『愛してる。』


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メイドに愛をこめて01



 『出会いから新生活まで』をキャッチフレーズに、いわゆる結婚相談所的な会社を高屋秋孝とともに立ち上げた奈津美と蓮。当初は慣れない仕事に失敗を繰り返してきた二人だったが、ようやく軌道に乗って来ていた。そんな矢先に奈津美は妊娠していることがわかった。嬉しかったが戸惑い、しかし、蓮も秋孝もバックアップしていくと言ってくれたし、待望の妊娠であったので、つわりに苦しみながらも出産予定日ぎりぎりまで働いていた。そして奈津美は長女の文緒を産み、一年の育児休暇を経て仕事復帰を果たしたばかりであった。
 フェアリー・テイルの一室。入室してすでに数分経っているが、奈津美と蓮の前に座っている黒髪の女性はなにも言葉を発しない。奈津美が口を開こうとしたところ、
「……すみません」
 と消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にした。
 女性の名前は根岸芳香(ねぎし よしか)。奈津美の復帰第一号のお客さまでもあったりするので、よく覚えていた。
「いきなり謝られても、あのっ」
 ようやく口を開いてくれたと思ったら、突然の謝罪の言葉に奈津美はうろたえる。そして次に告げられるかもしれない話のパターンを頭の中で数種類ほど考え、落ち着かない気持ちになる。
 芳香がフェアリー・テイルを訪れたのは、数か月前だった。仕事場は女性ばかりで出会いがないので紹介してほしいということだった。今現在、同じように出会いを求めてフェアリー・テイルに登録している男性を調べ、年齢も条件も問題ない人物を見つけ、紹介した。そして思っていた以上にスムーズにことが運び、先日、カップル成立となっていたはずだ。二人からすでに紹介成功料が入金されていたので、次は頃合いを見て再び連絡を取って、うまくいっているようなら結婚式の手筈をと思っていたところであった。
 まさかあのあと、うまくいかなくて別れたからお金を返してほしいといったたぐいの謝罪の言葉なのだろうか。
 奈津美は先ほどよぎった考えの一つを再度意識に上らせて、そうでないことを祈った。
「その……相談がありまして」
 奈津美と蓮は思わず、身構える。やはり、うまくいかなかったのだろうか。
「もしかして……」
 奈津美と蓮の悲壮な表情を見て、芳香はなにか勘違いされていることに気が付き、あわてる。
「おかげさまで、交際は順調そのものなんですっ!」
 その一言に、奈津美と蓮はあからさまにほっと胸をなでおろした。
「それならよかったです」
 奈津美はえくぼを刻んで笑みを浮かべ、芳香を見る。
「よろしかったら、お茶をどうぞ」
 目の前に出したお茶を一口も飲んでいないことに気が付き、奈津美は芳香に勧める。芳香は桜柄の湯のみに手を伸ばし、お茶を口にした。それを確認して、奈津美もお茶を口にする。妙な緊張をして、のどが渇いてしまっていた。
「それで、相談というのは?」
 奈津美は芳香が湯のみを戻したのを確認して、質問する。
 芳香は湯のみに向けていた視線をあげ、奈津美を見る。
「お二人に相談するのは間違っているのかもしれませんが……その、だれに話をすればいいのかわからなくて」
「いえいえ、かまいませんよ」
 たぶん、芳香の相談内容は紹介した男性がらみのことだろう。奈津美はそうめどをつけ、芳香に紹介した男性のことを思い出していた。
 二人が芳香に紹介した男性は辻角隆弘(つじかど たかひろ)という名で、年齢は芳香の二つ上で、会社員だ。黒髪に茶色の瞳で中肉中背。眼鏡をかけた優しそうな男性だ。
「その……」
 芳香はものすごく言いにくそうにうつむく。
 奈津美の知っている芳香ははきはきしていて、見ているこちらもすがすがしい気持ちになるような明るい女性だったのだが、今日はよほど言いにくいことなのか、ずっとうなだれている。よほど困っていることなのだろうなということはわかるが、内容はまったくわからない。
「もしかして、蓮がいるから話しにくいこと?」
 奈津美は蓮に視線を向ける。しかし、芳香はあわてて否定した。
「いえっ、そういったお話ではなくてっ」
 芳香は真っ赤になった。こうも話にくそうにしているからとつい気をまわしてしまったが、どうやらそういう話ではないみたいだ。無粋なことではあるが、そちらを心配する必要はまったくないようだ。奈津美としてもあまり得意ではない部分なので、ほっとする。
「あのっ、えーっと……」
 よほど言いにくいことなのか、芳香は口ごもっている。
「それは、芳香さん自身のことでの悩みですか?」
 奈津美は助け船を出すつもりで質問した。
「いえ、わたしではなくて、隆弘さんの問題でして……」
 奈津美の予想通りであった。
 芳香はうつむいて真っ赤になった。そしてようやく、おもむろに相談事を口にした。

