諸事雑感 山・蝶・・・(2009年)

・「あわせてご利用ください」(2009/12/26)
 先日の朝の通勤時間帯に中央線のダイヤが大幅に乱れたことがある。
 筆者はいつも利用する荻窪駅で、しばらく中央線電車を待っていると、 ホームでは、「総武線電車もあわせてご利用ください」 と繰り返しアナウンスしていた。 いったいどうやったら、中央線と総武線の電車をあわせて利用することができるのか と考えてしまった。
 総武線の電車の遅れは少しなので、可能な人は総武線も利用して欲しいというつもりだろうけれど。

・My Grandfather's Clock 大きな古時計 (2009/09/23)
 9/19の朝日新聞に「大きな古時計」の記事が載り、興味深く読んだ。
 私がこの曲のメロディーを知ったのはいつのころか思い出せないが、 はっかり意識して聞いたのは、Johnny Cashの歌によってだ。 その歌が、「ベスト・オブ・ジョニー・キャッシュ」という日本コロンビアが1963年に発売した LPレコードに入っていた。 このLPを、今はない新宿のコタニで買ったのは、たぶん1966年頃のことだと思う。 日本語の題名は「おじいさんの古時計」となっていて、解説文には、「アメリカ南部に伝わる 古い民謡をキャッシュが、例によってキャッシュ・スタイルに歌詞もアレンジしたもの」 とあり、てっきり原曲は民謡とばかり思っていた。 ところが、今度の朝日新聞の記事で、れっきとした原作者のある曲だとわかり、 さらに、作曲者のワーク(Work)がヒントにしたとされる時計は、 イギリスとアメリカの2か所にあることも知った。
 そこで、キャッシュがどのように歌詞をアレンジしたのかを調べてみると、 原曲の2番を省略している以外は、歌詞に手を加えていないようで、 90年を100年に変えた日本語版より原曲に忠実と思われる。
 さらに個人的なことを加えれば、のちにCDになって発売されたキャッシュの同じ歌が、 LPとはずいぶん音が違うので驚いたことがある。 そのCDとは、2002年に「Johnny Cash Songs of Our Soil」のDigitally Remasteredと称して アメリカで発売されたものだ。 それを数年前に購入して聞いたら、LPとは音がかなり違うので、別の録音かと思った程なのだ。 オリジナルの「Johnny Cash Songs of Our Soil」のLPは、1959年にアメリカで発売されている。 私はそのLPを持っていないので、断定することはできないが、音が違っているのは、 Digitally Remasteredによるのだろう。

・門(2009/05/27)
 一戸建ての家の門は、今はたいてい開き戸タイプになっている。 我が家も家を建て替えたときに、開き戸に変えた。
 最近ご近所で、門を引き戸から開き戸に変えられた家があり、 あらためて周りの家の門を見てみた。 普段通勤に使う道を駅まで歩いて観察したら、 引き戸の門はわずか1軒しかなかった。 昔は、引き戸のタイプが圧倒的に多かったと記憶しているので、 門構えはずいぶんと変わったようだ。

・志賀昆虫の店舗移転(2009/05/17)
 昆虫を趣味にしている人にはそれぞれ、採集や標本作りの道具を入手するための 馴染みのお店というかよく利用するお店があるのではないだろうか。 筆者にとっては志賀昆虫普及社である。 学生時代に探検部の先輩に紹介されて以来、採集道具や標本箱などの購入に長年利用してきた。 渋谷という便利な場所だったせいもある。 近年は採集をほとんどやらなくなったので、道具も必要なくなり、 めったに足を運ばなくなった。 今年になって、なにげなく読んでいた昆虫の雑誌の広告で、 志賀昆虫のお店が移転したことを知った。 移転先は戸越銀座である。 筆者の家からは、乗り換えが多くなり、なんとなく行きづらい場所である。
 渋谷という一等地からの移転は、昆虫採集を取り巻く環境の変化 −昆虫採集が世間から冷たい視線を浴びている−とは無縁ではないのだろう。

・高尾山U(2009/05/07)
 2009年の5月連休は、遠出をせずほとんど家にいた。 わざわざ混雑する連休中に出かけたいとは思わなかったことに加え、 蝶(キリシマミドリシジミ)の幼虫の世話があって長期間家を空けられなかったからである。 それでも晴天の日が続けばどこかに出かけたくなる。 5月4日に運動がてら高尾山に登ってみたら、 ある程度予想していたとはいえ、その人の数に驚いた。 朝8時ごろ高尾山口駅から登り始めたときは、 それほどの人数ではなかった。 ところが、下山した10時半ころには、高尾山口駅から登山口のケーブルカー駅に向かう人波で 道路が埋まっていた。 とにかく人並みに切れ目がないのだ。 おかげで、短い距離なのに人の流れに逆らって高尾山口駅まで歩くのに一苦労した。 都心の繁華街より密度が高かったのではないだろうか。 自然を求めて高尾山に出かけても、 周りが人だらけではなんのためにでかけたのかわからなくなると思うのだが。

