【けんじ】~再び現実世界~


<<トップへ戻る

0 目次   <<前話*          


※少し残虐表現がありますので苦手な方はご注意ください。




 身体に衝撃を感じて、目が覚めた。

「おい、けんじ。あの集会では散々なことをしてくれたな」

 この声は……北間さん?
 怒気を孕んだ声に俺はあわてて身体を起こそうとした。しかし、なぜか身動きが取れない。薄暗い中、目を凝らしてあたりをうかがうと、見覚えのあるシルエットが数人。自分の身になにが起こっているのか分からない。手首に戒めを感じるし、足も動かそうにも動かないところを見ると、どうやら俺はなぜだか縛られているようだ。

「ひろみ、おまえのせいで壊れたんだよっ」

 壊れた……?

「オレたちの幸せな未来を返せっ」

 肩ににぶい痛み。北間さんは俺を踏みつけ、体重をかけているようだ。
 これは夢だから強く願えば……。

「オレはおまえだけは決して赦さない」

 これは夢なんだ、夢だからこんなの、俺は望んでいない。だから早く──消えろ!
 いくら強く念じても、痛みと重みは消えない。それどころか、ますます痛みが強くなる。

「これは夢だ……」
「夢じゃない。現実だ。ひろみが壊れたのが夢なら、どんなに良かっただろう!」

 身体にかかっていた重みがなくなった、と思ったのもつかの間。息が止まるほどの衝撃が身体を襲う。

「返せよ、オレのひろみを返してくれよ!」

 重みがなくなった、と思うとまた襲ってくる衝撃。北間さんは何度も俺を踏みつけている。
 まだ俺は夢の続きを見ているんだ。こんな悪夢から早く目が覚めろ。
 強く強く願っても、夢から覚めることはなかった。

「北間さん、それ以上やったら」

 聞き覚えのある声がして、今までにないほどの強い衝撃。俺の中でなにかが鳴った。北間さんは全体重を俺にかけているようで、息ができなくなる。

「ぐっ……ぐほぉっ」

 咳き込んだ瞬間、俺の口から血があふれ出した。先ほどの変な音はろっ骨でも折れたか? 肺に刺さっているのかもしれない。

「北間さんっ」
「……今日はこれくらいにしておいてやる。逃げても地獄の果てまで追いかけるから、覚悟しておけよ」

 今までに聞いたことがないほどの暗い声。
 身体が軽くなり、遠ざかる足音。
 俺はどうなるんだ。
 身体がジンジンする。痛すぎてどうすればいいのか分からない。

「たす……けて」

 そうつぶやくのが精いっぱいだった。

     *     *

 気がついたら病院のベッドの上のようだった。
 身体を動かそうと思っても、痛くて動けない。目を開ける事さえもできない。指先を動かすのさえできなくて、ただ意識があるだけ。
 俺の枕元でだれかがしゃべっている。目を開けて確認をしたくても、力の入れ方を忘れてしまったかのようにまぶたさえ動かすことができない。

「手術はどうにか無事に済みましたが、回復するまでかなり長い時間を要するかと思われます」

 手術?

「あばら骨は複雑骨折、肺にもかなり傷がついていました。腕も同じくかなり折れていました。最悪な場合は腕は動かなくなっている可能性もあります」
「命さえあれば……」

 親父の声。震えている。泣いているのか?

「もう一人の息子同然と思っていた子が、先日亡くなってしまったので……けんじまで死んでしまったら」

 すすり泣く声。
 それよりも。
 まさきが死んでしまった?

「意識がなくても、けんじがここで心臓を動かして生きていれば、それだけで」
「お父さん、気を強く持つのです。必ず意識を取り戻す、と。今、彼は頑張っているんです。それを否定するような言葉を口にしてはいけません。必ず意識を取り戻すと信じてください」

 医者の励ましに親父はさらに号泣している。
 俺、意識はあるんだ。ただ、身体に力が入らないんだ。
 必死に力を入れようとするが、まったく入らない。それだけのことだったのに、ものすごく疲れてしまい、俺は再び意識の底へと沈んでしまった。