     *****

「…………」
 奈津美と蓮は今、秋孝の元へとやってきていた。
 蓮が秋孝に先ほどのやり取りを報告する。秋孝は目を閉じて静かに聞いていた。
「で、二人はどうするつもりだ」
「どうするつもりと言われても……どうしたものなのかしら」
 奈津美は顎に手を当てて、小さく首をかしげて蓮を見る。
「オレ?」
「うん。だって、私は女だから男の人の気持ちは分からないもの。蓮と秋孝なら隆弘さんの気持ちがわかるかなと思って」
「奈津美、一言言っておく」
 秋孝は眼鏡をかけなおし、奈津美に鋭い視線を向ける。奈津美は正面から受け止めた。
「俺は洋服よりも和服の方が好きだ」
「あのね……きりっとした表情でそんなことを言われても困るから!」
 なにか解決策に結びつくようなことを言われるのかと期待していただけに、その一言に力が抜ける。
「そうだなぁ……オレも和服、好きだな」
「って、蓮まで同意しないでよ!」
「奈津美、わかってないな」
「わかってるわよ! 私だって、着物美人が好きよ! うなじに残る後れ毛の色っぽさとか!」
「……奈津美が一番、たち悪いな」
「奈津美が和服好きなのを忘れていた……」
 秋孝と蓮は顔を見合わせ、同時にため息を吐く。
「なんでよ! どうしてそこで、見つめあうのよっ!」
 奈津美は蓮に詰め寄り、秋孝に向けられていた視線をそらさせる。
「だめったら、だめっ!」
 蓮は奈津美を落ち着かせるために、奈津美の瞳をじっと見つめる。
「オレは奈津美のものだから、心配するな」
「……ほんと?」
「本当だから」
 奈津美はじっと蓮を見つめる。蓮は嘘偽りがないという証拠に、奈津美の瞳を再度、じっと見つめる。それを見て、ようやく奈津美は落ち着いた。奈津美の頬にえくぼが浮かぶ。
「……で、芳香さんの依頼、どうするの?」
「どうするもなにも、依頼を受けたんだからどうにかしなきゃいけないだろう」
「でも……どうすれば……」
「どうもこうも、やるしかないだろ」
「……予算は?」
「そんなの、どうだっていい。おもしろければなんだっていいだろ」
「いいわけないでしょ! フェアリー・テイルは企業なんだから、収益を上げなければつぶれるじゃない!」
 秋孝は経営者であるはずなのに、たまにそういうことが吹っ飛ぶことがある。秘書の深町はそのあたりのやりくりに苦労しているようだ。
「そこはおまえたちがどうにかしてくれるんだろう?」
「はいっ? 社長はだれよっ!」
 奈津美の突っ込みに秋孝は両手を組み、二人を見る。
「フェアリー・テイルも軌道に乗ってきたし、そろそろ俺、社長を降りて奈津美に任せようかと思っている。だから、いい機会じゃないか?」
「なによ、それっ!」
 秋孝は艶なしのシルバーフレイムの眼鏡を外し、奈津美に視線を向けた。
「設立から今日まで、数年。俺はずっと、奈津美と蓮の働きぶりを見てきた。俺が思っていた以上の働きを二人はしてくれたと思っている。正直、フェアリー・テイルがここまで大きくなるとは、思っていなかった」
 奈津美と蓮は同時に眉間にしわを寄せ、秋孝を見る。
「失敗してもそれはそれでいいと思っていた。むしろ、すぐにだめになると思っていたんだ」
「……それって、ちょっとひどすぎない?」
 そうならないように奈津美と蓮は頑張ってきたというのに、それを否定されたように感じて憤りを覚える。
「二人の努力を否定する言い方になって、すまなかった」
 秋孝はすぐに二人の気持ちを察して、謝りの言葉を口にした。どうにも奈津美と蓮を前にすると、思ったことを素直に口にしてしまう。そのせいでよく、言い合いになることは自覚しているが、無意識のうちに気が緩み、つい言葉にしてしまう。
「相変わらず、私たちに対しては気が緩みすぎでしょ」
 それはわかっているようで、奈津美は仕方がないなという表情を秋孝に向け、ため息を吐く。
「まったくもって、すまない……」
「ま、秋孝の失言には慣れたから大丈夫」
 奈津美のその言葉に、先ほど、蓮と見つめあった仕返しをひそかにされたことに気が付いた秋孝だが、苦笑いを浮かべて黙って受け止めるにとどめた。
「今回のこの件は、二人に任せた」
「……今に始まったことじゃないからいいけど」
「それと、先ほど言った、奈津美に社長職を譲るというのは近々するからな」
「えー。私が社長になったら、反発が起きるよ」
「大丈夫だ。今だって、俺なんていないようなものだろ。今とそう、かわらん」
 フェアリー・テイル開業当初は確かに秋孝は社内にいることが多かったが、今はほとんど、顔を出すこともない。実質、奈津美と蓮の二人が先頭に立って会社をやりくりしている状況だ。
「なにか動きがあったらまた、報告してくれ」
 秋孝はそれだけ言うと、椅子から立ち上がった。奈津美と蓮もこれ以上、ここにいても仕方がないので部屋を辞した。

