Sweet darling, Sweet honey


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【登校】



 週明けから学校に復帰した。休学していたから留年かと思っていたけど、学年は一年から二年になっていて、火事で焼けてしまった制服も新調されていた。
 復帰一日目。じいの運転でなぜかアキと一緒に登校することになった。
「深町の迎えは?」
「学校で落ち合う」
 久しぶりの制服と登校に緊張していたので、アキの言葉の意味を考えなかった。
 久しぶりの学校は、変わらなかった。急な坂の上にある学校に懐かしさが込み上げる。
「ここか」
 アキは珍しそうに窓の外を見ている。登校してきている女子生徒たちは私たちが乗っている車を興味深そうに見ながら、校門を通り抜けていく。
 この学校はそれなりにお嬢さま学校なので、車で登校してくる人がいる。けど、いつも同じ人なので車はどれも見覚えのあるものだ。わたしはお嬢さまと言うよりは一般家庭より世帯収入が少なかったけど、パパの過保護のせいで車で送り迎えだったから車で登校は慣れていたけど、この視線は……痛い。登下校用の車を止める場所をじいに教えて、そこに車を止める。わたしが降りるより先にアキがなぜか降りた。
 ちょ、ちょっと?
 外からキャー、という黄色い声が聞こえてきた。アキは見た目はいいし、ここはなにより女子高だ。黄色い声があがるのは予想していたからさっさと降りようと思っていたのに。
 パパの送り迎えの時もあちこちで黄色い声やざわざわと噂する声が聞こえていたのを思い出し、気分が少し沈む。アキは困惑したような、それでいて鬱陶しそうな表情で立っている。
「アキっ!」
 車の中から声をかけた。
「ちぃ、早く降りてこい。あいさつに行くぞ」
「あいさつって?」
 わたしの疑問にアキは答えてくれず、わたしが座っている横の後部座席のドアを開けた。
「理事長室に案内しろ」
 アキはわたしに手を差し出した。戸惑ってアキを見上げたけど、アキはわたしの腕をつかんで引っ張った。
「深町も待っているから」
「深町が?」
 わたしは車から降りた。周りの視線がわたしに集中するのを感じた。ざわざわと話し声がする。パパの時以上の反応に、わたしは気が重い。アキはわたしのかばんを持ち、手を握って歩き始めた。
 ふと横を見ると、見覚えのある黒塗りのベンツが止まっていた。なんだかすごいことになってる? 嫌な予感にとらわれながら、アキを理事長室に案内した。
 理事長室につき、ノックをしようとしたらアキが一瞬早く、ドアを開いた。アキ、ドアをノックしないよね……。これは今度、怒らなきゃ、と心に決める。
「待たせたな」
 アキは入るなり、そう言う。
「おはようございます」
 中から聞き覚えのある深町の声が聞こえてきた。
「あら、秋孝さん、久しぶりね」
 何度か聞いたことのある声がした。理事長の声だ。アキと理事長は知り合いなの?
「智鶴、そこにいるんでしょ? 入っておいで」
 深町の声に先ほどの疑問はとりあえず胸にしまい、おそるおそる中に入って扉を閉めた。
「直見さん、この度は大変でしたね」
 部屋の正面に置かれた机に座って、理事長は瞳に悲しみの色をたたえてわたしを見つめている。その前に据え置かれているソファに深町はゆったりと腰かけていた。
「深町さんからお話は伺いました。大変でしょうけど、頑張ってくださいね」
「あ、ありがとうございます」
 理事長に頭を下げた。
「理事長、俺からもよろしくたのむな」
 少し偉そうだけどアキも少し頭を下げている。アキの様子を見て、深町は目を丸くしている。