     *     *

 目が覚めると、見覚えのある自分の部屋。
 恐る恐る、指先に力を入れると手のひらを握ることができた。身体も痛くない。
 やはり、先ほどの出来事は夢だったのか。
 布団から出てキッチンへ向かうとお袋が朝ごはんを作っていた。

「けんじ、おはよう」

 今まで聞いたことがないほどの低い声。背中を向けていたお袋がこちらを向いた瞬間、思わず悲鳴をあげそうになった。
 手には出刃包丁が握られ、暗い瞳で刃越しに俺を見ている。

「けんじ、朝の挨拶は?」

 俺は無視してダイニングテーブルに座る。

「けんじ」

 先ほどまでキッチンの中にいたはずのお袋が包丁を握ったまま後ろに立っている。

「おはよう、と言われたらきちんとお返事しなさい」

 なんだよ、うるさいばばあだな。
 俺は無視してテーブルに置かれている牛乳パックに手を伸ばした瞬間。

     *     *


「!」

 目が覚めたが、相変わらず身体は動かない。まぶたに力を入れようと思ってもぴくりとも動かない。
 先ほど見た夢が恐ろしくて、息が荒くなる。

「先生っ」

 女の声が聞こえる。自分の枕元に何人か人がいる気配はするが、まぶたを開けられないので確認することができない。

「点滴量を増やして」

 しばらくすると呼吸が楽になってきた。それと同時に眠気が襲ってきた。

     *     *


「けんじ、クラブの助っ人を頼んでもいいか?」
「あ……れ」

 まさき? まさきは死んだと聞いていたけど、やっぱり生きているじゃないか。親父もうそつきだなぁ。

「ああ、いいよ」
「ありがとう、助かるよ」

 いきなり場所が変わって、俺はなぜかサッカーのゴールキーパーのようだ。

「けんじ、しっかり受け止めてよ」

 まさきの明るい声が聞こえる。

「おう!」

 俺の返事にボールが迫ってきた。真正面に蹴り込まれ、余裕で受け止められた。

「お、さすがだな」

 それと同時に、次から次へと恐ろしい量のボールが迫りくる。
 ちょっと待てよ、一度にそんなに蹴られたら取るに取れないじゃないか。

「けんじ、だらしがないなぁ。いつもならこれくらい、なんてことないだろう」

 まさきの相変わらず明るい声。

「ちょっと手加減しろよ」

 と言ってもボールが減るどころか増えるばかり。俺は受け止められず、後ろのゴールに次から次へとボールが吸い込まれて行く。

「おい、やめろよ」
「けんじ、頑張れよ」

 まさきの声は相変わらず明るい。
 ボールはゴールへと入る。そして俺にもかなりぶつけられる。

「痛いって」
「これくらい、平気、平気」

 目の前がボールの壁かと思うほど、一気にボールが迫ってくる。

「うわっ」

 ボールの壁が何度も襲ってくる。間断なくボールの壁。

「けんじ、もうゴールにボールが入らないよ」

 楽しそうな声とともに前と後ろからボールが迫ってくる。

     *     *

 力いっぱい、まぶたに力を入れたらようやくうっすらと開けることができたらしい。眩しい光が瞳を射抜く。
 と思ったら、どうやら医者がまぶたをこじ開けてライトを目に当てているようだった。

「身体はだいぶ癒えて来ているので、そろそろ目を覚ましてもいい頃なんですが」

 俺は起きてるんだ。力が入らなくて目を開けられないだけなんだ!
 口を開きたくても身体に力が入らない。
 もどかしい。ものすごくもどかしい。

「お父さま、ご家族の方の諦めない気持ちが大切です。息子さんは必ず目が覚めると信じてください」

 起きているんだ。意識はあるんだ! 気がついてくれ!

