Sweet darling, Sweet honey


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【試写会】



 朝、目が覚めたら目の前にどアップのアキの顔があって驚いた。これ、いつか見たな、とちらりと寝ぼけ眼で思う。
「ちぃ、おはよ。ちぃは寝顔もかわいいなぁ」
 アキは目を細めてわたしの顔を見て、軽く唇にキスをした。それだけでとろけそうになる。
「俺、いつの間に寝ちゃったんだろう」
 アキの言葉にびっくりする。
「わたしと話をしてたら、いきなりこてって寝ちゃったよ?」
「そうなんだ。俺、すっごい寝付き悪いんだよ」
 とてもそうとは思えないほどの素晴らしい入眠だったんだけどな。
「やっぱりちぃの側にいると落ち着くのかなぁ」
 アキは布団から出て、大きく伸びをして
「ちぃ、着替えたら部屋においで。ご飯にしよう」
 アキに続いて布団から出て、同じように伸びをしてから布団を片付けた。睡眠時間はいつもより短かったけど、久しぶりにゆっくり眠れたような気がした。
 今までずっと、一Kの狭い部屋でパパとママとひっつくようにして寝ていたのだ。それがここにきてこの部屋の広さがどれくらいあるのかわからないけど、そんな広い部屋にひとりぽつんと布団を敷いて寝るのだから、不安になっても仕方がない。今日の夜もアキと一緒に寝ようかな、と思ったけど、これもやっぱり、わがままなのかな……。わたしは葵さんの言っていた「わがままな行動」がどこまでなのか判断できなかった。
 アキと朝ご飯を食べて、出かける準備をする。クローゼットの中から着て行っておかしくないような服を選ぼうとしたけど、どれがいいのか判断できなくて、アキに助けを求めた。アキはクローゼットの端から端を眺めて、なぜかドレス系のところをじっと見ている。その中から長袖の黒のシフォンドレスを選んできた。どういう基準なんだろう。
「これにパールのネックレスをして、イヤリング」
 アキは内線まで歩いて行き、どこかにかけていた。すぐにドアがノックされ、以前みたことのある女の人が入室してきた。
「この服に合うように髪をアップにして」
 アキの言葉にわたしは驚く。そんなわたしにお構いなしで椅子に座らされ、さっそくセットにかかろうとする。
「服、先に着た方がいいわよね」
 その言葉にあわてて着替える。再度椅子に座ると、髪をセットして、軽く化粧もしてくれた。
 鏡に映った自分を見て、びっくりした。いつもは髪を下ろしているし、少し童顔という自覚があるものの、今の鏡の中のわたしは軽くアップにされた髪に薄化粧がほどこされ、黒のシフォンドレスが少し大人っぽさを演出していた。
「うん、さすがはシホだな」
「ありがとうございます」
 先ほど髪とメイクをしてくれた人はシホさんと言うらしい。アキの言葉にシホさんはにっこり微笑んでいた。
「シホさん、ありがとうございます」
 シホさんは少しびっくりしたようにわたしを見て、
「またお願いしますね」
 と微笑んで、荷物を片付けて部屋を出ていった。
「ちぃ、かわいい……。このまま食べちゃいたい」
 アキがキスしてきそうだったので、わたしは止めた。
「せっかくきれいにお化粧してもらったのに、落ちちゃうからやめて」
「なんだよ。お預け?」
 アキはつまらなそうにわたしを見る。
「うん、お預け」
 ふと疑問に思ったことをアキに聞いた。
「そういえばシホさんにこの間、アキに初めてあったところで髪を切ってもらったんだけど」
「ああ」
 アキはわたしにキスをするのをあきらめた代わりにギュッと抱きしめた。
「シホはここで俺たちやここで働く人たちの髪を切ったりセットしてくれたりしているんだ。あのときは深町に依頼されてあっちに行ってくれてたんだ」
 へー、と感心する。ここのお屋敷にはたくさんの人が働いているらしい。
「本当はここだって住むには広すぎるからもう少し小さいところに住もうと親父に進言したんだけどな。昔から住んでいるし、それに俺たちが別の場所に移ると今働いている人たちが路頭に迷うだろう。それはよくないと親父に言われてな。まあ、今は稼げているし、ここで働いている人たちががんばってくれているから俺たちも働けけているわけで、還元してると思えばいいか、と思って」
 こんな大きなお屋敷を維持するのも大変だから別のところに住めばいいのにって思っていたけど、そういう風に考えていたんだ。
「そういえばわたし、アキのお父さんに挨拶してない」
 ここにすでに何か月も住んでおきながらようやくそのことに思い当たる。
「親父? そうだな。でも……ちぃは親父に何度か会ったことあるみたいだけど?」
 アキの意外な言葉に目が点になる。会ったことがある?