・三国志 (2009/05/04)
 映画「レッドクリフ」が話題になったりして、 世間ではちょっとした三国志ブームが起きている。 書店にも三国志関連の本が山積みされている。 こんな風潮に多少は影響されて、 吉川英治の「三国志」を新装版の文庫本で読んでみた。 文庫本といっても全5冊で、しかも1冊が厚いから、かなりの分量である。 正月休みから読み始めて、数か月を要したが、 途中で飽きるということはなかった。 それだけ吉川英治の筆が魅力的であり、 なにより壮大な歴史絵巻のスケールの大きさに圧倒されてしまったからだ。 第二次大戦中に執筆されたのだから、文体に多少古さを感じる部分もあるにしろ、 一度読み始めたらついつい引き込まれてしまうのだ。
 登場人物はいったい何人に登るのだろう。 とても筆者ごときに覚えきれる人数ではない。 地名もたくさん出てくるが、巻末の地図はあまり詳細ではない。 筆者も含めた大半の読者にとって、舞台となった多くの地名になじみが薄いはずだから、 もっと詳しい地図が欲しいところだ。
 三国志演義を基にした小説ゆえ、 内容は史実と異なっていることを承知の上で、 いつか劉備や孔明の活躍した場所を歩いてみたいという気になってしまう。

・東海道線の車窓 (2009/03/22)
 2007年に、この項で「東海道新幹線の車窓」と題して、 新幹線からの景色について書いたことがある。 そのときは、農村風景でもっとも好ましく感じるのは、 関ヶ原から米原にかけてだと記した。
 その後、この区間を在来線の特急に乗って沿線風景を見る機会があったので、 印象を書いてみたい。
 このときは、北陸に行く用事が出来て、特急「しらさぎ」に乗ることになった。 東京からだと、米原で乗り換えが普通だ。 インターネットで経路を検索してもそうなる。 しかしこのときは、少し時間に余裕があったので、 名古屋から「しらさぎ」に乗って景色を見ることにしたわけである。 新幹線と在来線では通っている場所が違う。 同じ場所を通っていても、トンネル以外は高架が多い新幹線は、 視点が高いところにあるため、 在来線から見る景色の印象とは異なることが多い。
 在来線の名古屋−米原間では、岐阜駅を過ぎるあたりから、 景色がローカルなものになる。 乗ったのが3月の中旬の晴れた日だったので、 春の明るい日差しを浴びた野山は、 ギフチョウが飛び出してもおかしくないような長閑さだった。 米原までの間は、大きな工場がほとんどなく、 もう何年も景色が変わっていないのではないだろうか。 川の土手には桜並木が見え、 お花見には絶好の場所だろうなと思ったりする。 伊吹山に近づくと、遠くに高架の上を新幹線が高速で走り去るのが見える。 やっぱり景色を楽しむには、新幹線は速すぎる。 景色そのものも違う。 明治時代に開通した東海道本線は、 駅も含めてもうすっかり農山村風景の中に溶け込んでいるが、 戦後に建設された東海道新幹線は、まだそこまでいってない。

