ピッピッピッ……
規則正しい電子音に、ボクは目を覚ました。
白い天井。消毒薬臭い空間。見覚えのない白くて無機質な部屋。
……ここは、先ほどまで寝ていた病院と少し違うようだ。先ほどまでの息苦しい感じや身体のだるさはまったくなかった。
ボクは口にあてられていた酸素マスクを外し、ゆっくりと身体を起こした。久しぶりに起きたら、少しめまいがした。
こんこん、とノックされ、扉が開く音がした。
ボクはそちらに目を向けると、看護婦さんは驚いた表情でボクを見て、手に持ったファイルを落としてまるで幽霊にでもあったかのように顔面蒼白にして、部屋を飛び出して行った。失礼な人だ。
しばらくすると、ばたばたとかけてくる足音が複数聞こえてきた。どう聞いてもボクのいる病室に向かっているようだ。扉はノックされることなく開かれ、そこには髪を振り乱した白衣を着た男が立っていた。
「あり得ない!」
ベッドの上に座っているボクを見つめ、白衣の男はわめいている。ボクは茫然として見つめていた。
それからはものすごい騒ぎになった。
父と母も病院からの連絡で駆け付けたらしく、かなり乱れた格好でボクの前に現れた。
父と母はボクを見るなり、号泣し始めた。ボクにはなにがなんだかわからなかった。
ようやく落ち着きを取り戻した母が語った内容に、ボクは驚いた。
母から聞いた話とボクの分かっている話を総合してみる。
◇ ◇
あの日……たぶんギルド全員がギルドから離脱した日。
ボクは絶望のあまり、羽深から渡された白い札を枕の下に置き、そのまま眠りについた。
あの白い札はボクの理想の世界を夢の中に作り出したけど、それはしょせん、夢の中。ボクはその夢を見ている間ずっと、眠っていたようだった。
なかなか起きてこないボクを訝しく思った母は、夕方頃にボクの部屋に入ったらしい。だけどボクはベッドの上に眠ったままだった。起こしても起こしても起きないボクに母は焦って救急車を呼んだらしい。睡眠薬でも飲んで自殺しようとしているのでは、と思ったらしい。
病院に連れてこられたボクは、そこでもやっぱり目を覚まさなかった。医者からは原因は分からないけれどもうこのまま一生植物人間のままでしょう、と言われていたらしい。薬物もなにも検出されないので睡眠薬自殺ではないのはわかったらしい。そのボクが起きてきたのだから、そりゃあ看護婦も幽霊を見たような顔をするよなぁ。
そしてあの日から、約半年経っているという。
「まこと、ごめんなさいね」
母は泣きながらボクに謝ってくる。
「悪かったな……。つらかったよな」
父もそう言っている。
謝らなくてはならないのは、ボクの方だ。ボクは両親にこんなにも心配をかけてしまった。
ずっと長い夢を見ていたような気がするけど、ボクはその中でとても幸せだった。これから先、どれだけつらいことが待っていても、その思い出だけでボクは頑張っていけるような気がした。
ずっと感じていただれかのぬくもり。心から愛していた、だれか。その人を思い出すと切なくて胸が苦しくなるけど、ボクはこうして生きていたら会えるような気がした。
「父さん、母さん……ごめんなさい」
高校卒業してからのこの長い年月、そんな一言で許されるとは思えないけど、ボクは今日から生まれ変わったつもりで今まで無駄にしてきた時間を取り戻すように頑張ろうと心に固く誓った。
退院してすぐにボクは自分の部屋のベッドの枕の下を見た。あの白い札がどうなっているのか知りたかったからだ。
あの日、あそこに置いてあるのをボクは何度も何度もしつこいくらい確認してから眠りについたのでだれも触っていなければあのまま残っているはずだ。
ボクは枕を取り、その下を見た。
……ない。
ボクは母にボクの部屋を触ったかどうか確認した。話を聞くと、シーツを洗うために布団を触ったと言っていた。その時、なにか布団から出てこなかったか聞いたけど、なにもないということだった。
布団をあげたときにあの白い札はひらひらと舞ってどこかに行ったのかもしれないと思って部屋の中を調べたけど、出てこなかった。
もう一度あの白い札を使いたい、とは思わなかったけど、行方が分からないのがとても気持ちが悪かった。
半年も寝たきりだったので筋力がかなり衰えていたけど、ボクは退院した日からランニングをした。
最初の頃は少し走るだけで息が上がっていたけど、徐々に身体も慣れてきて、今ではマンションの周りをぐるりと回れるようになっていた。
マンション一周コースに飽きてきた頃、ボクは少し遠出することにした。と言っても、それほど遠くはない場所だったけど。
初めて来るはずなのに見知った風景。知らないはずなのに通い慣れたような道。ボクは知らないうちにとある一軒家に向かっていた。
初めて見るのに懐かしいその家。
中からひとりの女性が出てきた。ボクはその女性を見て、妙な懐かしさを覚えた。ずっと一緒にいたような、そして彼女のぬくもりを知っているボク。
どうしてそんなことを知っているのだろう。
家から出てきた女性がボクを見てはっとした。
ボクは女性と目があった。
女性はボクを見て、いつかどこかで見たことのある満面の笑みを浮かべた。
「こんにちは」
ああ、変わらないこの声。
「こんにちは、はじめまして」
そうだ、ボクは彼女とは初対面のはずだ。なのにどうしてボクは彼女のことをこんなにも知っていて、そして愛しくて懐かしいと感じるのだろう。
その日はお互いの名前だけ知って、その場は別れた。
彼女の名前は中島みゆき。
ボクの名前はとあるさえない男性タレントに似ているけど、彼女の名前は女性シンガーと同じだった。やっぱり名前のことでよくからかわれた、とお互い笑いあった。
それがきっかけで、ボクたちは急速に仲良くなった。
ボクはいつまでも家でゴロゴロとニートしているわけにもいかず、そういう支援団体にお世話になってどうにか就職することができた。
小太りだった身体も半年寝たきり生活だったのとその後のトレーニングのおかげでずいぶんと引き締まった身体になり、それまでの非モテ人生がうそのようにもて始めた。
だけどボクの心はずっとみゆき一筋。みゆきの二十九歳の誕生日に、ボクはプロポーズした。
「ボクと結婚して、『野村みゆき』になって女性シンガーから脱却しないか?」
我ながらダサいプロポーズの言葉だな、と思ったけど、みゆきはその言葉にボクらしいと肩をばんばん叩きながら喜んでいた。
「もう、ほんっと遅いわよ、プロポーズ! 早く『野村みゆき』にしてよっ!」
とあの癒される笑顔で言われた。
ああ、ボクはやり直して幸せだ。
……やり直す?
なにをやり直しているんだろう、ボクは。
だけどずっと抱いていたむなしさは、今のボクにはなかった。
【「まこと」おわり】