『愛してる。』


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愛してる。01



 ようやく奈津美と蓮は結婚式を終え、仕事も落ち着いて日常生活を送り始めていた。
「先輩、今日は天気がいいし、たまには階段で行きましょうか」
 奈津美と蓮のふたりはいつものように仲良くそろって出社してきて、奈津美にそう提案をした。
「えー」
「えー、じゃないです。運動不足解消!」
 蓮は奈津美の腕を無理やり引いて、階段を昇り始めた。
「ちょっとー、本気!?」
 奈津美はげんなりしながらも蓮に従う。
 こういうとき、妙に強引というか……。

 でもあとで、この蓮の判断が正しかったことを奈津美は知る。

 蓮は軽やかに階段を昇っていく。
 奈津美の荷物も持っているのに、だ。
 奈津美は普段からの運動不足がたたってか、すでにぜえぜえと肩で息をしていた。
「先輩、なまりすぎ」
 蓮のいたずらっぽい声が上から降ってくる。
「う……うっさい!」
 奈津美は踊り場で息を整えようと立ち止った。
「…………っ!」
「? 蓮、なにか言った?」
 先に昇っていた蓮はとんとんと軽やかに奈津美のところまで戻ってきて、首をかしげた。
「なにも言ってな……」
「しっ」
 奈津美は人差し指を蓮の口に持って行き、しゃべるのを制した。
 ぱーんっ、という音の後、
「……やく……よ」
 上の方からひそひそ声が聞こえる。
「蓮」
 奈津美はなにか異変を感じたらしく、蓮にそう一言。
 蓮もすぐに感じたらしく、荷物を持ち直し、静かにしかし素早く上に昇って行った。
 奈津美も必死で後を追う。
「しかし……なんであんなに…速いの……」
 奈津美は息も絶え絶えに階段を昇った。
 ようやく昇った先で、奈津美は驚いた。
「な……!?」
 蓮はだれかを抱き起こしている。
「大丈夫ですか?」
 奈津美からはだれか見えない。
 下半身だけ見えて、奈津美と同じ制服を着ているところを見ると、同じ会社の子らしい。
 奈津美は気合いを入れて残りの階段を昇り切り、蓮の後ろに立った。
「…………!」
 そこには、同じ会社の制服に身を包んだ女の人が倒れていた。
 奈津美はびっくりして倒れている女の人を覗き込んだ。
「怪我はしてないみたい……。でも、なんか殴られたみたいで」
 女の人の左頬は、赤くはれ上がっていた。
 蓮は冷静に女の人を見つめ、奈津美に状況を話す。
「殴られて、反動で壁に当たって頭ぶつけて気絶した、ってことでいいのかしら?」
 先ほど聞いた音と状況を鑑みて、奈津美は蓮に聞いた。
「さっきの音、叩かれた音なのか……」
 しかし、どういう状況であれ、叩いて頭を打って気絶した人を放置で逃げるなんて……。
「蓮、救急車呼んで」
 蓮は奈津美に言われる前に動き出していた。
 救急車が到着して、騒然とした。
 奈津美と蓮は同乗して、病院について行った。
 軽く検査をして、入院。

 蓮がすぐに名前を調べてくれた。
 名前は「木村 由布子(きむら ゆうこ)」。
 部署は奈津美が以前いた在庫管理部だった。
 蓮に事務処理を全部任せて、奈津美は今、由布子の病室で気がつくのを待っていた。

 しかし……と奈津美は先ほど医者に説明を受けた内容を聞いて、気が重くなっていた。
『状況を見て、頬を叩かれてふらついて壁に頭をぶつけた、という見方だと思うのですが……。それも確かにかなり心配なのですが、それよりも身体にいくつもの傷がありまして……。それもごく最近ついたものみたいです』
 医者も話をしてからはっとした表情をしたが、聞いてしまったものは……仕方がない。

「う……」
 由布子が気がついたようだ。
 うっすらと目を開けた。
 奈津美はどう声をかけようか悩んでいたら、由布子が奈津美に気がついたらしい。
「あの……あたし……」
「大丈夫? あなた、頭を打って気絶していたんだけど」
 由布子は身体を起こそうとしていた。
「あ、だめ。まだ起きないで。身体を起こすのは、お医者さんに診てもらってからにしてって言われているのよ」
 奈津美はナースコールを押した。
 由布子はだまってそのまま横になっていた。
 奈津美もどこから話していいのか分からなくて、無言だった。

