諸事雑感 山・蝶・・・(2003年)
・霧氷目当ての登山(2003/6)
このところ、毎年のように関西の山を訪れている。
出かけるたびに一応ガイドブックなどに眼を通しているのだが、
それで気がついたのは、冬に霧氷目当ての登山が盛んなことである。
特に台高山脈の高見山、三峰山あたりは、
霧氷の季節になると臨時バスが出るほどの賑わいのようだ。
豪雪地帯ではないのでわりと気軽に冬季の登山が楽しめるらしい。
私の住む関東では霧氷目当ての登山は、それほど盛んではないようだ。
いつか機会を作って関西の山の霧氷の時期に出かけてみたいと思っている。
・「山と雲と蕃人と」鹿野忠雄著(2003/2)
この本は台湾の山を愛した博物学者鹿野忠雄の著作の復刻版(文遊社 2002年2月刊)である。
主に戦前の台湾を舞台に活躍した鹿野忠雄の名前を知っている人がそう多くないと思われるが、
台湾の山地や生物に興味のある人には必読の書と言ってもいいだろう。
私自身も、鹿野の名前を冠したカノミドリシジミという蝶の名前と結びついて、
その名前は学生の頃から知っていたが、
著書を読むのは今回が初めてである。
原著は60年以上も前のものなのに、古さを感じさせない文章にまず驚く。
正確な地図もない未知の山域を歩く喜びが文章の端々から伝わってくるのだ。
そして彼の自然と現地の人々を見つめる眼はあくまでやさしい。
植民地時代の日本人では珍しいことだったと思われる。
なぜ鹿野が戦後の台湾の人々にも尊敬され続けているのかわかる気がした。
この本を魅力的にしているのは、鹿野の文章に加えて、楊南郡氏による注釈とすぐれた解説文である。
これによって、鹿野がどんな人間だったのかを知ることができる。
そしてカバーを含めた装丁のデザインもよくできている。
個人的には鹿野が当時どんな装備で台湾の山や谷を歩いたのか興味があるのだが、
装備がわかるような記述も写真もないのが残念である。
・急行「アルプス」号(2003/2)
急行「アルプス」が2002年12月のダイヤ改正で姿を消したというニュースに、
時代の移り変わりを感じた人が多いことだろう。
筆者もその一人である。
よく夜行列車を使って出かけた頃のことを思うと感慨深いものがある。
1970年代から80年代にかけて、筆者にとって山登りといえば夜行列車で出かけるのが普通だった。
上越の山であれば上越線の夜行普通列車、北アルプス方面であれば急行アルプス、
南アルプスや八ヶ岳であれば中央線の夜行普通列車を使ったものだ。
これらの列車の中でも乗客に占める登山者の割合で考えると、急行アルプスが抜きんでいたのではないだろうか。
70年代の10月の連休前夜、会社の仲間と急行アルプスで北アルプスに出かけた時のことは今でもよく憶えている。
筆者は都内に住んでいるので、乗車はもちろん始発の新宿駅からである。
指定された地下通路に早くから並んだのでなんとか席は確保できたが、
発車のころには列車の通路も人で埋まっていた。
会社の登山仲間の大部分は多摩地区に住んでいたので八王子から乗る者も多かった。
ところが満員の「アルプス」に八王子から乗り込むのは容易ではないのだ。
まともにドアから押し入るのは無理だと判断したある友人は、
筆者が空けた窓から大きなキスリングと共にやっとの思いで車内に乗り込んだのである。
今では想像出来ない光景だった。
だいたい窓が明けられるタイプの車両が急行アルプスに使われていたのは、もうかなり昔の話になってしまった。
山登りが中高年主体になり、移動手段が多様化し贅沢になった昨今、
急行「アルプス」の廃止は一つの時代の終わりを意味しているのだろう。