『愛してる。』


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【エピローグ】



 葵は母と二人で理園を育てた。
 理園には中学に入った時、晴希が書いたノートを手渡し、さらに葵からも話をした。
「おれには本当の両親がいて、小さい時に死んだから……ママが引きとって?」
「そう。あなたの本当のパパが私に『理園の母になってほしい』ってお願いしてきたの」
 葵は懐かしそうに目を細めて晴希に言われた言葉を思い出す。
 葵は晴希がどんな思いでその言葉を口にしたのか分からない。理園が大きくなればその時の晴希の気持ちが分かるかと思ったが、分からなかった。

     *   *

 理園にも反抗期が訪れ、葵は振りまわされた。
「理園っ! いい加減にしなさい!」
「おれの本当の母親じゃないくせに!」
 理園のその言葉に、葵はずきりと心が痛む。
「ええ、私は子どもを産めない身体ですから! 産みたくても、産めないのよ!」
 葵のその言葉に理園は青ざめる。
「母さん……ごめん」
 葵はこの機会に理園に本当のことを伝えようとして……躊躇した。
 母親と思っていた人物が実は女ではなかったと知った時。裏切られた、と思うだろうか。
 理園を傷つけることになるのではないだろうか。
 実の息子と思って今まで育ててきた。だけど……。
 葵は自信がなくて、口をつぐんだ。
「実の子どもと思って私はあなたを育ててきた。血の繋がりはないけど」
「ごめんなさい、母さん。おれにとっての母親は母さんだから」
 葵は理園のその言葉がうれしくて、そっと抱きしめた。
 理園は晴希にも航平にも似ていた。葵の心中は複雑だ。なんとなく二人を育てているような気持ちになり、くすぐったいような妙な気分になる。
「母さん、おれ、母さんが女じゃないって知ってたんだ」
 理園は葵に抱きしめられたまま、口を開く。
「理園……?」
「おれ、小さい頃から知ってた。だけど、母さんはやっぱり母さんだし。あの、ごめん」
 晴希が生きている時、理園に葵の写真を見せて、
『この人がおまえの新しい母さんになったら、どう思う?』
 と言って来たらしい。
「女の人だけど、そうじゃないから難しいんだけど……おまえには母が必要だろう? と父さんは言っていたんだ」
 葵は驚いて、理園の顔を凝視する。
「父さんは母さんのことが好きだったんだと思うよ。好きという気持ちは、相手が男でも女でも関係ないんだね」
 葵の瞳に思わず涙が浮かぶ。
「一緒に暮らせたら幸せだろうね、と……母さん?」
 葵は耐えきれず、理園に抱きついて号泣した。
 自分は晴希から大切な父である航平を奪ったというのに。それなのに、どうして……。
 理園は優しく葵の背中をなでている。
「おれ、すごい悩んだよ。母さんは女じゃないのに母さんで、ばあちゃんが母さんで……なんかよくわかんなくなってきたな」
 理園は楽しそうに笑っている。
「だからさ、母さんは母さんであって、あんまり悩まない方がいいと思うんだ」
 葵は涙でぐちゃぐちゃに崩れた顔をあげ、理園を見る。
「はっ、恥ずかしいから一度しか言わないよ! 母さん……その、ありがとう」
 理園の言葉に葵はさらに涙腺が決壊した。
「うわぁ、泣いたらすっごいぶさいくだ!」
「うっ、うるさいわね!」
 いつの間にか大きくなってたくましくなった理園。
 葵は理園の腕の中で誇らしく思う。
 晴希は葵に「母」という役割を与えたかったのだろう。苦しんであがいて、女になれない身体を知って、だから肩書きだけでも「母」を与えてくれた。
「馬鹿だね……」
 葵のつぶやきに理園はそうだね、と同意した。

     *   *

 葵は航平の最期の願いを聞き入れ、今ではあのバイオリンとともに世界を巡っている。

 理園はそれなりに才能はあったが、どちらかというと父の晴希に似て、人をプロデュースすることが好きなようだった。その道に進んでともに仕事ができればいいのに、と葵は思っている。

 気がついたら、葵は人の過去が見えなくなっていた。
 それがいつごろからか分からなかったが、理園を引きとって母代りになった頃からのような気がする。
 本当の母ではなかったが、葵は理園の「母」になれた。
 それから少しずつ、葵の周りには「幸せ」が増えていった。
 理園は葵の幸せの使者だったのかもしれない。

 強い葛藤が他人の過去を見せていたのかもしれない。
 葵は今、少しだけ自分の身体を受け入れることができている。歳をとったせいもあるのかもしれないが、昔ほど違和感がない。昔のように切り落としてしまいたいという衝動にかられることがない。理園に「母」と肯定してもらえたのもあるかもしれない。

 葵はきれいに着飾り、航平の魂が宿るというバイオリンとともに世界を巡る。
 もしかしたら、晴希の魂も一緒なのかもしれない。

 人はどこから来て、どこに行くか分からない。
 「生きている」のは旅をしているのに似ている。
 なにも産まないけれど安らぎを与えることができるかもしれない手でバイオリンを奏でる。
 「人生」という旅の途中の一時の安らぎになることができるのなら。

 葵はそう思いながら、世界中を巡り、バイオリンを弾く。
 今日もまた、葵はバイオリンを奏でる。
 命続く限り──。

【おわり】








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