『愛してる。』


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初恋が登る坂【前編】



「ねぇ、蓮が中学生の時、どんな感じだったの?」
 奈津美は中学の卒業アルバムを見ながら、蓮に聞いた。
「奈津美はどれ?」
 蓮は奈津美の後ろから覗きこむ。
「どれか当てて」
 奈津美の楽しそうな声に、蓮は探す。
 四クラスあり、全員女で四十人というのは……想像するとすごい状況だ。
「奈津美は中学からずっとそこの学校?」
「うん」
 なかなか見つけられない蓮に奈津美はにやにやしている。
「どこかクラブ、入ってた?」
「帰宅部」
 ……ようするに入っていなかった、ということか。
「あ……」
「なに? 見つけたの?」
「いや、今思い出したけど、オレ、奈津美の行ってた学校の近くの中学校に三か月だけ通ってた」
 奈津美は意外そうな顔で蓮を振り返った。
「近くにそういえば、男子校があった! え? 蓮、あそこに行ってたの?」
「中学1年の頃、三か月だけ。いろいろ事情があって……転校した」
 蓮の表情が陰ったのを奈津美は見逃さなかった。
「なに? いじめにでもあった?」
「オレがそんなやつに見えるか」
 奈津美は少し考えて、
「小さい頃は気弱だったかもしれないじゃない」
「いじめじゃないよ。家庭の事情で、ね」
 その間も蓮は奈津美の卒業アルバムから奈津美を探す。
「あ、いた」
 蓮は指さし、奈津美を見た。
「よくわかったねー」
 今の奈津美からは想像つかない、黒髪ショートカットに真っ黒な肌。
 でもやっぱりえくぼは相変わらずで。
「よく焼けてるね。なに、ガングロ族だった?」
 今の奈津美は健康的な白い肌に黒髪のセミロング。
 確かになかなかこれは見つけられない。
「違うよ。小学生の頃、よく焼けてたんだよ。それの延長」
「あ……」
 蓮はびっくりして、手を口にあてた。
「今度はなに?」
「オレ……その中学の三か月の間に……奈津美に何度か会ってる」
「え!? うそ」
 蓮の言葉に奈津美は絶句した。
「オレが中学一年ってことは、奈津美は高校一年?」
「三つ差だから、そうだと思う」
「自転車通学してた?」
「……してたけど、なん……あー!!!!」
 奈津美もなにか思い出したらしい。
「まさか……」
「たぶん、そのまさかだよ」
 蓮はゆっくりと中学生のころのその三か月を思い出していた。

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 オレが中学に入学したばかりの頃。
 オレは家から徒歩で行ける距離というだけで決めた男子中学校に通っていた。
 一応、中学受験なるものもしての入学。
 あとからよく考えたら私学なので、入学金やら学費がかなりかかっていたはずなのに、親はなにひとつ文句を言わなかった。
 ゴールデンウィーク前の浮かれた空気がありながらも、ようやくクラスに馴染んできたあたり。
 いつもより少し早めに家をでたオレは……坂道の途中で自転車を止めて、肩で息をしている高校生の女に出会った。
 オレが通っている男子中学校はかなりきつい坂の上にある。
 夏場など、最悪だ。
 バスが出ているのだが、通学時間は鬼のように人が乗っているのでオレはバスに乗るのがいやだった。
 坂はきついが……これもトレーニングの一環だと思い、オレは極力歩くようにしていた。
 そんな感じで徒歩でも苦しいのに、なにを好き好んでこの女は自転車を押して坂を登っているんだろう。
「なにやってるんだ?」
 オレはあまりにも珍しい光景に、つい声をかけていた。
 女はぎろり、とにらんできた。
「見てわからない? 自転車押して登ってるのよ」
 制服を見ると、隣の女子高校のものだ。
 そこそこのレベルの学校で、お嬢様学校としても名をはせていたはずだ。
「歩いて登るのも大変なのに、なに好き好んで」
「……うるさいわね」
 女はうっとうしそうにオレの顔を見た。
 ……会話を拒否されている?
 ものすごく「あっちいけ」オーラが出ている。
 オレは自分がもてることを……自覚していた。
 そう、自分でも嫌になるくらい。
 小学校の話を持ち出すのもアレだが、とにかくもてた。
 バレンタインにはチョコを持って帰れないほど、もらっていた。
 ……そんなのがうっとうしいのもあって男子校を選んだ、というのもあるのだが。
 それでも、中学に入り……自宅から徒歩で歩く間にも何人にも声をかけられ……。
 正直、うっとうしくて仕方がなかった。
 だからオレは……これほどまで全身で拒否されたことが珍しくて、ついついからかいたくなった。
「おねーさん、自転車押してあげようか?」
 自分の笑顔が武器なのを知っていて、極力にっこりと笑ってオレはそう聞いた。
「いらない」
 オレのその笑顔を見ても、表情を崩すどころか、さらに固くなる。
 もしかして……男嫌い?
 健康的に焼けた黒い肌に黒髪のショートカット。
 自転車通いで焼けているらしい。
 制服は着崩すことなくきちんと着ている。
 顔は……まあ、普通、かな?
「私にかまわないで」
 そう言って女は自転車のスタンドを上げて、大きく息を吸って坂を登り始めた。
 オレはしばらくその後姿を見ていたが……すでにぜえぜえと肩で息をしている。
 オレは気がついたら、その自転車を後ろから押していた。
「ちょっと! なにするのよ!?」
 女は驚いて、オレを見ている。
「おねーさん、大変だろう? どうせオレも上まで登るし。手伝ってあげるよ」
「いらないわよ!」
 ものすごい剣幕で怒られた。
 だけどオレは、あまりにも新鮮な反応に……ついつい興味を持った。

