「けんじ、待ってくれよ!」
「まさし、おまえ調子が悪いんだろう? 離せよ!」
日付が変わる時間帯。
オレは親父が寝るのを待ち、音を立てないように部屋を抜けだして家を出た。
までは良かった。
エントランスでなぜかオレの幼なじみである黒岩(くろいわ)まさき、が待っていた。
いつもならとっくに寝ているはずなのに、こんな夜中にどうしてこいつはここで待っているんだ?
オレは訳が分からず、無言で通り過ぎようとして、腕をつかまれた。
つかまれた手は氷のように冷たく、いったいいつからこいつはここにいるのかオレは不安になる。
「けんじ、駄目だよ! 行ったら駄目だ」
腕をがっしりとつかんでまさきはオレをその場に繋ぎとめようとする。
深夜のマンションのエントランス。静寂の中、いつも以上に声も布ずれの音さえも響く。
オレは無言でまさきを振り払い、冷たい石の床に半ば叩きつけるようにする。
まさきはひょろひょろだから、オレに抗えずに無様な音をさせて倒れた。
「けんじ、行ったら駄目だ!」
「うるさい。おまえは早くベッドに戻って寝ろ。これ以上、調子を悪くするな」
床に倒れた時、かなり痛かったはずなのに、まさきは顔をしかめつつもオレの足に取りすがってくる。
「お父さん……心配しているよ。ねぇ、けんじ」
まさきの手を振り払い、オレは全速力でエントランスを抜け、盗んできた原付に乗る。エンジンを無理矢理かけ、静寂を破る。
騒ぎに気がついた親父はあわててエントランスから飛び出してきてオレに向かってなにか怒鳴っているのが、ひびの入ったバックミラー越しに見えた。
◆ ◆
今日の夕方、学校から歩いて帰るのがかったるかったオレは路上駐車されている原付を見つけていつもの手順で無理矢理エンジンを動かし、マンションまで乗ってきた。
頬と髪をなでる風が気持ちよく、鼻歌交じりに原付を飛ばした。
あんなところに無防備に止めて、原付の持ち主は馬鹿だなぁ。
思ったより簡単に拝借できたのがうれしかった。真っ赤な原付は快調で、すいすいと走ってくれる。
目の前の信号は赤だったが、オレにはそんなもの、関係ない。無視して走ろうとしたら、栗色の少し癖のある髪の男が視界の端に映った。
その男の腕の中には、日本人形。赤い着物に、切りっぱなしの黒いおかっぱ頭。典型的な日本人形。
なぜか背筋が凍った。
怖いものなんてなにもないはずなのに、なにがそんな感情を抱かせるのか少し考えた。そして、理由が分かった。茶色いガラス玉のぴかぴか光る瞳がなぜかオレをじっと見つめていたからだ。その視線を振り払いたくて、男の横をわざとぎりぎりのタイミングで通り過ぎた。
「おっと」
男はあわてて日本人形を抱え直し、通り過ぎたオレを睨みつけていた。ひび割れたバックミラーには……人形の茶色いガラス玉と男の茶色い瞳が映っていた。
マンションに一度帰り、玄関の前にかばんを投げつけて、あの盗んだ原付で街をぶらつくことにした。ガソリンのメーターを見ると、まだ半分残っている。この様子なら、ゲーセンに行って帰るのにも使えるだろう。明日、学校に行く時に乗って行っても余裕のような気がする。うれしくて、ついつい鼻歌交じりになる。
ゲーセンまで乗って行き、適当に止めて中に入る。
「けんじ、遅いっ!」
いつものメンバーはすでに集まっていた。
「わりぃ」
目の前のダチの吸っているたばこを奪い取り、吸う。
「まっずー、なに吸ってんだよ!」
予想していた味と違って思わず顔をしかめて睨みつける。
「お子ちゃまだなぁ、やっぱり男ならこれ、だろ!」
そう言って胸ポケットから真新しいパッケージを取り出して見せつけてきた。
「おおお、すげー!」
周りにいた仲間たちはそれを見て、感嘆の声をあげている。オレは面白くなくて、咥えていたたばこをそいつに突き返した。
「イキがんなよ、ガキが」
ぼそりとつぶやいていつものゲーム台に行くが……先客がいた。しかも女連れとか、ちっ。今日はついてるんだかついてないんだか、よくわかんねぇ。
家に帰る気にもなれず、オレと同じように腐っているヤツ二・三人に声をかけて街をぶらつくことにした。カツアゲしてみるも……今日はどうにも外れが多い。
「けんじ、どうしたんだ?」
「らしくないなぁ」
と言われても、それはオレが一番感じていることだ。
「つまんねー! 今日はやめた! 家に帰るわ」
「なんだよ、それ」
「今日の集まり、きちんと出てこいよ」
小突かれながら、オレはゲーセンまで戻り、投げ捨てていた原付を拾い、家まで帰ることにした。
さっき言われて気がついたが、そういえば今日は集まりがあったんだよな。かったるいなぁ……。飯食って、仮眠してから出かけるか。
そして夜、家を出たら……まさきが待っていた。
なんであいつ、オレが出かけるのを知っていたんだ?
