『想いは言葉に乗せて』


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一*爽やかな季節の中、想いは募る(後編)



 ぼんやりと作戦会議を見ていたら、競技を開始するホイッスルが鳴り響いた。
 ギャラリーたちの歓声がフィールドに響く。
 試合を見ようとフィールドに視線を戻すと、さらに人が増え、いくら背伸びをしてもフィールド内を見ることができなくなってしまっていた。
 わたしは恨めしい気持ちで巡を見た。

「どうした?」

 わたしより二十センチも背の高い巡は後ろからでもフィールド内が見えるらしい。わたしの表情にすぐになにを言いたいのか察した巡は苦笑する。

「奏乃は見えないのか」
「うー」

 思わず、見上げるような状態で巡をにらみつけてしまう。見えないのは巡のせいではないのは分かっている。だけど悠々と見ることが出来ている巡がうらやましくて、にらんでしまった。

「ったく、分かったよ。見えるところを探そう」
「……ありがと」

 しかし、どう見てもギャラリーだらけでゆっくりと見られるように見えない。

「オレの教室に行くか?」
「……へっ?」

 思いがけない言葉に、ぽかんと口を開けた間抜けな表情で巡を見る。

「奏乃……しまりのない顔だな」

 巡はくくっと喉を鳴らし、さらにはおかしそうに目を細めてわたしを見下ろしている。いつものことだけど、どうしてわたしのことをこんなにからかうわけ?
 むすっとにらみつけてやったけど、童顔なわたしがそんな表情をしたってまったく迫力がない。その証拠に、巡の表情がさらに緩んだ。

「奏乃はほんと、かわいーなっ」

 なんて言って、くすくすと笑い出してしまった。
 ほんとにもうっ、失礼なヤツ!

「もうっ! いい。わたし、帰るっ」

 土井先輩の勇姿を見たかったけど、ここに突っ立っていても見えない。だったら、素直に家に帰った方が良さそうだ。いつもより早いから少し寄り道をして土手を通って、ちょっとデッサンをして帰ってもいいかもしれない。

「悪い、悪い。だって、奏乃があんまりにも面白い顔をするから、つい」
「むー」

 巡はわたしの頭に軽く触れ、ぐっと顔を近づけてきた。

「それでは、お姫さまのために、わが教室をご案内いたしましょうか」

 巡はそう言うと地面に置いていたわたしのかばんも持ち、歩き始めた。

「巡! わたし、帰るって!」
「いいから、ついてこいよ」

 足も長い巡は歩くのも速くて、わたしを残して校舎へと戻っている。わたしは慌ててその後ろを走って追いかけた。
 わたしが追いつくと巡は少し歩調をゆっくりにして、こちらに顔を向けてきた。

「この様子だと教室にも相当な人がいると思うけど、あそこで見るよりはゆっくり見られるよ」

 試合が開始して五分以上経過していると思うけど、歓声はどんどんと大きくなっているし、後から人がやってきているのが分かるほどだ。中には先ほどのわたしのように諦めて帰って行く生徒もいるけど、見に来る人の方が圧倒的に多い。教室の位置によってはフィールドがよく見えるから、この様子で外に出るのを諦めてそこに集まっている人がたくさんいるのは予想がつく。それでも、ここよりはマシだろう。
 靴箱に戻って上履きになり、巡の教室へと向かう。
 ドアは全開になっていて、ここでも歓声が聞こえる。

「メグ。お、彼女連れ? おまえ、彼女作らないのがポリシーって言ってなかったか?」
「そうだよ。こいつは下瀬しもせ奏乃、美術部の後輩で中学からの腐れ縁。彼女じゃない」

 教室に入るなり、巡は声を掛けられていた。

「一年二組の下瀬です、よろしくお願いします」

 わたしは巡に声を掛けてきた人に小さく頭を下げた。

「へー、メグの後輩にこんなかわいい子がいたんだ」

 そういって、巡のクラスメイトは腰を折り曲げてわたしの顔をのぞき込んできた。わたしは驚いて後ずさり、思わず巡の後ろに隠れてしまう。

「野口、初対面でそんなことしたら、驚くだろ」

 巡の苦笑したような声に顔をのぞき込んできた巡のクラスメイト──野口さんと言うらしい──は、今度は巡に顔を近づけた。巡は背を逸らし、野口さんにデコピンを食らわせた。