・床屋 (2009/03/15)
 散髪は、近所のある床屋さんと決めていた。 それももう30年位変わらない同じお店だから、 床屋さんのご主人とは顔なじみで、 世間話をしながら散髪をしてもう。 ところが、最近その床屋さんが店じまいしたようなのだ。 これは困った。 新い店を探さなければならない。 特にヘアカットのスタイルにこだわりはない私だが、 馴染みの床屋さんであれば、特別指定しなくてもいつものように カットしてくれる安心感がある。 それにモノを買うお店と違って長い時間店内にいるため、 居心地もお店を選ぶ大切な要素になる。 それでついつい同じお店に通うことになる。 新しいお店は、入ってみないと様子がわからない。 面倒だが、しばらくは、何軒が試してみることになりそうだ。
 散髪といえば、20年ほど前にボストンで生活していたときのことを思いだす。 国が違えば当然床屋さんの習慣も違うので、 ボストン(正確には郊外のBeverly)で、最初に床屋さんに入った時はめんくらったものである。 お店の前には、日本と同じ3色のくるくる回る棒(サインポールというそうで、 元をただせばヨーロッパ起源のようだ)があるなので、 床屋であることはすぐにわかる。
 お店に入ると、どこまでの作業が希望か聞かれる。 アメリカの散髪の基本は、カットだけなのだ。 洗髪を頼まない人も多い様子。 実際、会社のアメリカ人従業員は昼休みを利用して、 カットだけしてもらうこと多いみたいだった。 私は洗髪も頼んでいたのだが、 その洗髪が日本でなじんだ前屈みになって頭を洗面器の中に突き出すやり方ではなく、 椅子を後ろに倒して仰向けの状態で行うのだ。 つまり顔を上に向けた状態で洗髪するのには驚いた。 最初のときは、バランスが崩れて、 椅子ごと後ろに倒れてしまうのではないかと思ったのだ。 今では日本でもこういうスタイルのお店はあるようだが、 国が違えばずいぶんと習慣が違うものだというのがその時の感想だった。 そして、すべてが終わって床屋を出ると、 すぐに車で家に戻って、シャワーを浴びなければ気が済まない。 切った髪の毛が派手に襟元に散乱し、 ちくちくして気持ち悪いからだ。 白人のアメリカ人が昼休みに散髪に出かけ、そのままオフィスに戻って平気なのは、 髪の毛が柔らかくて、たとえ襟元に切った毛が残っていても気にならないからのようだった。
 いろんな人の話を聞いても、 総じてアメリカの床屋さんは日本に比べて大雑把だと言えるだろう。

・Detroit City(デトロイト・シティ) (2009/3/5)
 このところ、米国自動車産業の業績悪化が大きな話題になっている。 ビッグ3のニュースに、デトロイトの名前が頻繁に出てくる。
 そしてデトロイトの名前を聞くと、Bobby Bare(ボビー・ベア)が歌ってヒットした Detroit Cityのメロディーが筆者の頭に浮かんでくるのだ。
I wanna go home I wanna go home oh how I wanna go home
Last night I went to sleep in Detroit City
And I dreamed about those cottonfields and home
I dreamed about my mother dear old papa sister and brother
I dreamed about that girl who's been waiting for so long
I wanna go home I wanna go home oh how I wanna go home

Homefolks think I'm big in Detroit City
From the letters that I write they think I'm fine
But by day I make the cars by night I make the bars
If only they could read between the lines
Cause you know I rode the freight train north to Detroit City
And after all these years I find I've just been wastin' my time
So I just think I'll take my foolish pride and put it on a Southbound freight and ride
And go on back to the loved ones the ones that I left waitin' so far behind
I wanna go home I wanna go home oh how I wanna go home
 要約すれば、南部の故郷に家族や恋人を残し、 デトロイトに働きに出てきている男の望郷の歌だ。 この歌がヒットした1963年当時のデトロイトの自動車産業はまさに絶頂期で、 田舎や外国からたくさんの人間を吸い寄せていたに違いない。
 それから約半世紀、今やビッグ3といえども倒産の危機に立たされようとは、 誰が予想できただろう。

・久し振りのフィルムカメラ(2009/2/22)
 久しぶりにフィルムカメラを取り出しで撮影した。 前回フィルムで撮影したのが2003年だから5年ぶりだ。 冷蔵庫に保管していた期限切れのネガフィルムを、 ミノルタCLEに詰めて出発。 目的地は、横浜の松原町。 ここで、山登りの仲間K555の2009年新年会があるのだ。 天王町の駅を降りて、 さっそくカメラを取り出して街の風景の撮影開始。 今では、自動焦点、自動露出のデジカメに体がなじんでいるので、 動作がぎこちない。 フィルム巻き上げ、絞り確認、距離合わせという一連の動作が リズムカルにいかない。 デジカメとは、気を配らなければならない機能が違っているのだ。 何枚か撮るうちに、ようやく昔の勘をとり戻したてきたが、 それでもあまりスムーズにはシャッターを切れなかった。
 自動化されたデジカメで退化した脳が、 これで少しは活性化したかもしれない。

