目指していたころは、今より時間に余裕のなかったこともあり、 遠方にあるいくつかの山を日帰りしたことがある。 思い出すままに挙げると、秋田と岩手の県境にある乳頭山(烏帽子岳)、滋賀県の蓬莱山、 それほど遠方ではないが福島県の一切経山がそうである。
 今となっては、なんでそんなに慌ただしく登る必要があったのかと思うのだが、当時は頂上を踏むことを優先していたのである。
 遠くにある山まで出かけることは、旅でもあるので、登山以外の面でも住んでいる地域とは違った風景や見どころがあるはずである。 いわゆる観光地にはほとんど興味がない私だが、普段見慣れない風物に期待して時間を過ごすのは好きなのである。 だから、あわただしく移動するのはもともと好みではない。
 たぶん、日帰りで前記のような遠距離にある山を登ることは、もうないような気がする。

・「インドの仏」展 (2015/04/16)
 2015年春、東京国立博物館で特別展「インドの仏」が開かれた。
 そのポスター(右の写真)を見たとき、まず目に飛び込んできたのは、「インドのイム」という文字。 イムとは何のこと? イムが仏であることがわかるまで数秒を要した。 インターネットで調べてみると、同じようにイムと読んだ人は多かったようだ。 では、イムと読まれることを意識して、仏と同時に別の意味を持たせようとしたのかというと、 制作者側にそういう意図はなかったようだ。 意図しなかったにせよ、多くの人がイムと読んだのは、ポスターとして効果があったことを意味している。
 ポスターのことはともかくとして、この数年、お寺巡りや仏像拝観に時間を割くことが多くなり、 仏跡を見にインド旅行までした筆者にとって今回の特別展は見逃せない。 さっそく上野まで見に出かけた。
 今回の展示品は、コルカタにあるインド博物館所蔵品である。
 会場の表慶館には、仏像が作られる以前に作られた仏陀にちなむ装飾石や初期の経典を含む展示品が並んでいた。 「インドの仏像」ではなく、「インドの仏」というタイトルにしたのも、展示がより広範囲にわたるためなのだろう。
 でも筆者の興味は、仏像の源流であるマトゥラーとガンダーラの優れた仏像群にあるので、 自然とこれらの仏像をくわしく見ることになった。 マトゥラー仏とガンダーラ仏の違いを実物で確認できたのはよかったし、女神像の胸や腰を大胆に強調した像は、 いかにもインド的という印象を受けた。 日本とインドの仏像とではいろいろな点で異なっているが、素材から受ける印象の違いも加わっているようだ。 日本で仏像といえば木彫像が主であるが、インドでは石像が主流だからだ。
 しかし、仏教と仏像がインドからはるばる中央アジアを経由して中国に、そして海を越えて日本に伝来したことを考えると、 仏教の持つ力に感心しないわけにいかない。

 実は、筆者はインド博物館を2005年と2006年に、インド出張の合間を利用して訪問している。 下の写真は、インド博物館の中庭を2005年8月に撮影したもので、 イギリス植民地時代の雰囲気が色濃い1870年代の美しい建物。 これ自体に歴史的価値がある。
 この博物館の歴史は古く、創立が1814年というから、東京国立博物館のそれ(1872年)より半世紀以上も前のことなのである。 収蔵品は、考古学、地質学、動植物学など大変に幅広い。
 白亜の立派な建物に入って気づくのは、その展示品の多彩さと古めかしい展示環境だ。 ほとんどの部屋にクーラーがなく、展示ケースも今の日本ではめったに見られない年代もので古色蒼然としたものだった。 高温多湿なコルカタであるから、展示品にとっていい環境とは言いがたかった。
 当時の筆者は、仏像などより蝶や虫に興味があったので、その展示室を時間をかけて見たが、 蝶の翅はほとんどが退色していて、お世辞にも保存状態がいいとは言い難かった。
 そんな記憶のあるインド博物館の現状がどうなっているのか気になり、今回、 インターネットで調べてみた。 インド博物館のホームページの写真を手掛かりに推測すると、展示室内部はかなり改善されているようである。 近年、経済成長の著しいインドでは、博物館などの文化面にも予算がいきわたるようになったものと思われる。 機会があったら、もう一度訪れてみたいものだ。

・内視鏡検査(胃カメラ)(2015/02/19)
 新年早々に、内視鏡を使った検査を受けた。 健康診断のX線検査で食道の一部に影が映っていたので、内視鏡での検査を勧められたからだ。
 どういうわけか、私の胃とか食道は、X線検査で影が出やすいようで、 過去にも内視鏡での再検査を受けたことが2度ある。 いずれも結論として問題なかったし、胃カメラを飲むのは苦痛を伴うので、今回も内視鏡の検査を受けるべきか迷った。 でも、医者から勧められれば、やっぱり受けておいたほうが安心かなと思い、 数日間考えた末、内視鏡検査を受けることにした。 前の2回は内視鏡を口から入れるタイプだったが、今回は鼻からだという点にも後押しされた。 一般に、鼻から入れるタイプは、口からのものより楽だといわれているから、興味があったのだ。
 さて、その苦痛の度合はというと、やはり吐き気を伴ったので、ものすごく楽というほどではなかった。 比べれば楽という程度だ。 ほかに鼻からのタイプの利点として挙げられるのは、検査中も会話できることだ。 これは確かにそうだった。
 よく知られているように、現在普及している内視鏡検査装置は日本で発展した技術で、 オリンパスをはじめとする日本のメーカーが世界の内視鏡市場の大半を握っている。 さらに苦痛の少ない装置の開発を進め、引き続き世界をリードしてもらいたいものである。
 そして、後日受け取った肝心の検査結果は、食道、胃とも問題なしだった。 これで当分胃がんの心配をしないで過ごせそうだ。 同時に受けたピロリ菌の検査も陰性だったので、まずは一安心といった心境である。

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