『怨人─オニ─』


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五章・後



     *

 家のダイニングテーブルに座り、胡桃は明枝が作ってくれたお弁当を食べていた。いつもなら教室で友だちとしゃべりながら食べているので、家で一人は余計に淋しさを感じる。
「はーあ」
 制服から私服に着替えた胡桃は、思わずため息をこぼす。
 まったくもって、濡れ衣もいいところだ。思い出したらだんだん腹が立ってきた。
「なんだってあたしが謹慎を言い渡されないといけないわけ?」
 中学の時の素行の悪い先輩がよく出席停止を言い渡されていたけど、まさか自分も同じような扱いに遭うとは思わなくて、腹立たしいやら情けないやら複雑な気分だ。淳平あたりが知ったら大笑いされること間違いないなと思ったら、ますます悲しい気分になった。
 確かに先生から見れば、あまりいい生徒とは言えないかもしれないけど! と胡桃は自分の成績を思い出し、再度、ため息をつく。
「胡桃、食べ終わったかい」
 母が営む喫茶店でお昼を食べ終わった壮一が、胡桃の様子を見に戻ってきた。
「待って」
 最後に残していたおかずを口に入れ、胡桃はお弁当箱を持ち、台所に立つ。学校から帰ってきた時と同じようにお弁当箱を洗い、食器入れに伏せてから壮一の元へと向かう。
「こんなにいい子が自習をしたくないからって竹刀を振り回すなんてこと、するわけないよね」
 お弁当を洗って片づけをしている胡桃を見て、つぶやく。
「大学受験のことを気にしているのだろうけど、大丈夫だよ」
 お気楽な壮一の発言に、胡桃は思わず反発を覚える。
「お父さんになにが分かるっていうのよ!」
「あの担任よりは胡桃のことは分かっているとは思っているけど? そう思っているのは、ただのおごりかな?」
 にこやかに笑う壮一に、胡桃はそれ以上、なにも言えなくなった。
「いろいろ聞きたいことがあるから、神社で話そうか」
 誘われ、胡桃は素直に壮一についていく。
 今日の朝、淳平と落ち合ったあたりに視線をやる。あの独特な緑の皮っぽい皮膚がマンション向かいの家の脇路地に見えたような気がした。
「おや?」
 なにか気配を察したらしい壮一は、かけている眼鏡の蔓を持ちあげ、あたりを見回している。
「どうも最近、妙な気配がするんだよね」
 おかしいなぁとつぶやきながらエントランスを出て、神社へと向かう。
 マンションのエントランスは神社とは反対側に造られているので、神社に向かうにはぐるりとマンションを半周する形で向かうしかない。マンションの外壁を沿うようにして歩き、母が営む喫茶店『HOME』を横目に見つつ、鳥居をくぐり、手水舎で手と口をすすぎ、拝殿を通り過ぎ、後ろにある本殿へと向かうのかと思ったら、その横の宝物庫へ壮一は向かった。
 そこは、大掃除のときくらいしか入らない場所。どうしてそんなところに行くのだろうといぶかしく思いつつも胡桃は壮一の後に続いた。
 中に入り、明かりをつけた壮一は穏やかな笑みを浮かべて、胡桃を見る。
「胡桃は意味もなく、教室内で竹刀を振り回すような子ではないのを知っています。なにがあったのか、話してくれますか?」
 胡桃はどこから話せばいいのか分からなくて、昨日の出来事から順に話を始める。
 最初、壮一はどうして昨日の朔也と道場に向かっている話をしているのかといぶかしく聞いていたが、
「犬伏先輩が変な臭いがするって言って、路地に行くから追いかけたら」
 その時点で、壮一は胡桃にストップをかける。
「変な臭いがする?」
「うん。先輩はそう言っていたんだけど、あたしにはさっぱり。周りの家が作っている夕食のいい匂いしか分からなかった」
 そこで緑色のあの気持ちの悪い異形の者と対面したことを話した。
「緑色の? 背丈は二・三歳くらいの大きさの?」
「うん、そう。ってなんでお父さん」
 胡桃の答えに壮一はうなり、宮司服の袖に腕を入れる。その動作は、壮一が考え事をしている時の癖なのを知っている胡桃は、次の言葉をじっと待っていた。
「胡桃は『桃太郎』を知っていますよね?」
 突然なにを聞くんだろう、と胡桃は首をかしげる。
「桃から産まれたという男の子がきび団子を持って、犬、猿、雉とともに鬼が島に行って鬼退治をするという勧善懲悪が売りなお話でしょ」
 昔はこの話が好きで、壮一と明枝によくせがんで聞かせてもらっていた。
「そう。胡桃が小さい頃、このお話が好きでよく読まされたよ。今でも暗唱できるよ」
 今にもむかしむかし、とやり始めそうだったので胡桃は止める。
「で、お父さん。その『桃太郎』がどうしたの?」
