諸事雑感 山・蝶・・・(〜2002年)

・登山口から頂上が見える山、見えない山(2002/12)
 登山口から頂上が見えていると、これから歩く行程がなんとなく想像でき予測できるので、 心の準備ができる。 登山口はもとより登山道から始終頂上が見える山の代表格は富士山だろう。 しかし、富士山を登ったことのある人には、 見えていながらなかなか近づかない頂上に疲れが増すという意見が多くて、 この場合は頂上が見えることの評判はあまりよくない。 天候がよくても最後まで頂上が見えない山は、樹木に被われた山に多いようだ。 このような山では、思いがけないときにひょっこり頂上に出ることがあり、 うれしくなるときがある。 また、途中まで山頂が見えず、かなり歩いた末にようやく山の全貌が見渡せる山もある。 有名なところではニペソツ山があり、筆者が2002年に歩いた山では、10月の会津朝日岳がそのような山だった。 登山口からは山頂が見えず、 叶ノ高手というピークに達してようやく岸壁をまとったけっこう迫力のある上半部が姿を現す。 こういう劇的な演出もいいものである。

・山で知人に会う(続)(2002/10)
 8月に「山で知人に会う」と題して、 あまり多くはないが、山で偶然に知人に会うことがあり、 今年はそれが2度もあったということを書いたら、 なんと10月に祝瓶山の登山道で会社の山仲間のTさんとばったり出会い、 2002年は3度も山で知人と会うという珍しい年になった。

・山で知人に会う(2002/8)
 長年登山を続けていると、登山中に思いがけない所で偶然に知人に会うことがある。 この数年間で思い出せるだけでも3回あった。 1回は箱根の神山を下山中に反対側から登ってくる知人に出会った。 もう1回は山梨県の九鬼山の頂上で、あとから登って来た友人に出会った。 このときはハイキング仲間と昼食を取っている最中という絶好のタイミングだったので、 ワインの勢いもあって昼食が大いに盛り上がった。 一番最近では、7月に湯ノ丸高原の烏帽子岳に登山中に、下りてくる同じ会社の知人とばったり遭遇した。 同じ山に何回も通っている人にとってはもっと頻繁に出会いの機会があるだろうし、 岩登りをやっている人も、対象となるルートが限られているので、知人に会う確率が高くなると思うが、 筆者のように、同じ山に繰り返し登ることが少ない者にとっては不思議なことである。 だいたい、街中で偶然に知人に会うことがほとんどないのだからなおさらである。
 山の中でなくても登山の行き帰りの駅や列車の中で知人に出会うことが、 だいぶ前にはときどきあったが、最近の例は思い出せない。 もっぱら夜行列車を使って登山に出かけていた頃は、 新宿駅の急行「アルプス」の待合場所やホームで時々知人と偶然に顔を合わせ、 お互いに缶ビールを差し入れしたりしたものである。
 ここまでは2002年7月中旬に書いた文章だが、 その月の下旬に東北地方の山を歩いたときに、岩手県の五葉山という全国的にはマイナーな山で、 会社の山仲間のHさん家族とばったり出会い、お互いの山行計画を知らなかったのでびっくりした。
 というわけで2002年の7月は2回も予期しない山での出会いがあった。

・登山靴(2002/6)
 私が普段使っている登山靴は、「AKU」のローカットでゴアテックスを使った商品である。 その前は、同じような構造の「SCARPA」を履いていた。 これらの靴は、本格的な登山用に作られてはいないが、 幕営山行の重い荷物の時も含め、雪山と沢登り以外はいつもこの靴を履いて出かける。 底が硬いから足裏が疲れないし、なにより軽快感がいいのだ。 この靴一足で、登山の合間に地方の町を歩くのも違和感がないし、 レンタカーも運転できる。
 だが、道具しての愛着という点では今一つである。 皮の靴のように、履きこむほどになじんで風格がでてくるわけではないので仕方ない。
 思い起こせば、最初に履いた登山靴は、大学の探検部に入部したときに購入した重厚な皮製のものだった。 皮は硬くて重く、靴ずれがしやすく決して履き心地がいいとは言えなかったが、 これを履いて歩くと、いっぱしの登山者になった気分で、ハイカーとは違うんだぞという気持ちになったものだ。 登山だけではなく、 青木が原の樹海や鍾乳洞など今風に言うところのアウトドア活動のほとんどすべてにこの登山靴を履いてでかけたものである。 本土復帰前の西表島のジャングルを仲間川から浦内川をつないで踏破後、 南海岸の海に迫った断崖を避けてサンゴ礁の中をこの登山靴で歩いたこともある。 本来の使われ方をされなかった登山靴にとっては迷惑だったに違いないが、学生の私にとってはありがたい万能靴であった。
 社会人になって本格的な登山を始めてからは、目的別に登山靴を持つようになり、 いくつかの登山靴を履きつぶした。 しかし、どういうわけか学生時代に履いた最初の登山靴ほどには印象に残っていないのである。  

