《二》旅立つのも困難なのですっ05
見間違え、だろうか。
真珠は思わず、眼鏡を持ち上げ、目を片方ずつこすり、にらみつけるように近寄ってきている人物を見た。
マリも気が付いたようで、あわてて浮かんでいた涙をぬぐい、振り返る。
「……モリオンさま?」
それが事実ならば、隠れてやり過ごすか、もう一度、戦うかのどちらかしかない。
真珠はあわてて周りを見回すが、萎びた植物が街道沿いに生えているくらいで、しかも、今からそちらに逸れても逃れることはできそうにない。だからといって、再戦闘は避けたい。おろおろとしている間に、モリオンは二人との距離を大幅に縮めてきた。
近づいて来るにつれ、モリオンの様子がおかしいことに二人は気が付いた。頬は赤く上気して、目はきらきらと輝き、もしも彼が犬ならば、尻尾を思いっきり振って親愛の情を示しているほどの状態だ。対峙した時、あれほどの殺意を向けられていたのに、どうしてこうまでも態度が一変してしまったのだろうか。
「マリー! 待ってくれないかあ!」
拍子抜けするような声が追いかけてくる。
「逃げる?」
引きつったマリを見て、真珠は反射的にうなずくと、同時に走り出した。
「待ってぇー! 逃げないでぇ」
間の抜けた声が、二人に迫ってくる。
追われている二人が、待ってと言われて素直に止まるわけがない。走るのが苦手だし、血を吐きそうなほどの戦闘をしたばかりの真珠は、正直な話、倒れてしまいたい。だが、そうすることは終わりを意味している。真珠は歯を食いしばり、少しでもモリオンとの距離を稼ぐ。
結局──。
モリオンに追いつかれ、真珠とマリは腕をつかまれてしまった。
「やめてください、モリオンさま!」
「やめろ! 離せぇ!」
真珠にとって、モリオンに捕まるのは、死を意味する。なにがなんでも逃れなくてはならない。必死に掴まれた腕をふりほどこうとするが、外れないどころか、抗えばあらがっただけ、きつく握られる。指先が腕にめり込み、かなり痛い。
「痛いって! 離せっ!」
「離したら逃げるだろう!」
当たり前だ、逃げるに決まっている! という言葉を飲み込み、真珠は恨めしそうな視線をモリオンに向けた。
モリオンは真珠を見て、妙な羞恥心を覚えた。自分よりも背の低い、少年。凛々しいというよりかは、かわいらしい雰囲気を醸している。きっと、そのことを素直に口に出せば、少年は必死になって反論するであろうことは、容易に分かる。それなのに、気がついたらモリオンはつい、口にしてしまった。
「おまえ、かわいいな」
真珠はモリオンの言葉に目を見開き、口をぽかんと開け、まじまじと見つめた。
そして今、これでも男装をしていることを思い出し、首を振った。
「もしかして、そんな趣味が……ある、の、か?」
恐る恐る、確認の言葉を口にする。
「のわっ!」
モリオンは誤解されたことを知り、慌てて真珠の腕を離した。真珠はその拍子に後ろに飛び退き、モリオンと距離を取った。このまま逃げたかったが、マリがまだ、捕まったままだ。
「マリを離せ!」
モリオンは首を振って、拒否を伝えた。
「……両刀?」
「違うっ! オレはアメシスト一筋だっ!」
その言葉に、真珠だけではなく、マリまで顔色を変え、モリオンを凝視した。
「シスコンに近親相姦? さらには両刀なんて、最悪じゃん」
真珠のつっこみに、モリオンはマリを捕まえていた手も離して、全身で否定する。
「ちっがーうっ!」
マリは解放されたのが分かると、モリオンの側から素早く離れた。
「モリオンさまは、昔からアメシストさまをとても大切にされていました。あれほど素晴らしい方は、そうそういらっしゃいませんから、理想とされるのは分かりますけど……」
マリは気の毒そうな表情をモリオンに向けた。そして、とどめと言わんばかりの言葉を紡ぐ。
「さすがに、血の繋がったご兄妹は……」
真珠は冷ややかな視線をモリオンに向けた。
「そんなもの、言われなくても分かっている!」
「それなら……いいのですけど?」
疑いの視線に、モリオンは肩を落とした。
「それでは、わたしたちは先を急ぎますから」
打ちひしがれているモリオンに一言告げ、マリは歩き出した。
真珠は慌ててその背中を追いかける。
二・三歩歩いたところで、モリオンは顔を上げた。
「ちょっと待ってくれ!」
モリオンの制止の言葉に、真珠とマリは同時に身体を強ばらせ、そろりと顔を見合わせた。それぞれの顔に浮かんだのは、同じ表情だった。
──逃げる?
