《三十五章》「蓮の家族」
蓮はいつものようにエプロンをして、食事の支度にとりかかった。
「ねえ、蓮」
奈津美が横に立っていた。
「いつも蓮に作ってもらうのも悪いから作ろうと思ったんだけど、どうも私、料理のセンス、どこかに置いてきてしまったみたいで」
蓮は雑炊を思い出して、笑った。
「あ、やだ。なんか思い出し笑いされてる」
「失敗作の雑炊を思い出していただけ」
蓮の言葉に奈津美は口をへの字にした。
「じゃあ蓮。私に料理、教えてよ」
「うん、いいよ。一緒に作った方が楽しいし」
奈津美と蓮は並んで一緒にご飯を作った。
「蓮の説明、わかりやすくていいね。母さんに聞いたら、もう、すっごい適当で分んなくって」
怒っている顔がかわいくて、蓮は奈津美の頬に軽くキスをした。
「大丈夫。オレがばしばし鍛えてあげるから」
「えー。やさしく教えてー」
そんな何気ない時間が楽しくて。一緒に作った食事を食べて、片づけもして。
「奈津美、オレの話を聞いてくれるか」
と蓮に改まって言われて、奈津美は背筋を伸ばした。そして、朝、会社で見た戸籍謄本を渡された。
奈津美は疑問に思いつつ、戸籍謄本を見て、びっくりした。
「あ……う……。えええええええ!?」
「驚くよね、やっぱり」
「あ、え。葵さんって……お、男なの!?」
「うん。戸籍上はね」
「って……」
蓮はちょっと考えて、
「ちょっと話が長くなるかもしれないし、退屈かもしれないけど」
と前置きをして、
「あ、終電までには終わるから心配しないで」
「うん……」
蓮は改まって、話始めた。
* *
「ねーさんは男として生まれたんだけど、ずっと自分の性と心に違和感を持っていて。小さい頃から自分は女だって言い張ってて。オレの両親もそこそこ理解があったみたいで、本人が望むとおりに女として育ててきたんだけど」
理解のある親なんだ、と奈津美は思った。
「でまあ、オレが生まれて。ねーさんとオレがあまりにも似ているだろう。母さんは理解はあったんだけどその、やっぱりすごい悩んでいて……壊れて……酒におぼれる毎日で」
「あ……」
それで蓮、お酒が飲めない?
「あ、今はもう、母さんも立ち直って普通になったんだけど、やっぱりそれもあってオレ、酒がだめなんだよね」
ものすごくさらっと話をしているけど、ものすごい葛藤とか軋轢ってのがあったんだろうな。
「母さんが酒に溺れて家のことなんにもしてくれなかったから、オレが全部やっていたから、嫌でも家事掃除洗濯料理ができるんだよな」
「葵さんは?」
「ねーさん、そういうのはまるっきりだめ。それにねーさんは小さい頃からバイオリンやってて、結構才能認められてて。手を怪我させるのはだめだろ、やっぱり」
蓮はこう見えても、結構苦労してきたんだ。
「オレはなんにも取り柄ないけど、こんなオレを嫁にもらってやるっていうモノ好きもいるものだし」
「それ、逆のことを母さんに言われた。『モノ好きがいるうちに結婚しておけ』って」
「ぶっ」
蓮は飲みかけていたお茶を噴き出した。
「あ、ごめん」
蓮は慌てて吹いたお茶を拭いた。
「まあ要するに、モノ好き同士ってことで……」
「あ。なんか丸くおさまったね」
奈津美と蓮は顔を見合わせて、くすくす笑った。
「蓮は4人家族?」
「うん。親父と母さん、ねーさんとオレ。年末に一度、オレのうちに行こうか」
「あ、そうよね。結婚するなら挨拶ぐらいしておかないと」
奈津美は時計を見上げ、バッグを持った。
「そろそろ帰らないと」
「うん。送っていくよ」
奈津美は断ろうかと思ったけど、夜道をひとりで歩くのは怖かったので、お願いした。
「結婚して一緒に暮らせば、こんなことに悩まなくてもいいのにね」
「んー、そうだな」
「あ、でも私。同棲は却下ね」
「偶然だな。オレもそれはそう思う」
顔を見合わせてくすっと笑う。
「なんか意外に意見が合うね」
「うん、そうかも」
駅までの道のり、行きとは違って会話が弾んで、すごく楽しかった。
「じゃあ、また明日ね」
改札ごしにキスをして、奈津美と蓮は別れた。
* *
ばたばたとしていたら、あっという間に年末が来て、年末ぎりぎりに依頼していた戸籍謄本が来て、中を見て奈津美は驚いた。
「あ、う、嘘!?」
奈津美は父親がひとりの時にこっそり聞きに行った。
「とととと、父さん、ば、罰イチだったの!?」
「あー。やっぱりばれるよな……。母さんは知らないから、内緒にな」
「うっそー」
だからあんなに嫁にはやらないって言っていたの?
「だってこれ、見たらわかるでしょ!?」
「母さんにはうまく言って、見せてないんだ」
「ふふふ、お父さんと秘密ができちゃった」
奈津美は笑った。
「あああ、俺のかわいい奈津美が嫁に本当にいっちゃうのか……」
「うーん、それは正しいけど、ちょっと違う」
奈津美の言葉に、父は首をかしげた。
「私は結婚はするけど、私が嫁を貰うんだよ」
「は?」
「蓮はね、私なんかより家事料理洗濯掃除、完璧なの。人には得手不得手があるから、いい感じで分担できるかなって。あ、仕事もできるんだけどね」
奈津美の言葉に、父は笑った。
「そういう人だからだね、こんなできそこないの娘と結婚してくれるっていうのは」
「そのできそこないの遺伝子の半分はだれのものですか!?」
「あ、はい……」
父とふたり、こうやって話をして笑い合うのなんて、久しぶりだ。
「あら、楽しそうね。わたしも混ぜてもらおうかしら」
「あ、母さん。うん、ごめんね、もう話は終わったの。おやすみなさい」
奈津美はひらひらと手を振って、部屋を出た。こんな風にまた、笑える日が来るとは思っていなかった。奈津美は蓮に感謝した。