・山陽新幹線からの景色(2009/2/19)
 この欄で、2007年1月に「東海道新幹線の車窓」と題して、 東京から新大阪までの景色を書いた。 その時は、新大阪から先に行く機会がめったにないので、 山陽新幹線からの車窓には触れずにいた。 その後、何回か山陽新幹線に乗って、 少しは景色も頭に入ったので、 その印象を書いてみよう。 とはいっても岡山あたりまでが多く、 その先は本当に少ないことを断っておく。
 新大阪を過ぎると、 トンネルが多く景色が細切れとなるので、 注意して景色を見ようとしても、 意識が散漫になってしまう。 そんな状況でもすぐに気づくのは、 緑の密度の薄さだ。 山を覆う木々が東海道沿線に比べて薄く、 地肌が透けて見えるような場所が多い。 たぶん、これは瀬戸内の雨量の少なさと関係しているのだろう。 土壌の関係で、植生が違っているのかもしれない。
 西明石付近からは、左手に淡路島と明石海峡大橋が見える。 筆者はまだ淡路島を踏んだことがないので、 いつかは歩いてみたいものと思っている。
 加古川付近の左手に見える製鉄所は、 神戸製鋼所のものに違いない。
 姫路駅を通過する際には、 姫路城(国宝)が垣間見える。
 相生付近では、民家が平野部になく、 山裾に沿ってきれいに立ち並んでいるのが一風変わっている。
 備前のあたりでは、かまどの煙突らしきものがところどころで見える。 備前焼のかまどがあるのだろう。
 岡山をすぎ、東広島あたりに差し掛かると、 赤い瓦屋根の民家が目立ち、たいそう印象的である。 これは、石州瓦というらしい。
 広島を過ぎて、次に目立つのは徳山の工場群だ。 巨大な化学工場ががひしめき、 金属製のパイプやら煙突やらが林立している。 人工の建造物にあまり興味のない筆者でも、 これだけの規模の工場群になると、 前衛芸術の作品のような趣で壮観である。
 こうやって、車窓から山陽地方を眺めていると、 東海道の景色とはずいぶんと違っていることがわかる。 山好きには、あまり特色のない沿線風景といえる。

・高尾山(2009/01)
 東京に住んでいる人間にとって、 高尾山は子供のころから身近な存在である。
 もちろん、ミシュランのガイドブックに取り上げられまでもなく。
 筆者の最初の山歩きも、 小学生のころ父親に連れられて登った高尾山だった。 ところが、本格的に登山を開始してからは、 高尾山は「簡単な山」故に、遠ざけてしまっていた。 どうせ登るなら、もっと歯ごたえのある山をという、 若者にありがちな考えからだ。 それがこの10年位前から、ときどき足を運ぶようになった。 体力任せの登山を卒業して、よく言えば精神的に余裕が出てきたからか? 真夏に登れば、オオムラサキが見られるし、 冬であれば、真っ白な富士山が見える。 コースもその時の気分でいろいろ選べる。 近いから時間的にも楽だ。 普段よりちょっと朝早く起きれば、昼には帰宅できる。 登山口まで電車で行けるというのも、 敷居が低く感じる理由である。
 最近は、午前中に頂上を往復したのち、 登山口のお蕎麦屋さんに寄ってから帰宅することが多い。 お蕎麦屋さんも数軒入ってみたが、高橋家の昔ながらのたたずまいが、 高尾山の雰囲気としっくりくるような気がしている。 ここには、高尾山とか日出山といった地元の銘柄でありながら、 店頭ではあまり見かけない日本酒を置いているので、 とろろ蕎麦と一緒に楽しむことができる。 最近、店内を分煙にしたのも、 タバコを吸わない人間にとってはありがたい。

・ゴムの劣化(2009/01)
 普段はあまり使わないカメラ用の三脚(購入して5年くらいの)を取り出したら、 パンハンドルのグリップ部のゴムが劣化してべとべとしている。 可塑剤のせいらしい。 このままでは、とても使えない。 かといって、これだけのために新しく三脚を買うのはもったいない。 インターネットで調べても、このべとつきを取り除く決定的な方法が見つからない。 いろいろ考えた末、べとつきを取り除くことができないなら、 上からなにかで被せたらよいのではと考え、 テニスのラケットに巻くテープを思いついた。 さっそくラケットを売っているお店でテープを買い、 べとつくパンハンドルの上から巻いてみた。 大丈夫そうだ。 これでしばらく様子を見ることにしよう。
 そういえば、ほかにも同じようなトラブルがあったことを思い出した。 人工皮革でできた一眼レフカメラ用ソフトケースと、 車のホーンボタンだ。 カメラのソフトケースは、 買いなおしても大きな痛手にはならない。 困ったのは、車(ジープ・チェロキー、2007年に手放した)のホーンボタンのときである。 新車を購入して7,8年経ったころだろうか。 さわると黒いゴムが手についてしまうので、 できるだけ触らないように、 つまりホーン(クラクション)を鳴らさないようにしていたものだ。 モノを出来るだけ長持ちさせて使うという時代の流れの中で、 こういうトラブルは困ったものである。

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