 朝の朝礼前の予鈴が鳴り始めた。はっとしてお辞儀をして部屋を出ようとした。
「直見さん、」
 理事長に声をかけられ、わたしは止まる。
「困ったことがあったら、頼ってくださいね」
 理事長はにっこりと微笑んだ。
「はっ、はい。ありがとうございますっ」
 理事長室を出た。
 あ。そういえばわたしのクラス、どこなんだろう。とりあえず二年生の教室に向かってみた。
「智鶴!」
 予鈴が鳴ったにもかかわらず、二年生の教室はざわめいていた。そのおかげで中学からの友だちがわたしを見つけてくれたわけなんだけど。このざわめきの正体とわたしのクラスを知りたくて、近寄った。
「智鶴、大丈夫なの?」
 なんのことかさっぱり分からなかった。
「なにが?」
「智鶴、火事で意識不明の重体だったって」
 どうしてそうなってるのか分からなかったけど、とりあえず曖昧に答えておく。
「思い出したくないの」
 少し悲痛そうな表情でそう答える。それに、思い出したくないのは確かだし。なにがどうなっているか分からないから、下手なことは言えない。しばらく様子を見よう。
 わたしの言葉にまだ聞きたそうな顔をしていたけど、それ以上は追及されなかった。
「ところで、わたしはどこのクラス?」
「あたしと同じよ」
 と言われて、教室に招き入れられた。教室の窓際の一番後ろがわたしの席らしい。その横にも机が用意されていた。
「今日は忙しい日よ。智鶴が復帰してくるし、転入生もくるんですって」
 転入生? この学校は中高一貫教育が基本で、途中編入は今まで聞いたことがない。ざわめきの正体はこれか、と納得した。
「年齢はひとつ上だけど、このクラスにくるんですって」
 わたしはある予感にとらわれる。まさか、ね。
 がらがら、と扉が開かれ、担任と思われる人が入ってきた。生徒たちはあわてて席に着く。
「おはようございます。今日から直見さんが復帰しました。みなさん、よろしくね」
 みんなの視線がわたしに向く。少しうつむき加減にお辞儀をした。
「それと、もうひとつ」
 先生は廊下に視線を向け、その先の人に教室に入るように促す。入ってきた人を見て、わたしは自分の目を疑った。
 ショートカットの黒髪、ひょろりと高いシルエット。そこにはなぜか、わたしと同じ制服を着た、でも同じものを着ているはずなのに妙に大人っぽく着こなした彼方が立っていた。
 な、なんで……?
「遥彼方さん、しばらくアメリカにいて日本の学校は久しぶりらしいので、やさしくしてあげてね」
 わたしは呆然と彼方を見つめていた。
 今日の朝、理事長室に深町がいたことがおかしかったのだ。てっきりわたしが学校に復帰するから過保護な兄が来たのかぐらいにしか思っていなかった。まさか彼方が転入してくるなんて。
「遥さんの席は、一番後ろの窓から二番目ね」
 先生の言葉に彼方はうなずいて、席に歩いていく。
 途中、意地悪な子たちの席の横を通ったとき、やはりなにか仕掛けられていた。彼方は足を引っかけられたらしく、少しつまずく。彼方は足を引っかけた人をにらみ、なにか一言呟いていた。その一言に、その意地悪な子たちは凍りつく。なにを言ったんだろう。彼方は一番後ろまで抜けて、わたしの横まで歩いてきた。そしてそこで初めてわたしに気がついたような表情で、
「智鶴ちゃん?」
 と呟いた。
 彼方も聞かされてなかった?
 いたずらに成功したことに喜んでいる表情のアキの顔が思い浮かび、わたしはムッとした。こんなことを考えるのはアキだ。そしてそのいたずらの手助けをしたのは、もちろん深町だ。あのふたり、ほんっとなに考えてるんだかっ!
