『怨人─オニ─』


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一章・後



     *

 万代はアルバイトを無事に終え、夜道を足早に慎一郎の家へと向かっていた。髪の毛は三角巾をしていたのでだれにも気がつかれなかった。
 今日は早番で、本来ならもっと早くにアルバイトを終わることができていたはずなのに、風邪をひいたという遅番の子が来られなくなり、万代は無理矢理、遅番も任されてしまった。休んだ子が仮病なのを万代は知っていた。なぜなら、アルバイトに来る途中でその子を目撃したからだ。彼氏と仲良く手を繋いでどこかへ向かっていた。デートが楽しくて、仮病を使って休んだのだろう。いつもならそれだけ働けば給料が増えるからうれしいのだが、今日はアルバイトが終わってから慎一郎のところへ行こうと思っていたから、少し難色を示した。店長はいつもは従順な万代が断わりそうなのを見て、おまえを首にして同じ高校の奴らも全員首にするぞと脅してきた。万代は泣く泣く、遅番も引き受けた。
 どうせ死ぬのだから、自分が死んだ後のことはどうでもいいとは思ったものの、元来、小心者の万代には嫌とは言えなかった。そのせいで、ずいぶんと遅い時間になってしまった。普段なら暗い夜道を歩くのも怖いのだが、どうせ自分は死ぬのだからと思ったら怖くなかった。
 万代は慎一郎の家に着き、ふと我に返った。なにも考えないで勢いでここまで来てしまったが、よくよく考えれば、高校生が出歩いてもいい時間帯ではない。慎一郎がもう寝ているとは思わなかったが、それにしても訪問するには常識外れの時間である。
 だからわたし、嫌われるんだ!
 万代は出直そうときびすを返した途端。
「野尻、ようやく来たのか。待っていたんだ」
 突然、後ろから声をかけられ、万代は端から見ても面白いほど飛び上がった。
「なにそんなにビビってんだよ。ったく、いつまでおれを待たせる気なんだ? 顔も性格も常識外れだな」
 慎一郎の暴言に万代は泣きそうになったが、しかし、こんな時間に訪問する方が慎一郎が言う通りに常識外れなのは確かなので、言い返せなかった。
「ほら、これを受け取れよ」
 慎一郎は万代に向かってなにかを投げた。万代はとっさに反応できず、慎一郎の投げたものを思いっきり顔面で受け取ってしまった。
「った」
「どんくさいなぁ」
 慎一郎は万代を見て、笑っている。
「早くそれ、拾えよ。そいつ、怒ってるぞ」
 万代は顔面をさすりながら、慎一郎から投げつけられたものを探す。が、目の前には小さな石ころしか見当たらない。
「あの」
 万代は疑問に思い、慎一郎をうかがうように声を上げる。
「それだよ、それ。ただの石のようにしか見えないかもしれないが、それはうちの家宝のひとつだ」
 『家宝』の言葉に、万代はあわてて道端に落ちている石を拾う。ただの石のはずなのに、手に取ると表面に電気でも走っているのか、びりびりとしている。
「ほう。やはりおれの読み通りか。ソレ、気難しくてさ。おまえのその負の感情が気に入ったようだな。見ろよ、緑に光ってるだろう?」
 慎一郎に言われ、万代は手に持った石に視線を落とす。先ほど道路に落ちていたソレはただの石のように見えたのに、今は手のひらの中で不気味に緑色に光っている。
「ソレをやる。使い方は直接、ソレが教えてくれるよ。どうせ死のうとしているんだろう。これから起こることなんて、死ぬことに比べたらなんてことないから。おれを楽しませてくれよな、野尻」
 慎一郎は鼻で笑い、万代に一瞥もくれずに家へと戻ってしまった。
 万代はたたずんでいたが、見回りの警察官に声をかけられてあわてて家路へと急いだ。
 万代が家に戻っても真っ暗だった。母は帰ってきていないようだ。万代としては好都合だったので安堵のため息をつき、部屋に入った。シャワーの準備をして、お風呂場へと向かう。脱衣所の鏡を見て思い出す。切られてしまった髪をどうにかしなくては。
 洗面所の棚を探し、髪切り用のはさみを見つけた。それを持って、万代は服を脱いで浴室へ入る。シャワーをひねり、お湯が温まるまで流している間、浴室の鏡を見て涙が溢れそうになる。
 はさみを持ち、鏡を見ながら長さを整える。根元から切られてしまったところは少し禿げのように見えるが、これは仕方がない。髪を短くして隠すようにしたことであまり目立たなくなったような気がする。
 万代は髪を切り終わって、鏡を見た。思っていたよりきれいに切ることが出来て、満足した。温まったシャワーを頭から浴びて、万代は泣いた。どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのだろう。
 シャワーからあがり、万代は髪の毛を乾かして部屋へと戻った。夕食は食べていなかったが、食欲がなかった。自分は死ぬのだ。食事を一度くらい抜かしたって、大した問題ではない。もうなにも考えたくなかった。今日はなんだか疲れた。宿題も予習も、そんなもの知らない。布団へと潜り込み、目を閉じるとすぐに眠くなった。

