TKK KANAYAMA’S OFFICIAL HOMEPAGE .
KANAYAMA’S GUIDE TO JAPAN :
THE FALL OF THE GREAT EMPIRE OF JAPAN.
BILINGUAL
TKK カナヤマ オフィシャル ホームページ 。
カナヤマの日本ガイド:
大日本帝国の滅亡。
2カ国語
■ RENEWED ON SEPT.23, 2007.
■ 更新日 2007.9.23.
■ Copyright(C) TKK Kanayama 1999−. All Rights Reserved.
THE FALL OF THE GREAT
EMPIRE OF JAPAN.
PLEASE CHOOSE AND CLICK THE FOLLOWING .
□ THE FALL OF THE GREAT EMPIRE
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■ A TABLE OF UPPER WEB SITES.
(KOH) Kanayama’s Official Homepage > (CSE) Citizens of the Same Earth >
(KGJ) Kanayama’s Guide on Japan >
Kanayama’s Handbook of Japanese History >
AMAZING FACTS IN JAPANESE HISTORY >
the Fall of the Great Empire of Japan >
This English Page .
■ AN ABBREVIATION TABLE OF KANAYAMA’S MAIN HOMEPAGES.
KOH CSE UCF CCF HCF QGN TTFW TTWH AWM KGJ RH I MB KE
KCTS KH IB KWDB KCB GIMEH ETCSS GIMJH JTCSS LKOH JP
□ THE EXPLANATORY NOTE OF ABBREVIATED NAMES
□ BACK TO MENU (TABLE OF CONTENTS).
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EMPIRE OF JAPAN (1868−1945).
■ AT THE END OF THE 2ND WORLD WAR,
THE JAPANESE GOVERNMENT ANNOUNCED TO
LISTEN TO THE RADIO ON AUGUST 15, 1945,
TO ALL THE JAPANESE PEOPLE IN JAPAN
AND JAPANESE COLONIES .
● ON THE DAY (AUGUST 15,1945), MOST
JAPANESE STOOD UP IN FRONT OF THE RADIO
AND LISTENED TO THE RADIO.
ON THE RADIO THE JAPANESE EMPEROR
HIROHITO SPOKE TO THE JAPANESE PEOPLE
TO SURRENDER TO THE ENEMY, THE
ALLIED FORCES .
▲ A SCENE WHERE JAPNANESE PEOPLE WERE
SOBBING BITTERLY ON AUGUST 15,1945, WHEN
JAPANANESE PEOPLE KNEW THE WAR DEFEAT OF
JAPAN.
● SOME JAPANESE SOBBED BITTERLY AND
SOME JAPANESE WENT NEARLY MAD WITH GRIEF .
BECAUSE MOST JAPANESE BELIEVED
JAPAN WAS NEVER DEFEATED IN THE WAR. AND
A PART OF JAPANESE WERE GOING
TO DIE IN THE WAR IF THE ENEMY, ALLIED FORCES
LANDED ON THE MAINLAND OF JAPAN .
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■ AT LAST THE GREAT EMPIRE OF JAPAN FELL
DOWN IN 1945 .
● MORE THAN 3 MILLION JAPANESE SOLDIERS
AND CIVILIANS DIED IN THE WAR OF THE JAPANESE−
CHINESE WAR (1937−1945), AND 2ND WORLD
WAR (THE PACIFIC WAR 1941−1945) . MANY
MANY JAPANESE WERE WOUNDED. JAPAN’S MAIN
CITIES WERE BURNED TO THE GROUND BY US
PLANE’S AIR RAID. THERE WERE ALMOST NO
FOOD AND NO HOUSES IN CITIES AT THAT TIME .
▲ A SCENE AFTER AIR RAID IN A CITY OF JAPAN
IN 1945. MANY CITIES WERE BURNED TO THE
GROUND BY US PLANE’S AIR RAID IN 1945.