疑問に思いつつもオレは集まりのある場所へと向かった。
海辺の廃工場。言われた場所に行くと、周りは静かなのに扉を開けた途端、轟音が耳を叩きつけてきた。
「けんじ!」
閉めて早くこちらへ来い、とジェスチャーされ、あわてて扉を閉めた。
「来ないかと思っていたよ!」
そう言って肩を叩いてきたのは、このあたりのオレのようなふらふらとしているガキを束ねている北間さんだった。
「遅れてすみません」
中はたばことアルコールの匂いが充満して、さらに耳が割れんばかりに大音声の音楽。お互い、怒鳴るようにしゃべらないと聞こえない。
「楽しんでくれ!」
肩をばんばん、と強く叩かれ、オレはしかめっ面をして北間さんを睨みつけた。いい人なんだけど、ちょっと無神経なところがあるんだよな、あの人。目をかけてくれるのはいいんだけど……。
月に一度くらいのペースで行われている
「集会」
。特になにをするわけでもなく、こうやってここに集まって飲んで踊って……中にはやばい物を持ちこんでいるヤツもいるらしい。
「けんじ、ほらよ!」
顔なじみの男がやってきて、オレが好きなオレンジジュースを片手に持ってきた。
「おまえが好きなブラッドオレンジで絞った特製ジュース」
「うわっ! マジ、ありがとう!」
喉も乾いていたし、好物ということもあり、オレは一気飲みした。妙な薬の匂いに気がついた時はすでに遅くて……。
「飲んだな」
気がついたら男たちに囲まれていた。
「酒もたばこもドラッグも普段からあまりしないヤツで実験したかったんだよねー」
男たちをかき分けてやってきたのは、このグループのリーダー・北間さんの彼女。なんでも親がヤのつく職業で本物だと言って一目置かれている。確か名前は……道下。
「ひろみ! おまえ……懲りてないなぁ。しかもこいつはオレが目をかけてるヤツじゃないか!」
北間さんの登場に道下さん以外はみんな蜘蛛の子を散らしたかのようにいなくなった。
視界がぐにゃぐにゃしている。なんだか気持ちよくなってきた。今のオレなら、なんでもできるような気がする。
「うおおお」
身体の底からなにかが湧きあがってくるようだ。思わず咆哮が出てくる。
「耐性がないから反応が早いわね」
「ひろみ! どうするんだよ、これ……やばいだろ」
北間さんはオレを見ておびえた表情をしている。それがおかしくてオレは北間さんに近寄り、軽く手を振り払った。
「ぐぁっ」
それほど力を入れていないのに、北間さんは面白いくらい後ろへと飛んでいった。
「す……すごいわ!」
道下さんは目をきらきらさせてオレを見ている。オレ、道下さんの髪の毛、触ってみたかったんだ。
手を伸ばして触れただけなのに……オレの手のひらには。
「きゃあああ!」
隣で道下さんの悲鳴が聞こえる。遠巻きに見ていた人たちはその悲鳴に散り散りになる。
「なんだよ……気持ちがいいんだよ、オレと遊んでくれよ」
いつも通りに歩いているだけなのに、かなり距離がある場所にいた人たちが一瞬にして目の前にいる。
「待ってくれよ」
軽く腕をつかんだだけなのに、変な方向に曲がっている。うめき声が聞こえてくる。
「なんだよ、どうしたんだよ」
目の前はぐにゃぐにゃだが、今まで感じたことがないほど気分がいい。
「早く外に逃げろ!」
そんな声がしてくる。オレは声の方に向かい、
「オレも一緒に逃げる」
よくわからないけど、逃げなくてはいけないらしい。一番に逃げたくて、周りの人間を押しのけるが、面白いほどみんな吹っ飛んでいる。
「あはは、なんだこれ」
ぐにゃぐにゃの視界が面白い。
オレはそのまま外に出て、少し歩いて急に意識が途切れた。