 しばらくすると、看護婦と先ほど見てくれた医者が部屋にやってきた。
 医者は奈津美に部屋から出ていくように指示をしてきたので、奈津美は指示に素直に従って部屋を出た。
 部屋を出て医者と看護婦が出てくるのを外で待っていると、蓮が戻ってきた。
「蓮、ごめんね」
「いや。あの人、ラッキーだったのかもな」
「?」
「早期発見でよかったってさっき医者に言われた」
 普段は通らない階段を、今日はたまたま通った。
 それが由布子にとってよかったとは言うが……。
「今からやらないといけないことができたかと思ったら、かなり憂鬱だな」
「そうね……」
 由布子をたたいた犯人を探さなくては。
「あと……さっき医者に言われたこと」
「なんて言われたんだ?」
 奈津美は医者に言われた話をした。
「………………」
 やっかいなことに巻き込まれたな、って顔を蓮はしていたが。
「今、仕事が比較的楽な時期で、よかったよ……」
 蓮は頭を抱えながら、そう言った。
「蓮ならそう言ってくれると思った」
 奈津美はにっこりと笑った。
「奈津美もおせっかいだな」
「うーん。蓮のおせっかい癖がうつっちゃったかな」
 そういって笑う奈津美の瞳に、覇気がない。
 これからやらないといけないことを思うと、気が重い。

 しばらく待っていると、ようやく医者と看護婦が中から出てきた。
「あの……」
「思ったよりあまりよい状況ではないですね。一週間ほど経過観察で入院ということで」
「はい……」
 奈津美と蓮はノックして、病室に入った。
「あの……」
 由布子は大人しくベッドに寝ていた。
 そして由布子は蓮を見て、少し頬を赤らめていたのを奈津美は見逃さなかった。
 ……そうだよねぇ……。
 蓮は社内でもかなり有名人だし。女の子ならみんな、憧れるよねぇ……。
 この人が自分のだんなさまかと思うと、いまだに信じられなかったりする。
 だんな、ってよりは……嫁なんだけど……。

 奈津美は蓮をふと見上げた。思ったより厳しい顔をしていて、奈津美は戸惑った。
「だれに叩かれたんだ?」
 単刀直入に聞く蓮に、奈津美は焦った。
「ちょ、ちょっと蓮、もうちょっと言い方があるでしょう!?」
 由布子を見ると、かなりおびえている。
「あのな、奈津美。オレは今、すっごい怒ってるの」
 こんなに怒りをあらわにすることが珍しいので、奈津美は驚いていた。
「脳しんとうってな、下手すると死ぬんだぞ!? 医者に言われなかったか?」
「あう……。うん、言われた……。だから早期発見でよかったねって」
 蓮の怒りはもっともだけど、
「それを彼女にぶつけたって仕方がないでしょ!? 彼女は被害者なのよ」
「………………」
 奈津美の言葉に、蓮はぎゅっとこぶしを握り締めた。
「とりあえず、蓮は冷静になるまでそこで座ってて」
 奈津美に椅子を指示され、蓮は黙って座った。
「いきなりごめんなさいね。私はホテル事業部ブライダル課の小林奈津美です」
「課長」
「そんな肩書、どうでもいいから」
 蓮と奈津美の言葉に、由布子は目を見開く。
「病院に連れてくるのに身元が分からないと困るからちょっと調べさえてもらったわ。木村由布子さん。私が以前いた在庫管理部にいるのね」
 奈津美はにっこり笑った。由布子ははっとした表情の後、少し赤くなっていた。……なんだろ、この反応?
「今日はたまたま階段から昇っていて、あなたのことを気がついて事なきを得たんだけど、次にまた同じように脳しんとうにあったら死ぬからって医者に言われたわよ。なにがあったか、話して?」
「………………」
 由布子は押し黙ってしまった。
「言えないのなら、オレが今から会社に戻って調べるけど?」
 蓮は立ち上がり、ドアに向かっていた。
「オレのこと知ってるのなら、どうなるか分かるよね?」
 社内では蓮の黒い噂(ともっぱらふたりでは言っている)も流れていて。
 それがあまりにも荒唐無稽でありえない話だったから笑ってそのまま否定も肯定もしないでいるのだが、こんなところで役に立つとは。
 その内容というのがお粗末で、超能力で捜査をしているというものだった。
 超能力って……子どもだましにしてもひどい噂だ。
 だれが最初に言い始めたのか定かではないけど、確かにいろんなことを蓮は知っていて。でもそれは、蓮の努力とするどい観察眼の賜物……なんだけど。
 はじめて聞いた時、ふたりして笑い転げたっけ。奈津美はそれを思い出して、笑ってしまいそうだった。
「先輩、あとはよろしく」
「はーい。よろしくね~」
 奈津美は蓮に手を振って見送った。
 蓮は扉に手をかけ、開けようとした。
「……待って!」
 由布子は制止の声をかけた。
「……わかりました……。お話します……」
 由布子はうなだれ、ひとつため息をついた。





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