     *

 万代は、夢を見ていた。
 それが夢だと気がついたのは、死んだはずの父親が目の前にいたからだ。悲しそうな表情をして、万代のことを見ている。
 お父さん、そんな顔で見ないで。わたしもすぐ、お父さんの後を追うから待っていて。
 万代は心の中で思うと、父はもっと悲しそうな顔をして、遠ざかって行った。悲しい顔は見たくなかったが、久しぶりに夢の中ででも父に会えて、万代は満足した。
 急に場面が変わって、今度は河原のような場所に万代は立っていた。霧が立ち込めているのか、あたりはうっすらと白い。
 ここはどこなんだろう……。
 万代は疑問に思いつつ、あたりを見回した。白くかすむ視界の向こうに、影がうっすらと見える。そのシルエットはこちらへと向かっていた。近づいてくるにつれ、それは人だということが分かった。
 濃紅の打ち掛けを着た女性が立っていた。顔は緑色をしていて、唇からは長い牙がむき出しになっている。それは昔、どこかの神社で見たことのある鬼のお面そっくりだった。万代はその恐ろしい表情に悲鳴をあげそうになった。
『われを呼ぶは、おぬしか』
 濃紅の打ち掛けを着た女性と思われる人は万代を見て、口を開く。お面をしているのかと思ったが、女性がしゃべると口の部分が開くので、お面ではなさそうだ。万代は一歩、後ろに下がる。
『われが怖いか』
 万代が一歩後ろに下がったのを見て、濃紅の打ち掛けの女性は悲しい響きを乗せ、万代に問いかける。
『われとおぬしは、似ておる』
 似ている? どこがだろう。
『われの名は、みどり。嫁入りをし、祝言の席で初めて顔を合わせ、醜女と罵られ切られたのじゃ』
 翠と名乗った女性は緑色の顔をゆがませ、万代を見ている。
『おぬしはまだいい』
 なにがいいのか分からず、万代は首を振る。
『おぬしには、まだ思ってくれる人がいる』
「いないっ」
 万代は耐えられなくて叫んだ。
 自分の声に目が覚めた。室内はまだ薄暗かった。万代は飛び起き、肩で息をする。妙な汗をかいていた。時計を見ると、まだ夜中の二時。大きく息を吐き、ベッドに再度、もぐりこんだ。

