Sweet darling, Sweet honey


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『カケオチ』



 智鶴の言葉の悪さに僕は驚いたけど。それでも、僕も智鶴に同意する。
 秋孝の突拍子のない言動にはなれたつもりでいたけど、今回ばかりは僕が知る限りで一番、とんでもない発言だ。
「秋孝!」
 僕はあわてて室内に入り、智鶴を自分の背中に隠す。智鶴はおびえたように僕の背中にしがみつく。
「深町。たとえおまえ相手でも、俺は容赦しないからな」
 そういうなり、たまに見せる獰猛な表情を僕に見せる。いつもなら僕はここで折れるけど、今回ばかりは智鶴を守らなければならない。
「秋孝、どういう意味だよ」
「どういうもこういうもない。俺は智鶴が気に入った。だから嫁にしてやる、と言ってるだけだ」
 僕は秋孝の言葉に唖然とした。好き嫌いの激しい秋孝が、よりによって僕の妹に……一目ぼれ?
「おまえの妹なら、なおさら好都合だろう。親父も口ではあまり言わないが、お見合い写真を山のように用意しているのを知ってるし。なに、それとも俺に文句でもあるのか?」
 いや。文句のつけようがない。あるとすれば……その突拍子のない考えくらいか。
「僕は秋孝なら安心して智鶴を任せられるのはわかっているけど。でも、智鶴が嫌がっている」
「嫌がっている?」
 秋孝は僕の言葉に僕の後ろに隠れて小さくなっている智鶴の顔を覗き込む。
「ふむ」
 秋孝は智鶴の顔を見て、少し考えていた。
「わかった。なら智鶴、俺のことを好きになれ」
 なんでそこは命令口調なんですか……と僕は秋孝に心の中で突っ込む。口に出して言ったら、十倍になって返ってくるのを知っているからだ。
「なんであんた、そんなに高飛車なのよ! わたしの理想の人は、パパなのよ!」
 智鶴の言葉に僕は頭が痛くなる。そこで口答えをすると……いけないんだよ。
 しかし、いつもならその何倍もの言葉が返ってくるのに、秋孝は無言だ。
 これは……本気なのか?
 僕は窺うように秋孝を見る。
「パパ? おまえの父親で深町の父でもあるあいつか?」
 秋孝は智鶴の言葉に父のことを思い出しているのか、苦い顔をしていた。
 秋孝と父は、あまり仲がよくなかったらしい。と言っても、父がカケオチした時点で秋孝は九歳か十歳だったはずだ。それでも、折り合いが悪かったのはうっすらと覚えている。
「あいつは俺からなんでも奪っていったからな」
「パパのこと、悪く言わないで!」
 智鶴は泣きそうな声で秋孝に抗議する。これはかなり分が悪い勝負だな、と秋孝に同情する。
「まあいい。おまえは俺のことが好きになる。それだけは断言しておいてやる。いいな、おまえは俺の嫁だからな」
 秋孝は乱暴にそれだけ言うと、部屋を出て行こうとしていた。その背中に智鶴が追い打ちをかけるように、
「パパのこと悪く言う人、大嫌いよ!」
 あれは……渾身の一撃だな。心なしか、秋孝の肩ががっくりとうなだれていた。

 秋孝が部屋を出て行ったのを確認すると、智鶴に向き合った。
「智鶴、ごめんね。びっくりしたよね」
「な、なに、今のあの人」
 かなりおびえた表情で、僕の顔を見ている。
「あ、うん。高屋さまの子ども。で、僕の兄みたいな人、かな?」
「深町さんのお兄さん?」
 智鶴の他人行儀な呼び方が気になったけど、それは置いといて。
「そうだね、少し詳しく話をしようか」
 ちょうどよいタイミングで、食事が運ばれてきた。
「その格好だと少し寒いよね」
 僕はタンスを開けて、ガウンを取り出した。かなり大きめだったけど、ないよりましだ。智鶴に着せたら予想通りぶかぶかだったので袖を折ってあげた。
「朝食を取りながら話をしようか」
 テーブルの上にはすでにふたり分の朝食が用意されていた。智鶴を椅子に座らせて、僕は向かいに座った。
「食べようか」
 智鶴に食べるように促すと、小さく
「いただきます」
 と手を合わせて食事を始めた。そのしつけの良さに目を細めた。
「父ときみのお母さんがカケオチした、ってのは知ってるかい?」
 まず、そこから確認しなければと思い、聞いてみた。すると智鶴は首をふるふると横に振り、びっくりしたような表情で僕に問う。
「パパ、駆け落ちだったの!?」
 僕の言葉に智鶴は思い当たる節がたくさんあったらしく、カケオチ、という言葉に納得していた。
「詳しい経緯は知らないんだけど。カケオチだよ」
 幼かったあのころ。父は僕に悲しそうな瞳を残して……僕の前から姿を消した。
「僕は、僕と母を捨てた父を……恨んだよ」
『深町、すまない……』
 ずっとずっと……父の最後の声が耳に響いていた。
「ごめんなさい……!」
 智鶴の言葉に、僕はあわてた。智鶴から謝罪の言葉を聞きたかったわけではない。椅子から立ち上がり、智鶴の横に移動した。
「どうして? 智鶴が謝ることじゃないよ? 最初は恨んだよ。でもね、僕は智鶴とこうして会えたから、恨みよりも感謝の気持ちの方が大きいんだよ」
 智鶴は隣にいた僕に少しびっくりして、顔をこちらに向けた。
「僕にはこんなにかわいい妹がいる。もうそれでいいじゃないか」
 昨日の火事で少し焦げた智鶴の髪の毛をなでた。
 絹糸のような手触りで、心地よかった。
「僕の大切な家族は智鶴ひとり。智鶴も……僕のこと、大切に思ってくれてるとうれしいな」
 妹がこんなに愛しいものとは思わなかった。智鶴は僕をギュッと抱きしめてくれた。
「深町さんは……わたしの大切なお兄ちゃんだよ?」
 さっきから気になっていたことを智鶴に告げる。
「深町さんだなんて、他人行儀だな。さんづけはやめようか」
「え……でも」
 智鶴の戸惑った声。
「深町、って呼んでよ。そうじゃないと、僕も智鶴のことを智鶴ちゃんって呼ぶよ?」
 智鶴ちゃんって呼び方もかわいいなと思ったけど。
「わかった。深町って呼ぶよ」
 僕は智鶴の手触りのよい髪をなでた。
「せっかくのきれいな髪が火事で台無しになっちゃったね。とりあえずお風呂に入っておいで。そのあとに髪を整えてもらおう」
 今日の予定を少し考えて、立ち上がった。そのタイミングで、ドアがノックされ、朝食を片付けに人が入ってきた。その後ろから、智鶴の服を持った人が入室してきた。
「辰己さま、お召し物をご用意いたしました」
「そこのソファに置いてくれる?」
 大小さまざまな箱がソファの横に積み上げられた。
「服を用意したよ。お風呂に入って好きなものに着替えて。僕はまたころ合いを見てここに来るから」
 少し名残惜しいと思いながら、髪をなでておでこにキスをして、部屋を出た。







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