松落葉(まつおちば)


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【二話】能松島(のうしょうじま)



 宮下璃々香(みやした りりか)はどうやら維織(いおり)と同じ学部らしく、単位を取るにはどの先生が楽か、というアドバイスをもらえた。天野真吾(あまの しんご)は別の学部だったが、妙に顔が広いようで、璃々香よりも先生や授業内容に対して詳しく、維織は真吾のことを少しだけ見直した。
 しかし入部して二日目。璃々香の言っていた
「普段の行い」
の意味を嫌というほど知ることとなった。
 授業が終わり、六号館の五階から降り、隣の五号館へ移ろうと渡り廊下へ足を踏み入れた瞬間。

「ちょっと、そこのイケてない童顔女!」

 後ろから声をかけられ、維織は恐る恐る、振り返る。そこには、見知らぬ女性が三・四人ほど立っていた。

「あの……?」
「ああ……なるほど」
「真吾さんはこんなのは相手にしないから大丈夫よ」

 振り返った維織を見た女性陣は、納得したかのようにうなずき、無言で去っていった。わけが分からないのは維織。首をひねりながらデジタル写真部へと向かい、その道すがらもいろんな女性が維織のことをじろじろと値踏みするような視線を向けてくる。居心地の悪さを感じながら、部室へと急ぐ。
 ようやくたどり着いた部室からは昨日とは違って中からきゃっきゃと黄色い声がしてきていた。昨日、真吾は維織をのぞいて真吾と璃々香の二人しか部に所属していない、と聞いたばかりだった。不思議に思いながら建てつけの悪い戸を開き、声の正体を知った。

「維織ちゃん、いらっしゃい」

 昨日よりはだいぶ落ち着いた色とは言え、それでも派手な濃い目の緑色のシャツを着た真吾を取り巻くように華やかな女性陣が黄色い声をあげていた。その様子に維織は顔をしかめ、戸を上に持ち上げるようにして音を立てて閉めた。
 維織は遠巻きに真吾から逃れるように部屋を移動して、璃々香がいると思われるソファへと近寄った。維織の動きを真吾の取り巻きたちは蛙を狙う蛇が獲物を狙うかのような視線を向けて来ていた。

「りりかは今日、来ないよ」

 維織は璃々香のようなお嬢さまタイプの人と付き合いが今までなかったのでどうすればいいのか分からなかったが、昨日の様子を見ると、真吾を取り巻いている人たちよりはまし、と判断した。だから、今のこの状況がなんなのか聞きたかったのだが、どうやら該当の人物はいないらしい。

「外に出て撮影してくるから、戸締りよろしくねぇ~」

 真吾はそういうなり、黄色い声をひきつれて部室を出て行ってしまった。
 維織は部室に一人になり、大きなため息をついた。今日は朝、家から出てから常に妙な視線を感じていたのだが、それがようやくなくなり気持ちが軽くなった。
 璃々香と真吾がいないのでなにをすればいいのか分からない維織は、部室内を片付けることにした。

 次の日、部室に行くと薄暗く、電気を付けると部屋の隅で丸くなって寝ている璃々香を発見した。今日もここに来るまでに嫌な視線をちくちくと感じていた。

「ああ……来たのね」

 璃々香はソファから降りて、大きく伸びをした。

「昨日、真吾の取り巻きが来ていたでしょ?」
「……取り巻き?」
「そう。今日の朝、ご丁寧にわざわざわたくしのところに来て、あの人たちはあなたの入部を認めていたわ」

 璃々香は欠伸をして浮かんだ涙を爪先で弾き、維織を見た。

「数日は周りがうるさいかもしれないけど、すぐにおさまるから」

 そういうとすっかり片付いたシンクに立ち、やかんに水を入れてお湯を沸かし始めた。

「あの……昨日から変な視線をたくさん感じるのですが」

 維織は思い切って口を開く。璃々香はやかんから維織に視線を移し、

「しんちゃん、病気なんじゃないかってくらい女の子が大好きなのよ。見た目はそこそこだけど、結構いろいろ知ってるし、女の子には優しいから、気がついたらいつも周りに女の子がいるのよ」

 優しい……?
 璃々香の真吾評価を聞き、維織は首をかしげる。会うなり強制的に部に入れられ、無理矢理ここに連れてきたことを思い出す。

「残念ながら、しんちゃんはあなたのこと、女扱いしてないわ」
「…………」

 それはいいことなのか悪いことなのか。維織はどう思えばいいのか悩んでしまった。

「毎年、この時期になると入部してくる子たちは大変なのよ。今年度は真吾も四年生ということもあってあまり積極的に勧誘はしなかったんだけど」

 璃々香は紅茶を淹れながら維織に説明してくれた。

「しんちゃんはこの部をなくしたくないみたいなの。わたくしは……」

 璃々香は視線を紅茶の入ったポットに視線を落とし、隣に置いた砂時計を見て、最後の一粒が落ちたのを確認してティーカップに注ぐ。

「ゴールデンウィーク、予定はある?」

 突然そう言われ、維織は驚いて璃々香を見る。

「毎年、新入生歓迎会と称して父が持っている能松島に泊まりがけで撮影会に行くの。予定があるのなら今年は取りやめにしようと思っていたんだけど」
「いえ……特には」
「そう。なら空けておいてね」