● ALMOST ALL THE THINGS AND RESULTS
SINCE THE ME IJI RESTORATION (1841−1877)
WERE LOST . ALL THE COLONIES AND SOCIAL
SYSTEMS SINCE THEN, WERE LOST.
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THE JAPANESE EMPIRE .
■ THE JAPANESE EMPIRE WAS RUINED !
WHY DID SUCH A THING HAPPEN ?
■ BECAUSE THE JAPANESE PEOPLE COULD NOT
CONTROL THE JAPANESE ARMED FORCES .
● THE GREAT EMPIRE OF JAPAN WAS
ESTABLISHED IN 1868. THE EMPEROR MUTSUHITO
(THE EMPEROR MEIJI) DECLARED TO ESTABLISH IT .
AND JAPANESE PEOPLE AIMED AT BUILDING A
WEALTHY AND STRONG COUNTRY AT THAT TIME .
THE JAPANESE LEADERS ESTABLISHED STRONG
FORCES TO PROTECT JAPAN . BUT AT THE SAME
TIME THEY THOUGHT THEY NEEDED RESOURCES
AND MARKET IN ORDER TO DEVELOP JAPAN.
SO, THEY BAGAN TO INVADE OTHER COUNTRIES
AND HAD COLONIES LIKE BRITAIN,FRANCE,
GERMANY,RUSSSIA AND UNITED STATES.
● IN THE BEGINNING, THE JAPANESE GOVERNMENT
COULD CONTROL THE JAPANESE ARMED FORCES.
BUT, AFTER JAPAN WON THE SINO−JAPANESE
WAR AND RUSSISAN−JAPANESE WAR, THE
OFFICERS OF THE JAPANESE FORCES DID NOT
OBEY THE JAPANESE GOVERMENT AND
THE OFFICERS OF THE JAPANESE FORCES BEGAN
TO HAVE THEIR OWN WAY.
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● FROM THE 1930’S,THE PRIME MINISTER ELECTED
BY THE PARLIAMENT, COULD NOT CONTROL
THE OFFICERS OF THE JAPANESE FORCES
ANY MORE . THE OFFICERS OBEYED ONLY THE
EMPEROR.
THE OFFICERS OF THE JAPANESE FORCES INVADED
OTHER COUNTRIES REMARKABLY, WITHOUT THE
PERMISSION OF THE JAPANESE GOVERNMENT
AND WITHOUT LISTENING TO THE VOICES OF
JAPANESE PEOPLE . THE JAPANESE PEOPLE AGAINST
THE INVADING WAR WERE QUESTIONED, TORTURED
AND KILLED BY THE MILLITARY POLICE .
NOBODY COULD STOP THE INVADING WAR.
● IN THE EARLY 1940’S, THE JAPANESE FORCES
RULED JAPAN AND JAPANESE PEOPLE .
THE OFFICERS OF THE JAPANESE FORCES
TRIED TO USE ALL THE JAPANESE PEOPLE
IN ORDER TO WIN THE INVADING WAR.
THE OFFICERS OF THE JAPANESE FORCES
HAD RUN WILD.
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● IN AUGUST,1945, THE EMPEROR HIROHITO
DID NOT WANT TO CONTINUE THE INVADING WAR
ANY MORE, AFTER THE ATOMIC BOMBING OF
HIROSHIMA (AUGUST 6,1945) AND NAGASAKI
(AUGUST 9,1945) AND HE ANNOUNCED
THE JAPANESE PEOPLE TO SURRENDER TO
THE U.S.CENTERING ALLIED FORCES.
■ AFTER THE WAR, MOST JAPANESE PEOPLE
HAVE THOUGHT THAT THEY MUST ESTABLISH A
PEACEFUL AND WEALTHY COUNTRY AND MUST
CONTROL THE SELF−DEFENCE ARMED FORCES
AND THE JAPANESE PEOPLE ENACTED THE
PEACEFUL AND DEMOCRATIC CONSTITUTION .
■ NOW JAPAN IS A PEACEFUL AND DEMOCRATIC
COUNTRY.