「とりあえず落ち着いたらな。親父もなかなかつかまらなくて」
 そうだよね、総帥っていうくらいだから忙しいよね。
「さて、と。そろそろ深町と彼方、くるかな」
 アキはかたわらに置いていたジャケットを片手に持ち、反対の手をわたしに差し出す。その大きな手をギュッと握った。
「行きますか」
「はい」
 部屋を出て鍵を閉めて、わたしたちは玄関に向かった。玄関について靴を履いていると、深町がやってきた。
「おはようございます。お待たせしましたか?」
「おはよう。今ここについたところだ」
「おはようございます」
 深町はいつもと変わらない笑顔で立っていた。玄関を出ると、最初に深町が迎えに来てくれたときに乗っていたベンツが待っていた。助手席を見たら彼方が座っていて、わたしたちに気がつき、手を挙げた。わたしは手を振り返した。深町は後部座席のドアを開けてくれたので、わたしは乗り込んだ。アキは反対のドアを開けて乗り込んでいた。
「彼方、おはよう」
「おはよう」
 今日の彼方はわたしと同じように薄化粧をしていた。もともと整った顔をしているのもあるから化粧をしたらいつも以上にきれいで、同性のわたしでさえドキッとする。それになんだか最近、急にきれいになった。
 彼方から深町と付き合い始め、さらにすでに一緒に住んでいると聞いたときはびっくりを通り越して驚愕したし、思った以上に積極的な深町の意外性を垣間見た。それにしても、仲がよいのはいいんだけど……。わたしは彼方の首元の赤い跡を見て、ため息をつく。深町、もうちょっとそれ、どうにかしてあげなよ……。わたしでもさすがにそれがなにを意味しているのかくらい知っている。男の人は苦手だけど、わたしだってそれなりにそういうことには興味がある。
 学校に通っていたころは友だちとそういう特集の組まれた雑誌を見てきゃーきゃー言っていたこともあるし、女子校と言っても積極的な子たちは自ら外やお隣の男子校に求めに行っている人たちもいた。
 わたしはパパみたいな人じゃないと嫌だったから、そんな人たちを冷めた目で見ていたけど、学校内にはパパのファンクラブまであったらしい。そのことを知った時は憤慨したけど、なんというか。
 車内では主にアキがいつもの調子で馬鹿なことばっかりしゃべっていた。だいぶどう対処すればよいのかわかっていたので適当に相槌を打ったり突っ込みをいれたりボケてみたりしていた。彼方と深町はそんなわたしとアキのやりとりを聞いて、笑っている。あっという間に会場につき、深町は駐車場に車を入れてくると言ってわたしとアキはホテルの正面玄関で降ろされた。
 ホテルの入口には「Happy? Happy!」と鮮やかなブルーの紙に白抜き文字で書かれただけのポスターと、その下には『試写会&記者発表会場は三階宴会場です』と書かれた紙が一緒に貼られていて、わたしはアキを見上げた。
「き、記者発表?」
 わたしはただ『試写会』としか聞かされていなかったのでその文字にびっくりする。
「ちぃは見てるだけでいいんだよ。蓮と奈津美がうまくやってくれるから」
 だから今日、わたしを連れだしたのか。いつも言葉足らずのアキに、わたしは少し怒りを覚えた。
「アキ、だけどきちんと教えてよ! びっくりしたじゃない」
「あ……ごめん。つい、驚いた顔を見たくて」
 あっさり謝られて、少し拍子抜けした。
 わたしとアキは車を置きに行った深町と彼方と合流して、会場の三階にある宴会場に向かった。開始時間は十時からみたいだったけど、会場内はまだ時間があるというのに人であふれかえっていた。テレビカメラを持っている人、大きな一眼レフカメラを首から下げている人などなど、いかにも業界の人です、といった感じの人ばかりがいた。深町は手になにかを持って受付に行っている。その受付のテーブルのところにも下に貼ってあった鮮やかなブルーの紙に文字の書かれたポスターが貼ってあった。今回のこのCMのキャッチコピーのようだった。ブルーはきっとサムシングブルーを意識しているのだろう。
