『月をナイフに』


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《一》呼ばれても困りますっ02



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 昼の休憩時間になり、真珠はようやく、自分の席に座ることができた。
 真珠の正面には、同じ学年だがクラスの違う貝守珊瑚かいもり さんごが笑いながら、弁当を食べている。名前から分かるように、琥珀の妹だ。

「お兄ちゃんを怒らせるなんて、真珠くらいだよ」
「好きで怒らせたわけじゃないし……」

 真珠は唇をとがらせて、反論する。

「ま、昔からお兄ちゃんは真珠に対してだけはきついから。他の人間には興味がありませんって顔してるのにさ」

 真珠はきらきらと顔を輝かせ、珊瑚を見て、口を開いた。

「琥珀はあたしのこと、好きなのかな? もしかして、あれが噂のツンデレってヤツ?」
「あ、それはないから。お兄ちゃん、いい加減な人間は嫌いだし」
「うっ……」

 真珠は珊瑚の言葉を甘受した。正論すぎて、言い返せない。

「しっかし、二時間連続で立たされるなんて、相変わらずねぇ」

 慌てて教室に戻ったものの、教師よりも後だった上、髪の毛はばさばさのままだった。真珠はしこたま怒られ、またもや廊下に立たされた。
 トイレでの出来事はなんだったのか悩んでいたら、あっという間に授業が終わったので苦ではなかったが、それでも、正直なところ、凹む。

「で、なんだっけ?」

 珊瑚に促され、真珠は夢の内容とトイレの出来事を話した。

「フロイト語録によると、『夢は現実の投影であり、現実は夢の投影である』だから、無意識のうちの願望が夢に表れてるんだと思うけど?」
「……最近はフロイトにはまってるんだっけ?」

 突然のフロイト語録に真珠はあきれた。

「その前はなんだっけ?」
「忘れたわ。『忘れるのは、忘れたいからである』ってフロイトも言ってるし」

 どうやら、前にはまっていたユングは彼女の中では黒歴史扱いらしい。

「フロイトにはまって、次にユングじゃないの、普通は?」
「馬鹿ね。フロイトさまがいたから、ユングが世間に出てきたのよ?」

 珊瑚の言い分が分からなくて、真珠は思わず、頭を抱えた。
 本の虫である真珠は、フロイトもユングも目は通したが、さほど印象に残っていなかった。なんでも性衝動に結びつけるのが気に入らなかった、という感想くらいしかない。しかし、それを口にすれば、珊瑚の怒涛の反論が待っているのは容易に分かっていたので、黙った。
 貝守兄妹は、二人して真珠を翻弄するのが得意なのだ。

「だけど、白昼夢を見るほど寝不足なの?」

 珊瑚は少し心配したような表情を真珠に向けてきた。

「白昼夢……」

 授業中に居眠りしていて夢を見た、というのが正しいのだが、どちらにしても、授業中に見るものではないのは間違いない。些細な差でしかなかったので、真珠は特に訂正をすることなく、珊瑚の質問に答えた。

「ここ三日くらいかなあ。夜明けになると必ず、しゃりーんって感じの音がして、神々しいというか、煌(きら)びやかというか……眩しい光の後、金髪に紫色の瞳の、いかにもお姫さま~って感じの女性があらわれて」
「真珠、間違いなくそれ、ファンタジーの読み過ぎ」

 真珠の言葉を遮り、珊瑚はばっさりと言い放った。
 真珠は唇を尖らせ、珊瑚を見る。

「昔っから夢見がちだとは思っていたけど、とうとう夢まで見ちゃったか」

 ため息混じりの珊瑚の声に、真珠は反論する。

「確かに、『はてしない物語』に『ナルニア国物語』、最近のだと『ハリー・ポッター』も好きで、繰り返し読んでるけどっ!」
「『指輪物語』は?」
「意外なことに、未読」
「えー。なんでぇ? 本の虫、略して虫な真珠があんな王道を読んでないなんて!」
「ちょっと、待って! どうしてそう略すのっ?」
「なんとなく?」

 なんとなくで虫と言われてしまった真珠は、心を落ち着かせるために残りのおかずを口に入れて、咀嚼した。

「虫並みの脳みそしかないんだから、間違ってはないでしょ」

 ここでいちいち怒っていては、身が持たない。真珠は珊瑚の言葉をスルーして、弁当箱を片付けた。

「それで、まだ髪の毛、直してないの?」

 そうなのだ。真珠はまだ、髪の毛を直していなかった。さすがにそのままだと邪魔なので一つにくくってはいるが、校則違反だ。直ちに二つに分けて三つ編みにしないといけない。
 珊瑚は肩に掛からない長さなので、結ぶ必要はない。さらさらで艶のある髪質が羨ましいほどだ。
 真珠の髪は癖があり、短くするとはねるので、伸ばしている。ただ、それだけの理由だ。毎日、髪を洗って乾かすのも大変だから、短くしたいというのが本音だ。