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‘‘ WHAT HAS REMAINED IN YOUR HEART ? ’’
THANK YOU.
大日本帝国の滅亡。
次の項目を選んで、クリックして下さい。
□ 大日本帝国の滅亡(総合)。
□ 日本国と大日本帝国の違い。
□ 大日本帝国軍の実態。
■ 上位のWEBサイト。
(KOH) カナヤマ オフィシャル ホームページ > (CSE) われら地球市民 >
(KGJ) カナヤマの日本ガイド > カナヤマの日本史ハンドブック >
日本歴史の 驚異の出来事 > 大日本帝国の滅亡 >
日本語ページ 。
■ カナヤマの主要公式ホームページの略語一覧表。
KOH CSE UCF CCF HCF QGN TTFW TTWH AWM KGJ
RH I MB KCTS KE KWDB KASH KPH KANH KHIB
KCB KIOS GIMEH ETCSS GIMJH JTCSS LKOH EP
□ 主要なホームページの略語の説明表 。
● 大日本帝国(1868−1945) は、 1945年の、連合
国軍に対する日本の無条件降伏で、滅亡しました。
● 大日本帝国は、1868年の 睦仁(むつひと)天皇(明治天
皇)の5か条の誓文から、 1945年の 裕仁(ひろひと)天皇
(昭和天皇)の日本の無条件降伏の放送まで、 足掛け78年、
続きました。
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● 現在の日本国は、 日本国憲法 (1946年公布、1947
年施行) をもち、 国民主権、 国民に対し責任を負う政府、
完全な三権分立を持つ、 主権在民の国家です。
● 一方、大日本帝国は、 大日本帝国憲法 (1889年発
布)をもち、 天皇中心の国家だったのです。 日本の天皇を
君主とし、日本国民は君主の臣民とした国家だったのです。
● 天皇が非常大権を持ち、 大日本帝国政府は、国民に
ではなく、 天皇に対し責任を負う、政府だったのです。
帝国議会、帝国裁判所の権限も制約されていました。
不完全な三権分立で、 政府、議会、裁判所の決定も、天
皇が破棄することができました。
● 現在の日本国の自衛隊の最高司令官は、 総理大臣
ですが、 大日本帝国では、 天皇が軍隊の最高司令官
であり、 軍の統帥権を持っていました。
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■ 強い軍隊と過信した日本帝国軍。
● 日本帝国軍の軍幹部は、 その創設以来、 日清・日露
戦争・満州事変等で、 勝利をおさめ、 思い上がり、 世
界有数の強い軍隊と過信してしまったのです。
● 日本帝国軍の軍幹部は、 中国やロシアとの戦争につ
いても、相手が弱くなっていた時期 又は 混乱状態の時
期の相手に戦争を仕掛けて、勝てた とは考えなかった
のです。
● 日清戦争時(1894−95年)、 中国は 満州人支配
で、欧米列強の半植民地状態、不統一、 国内混乱状態
でした。
日露戦争時(1904−5年)、 ロシアは 帝政が弱体化、
国内で革命運動が広まり、 労働者・農民の反乱等 国内
混乱状態でした。
● 日本帝国軍の軍幹部は、 第1次世界大戦(1914〜
1919年)以降の戦争は、 総戦力であり、工業生産力や
資源など国力により、最終的に戦争の勝敗が決まる戦争
であるという認識が少なかったのです。
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■ 空軍を持たなかった日本帝国軍。
● 日本帝国軍の軍幹部は、 近代戦には、空軍が一番重要
とは考えず、 海軍や陸軍に 重点を置いてしまいました。
空軍はありませんでした。 空母を沢山作らず、多くの飛行機
