越後交通長岡線。その歴史は古く、寺泊〜与坂間(16.8km)長岡鉄道としての開業が、大正4年10月である。
     大正5年1月、与坂〜西長岡(14.8km)、大正10年11月、西長岡〜来迎寺(7.6km)が、開通している。
     昭和27年11月に、全線電化され、昭和35年10月に中越自動車、栃尾電鉄、長岡鉄道の3社が合併し、
     越後交通長岡線となった。

     昭和48年4月に、旅客営業は廃止された後も、貨物列車だけが来迎寺〜西長岡で、細々と運行されていた。
     その貨物営業も、平成7年3月31日をもって、廃止されている。

     訪問時、貨物列車が運行されているか、あまり定かではなかったが、
     私のバイブルである、RM誌において、越後交通の紹介があった。
     その情報によると、定期の運行ではなく、”ウヤ”になることが充分に予想された。
     しかし、どうしても元定山渓のED5100の走る姿が見たくて、青春18を片手にムーンラートで出撃したのである。
     
     来迎寺に着いて、愕然とした。貨物の姿が、どこにも無い!!
     「こりゃ、やられたな・・・」その時は、やり場のない悔しさで一杯。
     「貨物が来るまで時間がある。もしかしたら、直前になって来迎寺に来るのかもしれない・・・」
     かすかな期待を抱き、渋海川の撮影ポイントへ向けて、トボトボと歩き出した。
    
     (1992年1月に訪問した、越後交通長岡線の風景を、写真で振り返りたいと思います。)


越後交通 長岡線No.1