諸事雑感 山・蝶・・・(2010年)

・バタフライガーデン(2010/12/10)
 最近、羽田空港の新国際線ターミナルがオープンして、なにかと飛行場が ニュースで取りあげられることが多い。
 日本の空港が、アジア各地の巨大空港にどのように対抗していくのか、 という点に関心が高まっているようだ。
 成田やアジアの飛行場をときどき利用している私の視点からすると、シンガポールの チャンギ空港が一つのお手本になるのではないかと思う。
 乗り継ぎ客が時間をつぶす手段として、誰でもショッピングや食事を考える。 でも今や大きな国際線の空港ならどこでもバラエティーに富んだ店舗を用意しているので、 不自由さを感じることはほとんどない。 チャンギ空港が進んでいるのは、食事やショッピングのための店舗以外の面で いろいろ工夫しているからである。
 例えば、オーキッドガーデンやバタフライガーデンなどの施設だ。 私は蝶の観察を趣味にしているから、Terminal3にあるバタフライガーデンで時間をつぶすことができる。 時期によって、飛んでいる蝶の種類が違っているようなので、そういう面でもけっこう楽しめる。
 では、そのバタフライガーデンの様子を写真で紹介しよう。
 右の写真は、バタフライガーデンの中。 温室のようになっていて、温度湿度とも高いので、冷房の利いた空港ターミナルから この中に入るとむっとする。
 ここに載せた写真はいずれも2010年11月に撮影したもの。


 東南アジアに広く生息するトラフタテハ(左)。
 輪切りにしたパイナップルに群がっていた。 筆者は、2007年にインドネシアのセラム島で採集したことがある。
 右は、シロオビアゲハの♀。
 シロオビアゲハは日本の南西諸島からインドにかけて分布する。

・カメラ最新事情(2010/12/3)
 最近発行の「週刊東洋経済」が、「カメラ新世紀」と題して、カメラを取り巻く話題を幅広く 取りあげている。 カメラの話題に興味があるので、読んでみた。 カメラ雑誌とは異なる切り口で、日本のカメラの現状を分析しているので興味深かった。
 副題が「モノ作りニッポン最後の砦」となっているように、家電など身の回りの工業製品で 日本が圧倒的な強さでシェアを握っているのは、カメラくらいしか見当たらない。 しかし、コンパクトデジカメでは、すでに約半分が海外特に台湾の生産受託会社によって製造 されているという。
 一般に市場が成熟して新機能がユーザーにアピールしなくなると、価格が重要視されてくる。 そうなると、いっそう海外生産の比重が増し、 結果的に他の家電製品がたどってきたように日本企業の地盤沈下につながることが懸念されている。
 今話題のミラーレス一眼が、一眼レフと比べて製造時の技術的なハードルが低いと言われている。 ということは海外メーカーが参入しやすくなるわけで、この点も気がかりではある。
 これからも日本メーカーが主役であり続けるためには、新技術で魅力的な製品を 出し続けるしかないので、頑張ってほしいものだ。

・博多-東京間の新幹線(2010/11/28)
 先日、久しぶりに博多、東京の間を新幹線に乗ってみた。 普段、九州に用事があるときは、仕事でも私用でも飛行機を利用し、鉄道は使うことはない。 前回、博多から東京まで新幹線に乗ったのは、国鉄時代の1980年代前半のこと だったと記憶している。 飛行機料金と新幹線グリーン車料金が同程度のものだったので、時間の余裕があるときに グリーン車に乗って帰京したのだと思う。 当時は6時間40分くらいかかったはずだが、疲れたのか楽しかったのかよく憶えていない。
 それから20数年がたち、所要時間はだいぶ短縮され、博多−東京間は約5時間になったが、 やはり長いというのが今回乗ってみての感想だ。 グリーン車のゆったりとした座席に座っていてもである。 列車の中では、車窓の景色を見るか本を読むかだが、最近は目の疲れから長時間読書を するのがつらいということも関係しているのだろう。
 長いと感じる最大の理由は、もっと短時間で移動できる飛行機があるからのような気がする。 これが、ほかに速く移動できる手段のない海外旅行では、10時間でも我慢ができてしまうのと、 大きな違いなのだろうと思っている。
 それにグリーン車のサービス面での工夫ができないものだろうか。 確か国鉄時代のグリーン車は、なんのサービスもなかったと記憶している。 それに比べたら、今はおしぼりをもらえるので、幾分サービスは向上していると言えるけれど。