「ってー」
「暑っ苦しい顔を近づけるなっ」

 そのやりとりに、思わずくすりと笑ってしまう。

「あ、奏乃! 笑ったなっ」

 巡は振り返り、わたしの頬をつかんで引っ張る。

「うわっ、思ったよりほっぺ、柔らかいな」

 ぷにぷにと巡はわたしの頬を楽しそうに引っ張る。

「ひょっと! ひゃめにゃしゃいよっ」

 頬を引っ張られているから、上手くしゃべれない。

「ぶぶっ、おもしれー」

 巡はわたしの頬から手を離し、お腹を抱えて笑い出した。
 巡はいつもこうだ。
 わたしをすぐにこうやってからかう。

「もー」
「悪い、悪い」

 本当に悪いと思っているように感じない言葉に、わたしは思わず唇をとがらせた。すると巡はわたしの唇をつかんできた。

「むぐーっ!」

 わたしは驚いて両腕を振り回し、巡の腕をつかんで唇を挟んでいる手を外させた。

「巡っ! なにすんのよっ」
「なにするって、つかみやすそうな口があったから、つい」

 くくくっと笑い声を上げながら、巡はわたしを見ている。
 さらに文句を言おうとしたら、窓際から歓声が上がった。
 そうだった。
 わたしはサッカー部の練習試合を見るためにここにやってきたのだ。すっかり忘れていた。
 わたしは慌てて窓際に寄る。かろうじて一番端っこから外を見ることが出来た。
 ここからだと美術室から見るより近く見える。
 試合が始まってどれくらい経っているのか分からない。どういう状況なのかも試合の途中からだから分からないけど、かなり盛り上がっているのは分かった。

「赤チーム、惜しかったなぁ」
「今、どういう状況なんだ?」

 巡はわたしの知りたかったことを近くにいる人に聞いてくれた。

「お、メグ。いいところに来たな。すごいぜ、今。一対一で拮抗してるんだよ。このままだとPK戦になるかもな」

 見る場所を探しているうちにいつの間にか時間が経ってしまっていたようだ。

「ってか、サッカーって試合時間、どれだけなの?」

 基本的なことが分かってないわたしは思わず、そんな質問をしてしまっていた。

「サッカーは前後半に分けて行われて、各四十五分、合計九十分だ」
「ほへー」

 巡はなんでも知っていて、わたしの質問にすぐに答えてくれる。

「練習試合だからたぶん、四十五分で終わりにするだろ。で、勝負がつきそうにないから、PK戦で決める、と」

 勝敗を教えてくれた彼はどうぞ、とわたしに場所を譲ってくれた。

「あ……すみません、ありがとうございます」
「いいよ、気にしないで。おれ、もう帰るから。メグ、試合結果、明日教えてくれな」
「おー、りょーかい。じゃあな」

 巡は手を振ると、わたしがより見やすいように椅子を持ってきてくれた。

「ありがとう」
「奏乃は小さいからな」

 にやりと不敵な笑みを巡はわたしに向けてきた。

「小さくて悪かったわねっ」

 別にわたしが取り立てて小さいわけではない。巡が大きいだけじゃない。

「ほら、しっかり立ってないと椅子から落ちるぞ」

 わたしは上履きを脱ぎ、椅子の上に立った。ぐっと視界が高くなり、視野が広くなったような気になる。

「わぁ、よく見える!」
「それは良かった」

 いつもなら見上げないといけない巡が眼下にいる。なんだか変な感じだ。
 わたしは棚に手をついて窓の外をじっと見る。
 土井先輩はどこにいるのだろう。
 必死になって赤いゼッケンを探す。