 次から次へと人が来て、受付を済ませているというのに、深町はなかなか戻ってこない。と思っていたら、蓮さんが少し肩で息をしながらあわてたようにやってきた。
「秋孝、深町、ごめん待たせた」
「蓮さん、忙しいのに」
 深町の言葉にわたしはうなずく。
「奈津美はどうしてもこれないから、オレだけでも挨拶しようかと思って。智鶴ちゃん、今日はわざわざごめんね」
「いえ、こちらこそほんと、わざわざすみません」
「前の方に席を確保してあるから。名前貼ってあるから探してそこで見て」
 それだけ言うと、蓮さんは走り去った。
 わたしたちはぞろぞろと会場内に入り、名前を探す。深町と彼方は先に席に座っているのにもかかわらず、場所だけ確認して、アキはもう一度会場を出た。わたしはどうすればいいのかわからず、アキについていく。アキは会場を出て、どんどん会場から遠ざかっていく。
「アキ、どこに行くの?」
 半ば走りながら、アキの後を追う。
「ああ、ちぃ。ごめん」
 わたしがついてきているのを確認して、アキは足を止めて追い付くのを待ってくれた。
「どうにもああいう場所が苦手でな」
 アキの意外な言葉に驚いた。
「なんかもう、いろいろ見えたり聞こえたりして……頭が痛くなる」
 少しつらそうな表情にああ、あのアキの特殊能力? は結構大変なんだ、と初めて知る。
「特に今日はマスコミ系が多いから、いつも以上につらいわ」
 そう言って強く目を閉じて、ぐっと眉根に力を入れて眉間を押さえている。どうすればいいのかわからなくて、アキの手をそっと握った。
 アキの口から聞く、初めての弱音。いつも強気で自信満々な顔しか知らないから、その意外性に戸惑う。
「ちぃ、ちょっと手を貸して」
 言われるがまま、右手をアキに出した。アキはわたしの手を取り、額に手を持って行かれた。少し熱っぽい感じがして、アキを見上げる。
「アキ、額熱いけど……熱でもあるの?」
「いや。たまにあるんだ、こういう人ごみの中だと。しばらくしたら治るから、ちょっとこうしていて」
 しばらくそうしていると、次第にアキの額から熱が引いていくのがわかった。
「もう大丈夫、ありがとう」
 先ほどまで少し顔色が悪かったような気がしたけど、今はすっかりいつもの表情を取り戻していた。
「あー俺、ちぃのこと、すごい必要だ」
 その言葉にわたしはドキッとする。
「いつもは深町にやってもらってたんだけど、ちぃにやってもらう方が断然早いな」
「そうなの?」
 なんだかよくわかんないけど、アキはあれで助かったらしい。
「そろそろ始まりそうだし、席に戻ろうか」
 会場に戻ると、少し暗くなっていた。アキは迷うことなく深町と彼方が待っている席に行き、わたしを先に座らせて、その横にアキが座った。わたしの横には彼方が座り、その奥に深町がいた。彼方と深町は先ほど渡された資料を見ながらなにか話をしていたらしい。
 急にバイオリンの音が鳴り響き、ドキッとした。スピーカーからは葵さんの演奏だと思われる曲が流れ始めた。もしかして……この曲って。
 ざわめいていた会場内は曲がかかると同時にしーんと水を打ったかのような静けさが訪れた。
 バイオリンの音色もさることながら、奏でられる音楽が涙が出てきそうなほど素敵で、うっとりと聞き入った。音に色があるのなら、この演奏は澄みきった青空のような青。まさしくサムシングブルーのような色。音から映像が浮かんでくる。緑の芝生、青い空の下のもとでにこやかに笑っている人が幸せそうに踊っているイメージが浮かんできた。その場の空気感まで感じられた。葵さんって……すごい! 感動していたら、曲が終わり、今度は前に用意されたスクリーンに映像が映る。
 葵さんの先ほどの演奏曲と同時に
『Happy?』
 の文字が浮かび上がり、白無垢を着てうつむいているわたしが映し出される。
 うわ……こんな大きなスクリーンで自分の姿を見るのって、すっごく恥ずかしい!
