《二十五》
日曜日にも幸にメールを送ったが、返事はなかった。
最初はそれこそ送るだけで良かったのだが、ここまで返事が来ないと不安になってくる。
そもそもメールが届いているのだろうか。届いていたとして、メールは読んでくれているのだろうか。
確認したくても、肝心の幸からはなにも返ってこない。
それでも万里は仕事が終わった後に余裕があれば、一言でもメールを送り続けた。
そうやってメールを送り続けてどれくらい経った頃だろうか。
金曜日の夕方、終業時間間際。
今日は珍しく、こんな時間なのに大和と閏はオフィスにいた。
「今日は残業なしで行けそうだな」
と上機嫌な大和の声に、万里もほっとしていた。
ここのところずっと残業続きだったので、万里は疲れていた。
万里の手持ちの仕事もすでに終わり、先送りにしていたオフィス内の片付けにいそしんでいたところだった。
どこからか唸るような音が響いてきて、万里はどきりとした。
なんの音だろう。
疑問に思ったが、それはすぐに切れた。
資料作成に必要と取りだしていた本を棚に片付け、ゴミをまとめていると、やはりどこからか聞こえてくる。なんだろうといぶかしく思いつつも、それはある一定期間で切れるので、気にしないことにした。
片付けも終わり、終業時間も終わったので帰るとなった段階で、万里は音の正体がなんだったのか分かった。
ロッカーから鞄を取りだし、肩からかけた。その途端、あの唸るような音が間近で聞こえた。先ほどから鳴っていたのは、鞄の中からだったようだ。
万里は慌てて鞄を開け、中をまさぐった。
指の先に当たったのは、携帯電話。掴んで取りだし、着信名を見て、万里は息を飲んだ。
「……幸さん」
万里の呻くような声を大和が聞きつけ、鋭い視線を向けた。
「幸から連絡?」
「……はい、そのようです」
万里は携帯電話と大和を交互に見て、判断を仰いだ。
「電話に出て」
という指示に従い、電話に出ようとしたのだが、途端にぷつりと途切れてしまった。
「切れたので、掛け直します」
大和がうなずいたのを確認して、万里は幸へと電話を掛け直した。
呼び出し音が鳴る前に、幸と繋がったようだ。出てくれたことにほっとしたが、電話の向こうですすり泣く声がする。
「幸さんっ?」
今まで、メールを出し続けても返事がなかった幸が、何度も電話を掛けてきているのだ。なにか緊急事態でも発生しているのだろう。
「幸さん、今、どちらですかっ」
耳を澄ますと、幸のすすり泣く声と喧噪が聞こえてくる。
「幸さん!」
万里の呼びかけに、しかし、幸は答えない。
万里は辛抱強く、幸の言葉を待った。
幸も少し落ち着いてきたのか、徐々に静かになってきた。
「幸さん」
万里はもう一度、呼びかけた。
『あのね……万里』
ようやく受話器の向こうから聞こえた声は予想以上に枯れていて、万里は思わず、息を止めた。
『…………』
それっきりまた幸は無言になった。
万里は困り、大和と閏に視線を向けたが、眉間にしわを寄せ、黙ったままだ。
万里は幸が口を開くまで待つことにした。
じっとしていると、ざわめきが聞こえる。どこか外にでもいるのだろうか。
受話器の向こうで、大きく息を吸い込む音がした。
『万里っ、助けてっ!』
絞り出された悲痛な声に、万里は電話を握りしめた。
「幸さん、そちらにうかがいますから、どちらにいるか場所を教えてください!」
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万里たちは今、幸がいると告げられた場所へと車で向かっていた。
運転は万里が行い、後部座席に大和と閏が乗っている。
幸がいると言った場所は、幸の通っている大学の近くの公園のようだ。
そんなところでなにをしているのだろうと万里はいぶかしく思うのだが、今はそんなことよりも早いところ、幸の元へ行きたいという焦る気持ちが大きかった。
金曜日の夕方は帰路につく車であふれていて、思うように前に進まない。苛立ちながらも久しぶりの運転ということもあり、万里は深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせることに努めた。
のろのろながらもどうにか公園の近くにたどり着いた。
「俺が運転を代わるから、ここで降りて幸さまを探してこい」
「はいっ」
万里は路肩に車を止め、携帯電話を握りしめ、飛び出した。
万里は走りながら、幸へと電話を掛けた。幸にはすぐに繋がった。
「幸さん、公園に着きました。今、どちらにいますか?」
『公園の南口から入ってすぐのお手洗いにいる』
「分かりました。すぐに行きますから、そこから動かないでいてください」
万里はそれだけ告げると電話を一度切った。まずは公園内の地図を探した。幸がいるという南口というのはどこなのだろうか。
地図を見ると、どうやら万里がいる真反対のようだ。またここまで戻ってくるのも大変なので、一度、閏へと連絡を入れることにした。
閏の番号は聞いていて知っているが、仕事以外で掛けるのは初めてだ。なんだか妙にどきどきする。番号を呼び出し、通話ボタンを押す。すぐに繋がった。
「あの、万里です」
『……どうした』
電話を掛けたのだから耳元で閏の声がするのは当たり前のはずなのだが、妙にどきどきしてしまう。思わず動揺してしまった。
「あっ、そ、そのっ! 幸さんはどうやら、南口にいるみたいなんです。今、私が降りた辺りは公園の北口で、真反対みたいですから」
『分かった。車を移動させておく』
「お願いします」
それだけ伝えると、万里は電話を切り、幸が待つ南口に向かって走り出した。
夕闇に沈んでいく公園は、酷く不気味だ。
外灯がそれなりにあって灯ってはいるものの、この時間帯の独特の寂寥感が不安を強くする。
太陽が沈み、色を失っていく公園の木々は、妙に黒くて怖い。
足を止めてしゃがみこんでしまいそうになる気持ちを叱咤して、万里は幸の元へと急いだ。
幸はもっと、不安に思っているはずだ。その一心で、万里は足を動かした。
幸がいるという南口は、北口より明るかった。明かりを見て、万里は少し、気持ちが落ち着いた。
幸がいると言った手洗いはすぐに見つかった。
「幸さん」
薄暗い女子用の手洗い入口に立ち、万里は声を掛け、そっと中を覗いた。しかし、扉はどこも開いていて、幸がいる様子に見えない。
「幸さんっ?」
万里は焦り、個室を覗き込むが、姿が見えない。
ここで待っていて欲しいと言ったが、万里がくるのを待っていられなかったのだろうか。
万里は手洗いを飛び出し、救いを求めるように閏へと電話を掛けた。
「あのっ、幸さんが、いないんですけどっ」
『幸さまの電話に掛けてみたか』
万里の慌てた声に少しも動揺した様子を見せない閏に、万里は妙に落ち着いた。
「まだです。掛けてみます」
閏のアドバイスを聞いて、動揺してしまった自分が恥ずかしい。
万里は幸へと掛けると、すぐに繋がった。
「幸さん、南口のお手洗いに着きました」
『……ほんと? 周りにだれもいない?』
「はい、私だけです」
幸はなにを不安がっているのだろう。
「幸さん、なにか……」
万里の質問の声に被るように、後ろから扉が開く音がした。
「幸さん!」
どうやら幸は、多目的の手洗いにこもっていたようだった。万里は幸の姿を見て、思わず安堵のため息がこぼれた。