 こうして俺は夢と現実の間を行き来した。
 夢は相変わらず悪夢ばかり。眠っているのに疲れているような気がする。
 それでも現実世界にある俺の身体は徐々に回復して、ようやくまぶたを開けることができた。

「けんじ!」

 しばらく見ない間に白髪だらけになった親父。その瞳には涙があふれている。苦労をかけてしまったな、という後悔が胸に去来したが、次の瞬間には内からあふれるなんとも言えない衝動がこみ上げ、思っていないことが口から出る。

「俺はおまえたちが話していたこと、全部聞いていたからな」

 違う、そんなことがいいたいわけじゃない。ありがとう、とどうして言えないんだ。

「俺のこと、うっとうしく思っていたんだろう? 俺なんて起きなければいい、このまま死んでしまえばいいと思っていたんだろう」
「なにを言っているんだ、けんじ。そんなこと、思ったこと」
「ある、だろう? 俺がいなくなれば、最近知り合った女と結婚だってできるもんな」

 違う、違うんだ! そんなことを言いたいわけでは。

「俺が死ねば、保険金も出るし、厄介払いができていいよな」
「けんじっ」

 頬にするどい痛み。

「また殴るのか。図星をつかれて言い返せないから叩くんだよな」
「どうしてそんなひどいことを言うんだ! 母さんを亡くし、おまえまでいなくなったら!」
「自由になれる、だろう? 気兼ねなく、第二の人生を歩めるじゃないか」
「そんなこと、思ってもいない! おまえが生きていてくれればっ」

 さらに口を開こうとしたら、医者が入ってきた。

「気が付きましたか。お父さん、良かったですね」

 医者の安堵している表情を見て、思わず俺は口を開く。

「殺せなくて残念だったな」

 違うんだ、そんなことを言いたいわけではない。どうして思ってもいないことが口から出るんだ!
 俺の言葉に、医者は青ざめた表情で俺を見ている。

「けんじ! 先生はおまえのために必死になって」
「俺のためじゃないよ。自分の名誉のため、だよ」
「けんじ! 謝れ!」
「嫌だね」

 止まらない。だれかが勝手に自分の口を使っているかのようだ。
 医者は青い顔をしたまま検査をして、問題がないようなら明日にでも退院してよい、と言われた。

「よかったな、厄介払いができて」

 医者は無表情のまま病室を出て行った。親父はあわててその後ろを追った。
 俺の口はどうしたというのだろうか。

 翌日、半ば追い出されるように退院した。
 親父と二人、無言でタクシーに乗り込む。
 俺は気がついたらタクシーの運転手に対してもかなりひどいことを言っていた。
 病院を出るまでもそうだった。自分以外の人間が視界に入ると、思ってもいないことを口にしてしまう。

「明日から学校に行け」

 親父に冷たく言われ、学校に行くことにした。
 学校に行ってもみんなが無事に退院してきた俺を見て喜んでくれているのに、思ってもいない罵詈雑言が次から次へと口から出てくる。
 気がついたら俺の周りに人がいなくなっていた。
 授業も先生の言葉に対してこの口は次から次へと反論してくれる。お陰ですべての授業が成立しなかった。

「けんじ……どうしたというんだ」

 夕食の時、親父にそう言われたが、それは俺が聞きたい。

「みんな嘘つきなんだよ。本当のことを言ってなにが悪い」

 家にいたくなくて、俺はそのまま家を飛び出した。
 いつもの駅前のゲームセンターに行くと、遠巻きに仲間たちが俺を見ていた。

「なんだよ、おまえたち。肝っ玉がちいせえな」

 ああ、むしゃくしゃする。
 ゲーセンから出て、そのあたりでカツアゲをする。

「なんだよ、しけた金しか持ってないな」

 財布から金だけ抜き取り、残りは捨てる。
 少ない金だったが、これで少しは遊べるな、と思っていたら、いきなり、背中を蹴られた。

「退院してきたのか」

 ずっと入院していたせいで身体がかなりなまっている。前だったら受け身を簡単に取れていたのに、無様にそのまま地面に突っ伏した。

「ひろみ、戻ってこないんだよ。おまえはこうして元気に歩きまわっているのに、不公平だよなぁ」

 治ったばかりの腕を踏みつけられる。

「ぐはっ」
「オレは何度でもおまえをこうして傷つける。ひろみが戻ってくるまで何度もなっ」

 抵抗しようとするが、身体が思ったように動かない。
 腕に足に胴体に、全身が踏みつけられる。嫌な音が耳に響く。

「や……め」

 朦朧とした意識の中、見覚えのある黒髪の男がこちらを見て、うっすらと笑っているようだった。

【けんじ】おわり