 壮一は胡桃の質問に答えずに宝物庫の奥へと歩いていく。胡桃はその場で待っていた。しばらくして壮一は、ぼろぼろになった巻物を持ってきた。
「この神社に昔から伝わる巻物なんだけど、保管状態があまりよくなくて、ぼろぼろなんだよね」
 床の上に置き、慎重に開いていく。
「この神社の縁起物で、ここは『桃太郎』が造ったものらしいよ」
「それ、初耳」
「そうだろうね。普通に考えたらすぐに嘘だと分かることだから。それに、一般的に『桃太郎』の舞台はここから遠い場所と言われているし」
 胡桃は日本地図を頭に描き、自分のいるところと桃太郎の舞台と言われた場所を描き、かなりの距離があるのを改めて認識した。
「その桃太郎伝説も諸説あってどれが正しいのかも分からない。この巻物に書かれていることは箔をつけるために適当に書いたものだと思っていたんだよ、つい最近まで」
「違っていたの?」
「正確に言えば、違っていたのだけど。まあ、あながち違いはないのかなぁ」
 釈然とせず、胡桃は眉をひそめる。
「この縁起によれば、桃太郎が造ったとあるけど、それはさすがに有り得ないんだ、年代的に」
 この神社は相当古いが、桃太郎のモデルになったとかいう人物は紀元前の人らしいので、それはさすがに違うだろう。
「正しい年代はともかく、あやかって建てられたのは間違いない。なんたってこの神社は桃の字が入っているからね」
 壮一は、先ほど取りだした巻物をゆっくりと開いていき、
「ああ、あった」
 つぶやき、胡桃にそこを見るように指示す。胡桃は言われるがままに見て、口に手を当てる。
「これって」
「胡桃はこれを見たの?」
 胡桃はうなずくことしかできなかった。その巻物には墨一色でしか書かれていなかったが、何度か見かけたあの異形の者が書かれていた。
「身の丈三尺(約九十センチ)ほど、手足が異常に長くやせ細り、皮膚は骨にはりつき……」
 異形の者の横に書かれているみみずが這ったような字を壮一が読んでいるのを聞き、胡桃は叫ぶ。
「そう、これを見たの! 教室にいたから、竹刀で追い払おうと思ったの」
 胡桃は思い出し、悔しくなって唇をかむ。
「なるほどねぇ」
 壮一はうなずき、巻物を丁寧に巻き、また奥へとしまい込んだ。
「他に記述がないのか調べたけど、あの巻物にしか書かれていなかったんだ」
 戻ってきた壮一は、泣きそうな胡桃の頭をなでる。
「昨日は先輩と見かけたの?」
「うん。路地の奥にいたのを先輩が見つけたの。だから逃げようと思って、でも先輩は気持ちが悪くて動けなくて、置いて逃げられなかった」
 そこまで話をして、朔也とだれにも言わないと約束したのを思い出し、口を閉じた。
「どうした、胡桃?」
「犬伏先輩と約束してたんだ。だれにも話さないって」
「約束は破ることになるかもしれないけど、重要なことだから話して」
 途中まで話してしまったので最後まで話すことにした。壮一は担任とは違って話を聞いてくれる。それに信頼もできる。昨日の出来事から今日の朝の話まで壮一に話した。
「淳平くんが?」
「うん、耳が痛いって。でも、あの緑色の変なのがいなくなったら治ったと言ってた」
 壮一は腕を組んで唸っている。
「昨日のその先輩が、なんて苗字だった?」
「犬伏」
「淳平くんが、猿木」
 犬に猿か、とつぶやく。
「胡桃が桃太郎か」
「え、やだあたし。太郎だなんて」
「絵本に描かれる桃太郎はみんなポニーテールだし。いいんじゃない?」
 笑う壮一に、胡桃はふくれる。
「どうせあたしは男勝りですよーっだ」
 担任に言われたのを思い出し、余計に機嫌が悪くなる。
「胡桃はかわいいかわいい娘だよ」
 壮一は笑ったのは悪かったと思ったのか、少し真面目な表情をして胡桃を見つめる。
「クラスみんなの記憶からあの気持ちの悪い『怨人オニ』が消えたのならよかったじゃないか。胡桃にしてみれば証言してくれる人がいないという辛い立場に立ってしまうわけだけどね」
「お父さん、オニってなに?」
「怨む人と書いて『怨人』。負の感情を抱いたまま死んだ人間の気持ちの塊、と言えば分かりやすいかな」
 壮一は宝物庫から出るように胡桃に促す。
「それじゃあ、見回りに行ってくるから。なにかあったら、ケータイ鳴らして」
 壮一は胡桃に黒い携帯電話を振って見せた。ストラップ代わりの鈴が涼やかに鳴る。
「行ってらっしゃい」
 宮司服のまま、壮一は神社を出て行った。
 胡桃は社務所に行き、来るのかどうか分からない参拝客を待つことにした。
「『怨人』ねぇ」
 確かにあの異形の者は恨めしい瞳をしていた。それを思い出し、胡桃は背筋が凍るような気持ちになった。






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