     *****

 奈津美と蓮はその足で、とあるお店に来ていた。お店の場所は少しわかりにくかったが、手書きの看板を見つけてすぐに目的の場所というのはわかった。尻込みをしながら、それでも二人は入店する。
「おかえりなさいませ、ご主人さま、お嬢さま」
 ドアを開けた途端、そう呼びかけられて仰天する。
 そう、いわゆる『メイド喫茶』と言われるところである。
 フリルがたくさんついたひらひらの服を着た少女たちに出迎えられ、二人は面食らった。
 話には聞いてはいたが、実際、これをされると……どういう顔をしていいのかわからない。
 入口で来客を待っていたらしい店員の中から、一人の少女が進んできて二人の前に立った。緩やかなパーマをかけた黒髪を左右の高い位置で結んだ少女は、ゆっくりと丁寧にお辞儀をする。奈津美と蓮も思わずつられてお辞儀をした。
「お部屋はこちらでございます」
 どうやらここは、お店をお屋敷と見立てて、帰ってきたご主人さまのお世話をするという形をとっているようだ。薄いパステルグリーンの布でできたパーティションで区切られた場所に案内された。少女が椅子を引いてくれて、二人は席に着いた。
 かわいらしい花柄のついたほのかに香るお手拭を手渡された。なんだかその温かさにほっとする。
「本日のディナーはどちらになさいますか?」
 少女は二人に写真入りのメニューに解説を加えてくれている。しかし、いつからか説明は二人に、ではなく、蓮だけに向けてになっていることに奈津美は気が付いた。奈津美は内心、むっとしながらも静かに聞き、魚がメインのセットを頼んだ。蓮はチキンがメインのセットにした。
「お飲み物はどうされますか?」
「オレたち、アルコールは飲めないから……紅茶をお願いできる?」
「はい、かしこまりましたっ」
 少女の力強い返答に思わず、苦笑を浮かべる。
 オーダーを伝えるために少女が去ったのを確認して、奈津美は口を開く。
「隆弘さん、こういうお店が……好きなの?」
「……みたいだな」
 奈津美と蓮は店内に目を向ける。
 奈津美と蓮が案内された席と同じようにパーティションで区切られていて、隣の席を直接見ることはできないようなレイアウトになっている。ちょっとした個室感覚だ。しかし、話し声は聞こえてくる。
「ご主人さま、はい、あーんしてくださーい」
 なんて、聞いてきてこそばゆい気持ちになる。なんだかむずむずしてくる。
「このオムライス、まゆまゆがもっと美味しくなるように、おまじないしちゃいますっ」
 聞いていて、恥ずかしい。
「らーぶらーぶ、まゆまゆの愛をたっぷり注いだ特製オムライス、はーい、召し上がれっ」
 これをさっきの少女にされたらどうしよう、と二人は思わず、顔を見合わせる。
「ご主人さま、お嬢さま、お飲み物をお持ちしましたぁ~」
 銀色のトレイに白いカップを二客と白いポットを携えて、少女が戻ってきた。少女は手馴れて手つきでカップをテーブルに置き、ポットから紅茶を注ぐ。少し赤みを帯びた紅茶独特の水色がカップに満たされる。
「お砂糖はどうされますか?」
 テーブルに置かれていたシュガーポットの蓋がいつの間にか開けられ、角砂糖をつまむ小さなトングを手に持っていた。
「砂糖もミルクも要らない」
「お嬢さまもでございますか?」
 少女は奈津美に視線を向ける。
「私はお砂糖を一つ」
「かしこまりました」
 少女は奈津美の前に置いた紅茶に角砂糖を一つ入れ、ソーサーに添えていたスプーンを取り、静かにかき混ぜる。
「ミルクはどうされますか?」
「少し入れてもらおうかなぁ」
 最初は戸惑っていたものの、奈津美はすぐにその場に慣れたようでえくぼを刻んで少女を見つめ、お願いしている。
 蓮はそれを見て、心の中でひそかにため息を吐いた。