「土井先輩はたぶん、フィールドの真ん中あたりにいると思うぞ」

 巡のアドバイスにわたしはフィールドの中央あたりを見たが、見当たらない。ボールはわたしから見て右側にあるようで、たくさんの人が固まっている。ゴールの中には赤いゼッケンをつけた人がいるということは、右側が赤チームで左側が青チームということだろう。
 人が固まっていて、土井先輩がどこにいるのか分からない。グラウンドからは声援が聞こえる。わたしの真下に黒い頭がたくさん見える。
 フィールドに視線を戻す。
 両者は拮抗しているのか、赤と青のゼッケンが入り交じった塊はあまり動くことがない。顧問がメガホンを手になにか指示を出している。
 それがきっかけになったようで、動きがでた。

「あ──」

 赤いすい星が現れた、と錯覚するほどだった。
 塊を切り裂くその人は、土井先輩だった。
 歓声が大きくなった。

「さすがだな、土井先輩」

 少し下で巡の声が聞こえる。

「お、パスもうまいな」

 土井先輩はボールを奪い、左側に向かってキックしていた。てっきりスペース(選手がいない空間)にボールを蹴ってしまったのではないかと思ったが、それは杞憂だったようだ。あろうことか、ノーマークの赤チームのフォワードだと思われる人物がゴール手前に立っていた。

「いけー!」

 聞こえないのは分かっていても、思わずそう叫んでいた。
 土井先輩が蹴ったボールは思っている以上に飛翔して、赤チームのフォワードのいるところに届きそうだ。フォワードはボールに向かって走り、腰で受け止めた。ボールを地面に落とし、ゴールに向かってドリブルを始めた。青チームは阻止しようと追いかけているが、赤チームのフォワードはあっという間に青チームのゴール前に到達した。ゴールの前でシュート!
 と思った瞬間。

「ピピピーッ!」

 と無情にも試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
 ボールはゴールキーパーの真横を通り過ぎ、ネットを揺らした。

「あーあ、もう少し早ければなぁ」

 せっかくゴールしたのに、時間差で点数にならなかったようだ。
 ギャラリーをかき分け、顧問が出てきた。選手たちは真ん中に集まり、右と左に分かれて整列している。

「PK戦か」

 わたしは固唾をのみ、見守った。
 PK戦用のゴールは左側に決まったようだ。そして先制はどうやら、青チームからだ。
 PKは交互にゴール手前からシュートする。五回繰り返し、点数が多い方が勝ちとなる。
 青チーム一人目は緊張のせいか、ゴールを飛び越してしまった。赤チーム一人目はキーパーに止められ……といった感じでなかなか、どちらのチームもゴールのネットを揺らすことができない。
 青チームは五人とも、シュートを決めることが出来なかった。
 そして、赤チームの五人目。

「土井先輩か」

 わたしは乗りだし、入れと念じる。
 フィールドは静まり、緊張が走る。
 土井先輩は気合いを入れるとボールに向かって走り、シュートした。
 ボールは空間を切り裂き──ゴールキーパーの左側を通って、白いネットを揺らした。

「や……ったあ!」

 校庭に歓声が響き渡る。

「巡! やったよ!」

 わたしは興奮のあまり、椅子の上に立ち上がった。

「奏乃っ! 危ないって!」

 驚いた巡の声に自分の状況を思い出す。

「うわっ」

 足下がぐらつく。わたしは自分が立っている場所を思い出し、慌てて棚に手を掛けた。

「ったく、危ないなぁ、奏乃……」

 足下の椅子はぐらぐらしていたが、巡が押さえてくれたからどうにかおさまった。

「白……か」

 ぼそり、と巡のつぶやく声に眉をひそめる。

「……巡?」

 嫌な予感。

「ん? なっ、なんでも……ないぞ。そっ、それより早く降りないと──」

 その反応に、わたしは確信した。
 椅子から飛び降り、巡のジャケットをつかむ。

「今、パンツ見たでしょっ」
「……み、見て……ない、よ?」

 巡の視線は泳いでいる。それで確信した。

「巡のエッチっ!」

 反射的に巡の頬を叩いていた。

「奏乃のビンタは健在、と」

 そのつぶやきにわたしはふんっと鼻息荒く、巡をにらんだ。



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