・列車の車内アナウンス(2010/8/11)
 2010年7月の梅雨末期に、西日本で集中豪雨の被害が起きた。
 そのときにちょうど乗り合わせた東京発広島行き最終の新幹線が途中で止まり、 1時間ほど遅れが出て、広島到着が夜中の1時になったたことがある。 私にとって、そのこと自体はそれほど大きな問題ではなかったがけれど、 車内放送について考えさせられたことがある。
 事情を追って説明するとこうだ。 この「のぞみ」が遅れたために、岡山で予定していた最終の「こだま」に接続することができなくなってしまった。 そこで、「のぞみ」は、岡山から先の新倉敷、福山、新尾道、三原の各駅に臨時停車することになり、 車掌が事情を車内放送した。 ところが、その後も列車の自動アナウンスシステムは、岡山の次は広島に停車と告げるので、 そのたびに車掌が臨時停車のことを日本語で説明していた。 ようするに、このときは自動アナウンスは役立たずだったのだ。 日本語のわかる乗客は、車掌の日本語による説明で理解できたが、英語のアナウンスを たよりにして乗っていた客は理解できたのだろうか? 自動のアナウンスシステムもまだ改良の余地がありそうだ。

・東海道新幹線の車窓(2007/1、2010/5修正)
 このタイトルで2007年に一度書いているのだが、 その後の景色の変化や気付いた点を追加したりしたので、 改めてここで掲載することにした。