は、陸軍か海軍に所属していました。
制空権を取るものが戦争を制するとは思わなかったのです。
● 戦闘機と爆撃機での航空隊で、輸送機が少なかったのです。
機動的な輸送機の大航空隊もありませんでした。
空母も少なく、97式艦上戦闘機、ゼロ戦等の当時優秀な戦闘
機を持っていながら、飛行機を沢山運ぶ、空母の数が少なかっ
たのです。
□ メ ニュー へ戻る。
■ 分裂していた日本帝国軍。
● 海軍と陸軍の独自行動。
● 海軍と陸軍は仲が悪く、 各軍が、しばしば、独自に作
戦を遂行し、協力しないこともありました。
海軍と陸軍の 情報交換も共同作戦行動も スムーズに
行われなかったのです。 大本営陸海軍本部内でも、陸軍
と海軍が、対立することが多かったのです。
□ メ ニュー へ戻る。
■ 国民や一般兵士に無責任な
日本帝国軍。
● 戦前の日本の軍隊の、日本帝国軍は、 皇軍と称し、 天皇
の軍隊であり、 天皇に対し責任を負い、国民に対し責任を
負いませんでした。 徴兵制により、赤紙を通 知し、いくらでも
兵士を集めることができました。
国民の命を考えず、戦死者や戦傷者に対し、責任を負いま
せんでした。 国民の人権を無視していたのです。
● 軍人勅諭でもわかるように、 日本帝国軍の軍幹部は、
軍隊は国民の為にではなく、天皇の為にあると考えていまし
た。 国民の幸福ではなく、天皇家の幸福を願ってい たので
す。 日本帝国軍の軍幹部は、 国民や一般兵士 に無責任
だったのです。
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■ 極端な精神主義。
● 日本帝国軍の軍幹部は、極端な精神主義をとりました。
一般兵士に、ギリギリまでの努力を要求したのです。
無謀な突撃命令を出したり、 余裕を持たせず、前線の
一般兵士の気力、体力を消耗させました。 一般兵士を無
駄死にさせてしまうことが多かったのです。
■ 員数主義。
● また、日本帝国軍の軍幹部は、 員数主義をとり、内容
よりも、 数量を重視しました。
● 軍幹部は、大砲の数、銃の数と数を考え、その性能は
あまり考えなかったのです。 悪い性能の武器でも、うま
く使えば勝てると考えていました。 軍幹部は、 日中戦争
で、中国軍が、他国が援助した自動小銃をもっていたとき、
日本軍は単発銃で戦えると考えたりしました。
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■ 物資補給の軽視。
● 日本帝国軍の軍幹部は、 物資補給を軽視しました。
戦争を継続させる為の物資輸送の 車両や食料・弾薬
を無視して、戦線を拡大しました。
● また、戦争の前線の部隊の幹部は、 よく昇進しましたが、
後方の補給部隊の幹部は、あまり昇進しませんでした。
■ 軍幹部の単独専横行動。
● 軍幹部は、 一般兵士の命を軽視していました。 軍幹
部は、無理・無謀な軍事行動に 一般兵士を使いました。
● 一般兵士が、 作戦について意見を言うことは許されず、
上官の命令には、絶対服従だったのです。 軍幹部の命令
に逆らえば、一般兵士は厳しい刑罰を科せられるか、銃殺
されました。
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■ インパール作戦。
● 太平洋戦争で、1944年、 東南アジアの ビルマ戦線
(ミャンマー戦線) でのインパール作戦では、無理な強硬手
段をとり、ビルマ(ミャンマー)からインドへの道路は、 白
骨街道と呼ばれ、 日本人の3万人もの兵士を 、この1つの
作戦だけで、 無駄死にさせてしまいました。
● 日本帝国軍の軍幹部は、食料・弾薬の補給をせず、ビル
マ(ミャンマー)より、 敵地のインドに一般兵士を向かわせ
てしまったのです。
その作戦の司令官や幹部は、作戦の失敗後、軽い処分で
