諸事雑感 山・蝶・・・(2006年)

・日本産蝶類標準図鑑(2006/10)
 日本の蝶類研究の牽引役だった白水隆先生がご逝去されて2年あまりが経った2006年、 先生の著書「日本産蝶類標準図鑑」が学研から出版された。 昆虫雑誌の紹介文に、 「学研中高生図鑑 昆虫T チョウ」を基に作られたというような表現があったので、 手に取るまで初心者向けの図鑑と思っていた。 ところが、実際に購入してページをめくっていくと、 これは本格的な図鑑であることがすぐにわかった。 最新の情報に基づいて分布などが平易に解説されている。 例えば近年神奈川県周辺で発生しているアカボシゴマダラについても、 丁寧な説明がなされている。 変異についても豊富な写真で説明されていて、 産地、季節による斑紋の違いなどがわかって便利である。
 同定や観察に役立つだけでなく、 ちょっと時間があるときに適当なページを開いて読むという使い道もある。 ただ私のように寝転んで本を読む習慣の人間には少々重いが。
 文中の記述で少々戸惑ったのは、 ウスバアゲハやキイロウスバアゲハなどの和名である。 アゲハチョウ科に属するこれらの蝶の和名に、 **シロチョウなどの名前を使うことへの異論があることは知られている。 だが、一般にはウスバシロチョウやウスバキチョウの名前が使われていて、 定着していると思われるので、個人的には違和感がある。
 総合的に見れば、 一般の蝶類愛好者が必要とする情報を、 適度なページ数にバランスよく盛り込んだ図鑑で、 実用的な価値が高いと言える。 個人的にも、今後、長く使うことになりそうである。

 私が白水先生の名前を知ったきっかけは、 「原色台湾蝶類大図鑑」(保育社)の著者としてである。 学生時代に台湾に出かけて蝶を追いかけたときに、 参考にし種の同定に使ったのがこの図鑑との最初の出会いである。 この図鑑の箱には、コウトウキシタアゲハの原寸大のカラー写真が印刷されていて、 これが大変目立つ。 黒と黄色のコントラストが美しい、いかにも南方系の蝶である。 こんな蝶の飛んでいる土地に行って実物を見たいというのが、 台湾行きの動機の一つだった。 そして、日本から船を乗りついで上陸した蘭嶼(紅頭嶼)で、 本物のコウトウキシタアゲハの飛ぶ姿を見、 採集できたときには感激したものである。 今でも私の標本箱の中の一番のお宝はそのときの標本である。 なお、当時(1960年代)の台湾には、特に規制はなく、自由に採集ができた。
 現在私の手元にある「原色台湾蝶類大図鑑」は7刷(昭和47年)とあるので、 大学卒業後に購入したものである。 つまり学生時代は欲しくても高価(3800円)で買えず、もっぱら先輩から借用していた。 社会人になってからやっと手に入れたわけである。 単純に比較はできないにしろ、今回の「日本産蝶類標準図鑑」は7000円である。

・訃報−Sarah Caldwell & Buck Owens− (2006/3)
 サラ・コールドウェル女史とバック・オウエンズの訃報記事が、 2006年3月の各新聞に相次いで載った。 この二人の片方ならともかく、 両方の名前を知っていて親しみを感じている人は、日本では少ないのではないかと思う。
 サラ・コールドウェル女史は、指揮者で"The Opera Company of Boston"のArtistic Director として活躍した人である。 私がボストンに住んでいた1980年代の5年間に、 少なくとも2回ボストンのオペラハウスで、 オペラを見ている。 そのときのプログラムを引っ張り出してきて調べてみると、 1回は1988年5月の公演で、"La Traviata"を彼女自身が指揮している。 もう1回は1989年の4月で、"Der Rosenkavarier"である。
 ボストンは、ボストン美術館やボストン交響楽団で知られるように、 米国の中ではニューヨークと並ぶ、 芸術、文化面での活動が活発な都市である。 しかし、オペラだけはメトロポリタン歌劇場(MET)のあるニューヨークにとても太刀打ちできない。 私もオペラが見たくて、 ボストンからニューヨークのMETにしばしば出かけたものだが、 オペラ鑑賞のために気軽に行ける距離でもない。 そんな中でだいぶくたびれたThe Opera Houseと称する劇場でオペラの公演を行って、 頑張っていたのが"The Opera Company of Boston"であった。 公演回数は少なかったが、やはり地元のボストンでオペラを見られるというので、 オペラ好きにはありがたい存在だった。

 Buck Owensは1960年代から1970年代に活躍した、 Country Musicの偉大なミュージシャンである。 その全盛期は、私の高校、大学時代に重なる1960年代中期である。 その明るく元気なサウンドは、 ナッシュビルを中心とした旧来のカントリー音楽とは異なり、 本拠地のカリフォルニアにちなんで、 コースト・カントリーとかベイカーズフィールド・サウンドとか呼ばれていたものだ。
 Buck Owens登場以前の1960年代初頭のカントリー音楽は、 ストリングスや大掛かりなコーラスを従え都会的に洗練されたナッシュビル・サウンドが全盛だった。 そこへ伝統的な楽器編成で、従来のカントリー音楽の素朴さを残しながら、 ドライブ感溢れるモダンなサウンドを持ち込んだのがBuck Owensだった。 彼は、ナッシュビル・サウンドに飽き足らなかったカントリー・ファンの心をつかんで、 たちまち多く人を虜にした。 私もその一人である。
 1967年2月には最初の来日公演を厚生年金会館で行っている。 私もその公演を聞きに行っているので、 久しぶりにそのときのパンフレット(左の写真が表紙)を取り出してページをめくってみると、 まざまざと当時の時代の雰囲気が蘇ってくる。 例えば、日本航空が載せている1ページ大の広告には、 DC-8の背景写真の上のキャッチフレーズに、 「海外旅行時代がやってきました」とある。 1960年代は気軽に海外旅行ができる時代ではなかったから、 アメリカからカントリー音楽のトップスターがやってくるとなれば、 なにがなんでも聞きに行かなければという思いだった。
 今でも、Buck Owensは私のもっとも好きなカントリーシンガーなので、 普段でもときどきCDやLPを聴いている。 私はBuck Owensのアルバムはどれも好きだが、 "Together Again / My Heart skips a beat"が最高傑作だと思っている。 "My Heart skips a beat"や"Truck Drivin' Man"などを聴いていると、 どんなときにでも明るい気分になれるのである。 これは約40年前に初めて聴いたときから変わらない。
 一つ付け加えるならば、"Together Again / My Heart skips a beat"を聴くには、 CDより日本盤のLPのほうがよいと思っている。 このレコードに限らず、当時の東芝音楽工業から発売された日本盤LPは、 赤い半透明な材料で作られていた。 入っている音楽と盤の赤い色はもちろん無関係に違いないが、 Buck Owensの明るい音楽がターンテーブル上の赤い盤とよく合っているのである。 この後しばらくして、東芝音楽工業は赤いLP盤から他社と同じ黒いLP盤に変えてしまったので、 Buck Owensの音楽と盤の色がマッチングしなくなってしまったのは残念である。
 いずれにしても、 これから先もBuck Owensの音楽が私の生活を明るくし続けてくれることは間違いない。

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