 仕事柄、東海道新幹線に乗って大阪または名古屋方面に出かける機会が多い。 朝、東京駅から関西方面に向かうときの座席は、 進行方向に向かって右窓側の座席、 つまりE席に決めている。 理由は、第一に景色が右側の方が良いからだ。 山で言えば丹沢、富士山と伊吹山という3つの大物が大きく見える。 それに右側の座席は二人掛けなので、 携帯電話が鳴ったときやトイレのために席を立つのが楽だ。 加えて、朝は日が当たらないのでブラインドを下ろさなくてもよい。
 では、山を主な趣味とする私の個人的な視点から、 天気の良い日の車窓の景色を順に見ていこう。
 東京駅から品川駅、大崎駅にかけては、 比較的ゆっくりとした速度で走るので、 ビル街の変化を目で追いやすい。 最近は汐留周辺の再開発が一段落して、大崎駅周辺それも西側の変化が激しいように思う。
 大崎駅あたりを過ぎると、 線路は高架となり展望が開けてくる。 空気が澄んでいれば、 ビルの頭越しに早くも富士山が顔を出すのだが、 まだその姿は小さい。
 多摩川を渡ると、武蔵小杉駅周辺は高層マンションの建設ラッシュである。 以前はなにがあったのか憶えていないが、 風景が一変しつつあるのは確かだ。 2010年3月には、新幹線と並行して走る横須賀線に、新しく武蔵小杉駅が開業している。
 新横浜駅に停まる列車(2008年3月15日からは全部の「のぞみ」が停まる)であれば、 線路の近くに立つマンションに視界が遮られる。 晴れた日の朝には、 そのマンションのベランダに干されている洗濯物や布団がいやでも目に入る。 洗濯物はともかく布団をベランダに干すのが好きな民族は日本以外にあるのだろうか? 日本人の清潔好きがそうさせるのだろうが、 景観上からはいかがなものか。
 新横浜駅を過ぎてしばらくすると、 丹沢山塊が右前方に見えてくる。 その丹沢の山々に注目する前に右手奥に目をやると、 奥多摩の山が遠くに連なり、 見覚えのある大岳山の姿もみとめられる。 次第に丹沢が近づくと、 大山が右手前に大きくせり出してくる。 後方には塔ガ岳などのピークが控えている。 その左に富士山も顔を出してくる。 それも小田原駅まで来ると、金時山で富士山が隠れてしまう。
 小田原の手前、大山が右手後方に移動するころ、 平塚付近の印象的な風景として、丘の斜面に整然と並んだ三角屋根の住宅群を 取りあげないわけにいかない。 日向岡の団地である。 朝日を浴びると、カラフルでいっそう目立つのだ。 無国籍風のちょっと変わったデザインである。
 小田原駅周辺は富士山の代わりに箱根山が見えるが、 所詮富士山とは格が違いすぎ、 景観の点で損をしている。 富士山が近くなるのは、、 新丹那トンネルを抜けてからだ。 三島駅あたりからは、冬の晴れた日であれば、雪を被った光り輝く姿が見える。 しかしこれも、もう少し進むと愛鷹山にいったん隠れてしまう。 愛鷹山が後方に去ると、今度は富士山が裾野まで見えてくる。 東海道新幹線で一番の見所だろう。 日本のシンボルだけあって、何度見ても見飽きない。 晴れた日に、うっかり居眠りしてこの雄大な富士山の姿を見逃すと、 その日一日損をした気分になってしまう。
 その昔、このあたりを通過するときは、 製紙工場などが発生源と思われる悪臭が新幹線車内にまで入り込んできて、 不快な思いをしたものだが、最近はそういうこともない。 公害対策が進んでいる効果だろうか。
 その富士山が後方に退くころ、富士川の鉄橋を渡る。 この河川敷の線路のそばにテニスコートがあり、 早朝からプレーをしている人の姿を時折見かける。 富士山を背景にしたうらやましい環境のテニスコートだ。
 静岡駅近辺からは遠くに南アルプスの頂が顔を出しているのがわかるが、 距離が遠すぎて形がはっきりわからないのが残念だ。 安倍川を渡ると左にカーブして、列車がほとんど南向きに走る場所がある。 今まで右側に見えていた富士山が、 このあたりでは進行方向左側後方に見えている。 しかし、晴れている日の朝は左側から朝日を浴びるため、 ほとんどの窓にブラインドが下ろされている。 このため、進行方向に向かって右窓側の席から、 左側にある富士山を見ることはほとんど不可能である。 関西方面からの帰りに、 東京に向かって右側の席を取るとよく見えるのだが、 私の場合、明るいうちに上りの新幹線を利用する機会は、 ごくたまにしかない。
 掛川の駅を通過する際、 掛川城が見える。 山内一豊ゆかりのお城である。
 浜松駅を通過すると浜名湖にさしかかる。 このあたりが、東京−新大阪間の時間的なほぼ中間地点である。 浜名湖といえば、うなぎの養殖が昔から有名だ。 しかし近年はうなぎの養殖がビニールハウスの加温方式に変わったりしたことで、 静岡県より鹿児島県や愛知県のほうが出荷量は多いという。 かっては新幹線の沿線沿いの養殖池で盛んに回っていた酸素補給用の水車も、 最近は回っている姿をあまり見かけない。 放置されたままになっているかっての養殖池を見ると、 時代の移り変わりを感じる。
 もし夜だと浜名湖は真っ暗で、 どこに水面があるのかわからなくなるが、 浜松駅寄りにあるイオン(AEON)の巨大なショッピングセンターは大変に目立つ。 なにしろ周りは人家がまばらなのに、 ここだけは不夜城のように明るい照明で浮かび上がっているからだ。 夏の夜にはさぞかし多数の昆虫がこの光に吸い寄せられることだろう。
 話を昼に戻す。 豊橋駅あたりでは、山頂部が丸い恵那山が見えてくる。
 名古屋を越すと、木曽川、長良川、揖斐川という3本の大河をあいついて渡る。 遠くにありながら、ひと際立派な山容の独立した山は御嶽山である。 やがて関ケ原の山間を抜けると右手に伊吹山が見えてくる。 距離が近いせいか標高(1377m)に比べ迫力がある。 採石場によって山肌が削り取られているのが痛々しいが。
 この伊吹山を別にしても、 東海道新幹線の沿線で農村風景が一番美しいのは、 関ヶ原から米原あたりだと思う。 あまり大きな工場はないし、 多くの民家は黒い瓦に伝統的な配色の壁の組み合わせなので、 落ち着いた日本の伝統美を感じる。 晴れている時より、 むしろ雨で屋根瓦がしっとりと濡れているときのほうが、 より好ましい。
 米原の駅を過ぎて、在来線の東海道本線が右手前方彦根の方向に分かれると、 最近出来たフジテックの少々目障りなエレベータ研究棟が現れる。 そしてすぐに、低い山並みが迫ってくる。 春であれば、ギフチョウが舞っていそうな、丘を少し高くしたような山の懐に、 吸い込まれるように単線の線路が延びている。 一瞬のことなのでよほど注意していないと、 気がつかないうちに通り過ぎてしまう。 調べてみると、米原駅から彦根駅に続いている近江鉄道の線路だった。 運行本数の少ない地方鉄道だから、 新幹線の車窓からは電車が走っているのをまだ見たことがない。 右側の低い山並みが尽きると、彦根城が見えるが注意していないと見逃してしまう。
 そのうちに琵琶湖西岸、武奈ガ岳や蓬莱山など湖西の山々のゆるやかな山稜が見えてくる。 瀬田川を渡るころ、大津の街並み越しに琵琶湖の湖面がわずかに見えてくると、 京都はもうすぐだ。
 京都駅に着けば、右手に巨大な駅ビル、 左手前方に東寺の黒々とした五重塔が見えてくる。 いつかはゆっくりと京都見物をしたいものだ。
 京都駅を出てしばらくすれば、サントリーの山崎蒸留所が右側に見え、 新大阪駅も近い。
 こうやって東京から新大阪までの景色を車窓から見ていると、 雄大な山の景色もところどころで見えるが、 また人家の絶えることもないことにも気がつく。 東海道沿線は、人口の密集地帯であることを実感するわけだが、 日本全体からみれば、人家が密集しているのは一部の平野部で、 ほとんどは人の住まない山岳地帯なのである。 東海道新幹線の景色からは想像しにくいことだが、 飛行機から地上を見下ろすと、 東海道新幹線からの景色との違いがはっきりする。

