『月をナイフに』


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《七》月をナイフに01



 真珠の声を聞き、円蓋の外の三人は同時に声を上げた。

「カッシー、どうしたんだ!」
「カッシー、何事ですか!」
「カッシー、入るぞ!」

 一歩前へ踏み出し、円蓋の入口に手を掛けたルベウスをモリオンが制止した。

「待て! 許可がなければ入っては……!」
「緊急事態だ。それに、どう考えてもこの状況、おかしいだろう!」
「しかし……」

 円蓋の前で押し問答をしていると、部屋が急に明るくなった。

「うわっ」

 いきなりのことに三人は声を上げ、顔を手で覆う。

「わああ!」

 円蓋の中からも声が上がった。

「どうした、カッシー!」

 モリオンは一度きつく目を閉じ、それからゆっくりと目を開け、指の隙間から部屋の中の様子を見た。

「!」

 モリオンはまぶしさを忘れ、顔を覆っていた手を払いのけ、目を見開いた。

「ごきげんよう、お兄さま」

 着衣が少し乱れているものの、そこには常と変わらぬ笑みを浮かべたアメシストが立っていた。

 マリは聞き覚えのある声に驚き、顔を覆っていた手を払いのけ、声の主を見た。

「あ……アメシストさま……」

 そこには、紫水晶の中に閉じ込められていたはずのアメシストが立っていた。

「マリもご苦労さま。わたくしのためによく頑張ってくれましたね」

 いつもの儚い笑みのはずなのに、マリの背筋になぜかぞっと冷たい汗が流れた。

「まさかここに『隠し』ているなんて……。アレクも考えましたわね」

 マリは違う、と頭を強く振った。
 違う。
 これはアメシストではない。

「さすが救世主さまですわ。見事に探し出してくださいました」

 アメシストの視線をたどると、部屋の隅に真珠が倒れていた。

「ご褒美はなにがよいかしら? そうね……わたくしの僕(しもべ)にして差し上げますわ」

 アメシストはふふっと笑い、真珠へと近寄った。

「ねえ、救世主さま。この女はなにをしようとしたか、ご存知?」

 アメシストは部屋の真ん中の黄色い水晶に閉じ込められているシトリンを指さし、聞いてきた。

「この女は、娘であるわたくしを壊そうとしたのよ? 許せないわよね?」

 真珠はアメシストが部屋に入ってきて円蓋を取り払った時、吹き飛ばされて壁にぶつかり、気絶してしまっている。だから答えたくても答えられない。

「どういう……こと、だ」

 代わりに、モリオンが声を絞り出すようにして聞いた。

「お兄さまも聞いてくださる? この女はアレクと共謀して、次の長(ラーヴァ)であるわたくしを亡き者にしようとしたのよ?」

 アメシストは悲しそうな表情をして、小さく首を傾げた。

「わたくしはこんなに力を持っているというのに、どうして? それに、シトリンはダイアンとディーナに祈りを捧げてわたくしを授かったのでしょう? おかしな話よね?」

 部屋はしんと静まり返っていた。

「それにしても、この世界は……いえ、この国はおかしいと思いません? どうして水晶族の女たちが犠牲になって、祈りを捧げなくてはならないの?」

 アメシストの質問に、やはりだれも答えられない。

「わたくしだって普通の娘として生まれてきて、恋をしたかったわ。それなのに、自分を犠牲にして……国の安寧のために毎日を祈りを捧げて過ごすなんて」

 アメシストは紫色の瞳を潤ませて、モリオン、マリ、ルベウスの順に視線を向けた。

「そんな犠牲、払いたくないですわ」

 モリオンは目を見開き、アメシストを見た。
 アメシストは胸の前で両の手を合わせ、瞳を伏せた。長い睫毛の先に雫が見える。

「シトリンは日に日に衰弱していっているのが分かりました。それでも、身を削って祈りを捧げていました」

 アメシストは重さを感じさせない足取りで、黄水晶に覆われたシトリンに近寄った。

「ほら、ご覧なさい。シトリンの額の水晶は濁っているでしょう? このまま行くと、ヒビが入ってやがて割れるでしょう。これが割れたら、わたくしたちの命が尽きるとき」

 アメシストは睫毛を濡らしていた涙を振り払うために二・三度瞬き、きつく瞳を閉じた。アメシストのこぼした涙は硬質化して、紫色の水晶へと変わり、頬を伝って床へと落ちた。

