私の前にある鍋とお釜と燃える火と   石垣 りん

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    kirihosi 

割り干し大根の煮もの

 

私はおばあちゃん子で、家事全般を祖母に習った。

といっても高校時代までだけど。

学生時代、先生の奥様に得意な料理を聞かれて、

こんにゃくの白和えです、と答えたことがあった。

今も、こういう惣菜をつくるとき、祖母が傍らにいるのを感じる。

母の手料理を知らない私だけれど、祖母や曾祖母、

そのまた母と同じ味付けをしているんだろうなあ。

 

この詩を読んで胸が熱くなった。

石垣りんさんとは比べようもないへなちょこな私、

その日常もまたへなちょこだが、私なりに、                           

「それらなつかしい器物の前で

お芋や、肉を料理するように

深い思いをこめて・・・・・・勉強しよう、」

と思った。

 

 トット

それはながい間

私たち女のまえに いつも置かれてあったもの、

 

自分の力にかなう ほどよい大きさの鍋や

お米がぶつぶつとふくらんで 光り出すに都合のいい釜や

劫初からうけつがれた火のほてりの前には

母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

 

その人たちは どれほどの愛や誠実の分量を

これらの器物にそそぎ入れたことだろう、

ある時はそれが赤いにんじんだったり くろい昆布だったり

たたきつぶされた魚だったり

 

台所では いつも正確に朝昼晩への用意がなされ

用意の前にはいつも幾たりかの あたたかい膝や手が並んでいた。

 

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて

どうして女がいそいそと炊事など 繰り返せたろう?

それはたゆみないいつくしみ 無意識なまでに日常化した奉仕の姿。

 

炊事が奇しくも分けられた 女の役目であったのは

不幸なこととは思われない、

そのために知識や、世間での地位が たちおくれたとしても

おそくはない

私たちの前にあるものは 鍋とお釜と、燃える火と

 

それらなつかしい器物の前で お芋や、肉を料理するよ うに

深い思いをこめて 政治や経済や文学も勉強しよう、

 

それはおごりや栄達のためでなく 

全部が 人間のために供せられるように

全部が 愛情の対象であって励むように