『眠り王子─スウィーツ帝国の逆襲─』


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《第一話・出逢い編》六*姉の結婚相手



 土曜日。
 気が重いながらも、琳子はお昼過ぎには実家へと帰っていた。

 琳子の実家は長い歴史を持つ『白雪和菓子店』を営んでいる。旅行のガイドブックや雑誌に載ることもあるほどで、看板商品はいちご大福。
 しかし、琳子は昔から和菓子が好きではなかった。
 というより、はっきり言ってしまえば、嫌いだ。
 実家の中を漂う小豆を煮る匂いや蒸している餅米、そしてそれらが混ざり合った甘ったるい香りが苦手なのもあり、年月を重ねるごとに嫌いになっていった。
 社会人になり、念願の一人暮らしが出来るようになってようやくその匂いから解放されたが、こうして帰ると、変わらない匂いに憂鬱な気分になる。

「ただいま……」

 現在、会社のことでテンションががた落ちのところ、さらにはこの匂い。
 そして、姉の結婚相手のことを思うと、浮上できる要素が一つもない。
 我ながらよく帰ってきたなと、思わず自分で自分を褒めてあげたくなる。
 出迎えてくれたのは、琳子と桃花の母である白雪真由まゆ
 若い頃はミス小町として名をはせていたらしい。今でも年齢より若々しく、そして美しいと琳子でも思う。桃花も琳子もこの母の見た目を引き継いでいる。

「琳子、お帰り。まあ、ご飯、しっかり食べているの?」

 真由は帰ってきた娘の琳子の顔を見るなり、美しい顔をしかめて一言。

「仕事が忙しいのよ」
「お仕事が大変なら、こちらに帰っていらっしゃい」
「嫌だ」

 琳子の返事に、真由はわざとらしくため息をついた。

「うちは娘二人だけど、桃花は婿を取ってくれたし、結婚してもここに住むって言ってくれているからいいんだけど……」
「だったら、ますます私は帰ってこない方がいいじゃない」
「そんなことはないわ。やっぱり、近くにいてくれた方がいいですもの」

 結婚して、二人がここに住むとなると、琳子はますます近寄りたくなかった。

「荷物を置いたら、美容室に行ってらっしゃい。髪の毛をセットしてもらって」
「……行ってきます」

 琳子は脱ぎかけていた靴をはき直し、玄関を出ようとした。

「荷物は?」
「これだけだから」

 手に持っているかばんを見せる。

「まあ、それだけ? 今日は泊まっていかないの?」
「いかない」
「もうっ。せっかく、久しぶりに帰ってきたんだから、少しはゆっくりしていきなさいよ」
「無理」

 琳子は久しぶりのこの甘い匂いに頭が痛くなりかけていた。匂いから逃れるように、琳子は家から出て、美容室へと向かう。
 実家から徒歩二分とかからない、幼なじみの家だ。

「こんにちは」

 声をかけて入ると、懐かしい顔が迎えてくれた。

「まあ、琳子ちゃん!」
「お久しぶりです」

 幼い頃を知っている相手に久しぶりに会うというのは、なんともいえない恥ずかしさがある。

「まあ、すっかりきれいになって!」

 琳子は恥ずかしくなって、うつむく。
 ここは『カキハラ美容室』。幼なじみの垣原亜美の実家である。

「ちょうどよかったわ。亜美も帰ってきてるのよ」

 亜美はこの『カキハラ美容室』を継ぐために、有名美容室に偵察に行かされている。土曜日は忙しいはずなのにと思っていると、奥から懐かしい声が聞こえた。

「琳子、久しぶりっ」

 亜美はにこやかに手を振りながら、琳子の元へやってきた。前に会ったときはドレッドヘアをしていたような気がしたが、元に戻したようでストレートだった。ただし、色は驚くようなショッキングピンク。毎度ながら、琳子は驚いてしまう。

「桃花さんの結納って聞いて、無理して帰ってきちゃった」
「ごめんね」
「いいのよ。琳子の髪の毛はあたし専属なんだから! 店長も分かってくれてるし、また来てねって言ってくれてるの。近いうちにうちの店に来てね。琳子のこと、店長も気に入ってくれているみたいだし」

 亜美は琳子の黒くてきれいな髪を触りながら、今日の髪型を思案していた。

「毛先がちょっと傷んでるなぁ。今日は時間がないからこのままにしておくけど、近いうちにそろえに来てよ」
「うん。分かった」

 琳子は亜美に任せて、髪を結ってもらった。それに合うようにとメイクもしてくれた。

「はい、出来上がりっ!」
「ありがとう」

 琳子はお礼をいい、支払いを済ませると家へと戻った。
 家に近づくにつれ、甘い匂いが漂ってくる。
 これがなければいいのにと思いつつ、琳子は玄関を開けて中に入ろうとしたところ、ドアが開いて驚いた。
 目の前には、一番会いたくなかった桃花の婚約者である里田克浩(さとだ かつひろ)がいた。がっしりとした体躯、やさしそうな笑みを浮かべた顔。琳子は思わず、顔をそらした。