     *

 真っ白でまったく汚れを知らない美しい織りの入った白無垢を着た女性が、長い木でできた廊下をゆっくりと歩いている。白無垢を着た女性は顔を隠すように白いものをかぶっているので顔が見えない。
 前後にたくさんの人間に囲まれ、流れに沿うようにして女性が歩んでいる。ひとつの部屋につき、女性は三つ指をついて頭を下げている。声は聞こえない。しかしいきなり、
『なんじゃ、この醜女は!』
 怒声が聞こえ、続いておやめくださいませ、などという制止の声が聞こえてくる。
『だまれっ!』
 静かになった。畳を踏み締める音が聞こえ、鋭い光が目に射し込む。片目を閉じ、光をやり過ごそうとしたが、その光は刃が放ったものだと気がつき、逆に見開いた。
『ええいっ! そのような醜い顔をさらしおって』
 テレビ画面でしか見たことのない時代劇の衣装を着た人物は激昂して刀を振り下ろす。血が飛び散り、切りつけられた女性は悲鳴をあげることなく崩れ落ちる。
『このような醜女を送りつけてきて、おのれっ』
 刀を持った男は廊下に伏せている女性の背中に容赦なく刀を立てた。
『おやめくださいませっ』
 周りの家臣たちと思われる人たちが止めに入る。
 女性の背中に突き刺さった刀の周りは血がにじみ、白無垢は赤く染まっていく。
『姫さま!』
 女性はそれなりの家柄で結婚のためにこの屋敷に来たのだというのが分かった。侍女たちは事態を把握して、悲鳴を上げて女性を取り囲む。しかしどうみても即死にしか見えなかった。
『姫さま、姫さま!』
 小柄な女性が駆け寄ってきた。年の頃は、刀を背中に刺して絶命している女性と同じくらい。小柄な女性は、その背に取りすがって泣いている。
『そこにおるおなご。おぬしが姫の代わりに嫁げば、今日のことはなかったことにしてやろう』
 だれが見ても愛くるしいという感想が返ってくる容姿の女性は、周りの家臣に取り押さえられた男に好色な視線で見つめられている。
『あなたのような無礼な人の物になるくらいでしたら』
 女性は立ちあがり、姫の背中に突き刺さったままの刀を抜き去り、慣れない手つきで刀を握り、男に切りかかる。
『無礼者!』
 刀は男にたどり着く前に周りの家臣たちにたたき落とされ、取り押さえられる。
『謀反じゃ!』
 男の一言に、家臣たちは騒ぐ。
『女は即、打ち首じゃ。姫の従者たちもすべて殺してしまえ。戦じゃ! これは宣戦布告じゃ』
 結った髪を振り乱し、男は叫ぶ。
『戦じゃ! 相手方すべてを殺してしまえ』
 男の声に家臣たちはすぐに姫の従者をとらえ、刀を抜いてその場で切っていく。

     *

「ひどい……」
 万代はその光景を見て、泣いていた。
『ひどいであろう』
 いつの間にかまた、先ほどの河原に万代は立っていた。あまりの理不尽さに怒りを覚え、涙があふれる。
『われははめられたのじゃ』
 大国に囲まれていた翠御前の国。なにか口実を作って戦を仕掛けようと、虎視眈々と狙われていた。しかしなに一つ理由を見いだせず、無理矢理にも翠御前の醜さが利用されたという。
『大国の息のかかった国じゃったのじゃ。向こうからわれを望んだのに、ひどい仕打ちじゃ』
 万代は翠御前の言葉に胸が痛む。目の前に立つ翠御前は、確かに緑色の皮膚に牙をむいて怖いが、もともとはそれほどひどい顔ではなかったのではないかと思う。濃紅の打ち掛けと思っていたが、彼女が着ている物をよくよく見ると、色はまだらで、裾のあたりは引きずって土で汚れているものの、その上は白く、徐々に赤黒い色がついている。これはどうやら、あの切られて刺された時、彼女自身から流れた血の色のようだった。
『おぬしはわれを欲した。われはおぬしが気に入った。おぬしを馬鹿にするものは、われが代わりに制裁をくだしてやろう』
 緑色の顔に牙は怖かったが、口角をあげて笑った顔は思っていたよりは怖くなく、むしろ先ほどの彼女の悲しい境遇を知ってしまったら、妙な親近感が湧いてきた。
「わたしを助けてくれるの?」
『ああ。われはおぬしを助ける』
「どうやって助けてくれるの?」
 すっかり万代は翠御前のことを信用していた。
『先ほど手にした石があるじゃろう? あれに念じるのじゃ』
「念じる?」
 万代はいぶかしく思い、首をかしげる。翠御前はさらに口角をあげ、笑う。
『さすれば、あの石から助けが現れる』
 よくわからなかったが、翠御前がそう言うのだからそうなのだろう。万代がうなずくと、視界が真っ白になった。
『このことはだれにも言うなよ』
 声がして、万代は意識を失った。




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