「この国は、わたくしの命を懸けてまで守る価値のあるものなのですか?」

 アメシストは瞳を開け、モリオンを見た。

「お兄さまはわたくしが衰弱していく姿を黙って見ていられますか? わたくしは、母であるシトリンが弱っていくのを黙って見ていられなかった」

 アメシストが口を閉じると、身じろぎする音も聞こえない、静かな空間になった。

「乙女たちも消耗が激しく、わたくしも限界でした」

 アメシストは愛おしそうに、シトリンが閉じこめられている黄水晶の表面を指先で撫でた。

「この世界は、限界を迎えているのです」

 アメシストは黄水晶に手のひらを当てた。

「世界の再構築が必要……」

 アメシストの手のひらから淡い紫色の光がこぼれ始めた。

「アメシスト、待て!」

 モリオンはアメシストがなにをしようとしているのか分かったようだ。
 しかし、足は地面に縫いつけられているかのごとく動かすことが出来ない。

「みなさん、そこで待っていてくださいね。あなたたちはシトリンを見つけてくれた功労者として、そして、これから始まる新しい歴史の生き証人になってもらいますから」
「待てっ!」

 モリオンは有らん限りの力を振り絞り、アメシストを止めるために足を上げようとするのだが、まったく動かすことが出来ない。

「さようなら、『お母さま』」
「!」

 途端。
 目を開けていられないほどの光の渦が現れ、小部屋全体に覆った。
 それだけでは足りなかったようで、光は急激に膨らみ、部屋は耐えられずに爆発して、壁と屋根を吹き飛ばした。

「うわっ!」

 壁や屋根を吹き飛ばしたほどの爆風は中にいた人たちも巻き込み──モリオン、ルベウス、マリ、そして気絶していた真珠までもバラバラにとばされてしまった。

┿─────────────┿

 真珠が気がついたのは、宙を飛んでいる最中だった。

「う……? え? えええっ?」

 すごい勢いで、風景が流れていっている。

「なっ、なにっ?」

 なにが起こっているのかさっぱり分からないが、一つだけ確実に分かっていることがある。それは、このままだと墜落してしまうということだ。
 地面にぶつかって痛い思いをするだけならまだしも(いや、それも本当は嫌ではあるが)、これが原因でこの世からさようならするのだけは勘弁したい。
 真珠は自分の身体が徐々に地面に近づいているのを感じながら、必死に考える。
 一番いいのは、痛くなくて無事に地面に降りられることだ。
 となると、考えられる対策は二つ。
 まず一つは、これ以上、高度を下げないこと。このまま宙に止まるのがいいような気がするが、それは無理な注文である。
 もう一つは、高度を保つことが出来ないのであれば、落ちた時にできるだけ痛くないようにすることである。
 これには二つほど対策を取ることが出来る。
 落下する勢いを今より緩やかにすること。
 あるいは、落下した時に痛みを感じさせないこと。──これには下になにか緩衝材みたいなものを置くのがいいだろう。
 しかし、その緩衝材なんてだれが用意するんだというので、この案は却下だ。
 となると、落下している勢いをどうにか殺すことが最優先、となるのだが……。
 考えておいてなんだが、そんなもの、真珠は持っていない。
 落下傘パラシュートでも背負っているのならまだしも、今の真珠が身につけているのはこの世界の服と、寒さ対策のためのマントくらいだ。
 マントを広げてムササビのように飛ぶ、というのも考えたが、下手に身体を動かしたらその途端に真下に落ちてしまいそうで、真珠は怖くて動けないでいた。
 そうしてぐずぐずと考えているうちに、もうそこまで地面は迫ってきていた。







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