 ちらりとアキを見ると、少し眩しそうに目を細めてスクリーンを見ている。
 うつむき加減のわたしは少し目線をあげて、にっこりほほ笑む。顔の下のあたりに
『Happy!』
 という文字が表示され、次はあの鮮やかなブルーバックにホテル名と問い合わせ先が表示される、というとてもシンプルなもの。あの映像がこうやって形になったのを見て、ものすごく感動する。
 白無垢編はあと二パターンあり、次はウエディングドレス編。こちらも三パターンあり、あの最後に撮影したバージンロードに立って振り向く映像の途中から、会場がかなりざわつき始めた。なんだろう、このざわつき。
 すべての映像が流れ、部屋に明かりがついたところで聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『本日はお忙しい中、私どものCM発表会にご来場いただき、ありがとうございます』
 前を向くと、少し緊張気味だけどにこやかにえくぼが眩しい奈津美さんがマイクを持って立っていた。今回のCMのコンセプト、狙いなどを説明して、質疑応答の場面では一斉に手があげられ、奈津美さんは戸惑っていた。一番の関心ごとはやはりわたしのことのようだった。事前に打ち合わせはしていなかったんだけど、どうやら名前のみの公表という形になっているらしく、どの質問にも奈津美さんは恐縮したように
『すみません、名前しか公表できる情報を私たちも持ってないんです』
 と繰り返し伝えていた。まさかこんなに反応が良いとは思っていなかったので、びっくりしてみていた。
 いくら名前しかわからない、といってもマスコミの人たちはそれ以上の情報を聞き出そうとして、少しパニック状態になってきた。
『すみません、時間になりましたので今日はここで終わらせていただきます』
 奈津美さんは半ば強引にこの発表会を終わらせた。納得のいかない人たちは奈津美さんに詰め寄ろうとしたけど、蓮さんが制止して奈津美さんを奥へと逃がしていた。なんだか申し訳ない気分になったけど、どうすることもできなかった。
 会場はあきらめてそのまま帰る人とまだ食い下がろうとしている人といて、わたしたちは少し落ち着くのを待ってから帰ることにした。
 アキをふと見ると、またさっきのようにつらそうな表情をしていた。
「アキ、大丈夫?」
「ん……。ちょっと今日はきつかったな」
 さっきやったようにアキのおでこに手を当てた。やっぱり少し熱っぽくって、心配になる。
「秋孝、大丈夫か?」
 深町が気がついてそっと聞いてくる。
「今日はちょっとひどかったな。ちぃがいなかったら絶対倒れてる」
 青い顔をしているアキの瞳にはいつもの力強さがなくて、泣きそうになってしまった。
「僕、車出してくるよ。落ち着いたら下に降りてきて」
 深町は彼方を連れて会場を出て行った。
 会場内はほとんど人がいなくなり、閑散としていた。
「あー、情けない」
 アキのつぶやきがぼそっと聞こえた。
「情けなくないよ」
 アキはだいぶ落ち着いてきたようで、おでこにあてたわたしの手をはずし、手の甲に優しくキスをした。
「行こうか」
 アキは立ちあがってそのままわたしの手を握る。立ちあがり、一緒に並んで会場を後にした。








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