二人はうなずき合い、駆け出そうとした。
「だから、待ってくれ! そこの小さい男。……おまえに、忠誠を誓う」
モリオンの唐突なその言葉に、真珠とマリはまた、顔を見合わせた。
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まったくもって、意味が分からない。
モリオンは真珠に
「忠誠を誓う」
と言うなり、二人の荷物を強引に受け取り、肩に担いだ。
正面突破が無理だとあっさりと諦め、二人にひっついて、隙があらばの作戦に変えたのかと疑ったのだが、モリオンはそうではないと否定して、ひたすら、なんとかの一つ覚え状態で真珠に忠誠を誓うと繰り返した。
「いきなり態度を変えられても、戸惑うんだけど」
「戦いを挑んだのは、実力を知りたかったからだ!」
と、本当なんだか嘘なんだか分からないことを口にする。
「忠誠なんていらないから!」
と言うものの、モリオンは引き下がらない。
真珠は結局、あまりのしつこさに折れて、モリオンの同行を許可した。マリも疑いの目を向けているが、ここで押し問答するのも時間の無駄だ。とにもかくにも、三人は情報を仕入れるために、街へと向かうことにした。
モリオンは恐縮しているマリを言いくるめ、二人の荷物を軽々と抱えて歩いている。曰く、これも修行の内らしい。
アメシストの兄という割には、甲斐甲斐しいというか、なにか裏があっての行動のような気がしてならない。
真珠もなんだか落ち着かなくて、自分で持つと申し出るのだが、モリオンも頑固で、首を振り続けていた。
モリオンが先導するように前を歩き、真珠とマリはその後ろを並んで歩いていた。
街道沿いの木々は相変わらず萎びてはいるが、徐々に背丈が低くなり、一度、途切れると、ほぼ同じ大きさに揃えられた石を積み上げた塀が見えてきた。真珠が塀に見とれていると、モリオンが振り返り、口を開いた。
「カッシー、指名手配が出ているの、知っているか?」
その口調はどこか楽しそうで、真珠は思わず、ムッとする。
「そんな人間が、のこのこと街に行ってもいいのか?」
モリオンに指摘され、真珠は足を止めた。
そうだ。マリを差し向けられ、さらにはアメシストの兄であるモリオンまで、真珠を捕らえるためにこうしてやってきているのだ。
「どどどど、どーしようっ!」
今になってあわて始めた真珠を見て、マリは盛大なため息を吐いた。
マリにしてみれば、なにを今さら、だ。緊迫感がないというか、状況をきちんと把握していないというか。狼狽している真珠に聞かせるように、マリは口を開いた。
「この格好は目立つと思うのです」
マリは着ている全身真っ白な服を指差した。
「白は神聖な色でして、許可を得た者以外の着用は認められないのです」
今まで気にしていなかったが、モリオンを見ると、黒っぽい物をきている。
神様の屋根で見た、アメシストとアレクを思い出してみる。アメシストは白いドレスを着ていた。アレクは濃い緑色のマントを羽織っていた。どんな服を着ていたかは、思い出せない。たぶん、モリオンが着ているような服だった……と思う。
そのモリオンは、前合わせの服で、左肩の辺り、その下、裾と紐で結んであり、袖口は、同じように紐で縛ってあった。下半身は腰の部分で紐で結び、腰巻きの形は女性用、股の部分で分かれているものは男性用のようだ。モリオンが着用している物は、動きやすいように足首の辺りで裾が結ばれている。真珠はそれを見て、今、はいている裾の部分が広がって歩きにくいこの下穿きよりいいなと思った。
