失恋から始まる恋もある


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《二十七章》「きっとそう、ここが始まり」



 携帯電話に電話がかかったのは、お昼ちょっと前だった。着信先を見て、奈津美は青ざめた。
「も、もしもし……」
『奈津美! どこにいるの!?』
 忘れてた……。
 母の心配した声に、奈津美は罪悪感いっぱいになった。
「あ、うん」
『朝になっても帰ってこないし、会社に電話入れたら今日は休みだって言うし』
 あー……、やばい……。
「あ、いや。き、昨日、ひとり暮らしの子が熱を出して……。うん、それで」
 以前に美歌が熱を出して、やっぱり同じように一晩看病していたのを思い出してくれたらしい。
『もう、心配したのよ。最近、外食が多いから、お父さんと彼氏でもできたんじゃないかって』
 貴史と付き合っているときも、そこそこ外食していたんだけど……。
「連絡が遅くなって、ごめんなさい」
 奈津美は素直に謝っておいた。
『分かったわ。早めに帰っていらっしゃい』
「うん、その子の熱が下がったら、帰るから」
 電話が切れたのを確認して、奈津美は携帯電話をぱたんと閉じた。
「あ、ごめん。起きちゃった?」
 ふと蓮を見ると、ベッドの上に起き上がって、奈津美を見つめていた。奈津美は蓮に近寄り、おでこに手をあてた。
「もう熱、すっかり下がったみたいね」
 奈津美は腕を引っこめようとしたら蓮に腕をつかまれ、引き寄せられた。
「ちょっと、蓮!」
「先輩……」
 熱は下がったようだったが、蓮はうるんだ瞳をしていた。
「!」
 顔が近づき、気がついたらキスされていた。息がとまるほど長い間、キスされていた。
 奈津美は蓮の腕の中でもがいた。
「蓮、離して!」
 ようやく口を離され、奈津美は肩で息をしながら、蓮を見上げた。
「先輩、オレのこと弟扱いするなよ」
「!」
「オレ、先輩のことすごい好きなのに……」
 奈津美は言葉に詰まった。
 蓮のことは……確かに好きだけど、その「好き」って気持ちは、どの種類の「好き」なのか考えたことがなくて……考えたことがないというより、考えないようにしてきた。
 自分の気持ちに気が付きたくなくて、貴史のことがあって、ものすごく臆病になっていたんだと思う。
 「振られる」ってことが……あんなにも痛いことだと、思わなかった。
 自分の存在をすべて否定されたような気がして、世界からも自分が拒否されてしまったようで、あんなに光輝いていた世界が……すべてモノクロに見えた。
 振られた次の日にいきなり左遷とか言われて……必死になって抜け出そうとしていたから気にしないように、考えないようにって思っていたけど、なにをみても世界は色を失って見えた。
 でも……。そう、蓮だけは違っていた。
 モノクロの世界に、色を持った人間がいきなり現れたようで……。
 それが「恋」だったなんて、気がつかないように気がつかないように心に封印していた。
 仕事をしていれば常に隣にいてくれて、励ましてくれて、隣にいるのが当たり前で、自分の気持ちに気がつかないようにしていた。
 蓮の気持ちにも気がつかないふりをして。
 きっと私が一番、蓮の気持ちを踏みにじっていた。
「蓮……。ごめんね……」
 奈津美は知らずに涙があふれていた。
「あああ、せ、先輩、その、ごごごごめん!」
 蓮はなにか勘違いしたのか、あせって腕を緩めた。
「ううん、いいの。そうやって抱きしめてて」
「え……」
 奈津美は蓮の腕に包まれ、身体を預けた。蓮は戸惑っていたようだったが、奈津美を見て、ぎゅっと抱きしめてくれた。
 奈津美は蓮の腕の中で深呼吸して、そして蓮を見上げた。
「あのね、蓮」
 自分が今から言おうと思っていることを考えて、かーっと頭に血が昇っていくのがわかった。
「私も、蓮のこと……好きだよ?」
「え……」
 蓮はきょとんと奈津美を見つめ、言われた言葉を理解して、ボッと真っ赤になっていた。
 そんな蓮を見て、奈津美はかわいい、と思ってしまったのは……仕方がない。
「あのね、」
 奈津美は蓮にきちんと向き合った。
「私、山本さんと結婚してもいいって思ってたの」
「前にも聞きました」
 ちょっとムッっとした響きがあったのは……自分がうぬぼれすぎていると思おう。
「で、そんな相手から『別れよう、美歌と結婚する』って言われて。美歌ってのは、私の親友だったんだけど……」
 久しぶりに美歌の顔を思い出して、かなり心が痛かった。
「信じていたふたりに裏切られて……。もう私、生きていけないんじゃないかって……」
 その時の気持ちを思い出して、また涙があふれそうだった。意識しないようにしてきた、想い。その気持ちを察してくれたのか、蓮の腕に力が入る。
「でもね、蓮がそばにいてくれたから……」
 蓮がそばにいてくれたから、頑張ってこれた。
「大好きなふたりに存在を否定され、世界すべてからも拒否されたような気持だったの、あの頃。でも、蓮は……支えてくれた」
「…………」
「一之瀬さんも支えてくれてたけど、なんだかお兄さんって感じで」
「でもオレのことは、弟って思ってたんだろ?」
 蓮のすねた響きを感じ取り、奈津美は少し笑った。
「うん、そうね……。弟って思っていたけど……。たぶん、自分の本当の気持ちに気が付きたくなくって。貴史に嫌われたのに、私、好きになったらだめなんだって思ってた」
「そんな……」
「前にも言ったような気がするけど、あの時はほんと、貴史が私の世界すべてだったの。今は違うけど……あのときは……そうだった。そんな世界のすべてだった人に……存在を否定されて……」
 言葉では語れないつらさがあったのは、蓮にも分かった。
「だからずっと、蓮の気持ちを受け入れられなかった。あのときの別れは……貴史にも私にも……呪いがかけられたんだと思う」
 貴史に言われた、『おまえの気持ちは今の俺には重すぎる』って……。だってあのときの私には、貴史がすべてだった。すべてが初めてで……貴史がすべてだった。
 ものすごく重い女だったんだな……って今にして思えば、振り返って反省することができる。その重さから逃れるために……貴史はきっと、美歌との結婚を選択した。結果……お互いが……気持ちは別れられないっていう呪いをかけられた。
「貴史を壊したのは……私……。貴史にあんなことさせたのも、私……」
 奈津美は微笑んだ。
「でも先輩!」
「たぶんね、私と貴史、呪われてたんだよ。お互いの幻に呪われていて……」
 その呪縛を絶ってくれたのは、
「連がね、私の呪いを断ち切ってくれたんだよ」
「…………」
「ありがとう」
 蓮は奈津美の言葉に、また真っ赤になった。
「いやだ、蓮! また熱が上がった!?」
 奈津美は慌てて、蓮のおでこに手をあてた。
「あ、ち、違う!」
 蓮はバランスを崩し、ベッドに倒れた。奈津美はその上に覆いかぶさるように引っ張られた。
「あ、やだ。ごめん、蓮!」
 奈津美は慌てて起きようとしたが、蓮に腕を引っ張られた。どさっと音がして、奈津美は蓮の上に倒れた。
「先輩……」
 蓮の瞳は……うるんでいた。
「蓮……」
 奈津美の耳朶にあたる吐息は熱く……。
「ちょっと蓮! また熱上がってる!!!」
「ち、違うって!」
 奈津美は焦って蓮のおでこに手をあてた。
「あ……。熱く……ない?」
 奈津美はほっとした。
「せ、先輩が悪いんだ!」
「え、え?? 私、なにかした??」
 あまりにも奈津美が可愛くて……危ない危ない。
「危なかった……」
「なにが危なかったの?」
 きょとんとした顔をしている奈津美を見て、せっかくおさまりかけていた気持ちが……むくむくと持ちあがってきて。
「あああああ!!! 先輩の馬鹿!!! なんでそんなにかわいいんだよ!」
「あ? へ……?」
「病み上がりじゃなかったら、襲ってた」
 蓮の言葉に、奈津美はものすごい素早さで台所まで走って逃げた。
「や、やだなぁ、蓮……」
「そ、そんなに嫌わなくていいじゃないか……」
「あ、いや。私にも心の準備ってものが……」
「え? 心の準備ができてたら、いいの?」
「!」
 蓮は意地悪く笑い、ゆっくりとベッドから起き上がり……奈津美に近づいた。
「や、蓮。言葉のあやまりで……」
「先輩?」
 にっこりと笑う蓮に……奈津美は焦った。
 う……こういうとき、きっと経験豊富な蓮は……かなり上手で、意地悪だ。
「あ、そうだ。お腹空いた! ご、ご飯食べよ?」
「オレ、先輩を食べたい」
「あ~?! 病人! 飯を食え!」
 奈津美は近寄ってくる蓮に腕を伸ばし、掌を見せてストップさせた。
「……わかった。じゃあ、キスで許してあげる」
「な、なんでそんなにえらそうなの!?」
「あー、また熱あがってきたかなー」
「~~!!!」
 蓮の意地悪な瞳に、奈津美は諦めた。
「じゃあ、その……」
 蓮は奈津美の腰を引き寄せ、キスをした。
「ちょ……!」
 舌まで入れるな!
 奈津美は息も絶え絶えになりつつ、蓮は離してくれた。
「オレ、相当甘えっ子らしいから、覚悟しておいてね?」
「!」
 奈津美はがっくりと肩を落とした。

