C108の経歴を簡単に振り返りたい。

昭和5年、国鉄標準タンク三兄弟(C10,C11,C12)の長兄としてデビュー。
昭和7年に、C11の製造が始ったことで、23両という少数生産にとどまった。
C11との外観の差異は、リベットが多用されている事ぐらいである。

C108は、川崎車輛で昭和5年に誕生した。
まず大宮機関区に配属され、以後高崎、仙台、盛岡と転々とし、
昭和37年、会津若松機関区を最後に、国鉄での勤めを終える。
その後、岩手県宮古市にある、ラサ工業に譲渡され、入換機として活躍した。
DLの入線で、昭和51年4月に休車となり、昭和61年11月に用途廃止となるまで、
予備車として、大事に保管されてきた。

臨港線を使った観光鉄道の計画が持ち上がり、
昭和62年3月に宮古市に譲渡される。
SL「しおかぜ号」として、「SLリアス線」にて同年7月に運用開始。
しかし、観光客の集客が期待を大きく下回り、平成2年1月に運転終了。

蒸気機関車の運転で実績のある、大井川鉄道への譲渡が決まり、
平成6年4月、C11、C12の待つ大井川へ入線。
以後、運輸省の認可待ち等で静態状態が続いたが、平成9年10月に運用開始。
SL急行「かわね路号」の第一線として、今日も元気に煙をあげている。


宮古のC108 No.2