・カメラのストラップ(2010/4/25)
 アサヒカメラの5月号に、カメラのストラップの記事が載っていて興味深く読んだ。
 ストラップをあまり気にしない人と、こだわる人がいそうだが、私は比較的気にする方だ。 私が一眼レフを持って外に出るのは、登山か蝶の撮影のときだ。 首から下げていると、歩行のリズムに合わせてカメラが揺れるのが不愉快なのと、 カメラの重量で首に負担がかかるので、撮影をしないときは肩に斜めにかけている。 現在の私のメイン機種は、キャノンの5D MkUという重量級なので、肩への負担が大きい。 それでもあまり苦にならないのは、ストラップが幅広で薄手の布製だからのような気がする。 このストラップは、カメラに付属のもので、メーカー名や機種名が大きく表示されている。 なんかメーカーの宣伝をさせられているようで、デザインとしてはあまり好きではない。 でも機能としては特に不満がないので使っている。
 その昔、私が一眼レフを使いだした1970年ころの一眼レフのストラップといえば、 幅の狭い革にゴムの肩あてがついていた記憶がある。 今のようにカメラメーカーのロゴが大きく書かれたりはしていなかったので、上品だったと言える。 当時のカメラだってそう軽くはなく、幅の狭いゴムの肩あてでは 肩が痛くなることがあったことと、登山中の汗で革のストラップが濡れると乾きにくいのが不快で、 しばらくたってからは柔らかい布製のストラップに代えて使っていた。 でも売られていたストラップの種類はそう多くはなかったように思う。
 それが、今ではいろんなデザインや素材のストラップが売られている。
 カメラを持って歩いている人を観察していると、カメラ本体とは別売りのストラップを 付けているのは女性に多く、男性特に中高年層はそのあたりに無関心なように思える。
 カメラは道具だけれど、バッグなどと同じく持つ人の性格を反映している部分があるので、 たかがストラップといえども侮れない。 ストラップも気になる人には気になるアクセサリーなのである。 そろそろ私も5D MkU用に別売りのストラップを探そうかと思っている。