「まーまー、そう言わず。袖振り合うは多生の縁、っていうでしょ?」
「そんな縁、こちらからお断りします」
 どうやら照れているとかそういう反応ではなく……本当に嫌がっているらしい。
 でも……ここまで来てそうですか、と引き下がるほどオレは気弱ではなく。
「そこまでなんだし」
 オレの言葉に、女は無視を決め込んだ。
 オレと女は無言のまま、坂の頂上……ようするに学校がある場所まで自転車を押して歩いた。
 頂上に着き、オレは女の学校の前まで律儀に押してみた。
「一応、礼は言う。ありがとう」
 ものすごい不機嫌に礼を言われた。
「いえいえ。おねーさんの役に立てたみたいで、よかったです」
 オレはにこにこと笑って答えた。
 女はオレの顔も見ずに、とっとと校門をくぐった。
 オレはその後姿を見送った。

****************

「あー、あのものすごいいけすかない男の子!」
「なんだ、そのいけすかないって」
 蓮は奈津美の言葉にむっとする。
「だって。私が嫌がってるのに親切顔して自転車押して。あの後、すごい大変だったんだから!」
 奈津美は思い出したのか、ものすごい渋い顔をしている。
「なんかファンとかいう女の集団に呼び出されて、ものすごい問い詰められたよ」
 そんなものがあったのか、と蓮は驚く。
「入学式の次の日には瞬く間に広まってたよ、『男子校に超かわいい子が入学してきた』って」
「…………」
 なんだその異常な早さは。
「私はその当時から男なんてどうでもいいと思っていたけど、男に飢えている女の子もいて。そりゃあもう、お隣の男子校に熱い視線を送りまくってる子、いたな」
「それはオレのいた男子校もそうだったな」
 休憩時間などに聞こえてくる話は、隣の女子校の話が主だった。
「顔を見て、『うわ、トラブルの種がきた!』って思ったくらい、すぐにわかったよ」
「それであんなに嫌な顔をされたのか」
「うわ! わかっててやったんだ!?」
「あまりにも珍しい反応に……つい興味が出て」
 蓮は困ったように頭をくしゃっとした。

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 オレはそれから、毎朝が少し楽しみになった。
 あの風変わりな女に会えるのが楽しくて。
 昨日と同じくらいの時間に、家を出た。
 今日も会えるかな、と少し期待を胸に。
 今日もやはり……いた。
 昨日と同じあたりで途中休憩を入れている。
「おねーさん、おはよ」
「!」
 びくり、と明らかにおびえた反応にオレは少し戸惑いつつも、そう声をかけた。
 女はオレの顔を確認することなく、半ば逃げるように自転車を押し始めた。
 が、この坂道。
 どんなに必死に押しても……速さは高が知れてる。
 オレは昨日と同じように自転車を押した。

***********************

「しかも、二日連続で自転車押すし!」
「いやあ……。『女の子には親切に』と教育されてたから」
「……あのときに限っては、その教育、破棄してください」
 奈津美は恨めしそうに蓮を見ている。
「蓮、自分が目立っている自覚、あった?」
「あったよ?」
 蓮の返事に奈津美は目を見開き、恨めしそうに
「蓮って改めて見ると、嫌味な男だよね」
「えー、そんなこと言われたの、初めてだ」
 全然意外そうに言ってないのは……それもきちんと自覚がある、ということか。
「いいわよね、もて人生で」
「うれしくないよ、結構大変なんだぜ。どこに行っても注目を浴びるのは、結構しんどいぞ」
「そんな人生、送ったことないからわかりません」
 蓮は苦笑しつつ、
「奈津美が知らないだけだよ。会社では結構、奈津美の噂って流れてるんだぜ?」
「知ってるよ、悪口ばっかりでしょ」
 奈津美はそんなことどうでもいいようで、眉を少し上げて、嫌そうに手をひらひらさせた。
「そう思っているのは本人だけ」
「へ?」
「ようするに『世の中マゾばっかり』って話」
「話がまったく見えないんですが」
 蓮は楽しそうに笑っている。
 奈津美は蓮がなにを笑っているのか、さっぱりわからない。

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 オレはこの毎日の朝の出会いが楽しくて仕方がなかった。
 雨の日はさすがに自転車では通学していないらしく、そんな日は少しがっかりしながらひとり、坂道を登る。
 そんなある日、いきなり親父が
「日曜日にある柔道の試合、出ろ」
 と言ってきた。
「なんでだよ」
 オレは柔道の師範をしている親父から柔道を習ってはいたが、あまり試合を好まず、小学生のころもほとんど出たことがなかった。
 それを知っているのに……なんで急に?
「おまえは少し、人と距離を取り過ぎる。そういう場所で少し人と触れ合ってこい」
 親父の命令は絶対だ。
 逆らえるはずがない。
 オレはしぶしぶ……試合に出かけた。
 結果、中学生の部で優勝してしまった。
 中学三年生の先輩を押しのけて、だ。
 やるからには全力で……と思ったが、これはやっかいなことになったなー、というのがオレの正直な感想。
 閉会式が終わった瞬間、オレはその場を脱兎の如く逃げた。
 坂道を駆け下りる。
 ふと気配を感じて坂道を見上げると……。
 ここのところずっと梅雨前の雨続きで見かけなかったあの女が、自転車に乗って気持ちよさそうに坂を下っていた。
 日曜日なのに制服を着ているのは、学校になにか用事があって行っていた?
 ああ、もしかして……。
 これが気持ちよくて毎日、必死になって自転車を押して登っているのか?
 そのかわいらしさに……オレはくすりと笑った。







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