『想いは言葉に乗せて』


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十三*想いは言葉に乗せて(後編)



「お疲れさ……ま」

 開いた扉の向こうに、巡が立っていた。

「奏乃」

 いつか見た、切ない表情をした巡がそこに立っていた。一歩中に入り、後ろ手に扉を閉める。わたしは動くことが出来なくて、巡をじっと見つめていた。
 もしかして、篠原先生に告白して……ダメ、だったのかな?
 巡はボタンをすべて奪われたジャケットの前を開けたまま、わたしに近寄ってくる。
 こんなに近くで巡を見るのは、いつ以来だろう。巡を見ていたら、目の前で止まった。

「……これ」

 巡はわたしに拳を突き出してきた。反射的に手のひらを出した。
 巡はわたしの手を両手でそっと挟み、なにかを置いた。わたしの手を覆っていた巡の手が避けられ、手のひらが見える。

「…………」

 手のひらの上には、ボタンが一つ。

「……それ、オレの制服の第二ボタン」

 ボタンを見て、ゆっくりと巡を見る。

「……巡?」

 巡を見ると、真っ赤になって視線を逸らしている。
 ポケットから中学生の時にもらったボタンを取り出して、並べてみる。

「あの……今回も、おまじない?」

 巡はわたしの肩をつかみ、じっと見つめてくる。

「奏乃……まさかとは思うけど、おまえ、第二ボタンの意味……」
「え? 知ってるよ? 卒業するときに好きな人の第二ボタンをもらうってヤツでしょ?」

 それくらい、知ってる。巡がもてるってのも知ってるし、中学の時も今日だってボタン争奪戦が繰り広げられたのは知っている。

「え……ちょ、ちょっと、ま、待って?」
「あー! もう待たない! ったく、どれだけ鈍いんだよ!」

 巡は頭をかきむしるといきなりわたしを抱きしめた。

「え、やっ、そのっ、め、巡っ?」

 今までだってこうやって抱きしめられることは多々あった。それはわたしのことをからかっていたことであって──。

「奏乃」

 巡がわたしの名前を呼ぶ。わたしは巡からもらった二つのボタンを握りしめたまま、巡を見る。目の前には、巡の顔。ほんのちょっとでキス出来てしまうほどの距離。

「め、めぐ……」

 巡と言おうとしたところで、唇をふさがれた。柔らかな、だけど緊張のためか冷たくなっている巡の唇。押しつけるようなキス。驚いて、ボタンを握っていた手が緩み、床に落ちる。目の前には、瞳を閉じた巡の顔。
 キスをされているのは分かったけど、訳が分からなくて混乱している。
 だって、巡が好きなのは篠原先生で──。

「オレはな、奏乃っ。おまえのことが好きなんだよ」

 唇が離れたと同時に巡の口からは思いもしていなかった言葉が紡がれた。

「え……。だって巡、篠原先生が好き……なんじゃあ」
「はあ? なんでそこで篠原先生が出てくるんだ?」

 思いっきり呆れた声。

「だって、巡。好きな人がいるって。片想いなんて柄じゃないし、叶わぬ恋なのかと」

 巡は脱力したのか、わたしに身体を預けてきた。

「勘違いしすぎだろう。篠原先生はオレの従姉なんだよ」
「い……従姉?」

 巡はわたしに身体を預けたまま、頭をかきむしっている。

「どこをどう勘違いしたら、オレがあの人のことが好きってなるんだ?」
「だって、オレさまなのに想ってるだけなんてあり得なくて」
「だー! ほんとーに鈍いな、奏乃! オレはこーんなにも好き好きビームを発してるっていうのに、どうして察せないんだ?」
「……なにそれ、好き好きビーム」

 たまに巡独特の言葉について行けない。

「普通、好きな相手に触れたいって思うだろう? あんなにべたべたべたべたしていたのに奏乃は全然だし! 土井先ぱーいってきゃっきゃするし。……まあ、オレも馬鹿だと思うよ。告白しないのかってあおるようなことを言ってさ。土井先輩、もてるから上手くいかないだろう、振られたらオレが慰めてなんて思っていたら上手くいくし!」

 ……はい?

「挙げ句の果てはびーびー泣いてオレのこと、大っ嫌いって。さすがにあれはきつかった!」

 ちょっと待って?

「え……いや、あの」
「想いは伝えないと伝わらないって言ったのは、どこのだれだ?」
「……わ、わたし」
「伝えまくっていたのに伝わらない! オレのこの切ない気持ち、分かる?」

 分からない。

「中学卒業の時も第二ボタンを渡したのに、分かってもらえないし!」

 へ?

