失恋から始まる恋もある


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《八章》「動き出したもの」



 そこへ、一之瀬が戻ってきた。
「小林くん、すぐにその企画書、10部ほどプリントアウトして」
「あ、はい!」
 一之瀬に言われ、奈津美は椅子から立ち上がったが、まだ腰が抜けた状態だったのか、ふらふらとバランスを崩した。
「おっと、危ない」
 蓮はとっさに奈津美を支えたが……。
 蓮の手に、やわらかい感触が……。と思ったら、奈津美に思いっきり平手打ちされた。
「ちょ……!」
「あ……」
 蓮の右手には、奈津美の胸がしっかりと当たっていた。
「ご、ごめんなさい!」
 蓮はとっさに謝り、奈津美を立たせて素早く離れた。
「うーん、そこは蓮くん、謝るところではなかったかなー」
 一之瀬は腕組みをして、ふたりのことを見ていた。
 奈津美は企画書をプリントアウトして、一之瀬に渡した。
「ホテル事業部の部長がいたので話をしてきました。そうしたら興味をかなり持ってくれて、すぐにその企画書を見たい、ということでして」
「ほんとですか!?」
 奈津美はうれしそうに目をきらきらさせて、一之瀬を見た。
「とりあえず、企画書を見せてきます。もしかしたら明日、事業部の人たちを前にプレゼンしてもらうかもしれませんので」
 一之瀬は奈津美から受け取った企画書を持って、また、エレベーターに乗っていった。
「先輩、よかったですね」
「ええ、ありがとう」
 こんなに食い付きがいいとは思わなかった、というのが、奈津美の正直な感想。
「でもこれ、企画が通ったら、どこにお願いするつもりなんです?」
「うーん、そこなのよねぇ……」
 この会社の昔の取引先リストを見てみたが……。
「アパレル部門の取引先が一番かと思ってみたんだけど、こんなご時世だから、ほとんどが倒産か廃業していて……」
「新規開拓するしかなさそうですか?」
「とりあえず、残っている会社に行って、掛け合うしかないかも。それでだめなら、新規で探しましょう」
 奈津美はリストをプリントアウトして、蓮に渡した。
「あー……」
 蓮もリストを見て、がっかりしていた。
「これだけしかないんですか……」
「うん、そうなの。でもその情報もちょっと古くて、もしかしたらもっと減っているかも」
 このリストに載っている会社も、無理かもしれない。なんといっても赤字の見通しになっただけで急になくなってしまったアパレル部門。このわがままな廃部のせいで、この中の何割が連鎖倒産したんだろう……。
「それに、この企画が通ったとしても……」
 思惑どおりに客足が伸びなければ、コストがかかるだけでまた、赤字→ホテル業から撤退、という図式も見えてくるだけに……。
「あまり考えないで企画書を書いたけど、実は恐ろしい話だったのね……」
「今更言っても遅いですよ、先輩」
「そうなんだけど……」
 一之瀬が戻ってきた。
「なんですか、気弱なことを言ってますね」
「一之瀬さん」
「大丈夫ですよ、事業部長も企画書をみてかなり乗り気ですよ」
「いや、だからこそ……困っていたりして……」
 奈津美は俯いた。
 在庫の山を見たとき、ものすごく未来が輝いて見えたけど……。
「はいはい、まだ始まってもないのに考えた人がそこで暗くなっていたら、成功するものも失敗しますよ」
「……はい……」
「大丈夫。あなたの考えたことは、なかなか面白いと思いますよ?」
 一之瀬は奈津美の頭をぽんぽん、と軽くたたいた。
「さ、今日は帰りましょう」
 時計を見ると、すでに定時は過ぎていた。
「サービス残業したいっていうなら止めませんが?」
「いえ、帰ります!」
 奈津美は慌ててロッカーに行き、着替えて荷物を持った。
「では、今日もお疲れさま」
 三人でエレベーターに乗り、入口でそれぞれ別れた。


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