 紅茶を飲み終える頃、セットのスープが運ばれてきた。なんの変哲もないコーンポタージュのようだが、生クリームでハートマークが描かれているところはさすがというべきか。
「あきほの愛がたっぷり詰まったコーンポタージュですっ。今日のとうもろこしの産地は……」
 そこで初めて、少女の名前があきほということが判明した。
「あきほちゃんかぁ。かわいいなぁ」
 すっかり場になじんでしまった奈津美は、にこにこを通り越してにやけた笑みを浮かべ、あきほを見ている。同席している蓮はなんだかいたたまれない気持ちになってきた。
「ありがとうございますぅ」
 あきほもまんざらではない表情で奈津美にお礼の言葉を述べている。
「それでは、失礼しまぁ~す」
 あきほは笑顔で戻っていく。奈津美は名残惜しそうにその背中を見守る。
 二人は冷めないうちにと目の前に出されたスープにスプーンを入れ、口に入れる。
「うわぁ、美味しい! さすが、あきほちゃんの愛がこもっているだけあるなぁ」
 満面の笑みをたたえている奈津美に、蓮はまた、ため息を吐きたくなったがぐっとこらえる。そしてスープを口にして、感心する。
 こういうお店だから、味は大したことないだろうとまったく期待はしていなかったのだが、産地をこだわっていたりして、味も重視しているようだ。
「塩加減もなかなかいいな」
「だねー」
 この様子だと他の料理も期待できるなと蓮は嬉しくなる。
 昔から基本的にはあまり、外食をすることがなかった。なぜなら、外食をするよりも自分が作った食事の方が美味しくて安いから。高いお金を払って美味しくなかったら、がっかりする。下調べをした時、食事代の高さに行くことを躊躇したが、この味なら文句はない。
 あきほは絶妙なタイミングで料理を運んできた。そしてどの料理も、なかなかの味だ。これは確かに、多少値が張っても、通いたくなる気持ちはわかる。いや、トータルコストを考えると、高いとは思えない。
「あきほちゃーん」
 ラストのデザートの時、奈津美はあきほの名を甘ったるい声で呼んだ。
「はい、お嬢さま」
「あのね、お願いがあるの」
 奈津美は両手を胸の前で合わせ、瞳を潤ませてあきほを見ている。なにかとんでもないことをお願いする前兆だなと思いつつも、蓮は黙って見ていた。
「あのね……」
 すこし恥じらいを見せつつ、奈津美は予想通りの言葉を口にした。
「デザート、食べさせて?」
「……はいっ、喜んで」
 少し間があったものの、あきほは笑みを浮かべ、奈津美の横に座った。
「お嬢さま、お口をあーん、してください」
「あーん」
 即席百合の世界。
 蓮は思わず、頭を抱えたくなった。

「いやぁ、満足だわぁ」
 すっかり上機嫌で奈津美はお店を出た。後ろから蓮はげんなりした表情で階段を降りる。
「最初、隆弘さんの気持ちがわからなかったけど、今ならよーっくわかる! 芳香さんも一度、あの世界を体験してみたらわかるわよねっ」
「……残念ながら、オレは奈津美ほどはわからなかったな」
「そーお?」
「わかったらわかったで、奈津美に嫉妬されそうだな」
「そうだね」
 あっさりとした肯定に、蓮は奈津美の頭を小突く。
「で、奈津美はその『メイドさん』をやる気になった?」
「ぜーんぜんっ」
「それじゃあ、意味がないじゃないか」
「えー。だって、メイドさんをやるより、私もご奉仕される側になりたい! ……あ、そうだ!」
 その一言に、蓮は嫌な予感に包まれる。
「うふふ、いいこと、思いついちゃった」
 今日一番のえくぼを浮かべ、奈津美は蓮を見る。
「この奈津美さまに任せておいてっ!」
 激しく不安に思いながら、蓮はこれ以上、口を出さないことにした。もう、自分の処遇がどうなるのか、ほとんど見えてしまっている。抗ったところで仕方がない。こうなったら、周りを巻き込むべし。
「奈津美の考えは、大体わかった」
「さすが、蓮っ!」
「いい人材がいるんだ」
「いやぁ、奇遇ね。たぶん、ほとんど同じ人物を思い浮かべていると思うわ」
 奈津美と蓮は思わず、人の悪い笑みを浮かべ、見つめあう。
「こういうの考えるの、すっごく楽しいね」
 二人が思い描いた該当者はきっと、今頃同時にくしゃみをしているだろう。
「ふふふ、楽しみっ」
 奈津美の楽しそうな声が、街に響き渡った。







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