「あの……それが、ね」

 真珠はもじもじと珊瑚を上目遣いで見て、おもむろに口を開いた。

「そのぉ。またあの変な声を聞いちゃったら人間に戻れないような気がして」

 珊瑚は目を見開き、真珠を見つめた。

「虫……だよね?」
「ちっ、違うっ! 本の虫なのであって、虫ではないからっ!」
「ほーら、やっぱり虫じゃん。ノミ並みの心臓ってこと?」

 どこまでも虫扱いにしたがる珊瑚に対して怒りを覚えたが、しかし、このまま髪の毛を結ばないでいるのも教師の怒りを買う原因になるし、また廊下に立たされてしまったらそれこそ伝説を残してしまう。それだけは勘弁したかった。
 なので、真珠は平身低頭な姿勢で珊瑚にお願いをする。両手を机につき、珊瑚に向かって頭を下げた。
 それを見て、珊瑚は思いっきり嫌な表情をしたが、頭を下げている真珠にはそれは見えなかった。

「あのぉ……申し訳ないんだけど、一緒にお手洗い、ついて……きて、くれる?」

 お願いを口にしながら、少し頭をあげて、ちらりと珊瑚を見やると、思いっきり不機嫌な表情が見えた。
 その表情が大好きな琥珀にかぶって、兄妹だなぁ……なんて考えていたら、気がつくと、珊瑚に抱きついていた。

「あああ、今のその表情、琥珀みたいで素敵っ!」
「……真珠。わたし、レズになった覚え、ないんだけど」
「その冷たい口調も琥珀みたいっ。もーっ、大好きっ」

 真珠は珊瑚の頬に口づけ、さらにはほおずりまで始めてしまった。端から見ると、かなり異様な光景だ。
 しかし、周りは慣れているのか、そんな二人の姿を冷ややかな視線で見つめている。また始まった……くらいにしか思っていないようだ。

「告白なら、間に合っています。あんな最低な男でいいなら、お兄ちゃんあげるから、きちんと本人に告白して」

 珊瑚も毎度のことで、迷惑顔で真珠をはがそうとするが、これがなかなか、手強い。最近は特に実害はないし……と諦め気味であったりする。

「いやああんっ。そんなの、無理に決まってるじゃないっ」
「はいはい、分かったから。とりあえず、告白に行くにしても、その頭だとまた怒られるよね」
「怒られるでもいいの。だって、その間、琥珀のこと、あたしが独り占めできるもんっ」

 真珠の壊れている発言に珊瑚は特大のため息を吐き出し、

「馬鹿につける薬はないっていうけど、ほんとだわ……」

 とぼそりとつぶやき、真珠の襟首をつかみ、べりっとはがして投げ飛ばした。

「あんまり馬鹿なことばっかり言ってたら、相手にしてもらえなくなるわよ?」

 投げ飛ばされた真珠は、冷たいリノリウムの床に座り込み、珊瑚の言葉に衝撃を受けていた。

「嘘……! そ、そんなの、嫌だっ。だって、琥珀、あんまりしゃべってくれないけど、怒ってるときはたくさん話してくれるんだよ? あの声を聞いていたら、あんまりにも気持ち良くなっちゃって、昇天しそうになっちゃったこと、幾度あることか……!」
「……ヘンタイ」
「今日の授業中も、あんまりにもいい声で、うっかり睡魔に……」

 真珠はそのときのことを思い出したのか、頬に手をあて、うっとりとした表情でどこかを見つめている。

「あの声で、耳元で『好きだよ』なぁんて囁かれたら、それだけでイケる!」

 危ない妄想に浸りそうになっている真珠を相手にするのがだんだんと面倒になってきた珊瑚は、空になった弁当箱を手に持ち、椅子を片付けた。

「あんたに付き合ってたら、こっちまでヘンタイだと思われるわ」
「あっ……! 教室に戻るのなら、お手洗い経由でっ!」
「なんで……?」
「だってぇ、一人で行くの、怖いの」
「おまえはガキかっ!」




 珊瑚は結局、真珠のわがままを聞いているあたり、真珠に甘いというかなんというか。口ではあれこれいいながらも、この手のかかる幼なじみのことを放っておけないようだ。
 手洗いの中は、いつも通り、女生徒でにぎわっていた。

「珊瑚、ありがとね。報酬はあたしのちゅーでいい?」
「それは報酬とは言わない。嫌がらせというの」
「あー、もう、たまらない、そのツンデレっ!」
「ツンのみ、デレなしっ!」

 珊瑚は呆れ、洗面台に弁当箱を置くと、個室へと向かった。
 真珠は端っこで髪をとき、二つに分けた。しっかりブラッシングをして、均等に三つに分けて、結び直す。左右ともに結び直したところで、珊瑚が戻ってきた。

「あ、あたしも行く」
「早くしてよ」

 その声に慌てて駆け込み、用を足して、手を洗った。

「ありがとう」

 律儀に待ってくれていた珊瑚にお礼を言うと、デコピンが返ってきた。

「ったいっ!」
「きちんとお礼を言えたから、ご褒美」
「あああ、珊瑚も琥珀みたいで、素敵ぃ」

 珊瑚は付き合っていられないとため息を吐き、弁当箱を持って手洗いを出た。

「あああ、待ってぇ」

 真珠は慌てて、珊瑚を追いかけた。





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