「ああ、琳子」

 琳子は無言で克浩の横を通り過ぎ、家の中へと入った。
 克浩は琳子に手を伸ばしたが、避けられたことに気がつき、すぐに手を引っ込めた。

「この度はおめでとうございます」

 琳子はその言葉に感情がこもっていないことを自覚しながら、背中を向けたまま口にした。

「琳子、オレのことを……」

 克浩の言葉を最後まで聞くことなく、琳子は靴を脱ぎ捨てて家へと駆け上がった。

(──男なんてっ)

 桃花もあんな軽薄な男のどこがいいのだろうか。
 里田克浩。
 琳子のかつての彼氏で、桃花に乗り換えた男。
 好きだ、愛していると言ってくれたのに、簡単に姉へと心移りをしてしまった。

(男なんて……みんな、桃花姉さんへと心を奪われるのよ)

 明るい性格でだれからも好かれる桃花。いつだって比べられ、琳子からいろんなものを奪っていく姉。
 桃花のことは好きだけど、そばにいると惨めな気分になってしまう。だから琳子は、桃花のそばから離れた。

「お帰りなさい」

 真由に声をかけられて、琳子は顔を上げた。

「あら、亜美ちゃんが帰ってきてたの?」

 琳子の髪と顔を見て、真由は聞く。

「うん。私の髪の毛を結ってくれるためだけに」
「いい友だちよね」

 琳子は亜美のことをほめられ、笑顔になった。

「ようやく笑った」

 そういわれ、琳子は顔を伏せた。

「せっかく桃花のおめでたい席なんだから、笑顔でいなさい」
「……はい」

 それは分かっているのだが、どうにも感情をコントロールできないでいる。

「あんたもいい人を見つけて、早く結婚しなさい」
「私は結婚なんてしないから」
「二言目にはそれよね」

 真由は呆れた表情を琳子に見せたものの、すぐに気を取り直して和室へ向かう。琳子も後ろからついていく。引き戸を開くと鴨居に着物などが掛けられていて、準備は整っていた。

「ちょっと早いけど、今しか時間がとれないのよ。ごめんなさいね」

 商売をしているため、家族全員が忙しい。琳子もここに住んでいた頃はお店の手伝いをよくしていた。

「なんだったら、お店を手伝ってくれてもいいわよ」
「そうね」

 着物を着せてもらってしまうと、横になることも出来ない。じっと座っているのも性に合わないし、なによりも結納が始まる時間までなにもしないでいるのも苦痛だ。土曜日でお店が忙しいのもあるので手伝うのが一番いいような気がした。

「お店にエプロンは準備してあるから」
「分かった」

 真由は手早く琳子を着付ける。帯もこれから働くことも考えて、動きやすくかつ、華やかに結ぶ。

「この着物の柄は桃花が選んでくれたのよ」
「成人式の時の振袖でよかったのに」
「桃花なりにいろいろ気を使ってくれてるのよ」

 桃花は琳子と克浩が付き合っていたことを知らない。克浩も桃花に実は琳子と付き合っていたと言うほど、ひどい男ではないはずだ。
 そもそもが琳子と克浩の付き合いは、一週間もなかった。それを付き合っていたといって良いのかさえも微妙だ。
 琳子と克浩の出会いは、大学のサークルだった。落語をみんなで見に行こうという軽いノリのサークルだ。
 琳子以外は全員男だった。最初の頃はそれこそ、物珍しかったようで女として扱われたが、琳子の性格を知った男たちはみな、琳子を女扱いすることがなかった。
 それでも、克浩は終始、変わらず琳子を女として扱ってくれた。それが嫌だったのだが、しかし、気がついたら克浩を目で追いかけていた。
 これが好きということかもしれない。
 遅い初恋を感じた琳子は、勇気を出して告白した。克浩は驚いていたが、すぐにやさしい笑みを浮かべて琳子の告白を受け入れ、付き合うことになった。
 サークルが終わって、一緒に駅まで歩いて電車に乗る。
 たったそれだけの付き合いではあったが、克浩は琳子に、好き、愛しているといった愛の言葉をささやいてくれた。
 そして、付き合い始めて一週間が見えてきた頃。
 克浩と桃花は、出会ってしまった。
 二人が顔を合わせたときのことを、琳子は今でもはっきりと覚えている。
 その日はちょうど、サークルの人たちと寄席に行き、いつもより遅い時間だからと克浩が気を利かせて実家にまで送ってくれたときだった。帰りが遅い琳子を心配して表で待っていてくれた桃花の姿が見えたとき、琳子はなぜか、動揺したのを覚えている。
 付き合っている彼氏と紹介しようとして……二人は見つめあったまま、動きを止めてしまったことになにか失敗したことにすぐに気がついた。しかしそれは、どうあがいても取り返しのつかないものであるということもすぐに分かった。
 そして……琳子は諦めた。
 桃花には何一つとして、敵わないのだ。
 克浩と付き合っていたといっても、手さえ繋いでいない。
 今まで、告白されるばかりだった琳子が、勇気を出して初めて告白をした人物。
 克浩からは特に謝罪の言葉もなく、自然な流れで桃花と付き合いだした。
 結局、琳子は二人を結びつけるための橋渡しの役目だったのだ。悲しいとかそんな感情は浮かんでこなかった。
 ただ、裏切られた。
 その気持ちだけが、琳子の中にこびりついていた。