 にっこりと璃々香に微笑まれながら紅茶を渡された維織はどう返せばよいのか悩み、受け取りながらあいまいな笑みを返した。

     *   *

 朝六時、璃々香の家の車が維織の家へ迎えに来た。眠い目をこすりながら待っていた維織は、目の前に止まった黒塗りの車に一気に目が覚めた。
 ウインドウが開き、見知った顔が出てきたのを見て、ほっとする。
 運転手が降りて来て、後部座席のドアを開けて維織に乗るように促してきた。維織は両肩に担いでいた荷物ごと車に乗り込もうとして、運転手に止められた。荷物を渡し、中へ乗りこむと璃々香と真吾が後部座席に座っていた。維織は空いている席に座ると、相変わらず派手な色のシャツを羽織った真吾はにやにやとした笑みを浮かべていた。

「この車、すごいだろう?」

 真吾はさも自分の車のように自慢話を始めた。

「ガリューリムジンS50って車で、富山にある光岡自動車という会社の物で」

 維織は真吾の話の半分くらいしか分からなかった。

「今年もあそこに行けるとは思わなかったなぁ」

 真吾は一人、次から次へと二人が話を聞いているのかどうかも確認せず、独り言のように話している。維織は最初、真吾の話題の豊富さに感心したように聞いていたが、ほとんどの話題が分からず、聞くことを放棄した。
 真吾の声をBGMに、維織は流れる車窓をぼんやりと眺めていた。
 時はゴールデンウィーク初日。街路樹は青々と光り、頬をなでる風は心地よい。維織の瞳には次々と色鮮やかなさまざまな物が写っては消えていく。
 璃々香は光沢のあるパステルピンクのシルクのひざかけを肩までかけ、座席に丸くなって眠っている。
 維織はこの約一か月、部室で見かける璃々香はソファで丸くなって眠っているか紅茶を飲んでいるかだった。とても写真を撮るような人物には見えない。どうして璃々香のような人物がこの部にいるのか、維織にはずっと謎だった。
 この部に入るまで維織は写真を撮ることはほとんどなかった。どちらかというとあまり興味のない分野。しかし、真吾は取り巻きがいない時は維織にカメラの扱い方、撮り方やコツなどを思ったよりも親切に教えてくれた。
 真吾がいない間は部室の片づけにいそしんだ。無造作に積み上げられた段ボールの中はほとんどごみ。つぶして片づけると、ずいぶんとすっきりとした。

 そんなことを回想しているうちに、フェリー乗り場についたらしい。運転手にドアを開けられ、真吾がまず降り、維織は遠慮がちに璃々香に声をかけ、身じろぎをしたのを確認してから車から降りた。
 車外に出て、大きく深呼吸をする。新鮮な風に海辺独特の潮の香りに維織の気持ちが高揚してきた。
 運転手が出してくれた荷物を受け取り、待っていてもなかなか璃々香は降りてこない。

「りりか、置いていくぞ」

 しびれを切らした真吾は車の中に上半身を突っ込み、声をかける。その声に璃々香はようやく目を覚ましたようだ。のんびりと出て来て、外の潮風に少し顔をしかめる。
 璃々香の荷物は当たり前のように真吾が持ち、運転手に見送られながら三人は船着き場へと向かった。

「璃々香さま、お待たせいたしました」

 維織たち三人を見つけて、少し猫背気味の男が足を引きずるようにして近寄ってきた。

「ああ、赤塚さん」

 真吾は顔なじみなのか、日に焼けしわの多い男を見て、手を振っている。

「天野さま、今年もいらっしゃったのですか」

 赤塚は真吾を見て、かなり渋い表情をした。

「今年が最後だよ」

 憮然とした表情の真吾に赤塚は少しほっとした表情を見せた。

「おや? こちらの方はお初にお目にかかりますが」

 赤塚の視線を受け、維織は頭を下げて自己紹介をした。

「それでは、参りましょうか」

 赤塚が先導して、維織たちは一台のクルーザーに乗り込んだ。
 赤塚にキャビンに入っておくように言われ、三人は素直に中に入る。中は思ったより広く、大きな窓からは太陽の光が降り注ぎ、維織は興奮してきた。
 エンジンのかかる音がして、しばらくすると動き出した。

「すごいです!」

 外を見て、クルーザーが波を割って走る姿を中から見て、維織は楽しそうに口にした。

「そうだろう、これはヤマハのクルージングボートで……」

 せっかくの楽しい気持ちに真吾の解説が水をさした。声をシャットアウトして、維織は子どものようにシートの上に膝立ちして、外を眺めた。

 クルーザーに乗って約五分。目的地に着いたようで、ゆっくりと島影が維織の視界に入ってきた。
 緑の濃い島。維織の最初の印象はそれだった。

「この島は『能松島(のうしょうじま)』と言って、五十年ほど前に一人の男がここにこもってずっと能面を作っていたからそう呼ばれるようになったらしいの。この島の木はすべてクロマツなの」

 璃々香の言葉を受け継ぐように、真吾は口を開く。

「クロマツというのは塩に強いから防風林として……」

 維織は真吾のトリビアというか豆知識はスルーすることに決めた。

「おまえら、聞いているのか!」
「……聞いていません」

 維織は思わず、素直にそう返してしまった。

「維織……おとなしい奴かと思っていたのに!」

 維織は口に手を当て、璃々香を見た。璃々香はそれを見て、お腹を抱えて笑いだした。

「しんちゃんにそんな風に口答えする子、初めて見たわ!」

 箸が転んでもおかしい年頃はもう過ぎたはずだと維織は認識していたのだが、璃々香はいつまでも笑っていた。




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