「深町にいきなり学校に行けと言われた時は正直、嫌だったんだけど、智鶴ちゃんと一緒ならいいや」
 隣に座った彼方を見て、顔を思わずしかめた。ったく、あんの馬鹿っ! ブラウスの隙間から、つけたばかりだと思われるキスマークが覗いて見えた。一度、深町を説教しなくちゃ。こんな人だとは思わなかった。朝からげんなりして、かばんから教科書を取り出した。
 久しぶりの授業はそれなりに楽しかった。授業の合間の休憩時間には彼方の周りには人だかりで彼方は大変そうだったけど、楽しんでいるようだった。
 授業がすべて終わり、放課後。荷物をしまい、席を立った。彼方もわたしの気配を察して、かばんを持って周りの人だかりをかき分けてきた。わたしたちは無言で靴箱に向かい、靴を履こうとした。が、靴箱の前に三年生の外で派手に遊び回っている子たちとその取り巻きご一行さまが待ち構えていた。ああ、この人たち、パパのファンクラブの人たちか。と思い当たったところでリーダー格の子が口を開いた。
「直見さん、あなたお父さまは?」
 その無遠慮な言葉に、心が凍った。自分の顔が無表情になるのが分かった。
「あんな素敵なお父さまがいながら、今日の朝のあの人はなに?」
 アキのことを言っているのだろう。ああ、あの時、ちらりとこの顔を見たような気がする。
「それにずいぶんと長期で欠席していたのね? ぴんぴんしているけど、仮病?」
 相手にするのも馬鹿らしくて、無言のまま、自分の靴入れを見た。が、一時間目が終わった後に場所を確認して靴を入れていた場所には靴がなかった。上履きのまま外に出ることにした。アキになんて言えばいいかな……とそちらを気にしていた。
「直見さん、待ちなさいよ!」
 彼方も知らぬ顔をして靴を履き替えてわたしの後ろをついてきているのが分かった。振り返りもしないで送り迎え用の駐車場に向かった。途中までついて来ていたけどあきらめたらしい。根性のないやつらめ。心の中で彼女たちに悪態をついた。
「智鶴さま!」
 運転席の横に立って待っていてくれたじいはわたしを見て、眉をひそめる。わたしが上履きのまま出てきたのを一目で見破るとは、さすがね。
「お靴は……?」
「うーん、迷子?」
 自分の靴がどこに行ったのか知りたい。
 以前からこういうことはたまにあった。前はまだアルバイト代でどうにかしていたけど、今のわたしには一銭もない。まったくもって、こんなことしてなにが楽しいんだか。
 アキはわたしを見たら、今日の一連の騒ぎ、分かっちゃうんだよねぇ。なんか面倒なことになりそうで、そちらのことに頭をいためた。
 案の定、アキはわたしを見て、眉をひそめた。
 わたしは深町をつかまえて、
「彼方にキスマークつけるの、やめなさいよ」
 ふたりきりになったところで告げる。
「なんで?」
 深町は意外そうな顔でわたしを見る。
「彼方、学校でいじめられるわよ、それでもいいの?」
「それは困りますが……キスマーク禁止も困ります」
 いつもの調子で言う深町に、わたしは頭が痛くなる。
「分かりました。もう少し見えない場所につけます。まあ、そんなの意味がないんですけどね」
 そういっていきなりわたしの両腕をつかみ、部屋着に着替えていたわたしの胸元に唇を這わす。
「っ!」
 突然のことに、わたしの思考は止まる。鎖骨のあたりにちくり、と痛みを感じ、顔をしかめた。
「おや、秋孝はまだでしたか?」
 深町は意地悪な瞳でわたしを見ている。
「僕が相手してあげてもいいですよ、智鶴」
 サディスティックスな瞳に、深町の正体を知ったような気がした。この人は……!
 でも、なんとなく自分と共通する部分を見つけて、落ち込む。
「あまりつかなかったなあ」
 言葉の意味を知り、わたしは青ざめる。
「なにするのよっ!」
「彼方の代わりにつけただけですよ?」
「こんの変態っ!」
 つかまれた腕を振り払おうと力を入れた。深町はあっさりとわたしの腕を離した。
「秋孝への挑戦状」
 深町はにやりと笑っている。その顔は、いつかテレビで見た真理さんを彷彿とさせられた。たぶん、わたしも深町も本質的な部分はあの真理さんと一緒なのだ。困ったことに気がついてしまった。そして、すっかり忘れていた深町へ対する気持ちも思い出してしまった。深町もわたしの気持ちに気がついたらしく、目を細めて見ている。
「僕はいつでもいいよ?」
 耳元で甘くささやく。わたしは頭を強く振って、その想いを振り落とす。
「なんだ、残念。智鶴となら、地獄に堕ちてもいいって思ったのに」
「……彼方はどうするのよ」
「彼方は知っていますよ」
 わたしは驚いて深町を見上げる。
「冗談じゃないわよ」
 深町の身体を押して、自室に戻ってすぐにお風呂に入った。深町に言われた意味を考える。冗談じゃない。破滅しかないじゃないか。
「ふう」
 と大きくため息をついて、忘れることにした。
 深町はたぶん、これからもああやって揺さぶりをかけてくるだろう。あいつはああいうやつなんだ。彼方のことが心配だけど、そこまで酷いヤツだとは思いたくないし、わたしも彼方のことが好きだから、深町も彼方のことを好きだし大切に思っているはずだ。そう思わないと、辛い。
 腹違いとは言え、お互い困った血を引いてしまったと同情をするしかなかった。







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