・「ヶ」とはなんだろう?(2002/5)
 山の名前で、槍ヶ岳のように、「が」の発音を「ヶ」と書く例がたくさんある。  槍ヶ岳、駒ヶ岳、経ヶ岳、笹ヶ峰、爺ヶ岳、笠ヶ岳、塔ヶ岳、畦ヶ丸、美ヶ原など枚挙にいとまがないくらいだ。  「ヶ」は片仮名ではなく「箇」の略字だと言う説があり、 一ヶ月、五ヶ年、一ヶ所など数字と組み合わせる場合は、 発音も「か」なのでなるほどとも思うのだが、 地名の場合にはこの説を当てはめるのは無理なような気がする。
 最近は山の名の「ヶ」を、「が」もしくは「ガ」と表記することが一般化しているようなので、 筆者のウエブページでも表題には原則として「ガ」を使っている。 しかし、「ガ」を使うことになんとなくしっくりしないものがある。 地名に「ヶ」が使われるにいたった経緯に興味がわいて来る。

・忘れ物(2002/4)
 誰かがどこかに書いていたことだが、車で出かけるときに忘れものをすることが、 筆者の場合も多いように思う。  最近では、2001年の10月に車で泉ガ岳と船形山を回ったとき、 幕営するつもりでキャンプ道具一式を車に積みこんだはずが、 肝心の寝袋を忘れてしまった。  それに気がついたのが、東北自動車道をだいぶ走ってからだったので、引き返す気にもなれず、 その晩は車の中でフライシートにくるまって寝た。  そのほかにも、蝶の採集に行くのにネットを忘れたり、登山靴や時計を忘れたりと、 記憶に残っているのは車で出かけたときばかりである。  原因は、荷物をいちいち整理しないで、 複数のバッグや紙袋に荷物を適当につっこんで車に積みこむことにあるようだ。  ということは不要なものも持っていくことになり、必要なものを忘れるということが起こる。  かといって、電車で出かけるときのように荷物をきっちりとザックに詰めこむのでは、 車を利用する意味が薄れてしまうと思っているので、 これからも車利用のときは忘れ物をしそうな気がする。

・地図の保管(2002/2)
 私は地図が好きである。  登山や蝶の観察に出かけるときは、かならず国土地理院発行の地形図を持っていく。  地図を見て現在位置が確認できると安心するのである。  沢登りの時に「二万五千分の一」地形図を持っていく以外は、もっぽら「五万分の一」地形図を持って出かける。  長年にわたって全国の山を巡っていると、自然と地図の数も増えてくる。  初めての地域の地図に加えて、以前購入した地図も何年も経つと実用にならなくなることがあり、 そのときは買い足さなくてはならない。  もちろん古い地図は処分できない。  歩いたルートを赤鉛筆で記入するのが登山を始めた頃からの習慣だからだ。
 地域別にファイルして整理しているのだが、必要な地図を探すのに時間がかかるようになってきた。  すぐに必要な地図を取り出せるよい保管方法がないものかと考えているのだが、いまだによい方法がみつからない。

