『月をナイフに』


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《六》幻影世界へ10



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 真珠の発言に、モリオンは険しい表情を浮かべ、睨み付けた。しかしここは薄暗く、周りが見えない。
 真珠はラーツィ・マギエと口にした後、あっと思って両手で口をふさいだが、すでにこぼれでた言葉は戻らない。
 モリオンに斬りかかられるかもしれないと身を固くしたが、なにも起こらなかった。

「どういうことだ、説明しろ」
「うん……」

 モリオンが思ったよりも冷静でほっとしたものの、根拠があって口にしたわけではない。
だ。

「アメシストさまにこの世界に喚ばれたとき」

 そのときのあの意識を奪われそうな嫌な感覚を思い出し、真珠は顔をしかめた。出来たら二度と味わいたくない。

「ぼくの中になにかが入ってきた。たぶんあれは、ラーツィ・マギエだ」

 酷く冷え切った心。
 なにが起こったのか分からなくて、あの時、真珠はものすごく混乱していたけど、とても危険な状態だった。
 それなのに真珠は『きゃー、琥珀ぅ』とはしゃいでいた。
 それがラーツィ・マギエが呆れる原因となったのだが、暢気だったなという感想しか真珠にはない。

「それと、さっきもだれかがぼくにしきりにささやきかけてきていた。その二つの気配はとても似ていたんだ」

 根拠薄弱だけど、あんなぞっとする雰囲気を持った者が何人もいてはたまったものではない。
 こちらに喚ばれた時に真珠の身体乗っ取りに失敗したため、真珠の意識を消そうとしたのではないだろうか。
 真珠がいない世界を見せた後、琥珀と珊瑚がいない世界を真珠に見せて、絶望の淵に立たせて真珠に
「生きること」
を諦めさせようとしたのだろう。
 しかし、どうしてラーツィ・マギエは真珠の身体を欲しがるのだろうか。

「いや、しかし……。ラーツィ・マギエは黒髪の乙女を好むというが……」

 薄暗くて見えないはずなのに、モリオンとルベウスの視線を感じたような気がして、真珠は身体をすくめた。
 ようやくモリオンの疑いが少しずつ晴れてきているような感じなのに、今、女だとばれてしまうとマズイ。
 どう言い訳しようかと悩んでいたら、

「まあ、カッシーはちっこいから、女に間違えられたのかもしれないな。ラーツィ・マギエもそそっかしいな」

 とルベウスが助け船を出してくれた。
 加工場チャーヌに入る前に頭に巻いていた布が取れて、髪の色を見られてしまったが、それもどうにかごまかした。そしてルベウスはともかく、モリオンは真珠のことを完全に男だと信じ込んでいるようだ。

「……まあ、いい。存在しない片割れを必死に探しているようなヤツだからな。なりふり構わず、だれだっていいのかもしれないな」

 モリオンの言葉はむちゃくちゃだったが、真珠は必死になってうなずいた。

「ラーツィ・マギエがオレたちにあんなものを見せて、どうしたかったんだ?」
「……たぶんだが、ぼくの身体を乗っ取ろうとしたのではないかと」
「乗っ取り?」
「ああ、そういうことですか。分かりました」

 マリは手を叩き、続けた。

「ラーツィ・マギエは肉体を持ちません。隙あらばだれかの身体を奪ってやろうとしているのですが、なかなかそんなもの、見つかりません。だけどカッシーは他の世界からやってきましたから、簡単に奪えると思ったのではないでしょうか」

 マリの説明に、モリオンはうなり、なるほどと呟いた。

「ラーツィ・マギエは黒髪の乙女を好むというだけであって、絶対の条件ではないみたいだしな」

 モリオンが二・三度うなずく気配がした後、真珠はばんっと強く肩を叩かれた。

「った」
「カッシー、悪かったな。オレはどうやら、誤解をしていたようだ」

 そういうと、モリオンは再度、真珠の肩を強く叩いた。

「あいつが節操なしだったのを、忘れていたよ」

 それもそれでどうかと思うけれど、真珠のことをラーツィ・マギエではないということは分かってもらえたらしい。
 モリオンの手が肩から外され、真珠はそっとひりひりと痛む肩に手を当てた。
 もう少し手加減をして欲しかった。

 モリオンの誤解が解けたらしいところで、真珠はそういえばと思い出した。

「ここは……?」
「はい、場所は変わっていないようです」

 すっかり忘れていたけれど、ここは加工場チャーヌで、敵陣だ。
 しかも導かれた部屋には、ラーヴァが身体が休めるための円蓋が置かれていたのだ。
 アメシストは神様の屋根サンブフィアラの側に天幕を張ってそこにいるはずなのだ。
 ということは……。
 中にいるのがだれかを確認しようと円蓋の幕を捲ったところで、真珠の住む地球と思われるところへと飛ばされたのだ。

「もう一度、確認しよう」

 ルベウスは無言で明かりを付け直し、高く掲げてくれた。
 真珠はもう一度、慎重に幕をめくり……恐る恐る、中を覗き込んだ。

「!」

 ぼんやりと明かりが浮かび上がらせたのは……真っ白な布、だった。

 真珠は数回、瞬きをした。
 円蓋の色も白だから、対岸の布が見えたのかと最初、思ったのだ。
 しかし、どうも距離がおかしい。
 円蓋の横幅は真珠が両手を広げたのより少し大きめ。奥行きも同じくらいだ。
 中に見える白い布は、どう見ても円蓋の真ん中の辺りになにかを覆うように存在している。

「明かりを借りてもいいか?」

 ルベウスは円蓋の入口辺りで中が見えるように持ってくれているが、それではよく見えない。
 だから真珠は明かりを持って中に入って確認しようとしたのだが……。

「カッシー! これ以上はっ!」

 とマリが制止の声を上げてきた。
 しかし、そういえば真珠がこの世界に召喚されて、精霊ファナーヒを見て昏倒した時、アメシストは円蓋の中で真珠を休ませてくれた。
 それなのにどうしてマリは必死になって止めようとするのだろうか。

「大丈夫だよ」

 真珠はルベウスから明かりを奪うようにして受け取り、さっと中へと足を踏み入れた。
 円蓋の入口の布を押さえる人がいなくなったため、ぱさりと音を立て、閉まった。

「あの……シトリンさま、いらっしゃいますか?」

 真珠は声を掛け、明かりを高く掲げた。
 いくら暗いとは言え、とても狭い空間だ。
 真ん中にかなりの大きさになる白い布を被った物体と真珠以外、だれかいるように見えない。
 白い布を被った物体の高さは真珠より少し高いくらいで、大きさは両腕で抱えられるくらいの大きさだった。
 真珠は首を傾げ、恐る恐る、白い布に触れた。手のひらに返ってきた感触は、とても固い物だった。
 これはなんだろう。
 真珠は手に持っていた明かりを床に置き、地面に垂れ下がっている白い布の端を握った。少し捲ると、鈍い光を放つなにかが見えた。

「シトリンさま?」

 この布の下にシトリンが隠れているのだろうか。
 それもどうだろうか。
 真珠は白い布から手を離して立ち上がった。きっと答えはこの白い布の下にある。真珠はそう確信して、思い切って白い布を取り去ることにした。

「シトリンさま、失礼します」

 それだけ告げると、真珠は白い布を握りしめ、思いっきり引っ張った。
 白い布はするりと簡単に真珠の腕の中におさまり……。

「あ……」

 目の前に現れたものに対して、真珠は驚きの声を上げた。





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