・丸ノ内線車両のサインウェーブ(2010/04/15)
 かっての東京メトロ丸の内線の車両は、全体が真っ赤に塗装され、 側面には白い帯が走り、その白帯の中に波型のサインウェーブという模様が入っていた。 私が通学で丸ノ内線を使い始めた頃(1960年代)は、このサインウェーブはなんとなく やぼったいデザインだなという印象しかなかく、特に親しみを覚えるようなことはなかった。 そのサインウェーブの旧型車両が消えて14年がたち、 忘れかけた今頃になって復活するというニュースが流れた。 悪い話ではないが、さてどうやってそのサインウェーブを見るのか考えてしまった。 今は昔と違って、駅にはホームドアが設置されているから、 ホームドアが開いているときに、隙間から覗く以外には、 車体側面下部を間近に簡単に見ることができそうにない。 東高円寺駅で、反対方向から来た電車を線路越しに見ることもできるが、柱が邪魔だ。 電車が駅を出てしまえばトンネルなので、普通には側面は見渡せない。 地上を走っている部分もあるが、私のよく利用する荻窪駅と東京駅の間には 地上走行の区間は四ツ谷駅のごく限られた場所しかない。 どうやったら、サインウェーブ全体を近くから眺められるのか思案しているところだ。

・JAL経営破綻(2010/02/21)
 1月20日に東京から福岡までJALを利用した。 1月19日にJALが会社更生法適用を申請した翌日である。 羽田のJALのカウンターは普段通りで特に変わったことはなかったが、 さすがに機内放送では、会社更生法適用申請に触れた後、「これからも会社再建に向けてがんばります・・・」 というような趣旨のアナウンスをしていた。
 福岡に一泊しで帰りの便もJALを利用したけれど、もう特別なアナウンスはなかった。
 その時の気分次第でJALにもANAにも乗る筆者だが、JALには早く元気になってほしいものである。

・高尾山V(2010/02/11)
 2月7日に高尾山を歩いた。
 数日前の2月1日(月)の晩に、広く関東地方で積雪があり、 そのあと気温の低い日が続いていた。 高尾山にも雪が残っていると予想し、 どんな様子か見に出かけわけである。 8時半に京王高尾山口駅を歩き始める。 さすがに駅前にはもう雪は見当たらない。 どのコースにするか迷ったが、今回は登りに稲荷山コースを取ることにした。 晴天の日には途中の展望台から都心方向が見渡せるからだ。 歩き始めてからしばらくは、周りにうっすらと雪が残っている程度である。 しかし登山道は踏み固められ凍結しているので滑りやすくなっている。
 展望台に着くと、予想通り都心のビル群が見渡せる。 お正月の新聞に高尾山からも見え始めたと書かれていたのを思い出した。 よく見ると、新宿の超高層ビルの背後に建設中の東京スカイツリーが頭を出している。
 展望台から上の登りの道は、さらに磨きがかかり、 慎重に足の置き場を選んで登った。

 頂上に着くと、雲ひとつない青空に富士山が真っ白な姿を現した。 左手前に見える丹沢山塊の大室山なども雪化粧しているが、 樹木で覆われているため、真っ白とはいかない。
 帰路は4号路を下りることにする。 4号路に足を踏み入れた途端、雪の多さと気温の低さに驚く。 吊り橋(みやま橋、右の写真)の踏み板もすっかり雪に覆われている。
 高尾山の豊かな植物相はよく知られるところで、 場所によって植物の種類が異なる。 例えば4号路と3号路とでは、素人にもその違いがはっきりわかるほど植物相 が違う。 その原因の一つに気象条件が関係していそうなことが、4号路の雪の多さからもうかがえる。


・「さくらや」の閉店(2010/01/13)
 今日の新聞の朝刊に、「カメラのさくらや」の全店が2月末で閉店という記事が載っていて びっくりした。 新宿を中心に店舗を展開し、一時はかなり繁盛していて、私もずいぶん利用したものである。 ヨドバシカメラが今のように大きくなかったころは、さくらやの方が駅に近くて便利だった。 そんなわけで、フィルムの現像、プリントはいつも新宿のさくらやと決めていたし、 フィルム時代のカメラやレンズもそのほとんどをさくらやで買ったのではないかしら。 それがいつしか足が遠のいてしまった。 ちょうど私がフィルムからデジタルへの移行した時期と重なる。 現像を頼むためにカメラ屋さんに行く必要がなくなったのが一つの理由で、 もうひとつは、店舗の規模の小さいさくらやでは、品揃えが見劣りし、 商品の実物を見比べる楽しみが少なくなったことが原因と思っている。
 それにしてもさくらやが閉店とは寂しい話である。

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