・登山のスタイル
 筆者が本格的に登山を始めたのは社会人になってからである。
 始めた当初は、岩登り、冬山、沢登りとあらゆるスタイルの山登りを気のあった仲間と一緒に楽しんでいたが、 最近は夏から秋にかけての登山に限られて来ている。  それももっぱら一般道からの登山になってしまったのは、我ながら少し軟弱になったと思っている。  言い訳としては、蝶の趣味との棲み分けである。  春から初夏までの残雪と新緑の山も魅力的なのだが、困ったことに同じ時期に多くの蝶も成虫となって野山を 舞うので、近頃こちらを追いかけるのが優先となってしまっている。
 ただし登山について一貫して変わらないのは、個人が自分の意志で自然と対話する遊びだという考えである。  自然に触れるのが目的なのだから、状況が変われば臨機応変に予定も変更したい。  であるから、自分の意思が反映されない大人数登山は好まないし、ましてツアーに参加して山に登る気もない。 (少なくとも国内の山では)
 他人の立ててくれた計画に乗ってただ人の後にくっついて歩くというのは、私の考える登山とは相容れない。

・北海道の山の魅力
 近年、夏休みに北海道の山を登りに行くことが多い。  7、8月の盛夏に登りたい山となると、筆者の好みでは国内では北アルプスか北海道、東北の山になる。  北アルプスは学校が夏休みに入ると、有名なルートは人が列をなし、山小屋は大変な混雑となる。  山に行ってまで、都会と同じような混雑を味わいたくないというのが最近の筆者の気持ちである。  それに対し、北海道の山は大雪、利尻など百名山に含まれる一部の山を除けば、夏でも人が少ない。  もちろん、北海道の山は北アルプスとは異なり、剣岳や穂高のような大規模な岩場は期待出来ない。  その代わり、周囲の森林を含めて山の原始性が比較的よく保たれている。  また、登山道に必要以上の看板、標識がないのも好ましい。  2001年夏に登った余市岳も、小樽の近くにあり手軽に日帰りできる山なので、 週末には多くの登山者で賑わいそうだが、  登山道に過剰な案内板や道標がないのがよかった。  北海道の山のように自然が多く残っている山では、 登山者にも地図を片手に現在位置を確認しながら登る楽しみが残されていたほうがよいと思う。
 無人のきれいな山小屋が各地にあるのも北海道の山の魅力の一つである。  筆者が知っているだけでも、ペテガリ山荘、神威山荘、札内ヒュッテ、 天塩岳ヒュッテなどこぎれいな無人の小屋が各地にあり、 登山の基地として快適に夜を過ごせるのはありがたい。  もっとも維持、管理している地元自治体にとっては、かなりの出費になっていると想像されるが。

・交通手段
 筆者が本格的に登山を始めた1970年代と今では、国内の登山目的に使う移動手段がまるで変わってしまった。
 1970年代に、山に出かけるといえば、 普通は列車とバス又はタクシーを乗り継いで登山口に向かうものだった。  それでも、長距離列車の多くが東京始発であるため、東京に住む者にとって、 列車で北アルプスや上越、東北の山々に出かけるのに特に不自由を感じることはなかった。  ところが、利用者の少ない普通夜行列車と地方ローカル線および地方のバスの本数が減ってしまい、 いつのまにか状況は一変した。  たとえば谷川岳には、夜行普通列車で土合駅まで行き、 長いトンネルの中の階段を登って暗いうちに登山口に着くのが常識だった。  その夜行普通列車が廃止され、高速道路と地方の道路が整備され出してからは、 人数がまとまれば費用が安くつくこともあって、 公共の交通の便が良い山にも多くの人が自家用車を使って登山口まで行くようになった。
 登山にかぎらず移動手段に車を利用する者が多くなれば、週末の道路渋滞も日常化するし、 排気ガスなどの環境への影響も問題になる。  又、道路の混雑を解消するための道路建設には膨大なお金が必要になる。  近年、車社会のもたらした便利さの反面、負の面も浮かび上がってきたわけである。  車の利用者の中に占める登山者の割合はごくわずかに違いないが、自然の恩恵を受けに山に入る登山者は、 便利というだけで車を使用し続けることに再考すべき時期に来ているようだ。
 筆者はもともと列車の旅行も好きである。  便利さでは車に負けるかもしれないが、列車には車にない良さがある。  登山を終えて家に帰る列車の中で、 その日の山のことを反芻しながらの飲むビールの味は格別である。  一人で車を運転して帰るとなるとそうはいかない。
 交通の便の悪い山へのアプローチや、 蝶の観察、撮影の目的には車の便利さの誘惑に負けてしまうことが多いが、 これからも登山には出来るだけ列車を使うつもりである。

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