「近づきたくて、中学の時に美術部に入ったのに! ほんっとにどんだけ鈍感なんだよ!」

 そうは言うけど。

「……わかんないよ、そんなの」

 思わず、ふくれっ面になって反論してしまう。
 なんなのよ、友和に振られてから今日までのわたしの落ち込んでいた時間を返してっ! だれのせいで落ち込んでいたと思うのよ!

「好きなら好きってはっきり言いなさいよ」
「態度で示していたじゃないか」
「分かるわけないでしょ」

 ずっとからかわれていると思っていた。それにわたしのことは妹だと思っているんだと。はっきりと
「妹」
って言われたし!

「はー……。ほんと、『想いは言葉にしないと伝わらない』んだな」

 巡は大きくため息を吐き、わたしの腰を抱き寄せた。

「きゃっ」

 いつも以上に巡が近くて、悲鳴を上げてしまった。

「奏乃、好きだ」

 顔を見上げると、真剣な表情がそこにあった。

「中学の時から、ずっと奏乃のことが好きだった」
「う……そだ」
「嘘じゃない。近づきたくて美術部に入ったのに全然相手にしてくれないし!」

 だって、巡のせいで色々と大変だったし……。

「絡んでもすぐにあしらわれるし、もー、ほんっと、手強かった!」

 そんなに前からだったなんて、知らなかった。

「分かってもらうまで何度でも言う。奏乃、好きだ」

 巡がわたしのことを、好き?

「いやいや、そんなことないでしょ」
「おいっ、全否定かよ!」
「だって、あり得ないよ。巡がわたしのことを好きなんて」
「本人が好きって言ってるのに、どうして否定してくれるわけ?」

 にわかには信じられない。巡がわたしのことをずっと好きだったなんて。そうだとしたら、わたしは巡にずいぶんとひどいことをたくさんしてきた。だから、巡がわたしを好きなんて、それは絶対におかしい。

「わたし、巡にたくさん、ひどいことをしてきたよ……。好きなんて、変だよ」

 巡はわたしの頬に触れ、キスをしてきた。わたしは慌てて、瞳を閉じる。ついばむように何度かキスをされ、離れた。

「これでもまだ、違うって言い張るのか?」
「嘘ついたらキスするって──」

 巡はしまったという表情をして、口を開く。

「あれは口実に決まってるだろ」
「でも……」
「好きでもないヤツにキスをしたいなんて、よほどの酔狂だろ」

 そうしてまた、キスをされた。

「好きだから抱きしめたいし、キスだってしたいって思うだろ」

 ようやく、巡の言っていることが理解できてきた。

「オレは奏乃が好き。分かってくれたか?」
「う、うん」

 今更ながら、わたしは恥ずかしくて顔が熱くなる。全身が心臓になったかのようにどきどきしている。

「で、奏乃はどうなんだよ?」

 見慣れた意地悪な瞳でわたしを見ている。

「オレのこと、好きなんだろ?」

 予想通りのオレさまな言葉に、思わず吹き出してしまう。

「奏乃は変に頑固だし、素直じゃないところがあるからな。すぐに我慢するし。ほら、遠慮するな。オレが好きなら、好きって言えよ」

 自信たっぷりの巡の言葉に、なんだか素直になれない。

「奏乃、好きだ。ほら、奏乃も素直にオレが好きって言えよ」

 気がついたら、教室の壁に押しつけられていた。

「好きって言わなかったら、キスしてやる」

 わたしが口を開く間もなく、巡はキスをしてくる。言っても言わなくても結局、巡はこうやってキスをするのだろう。

「め……」

 口が離れたから名前を呼ぼうとしたら口をふさがれ、口の中になにかを押し込まれた。

「んー!」

 ぬめりをもったそれに、驚いて目を見開いてしまった。巡も目を開けていて、眼鏡の向こうの瞳は意地悪な中に甘さが見えた。

「巡、あのねっ」

 ようやく唇が離され、再びふさがれる前に名前を呼ぶ。

「わたしも、巡のこと、好──」

 最後まで言い切る前にまた、キスをされた。

「知ってるよ」

 不敵な笑みを浮かべ、巡はわたしを見ている。

「絶対に離さない。オレはしつこいからな」

 そう言うと、巡はわたしをきつく抱きしめた。

「巡、その……今までごめ──」
「言うな。だけどこれから先、よそ見したらただじゃおかないからな」

 そうやって見つめてくる巡は今まで見たことがないくらい甘い表情をしていて、どきどきしてくる。

「前に言っただろ。好きな女と結婚したいって」

 将来の夢を聞いた時、そんなことを言っていた。

「奏乃、覚悟しておけよ」

 その一言に、なんだかとっても大変な人を好きになってしまったような気がしたけど、幸せな気持ちがじわりと心に広がってきた。

「巡、好きだよ」

 わたしのきちんとした告白に、巡は笑みを浮かべ、わたしの唇を優しくふさいだ。

【おわり】


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