レールバスが野辺地〜七戸間20.5kmを、コトコト走っていた南部縦貫鉄道。
その歴史は、メルンヘンチックなレールバスとは裏腹に苦難の連続であった。

東北本線のルートからはずれた七戸町をはじめとする、
旧陸羽街道沿いの市町村の、鉄道敷設運動の盛り上がりと、
天馬林村にあった、山砂鉄の砂鉄精錬(むつ製鉄)の貨物輸送を見込んで、
昭和28年に敷設免許(千曳〜三本木間)を取り、南部縦貫鉄道を設立する。
東北開発の資本援助を受けながら、千曳〜七戸間(15.5Km)が昭和37年10月20日に開通する。

しかし、その砂鉄精錬プロジェクトは計画半ばで頓挫。
砂鉄輸送も、白紙となってしまいました。
開通後すぐに、収入の柱を失った南部縦貫鉄道は、
昭和41年5月に会社更生法の申請をする事態に陥り、
以後、沿線自治体がバックアップしていく事となる。

昭和43年5月16日、十勝沖地震による被害で全線運休。
同様のダメージを受けた南部鉄道は廃止となったが、南部縦貫鉄道は不屈の精神で全面復旧。

東北本線の複線電化時には、路線付け替えにより、国鉄線との接続が断たれる問題に直面するが、
千曳〜野辺地の旧線を借りうける形で、この危機を脱する。
(昭和43年8月5日、千曳〜野辺地間開通))

平成9年、皮肉なことに、その路線の貸与期間が切れ、
国鉄清算事業団より返還、または買取の請求を迫られる事となる。
乗客の減少、そして施設、車輛の老朽化が著しいこともあり、
存続することは困難であるとの結論に至り、
平成9年5月5日をもって、鉄道事業からの撤退となる。

そのまま、鉄道線は廃止にする予定であったが、
地元・鉄道ファンからの要望により、路線は一時休止という措置が取られ、
同時に、新幹線連絡鉄道としての道を模索する事になる。
しかし、具体的な解決案が出ないまま、平成13年6月、ついに、「路線廃止」が決定した。

南部縦貫鉄道は、鉄道の赤字を副業で穴埋めする事により、路線の存続を図ってきた。
その苦労は、並々ならぬことであったに違いない。
本当に頭の下がる思いである。

最後まで”夢と希望”を抱き、走り続けた南部縦貫鉄道。
ご苦労様でした・・・

昭和62年8月、11月、そして昭和63年3月。
南部縦貫鉄道を訪問した時の写真で、南部縦貫鉄道の思い出を振り返ろうと思います。

 南部縦貫鉄道 No.1