   *   *

 たぶんこの熱が、きっかけ。奈津美と蓮は……正式? につきあうことになった。
「蓮、その先輩っての、やめない?」
「え? だって先輩は先輩だし? なに? 奈津美って呼べばいい?」
「あ、うん」
 蓮はわざと奈津美の耳元で、
「奈津美……」
 と囁く。
「ちょ!」
 奈津美は一瞬のうちにぼっと真っ赤になる。
「いやぁ、先輩、かわいー」
 蓮はにやにやして奈津美を見ている。
 仕事は変わらずこなし、たまに一緒にご飯を食べたり、蓮の家で蓮のご飯を御馳走になったり。キスをするくらいで……蓮は奈津美の気持ちを思ってか、その先は我慢しているようだった。
 なんだか我ながら、高校生のお付き合いのようで……。きっと蓮は、その先を望んでいる。
 分かっていても……。その先は……怖い。
 もちろん奈津美は、初めてではない。結婚を意識していたくらいだから、貴史とはそういう関係も、確かにあった。あったけど……。痛くて……怖くて……ただ、その時間が早く終わってほしい、ってずっと思っていた。だから、怖い。
 蓮はやさしい。キスだけでも気持ちがいいから、きっとその先も奈津美が望めば、いつだって……。
 奈津美は自分の臆病さに、笑った。


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