『月をナイフに』


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《五》変わりゆく世界10



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 必死になって上ってきた道を降りるのはとても悔しかったが、あのままあそこにいても仕方がない。
 モリオンは肩を落として気落ちしているのが分かったが、それでも真珠たちの後ろからついてきているから放置しておくこととなった。
 降りるのは上るときより楽かと思ったが、きつかった。
 油断をすると吹き下ろす風に煽られて転げ落ちそうになるし、思った以上に滑るし、なによりも足に響く。最後のあたりは足がガクガクと笑っていた。
 空は相変わらず赤黒かったが、端が橙色に染まり始めたのが見えて、日が沈みだしたのが分かった。思ったより時間が経っていたようだ。
 気がつけば昼も食べていなかったことを思い出し、真珠のお腹はぐぅと情けなく鳴った。こんな状況なのに健康だからなのか、お腹は空腹を主張している。

「少し休憩をしよう」

 萎れた植物の影に隠れ、残り少ない食事を取り出す。筒は捨てずに水を汲み、入れてある。
 めっきり少なくなった乾いた肉を小さく切り取って口に入れ、味がなくなるまで噛みしめる。とにかくかんで、しっかりと食べていると脳をごまかすしかない。
 だれもなにも喋らない。ただ黙々と食事をした。
 食事というにはわびしい内容ではあったが、少し胃に食べ物が入り、水分も取った。休むことも出来た。
 ルベウスは全員が食べ終わったのを確認して、口を開いた。

「夜陰に紛れて侵入するか」

 残された食糧のことを考えても、あまり悠長にしていられないのは確かだ。ここになにかがあるのかないのか、早いところ確認をして、次に進みたい。

「暗くなってきたから見えにくいが、あそこが商人たちがやりとりをする口だ」

 ルベウスが指さす方向を真珠は見た。
 食事をしている間に日が落ちたので見えにくいが、うっすらと見える。
 といっても、壁だけだが。

「少し先に行くと木の扉がある。そこがダメなら、裏口があるはずだ」
「どうして知っているのですか」

 マリは知らなかったようだ。

「まあ、商人に護衛を依頼されることもあってね」

 ルベウスは皮肉そうな笑みを浮かべた。

「ま、そんな訳で、そこがダメなら奥の裏口へ行こう」

 真珠たちはもう少し休み、もっと辺りが暗くなってから動くことにした。
 寒いのだが、火を焚くと見つかってしまうというのでマントにくるまってやり過ごした。
強く冷たくなったような気がする。
 真珠はぶるりと震え、マントをさらにきつくかき寄せた。

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 辺りはすっかり暗くなった。
 しかし建物の外は明かりは付かず、暗いままだ。これでは明かりを付けると目立ってしまう。だからといって、暗いままだとなにも見えない。暗闇に目が慣れているとはいえ、少し先はまったく見えない。

「困ったな」

 ルベウスは明かりが付くことを期待していたのかもしれない。宛てが外れてしまったようだ。

「この様子だと、もしかしたら中に引きこもって、外にはだれもいないかもしれませんね」

 うー、とルベウスは唸っているが、真珠は気になることがあった。

「今更だけど、聞いてもいいかな?」

 真珠のその声に、視線が一斉にこちらに向いたのが気配で分かった。暗くてよく見えないが、それでもいきなり注目されてしまい、真珠は戸惑った。

「なんだ?」

 ルベウスのきつい声に、真珠は思わず口ごもってしまった。

「言うことがあるのなら、早く言え」
「え……あ、はっ、はいぃ」

 なかなか喋ろうとしない真珠に対し、ルベウスはきつい声で促した。

「や……えーっと、基本的なことをお伺いしますが」

 そこで真珠は一度切り、大きく息を吸った。

「この中に入って、どーするの?」

 真珠のその一言に、ルベウスとマリの動きが止まった。

「それは……」

 ルベウスは真珠の突っ込みに対して、しどろもどろながら答えを返した。

「たぶんだが、この中に楽園パラディッサの行き方が……」
「だけどそれは確かなことではないんだよな?」

 そう突っ込まれると、ルベウスはますますなにも言えなくなってしまう。

「危険を冒して、ここにはなにもないってことを確認する必要はある?」

 真珠の質問に、マリは顔を上げた。

「あります。『ない』という情報も、今のわたしたちには必要です」

 もちろん、ここに楽園パラディッサに関する確かななにかが存在すれば、それは手間にならないし、そうであってほしい。だけど、この様子を見ると、ここにはなにもなさそうだ。しかし、現時点ではそれも確実なことではない。
 ここになにか『ある』のか『ない』のか。
 その判断さえ、真珠たちは正しく下すことが出来ないでいる。

「ここになにもなかったら……どうするんだ?」
「……これ以上、ここに留まるのは危険ですし、なによりもわたしたちは現在、食糧が二回分しかありません」

 そうなのだ。肝心の食糧が二回分しかないのだ。様子を見て、どこかの村で調達をするか、森でどうにかするしかないのだが、森の植物たちは萎れ、食べられそうにない。
 前のように食べられる動物が襲ってきてくれたらなんてルベウスは物騒なことを言っていたが、それほどまでに困っていた。

「ねえ、マリ。前にここに来たって言っていたけど、それはいつ頃でどんな用件で来たの?」

 真珠はなんとなく引っかかっていたのだ。
 マリは今はアメシスト付きの護衛だが、それ以前は神様の屋根サンブフィアラの護衛をしていたらしい。そんな人がどうしてここに来たのだろうか。

「それは……」
「マリちゃんはアメシストさま付きで色々と喋ることができないこともあると思うから、話せる範囲でいい」

 ルベウスのその言葉に後押しされ、マリは慎重に口を開いた。

「アメシストさま付きになる前で、極秘任務ということでわたしと数名が選ばれ、神様の屋根サンブフィアラからここまでとある荷物を運ばされました。大切に扱い、ここに荷物を運んだことは口外法度と言われた以外は、特には」

 そしてここで、マリはなにかを思い出したのか、自嘲気味な笑みを浮かべた。

「……言わないようにと言われたのに、うっかりここに来たことを洩らしてしまいましたから、わたしはもう、アメシストさまの側にはいられませんね」

 マリの声は苦笑していた。

「運んだ物がなにだったのか、わたしには分かりません。ですけど、運び終えた後、アレクさま……いえ、アレクに呼ばれ、それぞれが昇進しました」
「昇進した?」
「はい。わたしを始め、任務をともにした人たちは神様の屋根サンブフィアラの周辺護衛だったのですが、神様の屋根サンブフィアラの中に入ることを許され、わたしはアメシストさま付きの護衛でしたし、他の二人も神の乙女イジレウの護衛になりました」

 なにか裏があるようにしか思えないこの極秘任務。マリたちはここになにを運び込んだのだろうか。

「その荷物を運んだのは、マリたち三人だけ?」
「いえ。わたしたちだけでは心許ないとアレクは思ったのでしょう。神の乙女イジレウの護衛が二人、ついて来ました」

 五人で極秘に荷物を運んだ、ということなのは分かった。

神の乙女イジレウの護衛二人は?」
「荷物とともに、ここに残りました。だからわたしたち三人が戻った時、神の乙女イジレウの護衛が二人抜けてしまったため、わたし以外の二人が護衛へと昇進したのです」

 荷物とともに、神の乙女イジレウの護衛がここに残った。
 それの意味するところはなんだろう。

「……だけど今、その疑問を確認するには圧倒的に時間もないし、関係ないよなあ」

 真珠は思わずそう、独りごちた。





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