すんでしまいました。 一般兵士の命の軽さがよくわかります。
□ メ ニュー へ戻る。
■ 満州の日本人民間人の悲劇。
● 満州(中国東北部)では、 1945年(昭和20年)、日本
帝国軍は、 ソ連軍の侵入を察知していたにもかかわらず、
国境付近の満州開拓団の日本人を避難させず、 日本帝
国軍は、 満州(中国東北部)の北部・中部にいた日本人を
助けず、 傍観し、 防衛線を満州の南部に置き、主力部隊
を南部へ撤退させてしまいました(逃げてしまったのです)。
● そのとき、軍幹部の命令により、 日本帝国軍の軍隊は、
満州北部・中部にいた満州開拓民その他日本人の民間人
を助けず、保護せず、置き去りにして、 さっさと主力部隊を
満州南部へ撤退してしまったのです。
● そのため、日本人の民間人は、 逃げ切れず、集団自決
等の自殺をしたり、 ソ連兵や中国人に殺されたり、日本人
の女性や子供は、ソ連兵や現地の中国人に捕まったり、犯さ
れたり、売られたりする悲劇が起こりました。 満州の日本人
孤児の問題は有名です。
★ 関連映画
「 大地の子 」 (1995年NHKテレビドラマ)。
□ メ ニュー へ戻る。
■ 三光作戦。
● 中国の華北(北支)では、 日中戦争中、日本帝国軍の
「大掃討作戦」 (中国側はこれを「三光作戦」と呼びました)
が、行われました。 華北を支配する為、 占領地拡大の為、
徹底的な掃討作戦が行われました。
● 軍幹部の命令により、ゲリラ掃討作戦の名のもとに、華
北の村々は焼かれ、 中国人を 見つけ次第殺す、 女性
は犯す、 物は奪う、 家は焼く 等の蛮行を行いました。
● 残虐行為を拒んだ日本人一般兵士は、厳しい処分を受け
るか銃殺されました。 毒ガスその他生物化学兵器も使われ
ました。 このとき、沢山の中国人の民間人が殺されました。
● 現代中国では、学校で、新世代の中国人に三光作戦の
ことを教えています。 決して、忘れない為に。
■ 捕虜になる前に自決を強要。
● 太平洋戦争の戦地の各地では、日本帝国軍の軍幹部は、
敵が攻めてきたとき、日本人の一般兵士や民間人に、敵に
る捕まる前に自決(自殺)するように強要し、多くの日本人が
敵に捕まる前に自決(自殺)しました。 捕虜になることを
を恥と考えたからです。
□ メ ニュー へ戻る。
● 戦争の被害者であると同時に加害者である日本人。
● 日中戦争や太平洋戦争では、日本人は、 原爆投下され
る等被害者であると同時に、一方で、加害者でもあることを
忘れてはなりません。
日本人は、 被害者意識だけでなく、加害者意識をもつ必
要があります。 日本軍が、 敵兵だけでなく、東アジア、
東南アジア、太平洋地域の 現地の民間人を 多数、殺戮、
負傷させたからです。
● 軍幹部の命令により、日本帝国軍は、 アジア太平洋地
域の、 現地の民間人の強制労働、殺戮、 財産の剥奪・略
奪、婦女暴行、従軍慰安婦、その他の蛮行を行いました。
軍幹部の命令に逆らえず、日本人の一般兵士は蛮行を強制
され、実行しました。
南京大虐殺(1937年、10万人虐殺)その他多くの事例
があります。
● 日中戦争や太平洋戦争中、戦地の各地では、東アジア、
東南アジア、太平洋地域で、 日本帝国軍の蛮行が行われ
ました。 現在、それらの地域の国の学校で、 新世代の
子供達に 「日本軍の民間人への残虐行為」 が 教えら
れています。 決して、忘れない為に。
● また、日本帝国軍の軍幹部は、命令に逆らった一般兵士
や戦地での蛮行を拒否した一般兵士に対し、 厳しい刑罰
を科したり、 銃殺したりしました。 戦後、日本に帰還し
た日本人の旧兵士の一部には、 軍幹部の命令に逆らえず、
この蛮行を行った事を悔いている人が、沢山います。
□ メ ニュー へ戻る。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上