真珠がモリオンの着ているものを観察している間、マリは横で難しい顔をして、ずっとなにかを考えていたようだ。意を決したようにモリオンを真っ直ぐに見つめる。
「モリオンさま、お願いがあるのです」
「なんだ?」
思い詰めたかのようなマリの切迫した声に反して、モリオンはのんびりと返事をした。温度差を感じて、真珠は小さく笑った。マリは気がつき、真珠を横目で睨むと、モリオンを正面から見据えた。
「わたしたちがこの格好で街に入ると、目立ちます」
「そうだな」
「大変、不躾なお願いなのは重々承知の上で、その……」
「旅装束を買ってこい、と?」
言い辛そうにしていたマリの言葉を先読みして、モリオンはそう、口にした。マリは下唇をかみしめ、うなずいた。
「おまえたちはそこの塀の裏で待っていろ」
モリオンはそういうと自ら先導して、塀の裏に回り、二人の荷物を置くと、すぐに街道に戻り、早足で街へと向かっていった。
「モリオンさまを信じて、待ちましょう」
マリはモリオンが荷物を置いた場所に移動して、息を吐きながら地面へと座った。
真珠もそれにならい、地面に座って、塀に寄りかかった。
「もしも、だけど」
マリの言葉を受け、真珠は疑問に思ったことを口にする。
「ぼくたちの味方のふりをして、アレクに連絡を取っていたら、どうするんだ?」
「カッシーは、どうしますか?」
質問をしたのに、逆に聞き返され、真珠は面食らった。が、自分ならどうするか考え……選択肢は一つしかないことに気がついた。
「逃げる……」
真珠の回答に、マリは苦笑いのような複雑な笑みを浮かべた。
「……それしか、ないですよね」
「だけどっ」
真珠はマリに顔を向けた。
「マリは逃げなくてもいいよ。むしろ、このまま戻って、アメシストさまの側にいた方が……」
歩きながら、真珠は分からないなりに考えたのだ。
アメシストはなにか理由があり、真珠をこの世界に呼んだ。
真珠がきっかけだったか否かは考えても分からないから、この際、横に置いといて、巨大水晶が粉になり、さらにはアメシストが紫色の水晶になるという大事件が起こってしまった。
アレクのせいで、真珠はその犯人にされてしまい、マリとモリオンという刺客に襲われたが、仲間になってくれた……らしい。
真珠はこの二人を信頼してもいいのか、未だに判断しかねていた。マリもモリオンも、真珠を油断させておいて捕らえようとしているのかもしれない。二人を信頼するには、真珠には情報が少なすぎた。それは、マリとモリオンの二人も一緒のはずだ。信じてもらえないのは辛いが、真珠にはなに一つとして二人から信頼してもらうためのなにかを提示することができない。
「マリはぼくに騙されたって言えば、アレクもきっと、手心を加えてくれるよ」
もちろん、旅に同行してもらえるのなら、それがいいに決まっている。この世界のことは真珠はまったく分からないのだから。しかし、真珠は今、指名手配されていて、追われている身だ。そんな人間と一緒にいると、マリは不利にならないか。
「どうしてですか! アメシストさまをあんな姿にした男の元へ戻れと?」
マリは目を見はり、真珠を見た。真珠は塀に力なく寄りかかり、うつむいている。
「わたしは、アメシストさまにひどいことをしたアレクが許せません。楽園にたどり着けば──」
マリは言葉を飲み込み、拳を作った。
「アメシストさまのお世話係として、お救いするのもわたしの役目だと思っています」
だから、とマリは続ける。
「わたしはどうあっても、楽園に行かなくてはならないのです!」
強い決意を口にしたマリがまばゆく見えて、真珠は目を細めた。
「ぼくも……行くよ」
真珠はそう口にして、拳を握りしめた。